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2006年5月 7日 (日)

三丁目の夕日と錦糸町

ゴールデンウイークも明日で終わりですが、僕らは明日から本格的に『怪談新耳袋』の準備で今日が最後の休みだったので、錦糸町まで『三丁目の夕日』を観にいく。

 この映画、是非が問われて物議を醸し出した映画ですが、別に何と言うことはない大画面で見るテレビドラマとしてみればまあ普通の出来なのではないかと思いました。そこが問題なのだろうけど・・・。薬師丸ひろこと堀北真希はよかったけど、他のキャスティングセンスは全然駄目だし、芝居の演出も説明的過ぎ。帰ってきて観た「次郎長三国志」を見て改めてそれは痛感。この横浜ラーメン博物館みたいな映画が何でこんなに人を泣かせるのかわからなくもないが、後半、これでもかと泣きを取りに無理やりなエピソードを畳み掛ける後半は決して上等な表現とは思えなかった。だからと言って、物凄く酷い映画なのかと言うとそうでもないとは思う。もっと酷い映画はたくさんある。

それでも山根貞男さんとかが小津の『喜八』ものを彷彿とさせる映画だと言う評価とかは絶対に間違っている。確かに、小説家が子供を養うエピソードは小津の『長屋紳士録』の焼き直しだ。しかし、映画としての根本は全然違うでしょ。こんなに心情説明を最初から最後まで繰り返すようなことは小津は絶対にしなかった。かつて、2時間サスペンスドラマの脚本を書いた時、ある局のベテランプロデューサーに言われたのは「これはテレビドラマなんだから、暗闇に座って映像に集中する映画とは違う。視聴者が、テレビから席をはずして台所仕事なんかしながらでもわかるように説明してくれないと困るの」と言われたことがあったけど、これはテレビドラマと映画との表現の差を端的に言い表した名言で、僕自身も納得した。僕がテレビ的表現だと思ったのはそういうことだ。

一方、小津安二郎の言葉にこういう言葉がある。「映画の登場人物は刃物を隠していなくちゃいけない。そしてその刃物を最後まで見せないのが上等な表現」つまり説明は出来るだけ省いても、客にわからせるのが映画の上等な表現だと言うことだ。その意味でこの映画は大型画面で見るテレビドラマだったと思う。そんなに映画を見ていない人たちがこの映画に感動するのは別に構わないが、山根さんほどの人がこれを誉めちゃいかんでしょ。自分が見てきた映画の歴史に対して恥ずかしいと思わないと。

ところでこの映画を見た錦糸町のシネコンは、以前セイコーの工場があった場所で、中々素晴らしい廃屋があって5年前にロケ場所として僕も使ったことがあったのだけどいつのまにか跡形もなくなっていた。

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