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2006年9月

2006年9月30日 (土)

グエムル 漢江の怪物

 初冬に撮る予定の映画のキャスティングもようやく固まり始めて、それに則してキャラクターの変更や、映画そのものの方向性も若干修正が必要になってきたので、原作を読み直したり、参考になる映画をDVDで集めたりの日々が続く。来週の脚本打ち合わせでもっといろいろ見えてくるようになるだろう。

 さて、昨日は三日続けての映画鑑賞で「グエムル 漢江の怪物」を観る。僕らが観て来た怪獣映画とはちょっと異質の印象で、映画としてはボ・ジュノ監督による「殺人の追憶」と被る。映画は中々の力作だったと思うが、もう少し端折れる部分があってもいいかなと、少女が落とされた排水溝の高さの表現とか、もっと効率のよい描き方は出来なかったかなと思うし、ラストのクライマックスの音楽の過剰な盛り上げはちょっと苦しかった。それでも、ハリウッド製怪物映画の表層的な追体験を回避してあくまで、オリジナリティある「韓国の日常に現れた怪獣映画」を構築したところは楽しめた。そういった意味では、米軍と韓国政府によるウイルスの捏造部分などは類型的で、主人公が捉われてしまうと言う制約の為にしか機能していなかったので、この手の陰謀を描かせるなら「エイリアン」のイアン・ホルムのような象徴的存在を一人出してそいつの行動軸と主人公との対立を描いた方が効率的だったのではないかと思う。米軍関係者と韓国人通訳のやりとりを聞いてしまうだけで真実が判明すると言うのは説明のための説明にしかなっていなくて、いくら個性的な顔つきの役者をキャスティングしても、映画的なアドレナリンには直結しなかった。

 この映画を観ていて思い出したのは13,4年前に黒沢清監督と高橋洋さんで企画し、第1稿までは上がっていた「水虎」と言う怪物映画。この映画の脚本に向けての詳細は、偽書簡日記として黒沢清著「映像のカリスマ」に読むことが出来るが、ペットとして飼われていた「カミツキ亀」が、茨城かどっかの水路で成長し人を襲うと言う恐怖映画で、基本的には「JAWS」を狙ったものだったように思う。脚本から想像する怪物の大きさは「グエムル」と丁度同じような大きさではなかったか?ラストに迷路のように走る水路から水門へ誘い込んで、その水門で甲羅ごと叩き殺す場面は「グエムル」以上に興奮させられるシーンだったが、エピローグで主人公たちがこの亀の肉を食べてしまうと言うアイディアは脚本に書かれていたものなのか、高橋さんの口からのみ聞いて、脚本では割愛されてしまっていたかはさすがに10年以上前に一度だけしか読んでいなかったので定かではない。

 この頃のディレカンで映画にならなかった脚本や、黒沢さんの自身が書いて映画にできなかったプロットなどは今でも残っているが設定だけでも魅力的な「ミクロコップ」だとか、この「水虎」だとかはいずれどこかで映画化されて欲しいと本当に思う。

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2006年9月28日 (木)

蔡明亮「西瓜」とフランク・コラチ「もしも昨日が選べたら」

 午前中に、Bsiの短編プロットを仕上げたり、方々と業務連絡をとりながら、午後は1001174_01蔡明亮監督の新作を渋谷のシアター・イメージフォーラムへ観にいく。

    http://www.tml-movie.jp/index.html

 「西瓜」は先月観た「楽日」とは打って変わって、極めて猥雑でエキセントリックな物語を毒々しい表現と、いつもの台詞のない静謐な演出で魅せる台湾現代映画の傑作だ。主人公の男女の設定は「ふたつの時、ふたりの時間」からそのまま引き継がれてはいるが、今度は即物的な性と決して交わることのない男女の切ない物語が軸で、猛暑で水不足の台湾と言う舞台設定も重なって観ていて苦しくなるほどの映画だった。それでいて、ラストの衝撃的なふたりの結びつきはある意味感動的だ。性器を咥えて涙するチェン・シャンチーの涙は、「楽日」の映画館を覆い尽くすビロードのような雨にも似て切なく残酷な感動を与える。物語の幕間的に出てくるミュージカルシーンもデタラメで、笑わせてくれもするが、爽快感とはまったく違う、何か熟し過ぎて腐った果実を食べているような気分にさせられるが、どこか病み付きになりそうな後味引く想いにもさせられる不思議な映画だ。恋人を誘って、ちょっとデートだとか、時間つぶしに気楽に入って観るような映画では決してないが、じっくり新しい映画を観ようという人にはお勧めします。

 「もしも昨日が選べたら」は、27日観たんですが、前評判から『メリーに首ったけ』みたいなコメディ期待して観にいったんだけど、こう言うウエルメイドなコメディが本当に最近は下手糞だなあハリウッドと言う印象。ほんの数年前までは、ビデオスルーの映画ですらきちんとした段取りを踏んだ脚本だったのにね。こう言う映画が巧くないとハリウッド映画の楽しみってなくなっちゃうじゃないか・・・。キャスティングはツボを抑えた芸達者を揃えて楽しめるのに、実に勿体無い。「ラブ・イン・ニューヨーク」のヘンリー・ウインクラー、80年代のテレビヒーロー「ナイトライダー」のデビッド・ハッセルホルフなど、80年代映画、テレビファンには御馴染みの面子が揃っていて役者では充分に楽しめる映画だった。何か、今書いている短編の役に立つかなあと思ってみたんだけど、そういった不純な気持ちで映画を観ると失敗すると言う例でした。

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2006年9月26日 (火)

丹波哲郎よ永遠に・・・

 丹波哲郎さんが亡くなられた。84歳と言うことだったので充分天寿を全うしたと言うことだろうが、ぼくにとっは、昨日高校生ドラフトで横浜が田中将大を籤で逃したことよりもショックが大きかった。

 今時は、子供も結構遅くまで起きていたりするようだが、僕らの時代は小学校低学年くらいまでは夜9時以降のテレビを見ずに寝るのが普通だった。そんな中で、土曜の9時から始まる「キイハンター」だけは見ることが許されていた。これは同年代の人に聞くとどの家庭もそうだったようで、今から思えば結構子供には害毒な内容もあったと思うが、親が子供に見せてもよいと判断したのは、単に土曜の夜だったからなのだろうか・・・。菊池俊輔作曲による「殺しのライセンス」のテーマと共に始まる、和製ハードボイルドスパイドラマは、荒唐無稽でいながら、凝った作劇法やコメディセンスに満ちていて、小学校を卒業するまで『キイハンター』はほぼ毎週見続けていたのではないかと思う。そう言う中で、子供の僕にとって、初めて「大人の俳優」として認知したのが、丹波哲郎氏であった。当初はモノクロ放送だったこともあって、黒いハットを被ったタンバこと「ボス」はおちゃらけた芝居の千葉真一や谷隼人の緩い芝居とはまた別のハードな役回りを担って極めて格好良かった。

 その後もこの枠は近藤照男プロデューサーが枠を持つ限り、曜日や放送時間は変われど、90年代の「HOTEL」まで受け継がれた。その近藤氏も去年亡くなられた。70年代後半からの丹波氏は、大作化する邦画界にあって、決してなくてはならない存在となり、東宝、東映、松竹全ての映画会社が創る目玉大作にはほぼ出演していた。大作映画=タンバ出演だったのだ。90年代の中頃、『北京原人』と言う珍企画が東映の正月映画として公開され、佐藤純弥監督がメガホンをとったが、見事にタンバ節を炸裂させ、70年代のタンバをそこに復活させていた。思えば佐藤監督は「キイハンター」~「Gメン75」のチーフディレクターでもあった。

 僕らの周りで丹波さんと仕事をなされた人は一瀬隆重さんだろう。一瀬さんが自らメガホンをとった『帝都対戦』において霊的呪殺を行ってヒトラーを殺すシーンはやはり最高に興奮するタンバ芝居だった。タンバならヒトラー総統を呪殺できる説得力があった。

 とにかく、出てくるだけで世界観を変えられる役者はそうはいない。実は「ケータイ刑事 THE MOVIE」の初期の打ち合わせの頃、悪の親玉の正体が丹波哲郎で、車椅子に乗って覆面をしていて、声はどう聞いてもタンバ節なのだがあくまで謎の男ととぼけて、最後に捕まると、やはり犯人はタンバでした。と言うのはどうだろうかと言う提案をしたが、一笑に付されてしまったことがあった。3人娘にとっての最大の敵に相応しいキャスティングだと思ったが、今思えば、予算的な面や健康的な問題も含めて極めて非現実的な案であった。

 でも、一度は仕事をしてみたかった人がまた一人お亡くなりになられたことは確かだ。ご冥福をお祈りします。

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2006年9月23日 (土)

LOFT ロフト 黒沢清監督

 http://www.loft-movie.com/ 

午後から黒沢清監督の「LOFT」を観に横浜のニューテアトルへ。この古い地下劇場の雰囲気がこの映画にはぴったりあっていた。最近は何か仕事のついでだとか、打ち合わせの合間とかに映画を観る気力が起きないというか体力的なものもあるのか、脳内に映画を観るエネルギーを別に作らないと映画を観ないので、映画を観にいく日は朝から映画を観ることだけしかできないと言う感じになってしまう。要は瞬発的な集中力がとぎれがちなのかなあ。と言うわけで遅ればせながらの鑑賞になったわけであるが、これはなかなかに黒沢さんの意欲作だった。

 黒沢清+篠崎誠による「恐怖の映画史」の実践編と言うか、黒沢さんに言わせれば「まだまだ本当の恐怖はまだ撮れます」と言うことになるのだろうが、湖畔に仕掛けられた自動装置だとかミイラの動きであるとか、起き上がりこぼしであるとか、そういった映画の仕掛けを試してかなり成功している。黒沢映画でゴシックホラー風に進む展開は、ちょっと体裁は違うけど『地獄の警備員」を思い起こさせた。監督はラブストーリーであることを強調していたが、ラストで「めまい」を思い起こさせる突然の転落を見ると頷くところもあったが、ミイラへの想いと中谷美紀への恋慕が重なる歪んだ豊川教授の眼差しはどこか、『地獄の警備員』でヒロインが落としていったイヤリングを自ら装着する富士丸の眼差しに似ていなくもない。狂人の編集長西島秀俊の芝居もいい。ただ、こうした世界観で行くなら、森の中と下界との繋がりは西島編集長だけにしておくべきで、携帯電話が使えたりとか、連絡がまったくとれない環境の中で進ませた方が得策だったのではないかと思ったがどうだろうか?例えば冒頭でビニールの布で包んだミイラを抱きかかえて車から家の中に運ぶ隣人を見たら、アレはどう見ても遺体を運ぶ人にしか見えず、「普通は」まず警察に連絡したりするのではないか?と言う疑問は消し去っておくべきではなかったとか、説明的に進ませるのではなくある寓話世界を作るルールは決めた方が良かったようにも思えた。

 それでも室内に漏れてくる光の使い方とか、緑の中の中谷美紀、湖上の自動装置の異様な美しさは久々にダイナミックな映画を観たと言う贅沢な気分にさせられる邦画で、中谷美紀も最近の映画の中では一番美しかったし、トヨエツの言葉少ない怪人ぶりもよかったし(怪人はシルエットが格好よくなくてはいけないのだ!)、何より西島秀俊の棒読み風の狂人芝居も凄い演出だと思う。いまのところ今年観た邦画ではベストだろう。我らの上に君臨する大帝黒沢清の仕事としてはやはり充分にひれ伏すだけの価値を持った映画ではあった。これは、一瀬さんのところで撮った「叫」も楽しみだ。

 僕はこれを観てトヨエツ主演で「ファントム・オブ・パラダイス」とか撮って観たくなったですよ。

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2006年9月22日 (金)

アプレ ショートフィルム クランクアップ

Sn340037 アプレのワークショップの流れで創るショートフィルムの撮影が終了。今回も撮影、照明を自分でやってみるが、実に楽しかった。勿論俳優のワークショップなので、演出もやりますが、普段は出来ない撮影監督をやれるのがこの枠は何より楽しいかも・・・。今回は、見習い的ながらプロの現場も経験している撮影助手がついたので、重い三脚をセッティングしたりとか肉体労働をしなくてもすんだので、純粋に画作りを楽しめた。特に照明が楽しかった。照明一つでこんなに映像の雰囲気が変わるものかと、改めて再認識。映画と言うのは光をどう味方につけるのかと言うか、コントロールできるのかがかなり重要ではないかとさえ思えてくる。前回は1日に50カット近くも撮ったので、そういうところに凝ることもできなかったが、今回は1シーン1カットを通したので、色や明るさに存分に凝ることができた。久々に純粋に映像を楽しめた仕事だった。 とは言え、他人の映画のカメラはきっとできないだろうなあ。他人の撮りたいものをどう撮るかではなく、いまのところ自分の撮りたいものを自分で撮ることにしか興味がないから、やはり監督業の方が向いているんだろう。映画のほうはこれでもかと言うくらいにフィックスの長回しで芝居を撮っています。

 自主映画時代は8ミリカメラによる撮影だったので、露出計の絞りで光を決定していくのが主だったけど、デジタルビデオカメラの撮影になってからは見た目で決定できるのが楽だ。それでも8ミリの方が生生しい映像が撮れてしまう気がするのはなんでだろう?黒沢清監督の「映像のカリスマ」と言う著書の中に「かつて全ての自主映画監督は8ミリフィルムのカメラマンだった」と言う記述が出てくるけど、商業作品に行くと非常に気にする「イマジナリーライン」だとか、動きや人物の位置の繋がりなど、制度的になっている映画やテレビドラマの創り方を徹底的に無視して撮りたいものを原初的な欲望によって撮ることも映画にとっては重要なことであるのかもしれない。

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2006年9月20日 (水)

撮影前日

 明日から(今日から)ショートフィルムの撮影でいろいろ準備。朝は一瀬さんから電話があって来週会う約束もする。午後は準備の合間を縫って、Bsiで某事務所の女の子のトレーニング。本当はこう言うトレーニングは僕より奥さんの方が得意ではないかと思うのだが、今回は多聞さんからの直接の依頼だったので昼過ぎにBsiに入る。発声などをやってもらったが、全く問題ない。いくつかの修正点はすぐに治るし、何より欲があるのがいい。基礎的なことはすぐに終わって、もっと踏み込んだ演技についてレクチュアしてみたが、改めて自分の勉強にもなったので、中々楽しかった。今回は可愛いと言うよりは美人の子で、こう言うタイプはアンドリウチルドレンにはあまりいないタイプではないだろうか?いずれにしろ将来はスターの道を歩むでしょう。

 2時間ほどでトレーニングは終わって、本当はBsiアカデミーの打ち合わせもしなくてはいけなかったのだけど、明日の段取りでいくつか問題が出てきたので『アプレ』に向かって、プロデューサーの人と共にスケジュールを建て直し。今回は制作、助監督がいないみたいなものなので、僕自ら総合スケジュールを書く。むかしとった杵柄で、多少のアクシデントがあってもあっという間に処理してしまうのは助監督経験があるからだな。とにかく、明日は楽だけど明後日が大変。まずは明後日の天気がよくなることを祈るのみ。

 

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2006年9月19日 (火)

ゴダールは灯油ストーブの匂い

男性・女性 DVD 男性・女性

販売元:ハピネット・ピクチャーズ
発売日:2003/11/27
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 午前中はBsiのショートフィルムのプロット書きをして、昼からスカパーで横浜ー中日戦を観始めるが、例によって例の展開なので途中でやめて、ゴダールの「男性・女性」のDVDを見始める。明後日の撮影の勉強です。内容的には直接関係ないけど、学生たちと映画を創るときは必ずこの映画を見る。いつも、冒頭からしばらくしての、カフェで旦那を撃つ主婦の場面にどきどきしてしまう。「女と男のいる舗道」とかこの頃の商業映画と個人映画の境目にあるような映画が僕は大好きだ。「男性・女性」もある意味シャンタル・ゴヤのアイドル映画であるだろうし。例えば夏帆主演で「男性・女性」みたいな映画もあっていいと思うのだ。

ベスト Music ベスト

アーティスト:シャンタル・ゴヤ
販売元:ミュージックシーン
発売日:1999/04/25
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 このベストアルバムには『男性・女性』の主題歌も入っているが、とにかく素敵です。

 僕が初めてゴダールの映画を見たのは、札幌のビーチフラッシュの上映会だったのではないだろうか?当時、単館ロードショーなんて概念が映画館になかった時代には、16ミリフィリムを借りて自分たちで自主上映会を開くしかなかった。北大の近くにあった「メゾンパンタグリュエリオン」や「駅裏8号倉庫」なんていう場所で上映していたが、それらの施設はいずれも倉庫やビリヤード場を改装と言うかそのまま使っていただけなので、冬場になると必ず灯油ストーブを炊いていた。この灯油が燃える時の匂いと、モノクロのゴダールの映像が妙にマッチしていて、いまでもゴダールの映画をDVDで見ると北海道の冬の灯油ストーブの匂いを思い出してしまう。他にもたくさん映画は上映したと思うのだが、なぜかゴダールの映画だけが灯油ストーブの記憶と共に残っている。

 あそこが僕の映画の出発点だったからだろう。

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2006年9月17日 (日)

衣装合わせ ロケハン

 午前中からアプレショートムービーの衣裳合わせと脚本読み。今回はメイン3人が170センチ以上の女性。3人ともモデル上がりなのだが、結構迫力あるのではないか?男の方もそれに合わせたわけではないが皆180センチ近い。それぞれの顔の個性が全く違うので撮るのが楽しみだ。今回も自分で撮影をやることに。今回はカメラアシスタントがいるので、前回よりは楽かな。脚本も今までの自分にない世界観なので悩みは多い。撮り方自体は、台湾映画のような1シーン1カットで全て統一していこうと思う。午後からはロケハンで白金~町田の山中へ。開祖千年と言う寺を見て来たが、なかなか趣がある。神奈川県には震災を逃れた古い寺が散在してますね。このロケハンは中々疲れたが実り多かった。

 ところで今日は、中日の山本昌投手がノーヒットノーランを達成した。40代に入ってからのノーノーは珍しいが、これはやはり偉大な記録だ。40代頑張らねばね。黒沢清監督も最近のインタビューでこんなこと言ってますね。

「今、世界の映画監督の頂点にいるクリント・イーストウッドが映画を撮り始めたのは40歳を越えてから。しかも彼ががぜん凄みの増した映画を撮るようになったのは、70歳を過ぎてからです。団塊世代が定年後、仲間が集まって映画をつくる、なんてことがあっても全然おかしくない。どうせなら、ハードルを高くして若者がびっくりするくらいのものを目指してほしいですね」(日刊ゲンダイインタビュー)

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2006年9月14日 (木)

札幌帰省とグルメ紀行

Sn340035 父が狭心症の手術をしたのでその見舞いを兼ねて1年ぶりに札幌に3日間帰省。うちは家庭の事情が複雑なので、帰省すると父の家と入院している母と別々に会いに行かなくてはならず、昔はそんなに忙しくなかったので滞在日数も長かったが、今は奥さんと2人で2泊3日での駆け足帰省となるので中々慌しい。まずは、10年以上も入院しているので普段は外出できない母親を迎えにいって、僕と奥さんが泊まるホテルに連れてきて、フランス料理を食べさせ1泊。宿泊するエクセルホテル東急には専門レストランがないので、別のホテルのレストランまで行く。北海道の特産品を中心にしたフルコースは中々美味しかった。奥さんは最初に出てきた、ジャガイモベースにして米で作ったポタージュが美味しかったと言っていたが、僕は、帆立のポアレが美味かったと思う。翌日は3人で墓参りしてまた病院へ連れて行き、その足で今度は退院して間もない父親の家へ行ってと言う強行軍。父はすっかり元気な様子で、僕らを連れて近距離ドライブに連れて行くと言い出した。見舞いに行ったのにこっちが歓待されてしまう。

 Sn340034 そこで偶然見つけた『滝野霊園』と言う霊園にある巨石オブジェが凄かった。本来は札幌郊外にある別の公園を目指したのだが、夕方近くなっていたので入園できず、道からなぜか見えた巨大なモアイ像に惹かれてその霊園に入ると、広大な敷地にその巨大なモアイ像はおよそ20対近くも並んでいて壮観だった。しかも、その先には大仏まで建立されていて、およそ観光地とは縁遠い場所にひっそりと、しかし壮大なスケールの巨石のオブジェ郡は物凄い迫力でありながら、どこかお間抜けな感じもした。間抜けと言うよりは無駄というべきか・・・。いやとにかくでかいでかい、広い広い、そして誰も来ない、いない。勿論霊園の一部なのでお盆は人も来るんだろうけど・・・。

 その夜は、父の家の近くにある「もり」と言う寿司屋へ。この「もり」は住宅街にひっそり建つ隠れ家的な寿司屋だ。靴を脱いで入ると、座敷にカウンターがあって、そこで注文するのだが、ネタが新鮮なのは勿論、店主の料理への愛を感じる寿司屋。うにや鮪もいいが、鯖の〆具合がいい。油がのった鯖を生の感触が残るくらいに浅く〆ているので下手なトロよりうまい。うにと中トロと鯖を刺身に酒を呑んで、京都の唐辛子の煮浸しで箸を休めて、季節ものの松茸の土瓶蒸しでまたいっぱいやって、最後に好きな寿司をいっかんづつ握ってもらったが、鯛を塩とかぼすでさらっと味付けして出してくれた握りは本当にうまかった。これで値段は北海道値段。つまりそうは高くない。この店、観光案内などには一切載っていない穴場なので、札幌を訪ねたときは是非自力で探してみてください。ヒントは柏中学。

 3日目は移動日。帰途の千歳空港で次の作品のキャストの連絡が来て、いよいよ方向性が決まる(のか?)。まだいくつかハードルはあるが、それを乗り越えて決まればこれは中々面白い映画になるでしょう。とは言え、テレビドラマの進行の流れに慣れると映画の進行の不安定さはなんとも不安な気持ちになります。

 慌しかったが、ちょっとリフレッシュも出来た北海道帰省だった。ただ、エクセル東急はツインの部屋にLANケーブルが来ていないのが難点。

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2006年9月10日 (日)

炎天下でワークショップ

 暑い!死ぬほど暑い!もう9月10日だと言うのに34度なんて信じられない。20年前のこの時期はもう長袖の腕まくりだったんじゃないかなあ。

 と言うわけでワークショップ3日目は近くの公園での撮影ともなったわけですが、なにしろ10組の人たちがいますからね。台詞の書かれていない脚本の中からエチュード的に芝居を作り上げていくのは実に難しい作業で、参加してくれた俳優たちも大変だったのではないだろうか?僕としては今日の撮影で完成を目指すのではなく次のステップへの通過点と考えているので、ここから本格的に脚本作りが始まります。いろいろ試行錯誤していますが、映画の芝居の本質と言うものに少しでも近づいてみたいんですよねえ。今回は、いつものメンバーに加えホリプロやイエローキャブのタレントさんなんかもいましたが参加女優の4人までもが170~173センチの身長と言うのは正直びっくりしましたね。

 陽が大分傾いた頃に撮影終了した時にはどっと疲れが出ました。しかし本当に暑かった。今もまだ暑いけど・・・。

 脚本は面白くなりそうです。3日間の成果がどう出るかは20,21日の撮影で決まるでしょう。

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2006年9月 9日 (土)

高瀬さんが 死んじゃった・・・

そんなバカな。と思う。訃報にふれたときにいつも思うのは悲しさよりも欠落感だ。喪失感とでも言おうか・・・。高瀬さんとは「スイートホーム」の撮影現場で知り合った。高瀬さんは日活撮影所生え抜きの撮影部で、前田米造さんや山崎善弘さんの助手を長くやっていて確か、森田芳光監督の映画がデビューじゃなかったろうか・・・。かなり特殊な現場で殺伐とした空気の『スイートホーム」の現場にあって、撮影部チーフの高瀬さんの人柄の良さには随分と助けられた。その後も、現場ではお付き合いはなかったが、何かにつけて連絡してくれて、『発狂する唇』は当初高瀬さんにお願いすることになっていた。それがスケジュールの都合で折り合いがつかず、結局その後仕事をする機会がなかった。今年は6月に銭形雷撮影中に携帯に高瀬さんから電話がかかってきて、「すいません、ちょっと今現場なので手が離せないんです」と言うと、「あ、現場中、ごめんごめん」と高瀬さんは電話を切った。それほど急ぎの用でもなかったのか、その後連絡は来なかった。こちらから連絡もしなかった。だが、それが僕が高瀬さんの声を聞いた最後になるなんて思いもよらなかった。何があって、夜中に僕の携帯を鳴らしたのかはいまもわからない。

 わかっているのは、遣り残したことの中には取り返しのつかないこともあるということだ。いつか一緒に仕事をしましょう。お互い何年も言い続けて実現できなかった。最後の電話に答えることも出来なかった。死は「無」だ。とつくづく思う。ご冥福をお祈りします。高瀬さんが世紀末から今世紀の日本映画の代表的なカメラマンだった事実だけは残ったと思います。

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2006年9月 8日 (金)

蔡明亮 「楽日」

 明日からのワークショップの参考にと蔡明亮監督の「楽日」をユーロスペースに観にいく。蔡明亮の映画はほぼワンシーンワンカット、それもフィックスの固定画面が延々続く。今回は潰れる直前の台北の大劇場を使って、いつものようになさぬ仲の男女の話が綴られる。綴られると言っても、桃饅頭を映写室に届けにいくだけで、映写技師への切符売りの女の想いはこの饅頭一個に集約されてしまうだけだ。外を叩くように降る雨はエドワード・ヤンの「牯領街少年殺人事件」の中に出てくる、嵐の襲撃シーンを思い起こさせるくらいに映画的で激しい。台湾映画的記憶を脳裏に蘇らせるのには充分の雨の量だ。 雨漏りする中、足の悪い主人公の女が不恰好に歩く廊下と窓外の雨はなぜか彼女たちのフィナーレを祝福しているようで美しい。一方で、ハッテンバと化してしまった劇場内を男の性愛相手を求めて流離う日本人の話もかなりおかしい。蔡明亮監督の魅力は、リアルな長回しの画面の中に突如として出鱈目な表現が顔を出すところで、今日は笑いはあまり起きていなかったが実に素敵にばかばかしくて出鱈目な部分も潤沢にあるところが素晴らしかった。映画の中の芝居について、ちょっと悩んでいる僕にとっては刺激的でそれでいて癒しになる映画だった。

 夜は高橋洋さんから電話ある。昨今の映画の中の登場人物に、リアリティを感じないと言うことについて語る。リアリティと言うのは等身大のキャラクターと言うことではなくて、映画の時間軸の中に生きている人物が立体的に見えてこないと言うか・・・ここから先もまた伏せ文字大会になってしまうなあ・・・。高橋さんは、いくつかの映画の例を出して語ってくれ、僕も自分が最近現場で悩むことが多いことを語りあう。結局結論は出ず。僕としては明日からのワークショップに何か答えを見つけ出せればと強く想った。

 

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2006年9月 7日 (木)

伏せ文字だらけになってしまうので・・・

 更新していませんが、ここ数日いろいろ人と会いいろいろ話しているんですが、どうにも公に出来ない伏せ文字だらけの名前と出来事になってしまうんでやめております。ブログと言っても様々な人が読んでますからね。そういった意味で、次回作もまだ伏せ文字だらけになってしまうし・・・。野球のことは正直本当に心を痛めておりますので、しばらく書く気にはなれません。

 と言いながら明日からしばらくワークショップです。今までとはかなり趣を変えてやろうかなと頭を悩ませています。自分自身にとっての映画の芝居とはなんなんだろうって?ちょっと自分で悩んでみたい気もするんですよね。今書いていた映画がそれはもう超絶な娯楽の方へ針を振り切ったものなので、それとはまた別に静かに映画を考えて見たいなあと思っていたりしていて、それをいろいろ試せる場所があるのはこう言う時期にとてもありがたことなのかもしれないなと思ったりしています。

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2006年9月 3日 (日)

横浜ベイスターズのいまそこにある危機

_023 本日、横浜ベイスターズの牛島監督が辞任なされた。夕方の阪神戦の完封負けの辞任会見をいつも仕事をしているBsiのチャンネルで見ながら僕は残念だとも、よかったとも、怒りももうなかった。ただ、ただ深い悲しみだけが残った。采配云々に関しては、それぞれ思うところもあるだろう。だが、現在の最下位の責任は決して牛島監督一人のせいではない。それはもう数年に渡ってキャンプの練習からシーズンの殆どの試合を見ている僕にはわかる。牛島監督が就任する前からベイスターズの内情はそれなりに把握しているつもりだ。

 ベイスターズの低迷の一番の原因は、90年代後半のドラフトの失敗に一つの原因はある。特に補強費に恵まれなかった球団は当時、契約金や栄養費(裏金)に金がかかる社会人大学生より高校生の選手を上位に指名していた。98年優勝の頃の選手たちがまだ20代中心だったので、補強の重要性を危機感を持って考えられなかったのも原因だ。ところが、99年~00年にかけて一気に主力メンバーが退団していった。抑えの佐々木、4番のロバート・ローズ、エースの野村などなど。他にも故障する選手が頻出したが、選手層が薄かったのでチーム力は一気に減退した。高校生ドラフト選手たちはその頃まだまったく戦力になっていなく、退団者までいた。

 これをチーム力の補強ではなく、監督の補強でなんとかしようとして招聘されたのが森監督だった。森監督が監督を引き受けた時点でローズの退団は聞かされていなかったらしい。森は、権藤が残したチーム力のなさに愕然とした。そこで、ない戦力でいかに戦うかを模索したが、残念ながら森はチームを建て直し出来る監督ではなく、潤いある戦力を使って常勝チームを作る監督だった。球団は監督に選手の育成や野球IQの向上を託したが、一向にチーム力が上がらない選手に森は苛立ち、外国人補強をシーズン途中でも繰り返し、選手の不甲斐なさを嘆いた。それがそのままマスコミに筒抜けとなって、森はチーム内外からの批判を浴びることになる。そしてチームは4年ぶりのBクラスで最下位に。02年の秋のことだ。「ベイスターズらしくない野球をやる監督」として地元タニマチや横浜市議会議員の球団役員の株主総会での監督更迭動議が取り沙汰され、当時の大堀社長は株主総会での騒動を起こさないために総会の前日に森監督の辞任を促した。球団の歴史的な汚点だったと思う。この時点でも編成責任者ではなく、監督が詰め腹を切らされたことになる。

 森監督就任時代のオーナー交代にも触れなくてはならないだろう。マルハが業績不振からニッポン放送への株譲渡でオーナー交代をしようとした時に読売のオーナー渡辺恒男、いわゆるナベツネからヤクルトとの株の二重保有問題で横槍を入れられ、挫折、結局青天の霹靂とも言う電撃的なTBSへの株譲渡で横浜球団はこれを乗り切った。だが、もともと球団経営に意欲があったわけではないTBSは、球団をコンテンツ利用と言う観点以外にはさしたるビジョンもないまま経営することになってしまった。球団のこれからをどうするのかは、当時のマルハからの出向社長だった大堀氏続投と言う形で任されたが、森更迭時のトラブルもあって大堀氏は去ることとなる。この時点でもTBSは球団に丸投げ状態であった。

 そして、満を持して就任したのが山下新監督だった。横浜大洋のプリンスと呼ばれた山下氏は言わば横浜大洋からの球団の切り札だった。球団は、森時代に考えられなかった30億と言う巨費を投じてMLBの4番コックス、韓国の本塁打王ウッズ、FAでダイエーのエース若田部、などを獲得し、当時のFA取得権利者たちに複数年高額契約を乱発した。戦力だけは整えたはずだった。森時代に選手離れが始まったのを阻止しようとしたのだろう。ところが、人間的には素晴らしい山下氏には采配の才能が残念ながらなかった。あったのは大洋からの生え抜きプリンスと言う称号だけだ。最初の年は歴史的な負け数で最下位、それでも04年には勝ち星は増えて采配にも光が見え始めた矢先。契約終了を理由に退団となった。チームが上向き状態にあったので、この監督更迭はやはり疑問が残った。(ところで30億補強内訳だが、コックスは7億の巨額を持ったまま故障で1軍登録が殆どなかったし、若田部も奇病で戦力にはならず、ウッズは本塁打王になったが中日に巨額で取られてしまった。FA複数年選手たちはほぼ全員が不振に陥った)

 そこで呼ばれたのが監督経験のないTBS解説者だった牛島監督である。去年3位になったのは監督もおかげもあったと思う。それでも今季、チーム低迷のため辞任となった。原因は「補強のなさ」だと言う。監督とは孤独なものだ。試合に勝てば(映画がヒットすれば)選手が(役者)がよければ彼らが賞賛され、試合が負ければ(映画がこければ)監督が責められる。映画でも野球でも監督は割に合わない職業なのかもしれない。今回で言えば、昨年オフのあまりに貧しい補強が今年の低迷の原因だと断言できる。だが、これからは映画界以上にプロ野球界は苦しい。巨人によりかかりで、放映権をあてにしていた経営が成り立たなくなってきている。ベイスターズは累積赤字が39億とも言われている。まともに利益を追求すれば経営できない数字だろう。MLBのようにNPBは公共財と言う意識がない。補強もそうは出来ないのが現状だろう。そんな中でチームを強くしていくには監督一人ではどうにもできない。球団の、オーナーの哲学が確りしていなければ球団の存続すら危ないだろう。映画で言えばプロデューサー不在なのがいまのベイスターズ球団なのだ。牛島監督に見捨てられたベイスターズはこれからどこにいくのだろう?この10年間の歴史を踏まえてこれからの球団改革をお願いしたい。

 牛島監督お疲れ様でした。僕が監督した「ケータイ刑事 THE MOVIE」には横浜ベイスターズ監督としてのあなたの姿がほんの一瞬ではありますが映っています。それは僕の誇りだと記しておきましょう。

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2006年9月 2日 (土)

ドン・シーゲルの映画がソフト化されないことへの怒り

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昨日、プロットの直しを提出し終わって夜中にクリント・イーストウッドのインタビューをBSハイビジョンで見ていたら、「ダーティ・ハリー」や「白い肌の異常な夜」の話になって、ドン・シーゲル作品を改めて見てみたくなったがイーストウッド絡み以外の殆どの作品が日本では(海外でも)DVD化されていないことを知って怒りに燃えた。まあ、渋谷のTSUTAYAあたりでもアルドリッチまではコーナーがあるのにドン・シーゲルのコーナーはない。新宿にはコーナーあるが、ここで借りると次に新宿へ出るまで返さないし、今仕事をしている会社がどれも新宿を経由しないで行ける場所なので一度借りるとこの間のように延滞になってしまう可能性があるので借りられないのだ。

 それにしても、「突破口」や「ドラブル」「テレフォン」と言った70年代のスタンダードなアメリカ映画(ドラブルはイギリスか)が日本では全く評価されていないことは映画の歴史への冒涜ではないかとさえ思われる。例えば日本映画なら石井輝男だとか中川信夫だとかはサブカルチャーとしての評価も受けて、阿佐ヶ谷なんかの再上映で人気が出たりすることもあるが、70年代アメリカ映画は権利の問題も難しいのだろうが、ここはもっと批評の立場の人たちに頑張ってほしい。ドン・シーゲル研究本は海外ではあっても、やはり日本での出版は難しいのだろうか?まあ、難しいのはわかる。黒沢清の映画が人気なら黒沢清の映画を見に来た人には強制的にドン・シーゲル本を購入させるくらいのことはあったとしても、映画の神様は怒らないのではないかとさえ思ってしまう。

 クリント・イーストウッド演出による映画が評価されるならそれ以上にドン・シーゲルは評価されなくてはいけない。

 と言うわけで数年前にスカパーHDダビングした「突破口」でも見て気を晴らそう。

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