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2006年11月 2日 (木)

父親たちの星条旗

 午前中に短編の脚本を書き、午後から川崎のラゾーナにある109シネマズへ行く。イーストウッドの「父親たちの星条旗」を観る為だ。

 戦争映画と言うのは、子供の頃やたらに洋画劇場で放送していたせいもあって、「大脱走」だの「ナバロンの要塞」「レマゲン鉄橋」と言った活劇スペクタクルか、「史上最大の作戦」や「バルジ大作戦」のようなオールスター大作映画のイメージが強かった。ベトナム戦争以降は、戦争と言う題材に対してハリウッドそのものが懐疑的になって、娯楽映画と言うジャンルとはかけ離れた映画が多くなっていたと思う。が、そう思っていたのは、己の知識教養のなさで、50年代の戦争映画が次々とビデオ化されるのを見ると、陰鬱で閉塞的な戦争映画が多かったことを知った。アルドリッチの「攻撃」「燃える戦場」フライシャーの「ならず者部隊」、ドン・シーゲルの「突撃隊」どれも、活劇性はあっても、戦場の重苦しさは常に映画を覆っていた。

 このイーストウッドの新作の前半も、50年代の戦争映画のように重苦しい。だが、CGを駆使した、スペクタクルシーンは素晴らしい、とくに艦砲射撃と言うものを、砲撃と撃ち込まれる対象物ごと描いたのは映画史的に初めてだろうし、戦闘機のコクピットからの「見た目」映像も迫力がある。上陸の際の阿鼻叫喚地獄もあるが、「プライベートライアン」のような、いまそこに瞬時におこる死のバーチャル体験のような見世物化もしてない。このあたりは「許されざる者」の西部劇のガンファイトの重苦しさと乾いた世界観に似ているかもしれない。

 だが、映画が感動的なのは前半のアクションシーンを受けた、後半の若者たちの静かな人生の崩壊を、映画的なゆったりとした時間の中で残酷に描いていくところであり、中西部の道をヒッチハイクしながら2000キロ歩いて戦友の両親に真実を語りにいくエピソードは、それだけでも充分ロードムービーとして映画になり得るのに、そこに殊更に「感動」を掻きたてる訳でもなく、イーストウッドの演出そのものも無常感に包まれて、静かな怒りを持って描いていく。土煙をたてて走る車内から、よろよろ歩くアイラを捉えた短いカットは本当に素晴らしい。マイケル・チミノがマルパソで撮った「サンダーボルト」のラストを思わせる切なさがそこにはあった。決して万人受けする娯楽映画とは言えないかも知れないが、いま絶対に観て置かなくてはいけない一本だとも思う。

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