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2006年8月20日 - 2006年8月26日

2006年8月25日 (金)

ケータイ刑事 THE MOVIE DVD

 「ケータイ刑事 THE MOVIE プレミアムエディション」のサンプルを戴く。舞と泪のダンスをマルチアングルで見られる構成は本当にありがたい。特に黒川芽以が「最初はあまり巧くないけど、段々巧くなっていく」と言う場面を曲が短かったので、カットせざるを得なく、こうした形でファンの方々に見ていただけるのは嬉しい。ただ、1曲の中で明らかに捨てている部分もそのまま入っているのでだらしないカットになってしまっているのを見られるのはちょっと恥ずかしい。

 メイキング映像は懐かしくもあるがやはりこれも恥ずかしい。思えば、昔はメイキング班と映画の現場スタッフと言うのは犬猿の仲であった。いまは、DVカメラの小さなものを1台メイキングディレクターが持って静かに撮っているが、昔はメイキングでもベーカムのワンチェーンが必ず入り、3,4人はメイキングスタッフが来ていたので、当然本編の撮影の邪魔になったのだ。今でこそ、DVDの特典映像にメイキングをつけるのは当たり前になったが、20年位前はメイキングの使い道も番宣的に使うか、よくてメイキングビデオを創るくらいだった。メイキングに力を入れ始めたのは傑作メイキング「マルサの女をマルサする」の伊丹プロ作品からではないだろうか?僕らの世代はそうでもなかったが、ちょっと上の世代の助監督さんたちはメイキングを目の敵にしていた。ビデオのスタッフとフィルムの映画のスタッフがいまよりももっとセクショナリティで仲が悪かったと言うのもあるかもしれない。また役者さんによっては「素の顔」を撮られるのを本気で嫌がっていた。秋吉久美子さんなんか、メイキングカメラの赤いランプを見つけただけで芝居をやめてしまい、メイキング班をセットから追い出して撮影再会なんてのはざらだった。ある芸能人が監督する映画に故若山富三郎さんが出演していた現場に僕は応援の助監督としていたことがあるが、この時大胆にもメイキング班はセット脇でお休みになっている若山さんに近づいていって「○○監督の演出はどうでしょう?」と聞いた。若山さんは烈火の如く怒って「いいわけねえだろう!俺は市川崑や深作欣二と言う監督と仕事してんだぞ!いい監督と言うのはそういう人のことを言うんだ。俺は○○が可愛いから出てるけど、○○が゙監督するってのは意味が違うんだよ!」と怒鳴り散らしていた。この映像が使われたかどうかはしらないが、宣伝と考えればとてもメイキングで使われる内容ではなかったろう。映画の現場が、いまよりも敷居の高い場所であったのは間違いない。世代も変わって、「素の顔」を見せることに抵抗がない役者も増え、ビデオカメラで映画を撮る時代になってきて、現場での意識にも変化が生じているかもしれない。

 今日は夕方から脚本打ち合わせで四谷に行かなくては・・・。

 

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2006年8月23日 (水)

野村芳太郎 「真夜中の招待状」

真夜中の招待状 DVD 真夜中の招待状

販売元:松竹
発売日:2004/01/24
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 新宿に延滞していたビデオを帰しに行ったついでに、野村芳太郎の「真夜中の招待状」を借りる(しかし延滞したビデオの超過料金を払うことくらい自分に腹が立つことはないが、僕はよくやってしまうなあ)その後、恵比寿で打ち合わせ。

 帰ってから巨人戦をBsiで見始めるが、台湾の何たら言う投手に1回抑えられたところで、これは駄目だろうと言う勘が働き、案の定3点取られても終盤まで打線が無抵抗だったので、早々に「真夜中の招待状」を見る。

 これなかなか凄い映画です。昨日、スカパーで野村芳太郎の「コント55号と水前寺清子のワンツーパンチ三百六十五歩のマーチ」を見て、中々楽しかったので未見のこの映画を借りてくることにしたのですが、いやいや、恐るべし野村芳太郎。「八つ墓村」の後半が好きな人は堪らない映画です。原作は遠藤周作の「闇の呼ぶ声」と言うミステリーらしいけど、とにかく、上記にあるようなDVDパッケージイメージのスタイリッシュな小林麻美の都会派ミステリーを期待するととんでもない目にあうのは確実。

 小林麻美が高橋悦史演じる精神科の医者を訪ねていくところから始まるのだが、この病院内の患者の描写がもうあり得ない。ただ笑ってすませていると後半のどんでん返しの伏線になっているので、気を抜いてはいけない。フィアンセの小林薫が、兄弟が次々と蒸発するのでノイローゼになって困っていると麻美は相談に来たのだが、そこからは硬派な社会派ミステリー風に映画は進んでいく。新劇の俳優さんをここかしこに配し、確りとしたカット割で地道に映画は進む。東海村の原発研究所なんかが出てくるので、ああやはり社会派だろうとたかをくくっていると、蒸発した兄のポケットから心霊写真が出てくるところから、一気にオカルト映画風味になり、北林谷栄さんが若作りした霊媒師とか出てきて「発狂する唇」ばりの交霊シーンがあったりする。そうこうしているうちに、丹波哲郎演じる催眠術博士まで登場し、スパーナチュラルな世界は頂点を迎えるのだが、そこから話は九州の田舎の陰々滅滅とした復讐怨念話になって、事件の中心は****だったと言う「あっ」と言う展開を迎える。ヒントは「○レファント○ン」。最後の謎解きの強引さはちょっと「ケータイ刑事」も髣髴させるとんでも推理もある(合成心霊写真を密かに被害者のポケットに忍ばせ、毎夜悪戯電話をかけると被害者は怖くなって、発狂して夢遊病者のように海へ飛び込んで自殺させるとか・・・)。

 とにかく内容も描写も強烈なので「ドス暗い気持ち」でいると、ラストは成田空港で妙にキャバキャバした麻美が「あたしも変わろうかしら」みたいな悪女風のオチがあって、これはもうどうでもいい纏め方なんだけど、背景に日航の翼が見えるラストは「八つ墓村」と一緒だなあと感じて終わる。

 いや、物凄く大真面目に重厚にこれらのとんでも話が展開される映画は久々に見た。上記以外にも芦田伸介、渡瀬恒彦、米倉斎加年ら映画演劇界の重鎮たちが脇を固めているのが妙に重苦しくて説得力あるのだろうな。野村芳太郎は最近三百人劇場でも特集やっていたけど、全部見ればよかったなあ。まあ、残暑厳しい折、脳内を痺れさせたい人にお勧めの映画です。脚本は野上龍男。「八つ墓村」のとんでも感は橋本忍の理力だけではなかったことがわかる。野村芳太郎も「橋本プロ」のプロデューサーだもんね。

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2006年8月21日 (月)

王になろうとした男 ジョン・ヒューストン

王になろうとした男 Book 王になろうとした男

著者:ジョン ヒューストン
販売元:清流出版
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 自分でもお分かりだったようだが、ジョン・ヒューストンにはスタイルと言ったものがない。と言うのは嘘で、どんな監督であれ、カメラがあって役者がいて監督がいればその監督のスタイルといったものは自ずと生まれるはずだろう。が、謙虚にヒューストンはベルイマンやブニュエル、或いはフェリーニらを例に出して、作家の内面から自己表現を試みる彼らを尊敬しながら、一方で、自分は彼らとは「違う」と語る。雑多な材料で映画を創りながら、そこに見出した文法を大事にしていこうとしている(私は映画も大事だがボクシングや狩も同じくらいに人生では大事だとか本気なのか嘘なのかわからないようなことも言っているがこれも本気だろう)

 前半はヘミングウエイの話だとか、時系列を追った作品と交友関係の話が中心なのだが、後半、晩年に至ってのヒューストンなりの達観した映画論と言うか演出論が出てくるところが面白い。例えば、マスターショットを舞台のようになんでも網羅するように撮って、その後で、拾い落しがないようにクローズアップ、ミディアムとシーンの全て撮って、編集でどうしようか悩むと言うやり方は無駄だと言っている。それより「そのシーンの中で重要なショットをまず導き出し、そこを撮ってから、次のカットを撮っていく方がいい」とヒューストンは説く。かいつまむと、意思を持ったキャメラポジションと言うものが映画には必要であり、演出とは物語を無駄なく「どう伝えるのか?」が大事だと。

 例えば、幌馬車を移動で撮っていると、そこに物語の重要な人物が出てくる。幌馬車はフレームアウトしていくが、カメラはその人物の歩き出しと共に移動し、さらに新たな人物を捉える。カメラは移動をやめる。最初の人物はそのまま歩き去るが、フレームには最後の男が残される。男は振り返り、去っていった男を見る。実はこの男こそ更なる重要人物だ。と言うように、一つのシークエンスが次のシークエンスを呼び込み、カメラワークからは無駄を省くことが重要だと語る。カット割っても、割らなくても恐らく手間は一緒なのでできればこういったワンカット内でのショットの移り変わりによって物語を進めた方が演出的には「かっこいいよ」と言うようなことをヒューストンは言っている。これは中々勉強になった。勿論、イーストウッド監督主演の傑作「ホワイトハンター ブッラクハート」のモデルにもなったアフリカでの映画撮影の秘話など読み物としても面白い。

僕は数週間ほど前に『ケータイ刑事銭形雷 最終回』を撮りに行く朝、毎日ある一節を読んで出かけていた。その一説は

 「それ自体スタイルを持ち、活力に溢れたショット、映画の全体像と調和するショット、を見つけるべく努力するのだ。俳優には俳優のペースがあり、監督にはまだそれも見えていない。しかし、パニックに陥る必要はない。俳優や撮影クルーにどう思われようと心配するのも無用(監督は何もわかっちゃいないと思われたところでどうでもいいではないか)不安に駆り立てられると過ちを犯すだけだ(中略)俳優は時間と余裕を与えられれば、自分の位置を自然と見出す。そしてそこからどう言うタイミングでどう動くか理解するようになる。こちらがそれを撮ればいいだけだ」

 

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2006年8月20日 (日)

Bsi アカデミー

  http://www.bs-i.co.jp/school/index-j.html

 午後からBSiアカデミーのガイダンスで、授業のシュミレーション。若い役者を呼んで、まだ未放送のドラマの1シーンを演じてもらって、どうカットを構成していくかとか、芝居を観てからどうやってカット割をするのかということに関して。やりながら、これは自分的にも勉強になるなあと。実際に現場に出てしまうと、中々客観的になれないが、最終的に出来上がった作品を分解して、新たにそれぞれ構築していくと言うのは中々面白い。最初はどう言う講義にしようかなと、前の日まで悩んでいたが、方向性は見えた。周防監督の傑作メイキング「マルサの女をマルサする」を、授業の中で実践して見ようということかな。机上の理論ではなく、より実践的で立体的な映画そのものの構造を考えてみようと言う授業。

 篠崎誠氏は実際に映画を生徒たちと一緒に作っていこうというゼミになるようだし、中々この授業は中身が濃くなるのではないだろうか?ゲスト講師も黒沢清監督、高橋洋さんとか映画美学校色も濃いですが、TBSの大ディレクター鴨下信一さんや、廣木監督、若松孝二監督など実にバラエティで豪華な講師陣が揃ったと思います。個人的に、他の講師の講義も受けに行きたくなってしまう。特に、受けると信者が必ず増えていくと言う高橋洋氏の講座はどんな恐ろしい講義なのかこの目で検分したいです。

 中々人気で人がいっぱい来ていますが、まだ若干名余裕があるようなのでもし興味ある方は是非、入学をお勧めします。

http://www.bs-i.co.jp/school/index-j.html

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