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2006年9月3日 - 2006年9月9日

2006年9月 9日 (土)

高瀬さんが 死んじゃった・・・

そんなバカな。と思う。訃報にふれたときにいつも思うのは悲しさよりも欠落感だ。喪失感とでも言おうか・・・。高瀬さんとは「スイートホーム」の撮影現場で知り合った。高瀬さんは日活撮影所生え抜きの撮影部で、前田米造さんや山崎善弘さんの助手を長くやっていて確か、森田芳光監督の映画がデビューじゃなかったろうか・・・。かなり特殊な現場で殺伐とした空気の『スイートホーム」の現場にあって、撮影部チーフの高瀬さんの人柄の良さには随分と助けられた。その後も、現場ではお付き合いはなかったが、何かにつけて連絡してくれて、『発狂する唇』は当初高瀬さんにお願いすることになっていた。それがスケジュールの都合で折り合いがつかず、結局その後仕事をする機会がなかった。今年は6月に銭形雷撮影中に携帯に高瀬さんから電話がかかってきて、「すいません、ちょっと今現場なので手が離せないんです」と言うと、「あ、現場中、ごめんごめん」と高瀬さんは電話を切った。それほど急ぎの用でもなかったのか、その後連絡は来なかった。こちらから連絡もしなかった。だが、それが僕が高瀬さんの声を聞いた最後になるなんて思いもよらなかった。何があって、夜中に僕の携帯を鳴らしたのかはいまもわからない。

 わかっているのは、遣り残したことの中には取り返しのつかないこともあるということだ。いつか一緒に仕事をしましょう。お互い何年も言い続けて実現できなかった。最後の電話に答えることも出来なかった。死は「無」だ。とつくづく思う。ご冥福をお祈りします。高瀬さんが世紀末から今世紀の日本映画の代表的なカメラマンだった事実だけは残ったと思います。

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2006年9月 8日 (金)

蔡明亮 「楽日」

 明日からのワークショップの参考にと蔡明亮監督の「楽日」をユーロスペースに観にいく。蔡明亮の映画はほぼワンシーンワンカット、それもフィックスの固定画面が延々続く。今回は潰れる直前の台北の大劇場を使って、いつものようになさぬ仲の男女の話が綴られる。綴られると言っても、桃饅頭を映写室に届けにいくだけで、映写技師への切符売りの女の想いはこの饅頭一個に集約されてしまうだけだ。外を叩くように降る雨はエドワード・ヤンの「牯領街少年殺人事件」の中に出てくる、嵐の襲撃シーンを思い起こさせるくらいに映画的で激しい。台湾映画的記憶を脳裏に蘇らせるのには充分の雨の量だ。 雨漏りする中、足の悪い主人公の女が不恰好に歩く廊下と窓外の雨はなぜか彼女たちのフィナーレを祝福しているようで美しい。一方で、ハッテンバと化してしまった劇場内を男の性愛相手を求めて流離う日本人の話もかなりおかしい。蔡明亮監督の魅力は、リアルな長回しの画面の中に突如として出鱈目な表現が顔を出すところで、今日は笑いはあまり起きていなかったが実に素敵にばかばかしくて出鱈目な部分も潤沢にあるところが素晴らしかった。映画の中の芝居について、ちょっと悩んでいる僕にとっては刺激的でそれでいて癒しになる映画だった。

 夜は高橋洋さんから電話ある。昨今の映画の中の登場人物に、リアリティを感じないと言うことについて語る。リアリティと言うのは等身大のキャラクターと言うことではなくて、映画の時間軸の中に生きている人物が立体的に見えてこないと言うか・・・ここから先もまた伏せ文字大会になってしまうなあ・・・。高橋さんは、いくつかの映画の例を出して語ってくれ、僕も自分が最近現場で悩むことが多いことを語りあう。結局結論は出ず。僕としては明日からのワークショップに何か答えを見つけ出せればと強く想った。

 

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2006年9月 7日 (木)

伏せ文字だらけになってしまうので・・・

 更新していませんが、ここ数日いろいろ人と会いいろいろ話しているんですが、どうにも公に出来ない伏せ文字だらけの名前と出来事になってしまうんでやめております。ブログと言っても様々な人が読んでますからね。そういった意味で、次回作もまだ伏せ文字だらけになってしまうし・・・。野球のことは正直本当に心を痛めておりますので、しばらく書く気にはなれません。

 と言いながら明日からしばらくワークショップです。今までとはかなり趣を変えてやろうかなと頭を悩ませています。自分自身にとっての映画の芝居とはなんなんだろうって?ちょっと自分で悩んでみたい気もするんですよね。今書いていた映画がそれはもう超絶な娯楽の方へ針を振り切ったものなので、それとはまた別に静かに映画を考えて見たいなあと思っていたりしていて、それをいろいろ試せる場所があるのはこう言う時期にとてもありがたことなのかもしれないなと思ったりしています。

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2006年9月 3日 (日)

横浜ベイスターズのいまそこにある危機

_023 本日、横浜ベイスターズの牛島監督が辞任なされた。夕方の阪神戦の完封負けの辞任会見をいつも仕事をしているBsiのチャンネルで見ながら僕は残念だとも、よかったとも、怒りももうなかった。ただ、ただ深い悲しみだけが残った。采配云々に関しては、それぞれ思うところもあるだろう。だが、現在の最下位の責任は決して牛島監督一人のせいではない。それはもう数年に渡ってキャンプの練習からシーズンの殆どの試合を見ている僕にはわかる。牛島監督が就任する前からベイスターズの内情はそれなりに把握しているつもりだ。

 ベイスターズの低迷の一番の原因は、90年代後半のドラフトの失敗に一つの原因はある。特に補強費に恵まれなかった球団は当時、契約金や栄養費(裏金)に金がかかる社会人大学生より高校生の選手を上位に指名していた。98年優勝の頃の選手たちがまだ20代中心だったので、補強の重要性を危機感を持って考えられなかったのも原因だ。ところが、99年~00年にかけて一気に主力メンバーが退団していった。抑えの佐々木、4番のロバート・ローズ、エースの野村などなど。他にも故障する選手が頻出したが、選手層が薄かったのでチーム力は一気に減退した。高校生ドラフト選手たちはその頃まだまったく戦力になっていなく、退団者までいた。

 これをチーム力の補強ではなく、監督の補強でなんとかしようとして招聘されたのが森監督だった。森監督が監督を引き受けた時点でローズの退団は聞かされていなかったらしい。森は、権藤が残したチーム力のなさに愕然とした。そこで、ない戦力でいかに戦うかを模索したが、残念ながら森はチームを建て直し出来る監督ではなく、潤いある戦力を使って常勝チームを作る監督だった。球団は監督に選手の育成や野球IQの向上を託したが、一向にチーム力が上がらない選手に森は苛立ち、外国人補強をシーズン途中でも繰り返し、選手の不甲斐なさを嘆いた。それがそのままマスコミに筒抜けとなって、森はチーム内外からの批判を浴びることになる。そしてチームは4年ぶりのBクラスで最下位に。02年の秋のことだ。「ベイスターズらしくない野球をやる監督」として地元タニマチや横浜市議会議員の球団役員の株主総会での監督更迭動議が取り沙汰され、当時の大堀社長は株主総会での騒動を起こさないために総会の前日に森監督の辞任を促した。球団の歴史的な汚点だったと思う。この時点でも編成責任者ではなく、監督が詰め腹を切らされたことになる。

 森監督就任時代のオーナー交代にも触れなくてはならないだろう。マルハが業績不振からニッポン放送への株譲渡でオーナー交代をしようとした時に読売のオーナー渡辺恒男、いわゆるナベツネからヤクルトとの株の二重保有問題で横槍を入れられ、挫折、結局青天の霹靂とも言う電撃的なTBSへの株譲渡で横浜球団はこれを乗り切った。だが、もともと球団経営に意欲があったわけではないTBSは、球団をコンテンツ利用と言う観点以外にはさしたるビジョンもないまま経営することになってしまった。球団のこれからをどうするのかは、当時のマルハからの出向社長だった大堀氏続投と言う形で任されたが、森更迭時のトラブルもあって大堀氏は去ることとなる。この時点でもTBSは球団に丸投げ状態であった。

 そして、満を持して就任したのが山下新監督だった。横浜大洋のプリンスと呼ばれた山下氏は言わば横浜大洋からの球団の切り札だった。球団は、森時代に考えられなかった30億と言う巨費を投じてMLBの4番コックス、韓国の本塁打王ウッズ、FAでダイエーのエース若田部、などを獲得し、当時のFA取得権利者たちに複数年高額契約を乱発した。戦力だけは整えたはずだった。森時代に選手離れが始まったのを阻止しようとしたのだろう。ところが、人間的には素晴らしい山下氏には采配の才能が残念ながらなかった。あったのは大洋からの生え抜きプリンスと言う称号だけだ。最初の年は歴史的な負け数で最下位、それでも04年には勝ち星は増えて采配にも光が見え始めた矢先。契約終了を理由に退団となった。チームが上向き状態にあったので、この監督更迭はやはり疑問が残った。(ところで30億補強内訳だが、コックスは7億の巨額を持ったまま故障で1軍登録が殆どなかったし、若田部も奇病で戦力にはならず、ウッズは本塁打王になったが中日に巨額で取られてしまった。FA複数年選手たちはほぼ全員が不振に陥った)

 そこで呼ばれたのが監督経験のないTBS解説者だった牛島監督である。去年3位になったのは監督もおかげもあったと思う。それでも今季、チーム低迷のため辞任となった。原因は「補強のなさ」だと言う。監督とは孤独なものだ。試合に勝てば(映画がヒットすれば)選手が(役者)がよければ彼らが賞賛され、試合が負ければ(映画がこければ)監督が責められる。映画でも野球でも監督は割に合わない職業なのかもしれない。今回で言えば、昨年オフのあまりに貧しい補強が今年の低迷の原因だと断言できる。だが、これからは映画界以上にプロ野球界は苦しい。巨人によりかかりで、放映権をあてにしていた経営が成り立たなくなってきている。ベイスターズは累積赤字が39億とも言われている。まともに利益を追求すれば経営できない数字だろう。MLBのようにNPBは公共財と言う意識がない。補強もそうは出来ないのが現状だろう。そんな中でチームを強くしていくには監督一人ではどうにもできない。球団の、オーナーの哲学が確りしていなければ球団の存続すら危ないだろう。映画で言えばプロデューサー不在なのがいまのベイスターズ球団なのだ。牛島監督に見捨てられたベイスターズはこれからどこにいくのだろう?この10年間の歴史を踏まえてこれからの球団改革をお願いしたい。

 牛島監督お疲れ様でした。僕が監督した「ケータイ刑事 THE MOVIE」には横浜ベイスターズ監督としてのあなたの姿がほんの一瞬ではありますが映っています。それは僕の誇りだと記しておきましょう。

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