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2006年10月29日 - 2006年11月4日

2006年11月 3日 (金)

「法則」編集

 アプレワークショップで9月に撮った短編の編集をようやく終える。と言っても、8シーン8カットなのであっという間に終わる。来週以降は恐らく12月から始まる映画の準備が忙しくなるので、できるだけ今週は他に貯まっていた仕事を片付けなくてはいけない。アプレの短編映画も、僕、篠原哲雄、 利重剛、豊島圭介などそれなりの監督が集まって5本のオムニバスになるので、劇場での公開も考えようかと言う話になるが、実現すれば中々楽しいかも。僕は、普段の娯楽映画創りとはまったく別の観点から撮っているので、まあ習作と言うべき者なのかもしれないけど、いろいろな人に見て欲しいと言う欲望もあります。タイトルも『幻影シャッフル2』から『法則』と言うシンプルなタイトルに変更。いまさらながら、自分の撮影技術が間違っていなかったことが一番嬉しい。自分で色や光をいじって画面作りするのって本当に楽しいもの。いつか、もっと勉強してカメラマンだけの仕事もやってみたい邪念にかきたてられます。

 夜は、スカパーで「マタンゴ」を堪能。少年時代に名画座で間違って観てしまった恐ろしい記憶を蘇らせる。これと『世界大戦争』は東宝特撮映画として軽い気持ちで観ると、実に厭世的な気持ちにさせられる2本だ。

「人間は環境が変わると利己的になり、動物的になる。
そういう時こそ人間は理性的な行動をとらねば人間の進歩は無い。
何とかみんなの気持ちをまとめないと」(マタンゴより)

助監督時代に現場が苦しくなってくると、スタッフと言うのは自己保身の為に嘘もつくのだと言うことを知り、昨日までいい人だったのに、「そんなの聞いてねえよ」と突然裏切られたりしたこともあって、その度に「マタンゴ」のこの台詞を思い出していた。20年ほど前は今よりも仕事の職分については皆プライドも高かったが、そのぶんだけ何かトラブルが起こると、そのプライドの為には平気で人を貶める行為も普通だった。そういう時の犠牲者はいつも助監督であった。

 ちなみに僕はいま食事制限による減量中で、毎日のようにキノコを食べております。

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2006年11月 2日 (木)

父親たちの星条旗

 午前中に短編の脚本を書き、午後から川崎のラゾーナにある109シネマズへ行く。イーストウッドの「父親たちの星条旗」を観る為だ。

 戦争映画と言うのは、子供の頃やたらに洋画劇場で放送していたせいもあって、「大脱走」だの「ナバロンの要塞」「レマゲン鉄橋」と言った活劇スペクタクルか、「史上最大の作戦」や「バルジ大作戦」のようなオールスター大作映画のイメージが強かった。ベトナム戦争以降は、戦争と言う題材に対してハリウッドそのものが懐疑的になって、娯楽映画と言うジャンルとはかけ離れた映画が多くなっていたと思う。が、そう思っていたのは、己の知識教養のなさで、50年代の戦争映画が次々とビデオ化されるのを見ると、陰鬱で閉塞的な戦争映画が多かったことを知った。アルドリッチの「攻撃」「燃える戦場」フライシャーの「ならず者部隊」、ドン・シーゲルの「突撃隊」どれも、活劇性はあっても、戦場の重苦しさは常に映画を覆っていた。

 このイーストウッドの新作の前半も、50年代の戦争映画のように重苦しい。だが、CGを駆使した、スペクタクルシーンは素晴らしい、とくに艦砲射撃と言うものを、砲撃と撃ち込まれる対象物ごと描いたのは映画史的に初めてだろうし、戦闘機のコクピットからの「見た目」映像も迫力がある。上陸の際の阿鼻叫喚地獄もあるが、「プライベートライアン」のような、いまそこに瞬時におこる死のバーチャル体験のような見世物化もしてない。このあたりは「許されざる者」の西部劇のガンファイトの重苦しさと乾いた世界観に似ているかもしれない。

 だが、映画が感動的なのは前半のアクションシーンを受けた、後半の若者たちの静かな人生の崩壊を、映画的なゆったりとした時間の中で残酷に描いていくところであり、中西部の道をヒッチハイクしながら2000キロ歩いて戦友の両親に真実を語りにいくエピソードは、それだけでも充分ロードムービーとして映画になり得るのに、そこに殊更に「感動」を掻きたてる訳でもなく、イーストウッドの演出そのものも無常感に包まれて、静かな怒りを持って描いていく。土煙をたてて走る車内から、よろよろ歩くアイラを捉えた短いカットは本当に素晴らしい。マイケル・チミノがマルパソで撮った「サンダーボルト」のラストを思わせる切なさがそこにはあった。決して万人受けする娯楽映画とは言えないかも知れないが、いま絶対に観て置かなくてはいけない一本だとも思う。

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2006年11月 1日 (水)

デスパレートな妻たち

デスパレートな妻たち シーズン1 DVD Complete Box DVD デスパレートな妻たち シーズン1 DVD Complete Box

販売元:ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント
発売日:2006/10/04
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 ある人に紹介されてこのドラマのDVDを観始めたんだけど、ハマってしまいまいました。未見のテレビドラマに上記のボックスを買うのはちょっと控えられたので、久しぶりにレンタルビデオ店へ。ドラマのコーナーで何本も借りていく人を見ながら、一度に連続ドラマのDVDを何本も借りる層がレンタル店のヘビイユーザーになっているとは聞いていたけど、まさか自分がそういったユーザーになるとは想像もできなかった。

 一見、見始めると、日本のドラマにもある複数の人妻たちのライトコメディと言うか、ソープオペラ的でもあるんですが、とにかく話が進んで行くうちに「相対的な人の悪意」が全編にちりばめられ、ブラックユーモアなんて言葉では片付けられない、残酷な描写がちょっとした可愛いエピソードと並列的に語られて、しかも、一つのエピソードが次のエピソードの謎に深く関わっていたり、1話見ると、次をどうしても見たくなる欲望に駆られる実にう巧妙な脚本構成になっている。ある意味明るい「ツインピークス」とも言えるし、桐野夏生の「OUT」をもの凄く楽しく物語化したらこうなるかなあと言う内容です。日本のテレビドラマも、昔の映画のリメイクや、漫画のドラマ化に頼らず、こうしたオリジナリティ溢れるドラマを創ったら面白いのになあと思ってしまった。まあ、しかし、これだけエロでクレイジーな内容をよくぞNHKで放送しているなあと思います。まさに「発狂する人妻たち」な内容です。キリスト教的な道徳観が支配するアメリカでもよくこれは受けたなあと思いますが、一方で俳優人たちの品とか格調も大きく影響しているでしょう。

 いまでも、第2シーズンがNHKの衛星第2放送で水曜に放送していますが、できればファーストシーズンから見ることをお勧めします。もともとは、ある作品のアイディア集めの為に観始めたのですが、すっかりハマって、先週から川崎の街へ行くたびにツタヤへ行って2,3巻借りるようになっています。主題曲のダニー・エルフマンの曲も素晴らしいです。騙されたと思って、是非一度ご覧あれ

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2006年10月29日 (日)

犬神家の一族を見てきました

東京国際映画祭の招待でクロージングセレモニーからずっと付き合って、「犬神家の一族」を観る。いや、ある意味これ本当に凄い。90年代以降の市川監督の最高傑作でもあると思う。カット割りや台詞の言い回しまで、かなりのシーンで76年版を再現している。ディティールで言うと、オープニングにほんの少し聞こえてくる牛蛙の「ぐぐぐぐぐ」と言う効果音の入るタイミングまで一緒で、尚且つ最後まで一気に見せてくれるのは、東宝の芸術座や帝国劇場の「放浪記」だとか「レ・ミゼラブル」の再演を、10年ぶりに観てしまうようなそんな感じだ。だが、これでいい。市川=金田一のファンとしては、小さな台詞の言い回しまで新しい役者にやらせているのが凄かったなあ。

 でも一番感じたのは、脚本とキャスティングさえ確りしていれば、かつてあったような日本映画はまだまだ出来るということ(物凄くお金はかかると思うけど)。実は「犬神家の一族」と言うのは、映画館で繰り返し見た日本映画としてはとしては一番数多いのではないかと思う。それには理由があって、公開の翌年に、札幌の映画館では名画座でやたらに「犬神家の一族」との2本立て上映が多く、特に興行が心配なATG=東宝系の作品の併映になっていることが多かった。「青春の殺人者」とか「不連続殺人事件」とか。で、律儀にも僕は必ず「犬神家の一族」も観ていたので、すっかり効果音のタイミングまで覚えるようになってしまったのだ。それが30年経って、再現されていても楽しめるのはやはり脚本が確りしているからだろう。

『東宝版「八つ墓村」のようにはしませんよ』と言う、一瀬さんの言葉に嘘はなかった。

『八つ墓村』と言えばフジテレビのリメイク版にかなりがっかりしていたものとしてはかなり楽しめました。次は数少ない昔の東宝の劇場の雰囲気が残る蒲田宝塚だな。

終了後のパーティは招待状もあったし、行きたい気もあったが、ロビーで一瀬さんにお礼を言えたので帰宅の途に。夕飯の支度もしてあるし、なにより連日の脚本書きと打ち合わせで少々疲労気味だったのだ。明日は休みにしようっと。

追記

できれば『獄門島』とか『悪魔の手毬歌』もやればいいのに。

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レディ・イン・ザ・ウオーター

「ブラックダリア」に関してはいろいろ書いたけど、こっちも書いておこう。実は「レディ・イン・ザ・ウオーター」をすぐに見てメモ書きしていたのだけど、脚本の推敲しているうちに途中でやめてしまったので、改めて書き記しておきます。「ブラックダリア」の項と被るところもあるのは、こっちを先に書いてしまったためです。

「レディ・イン・ザ・ウオーター」の世界観と「LOFT」の世界観の共通項に関しては、「映画秘法」の柳下さんの指摘のように、非常に僕も類似性を感じていて、黒沢さんの講義でよく話す、「JAWS」「バック・トウ・ザ・フィーチャー」論にも非常に共通しているんですが、反ハリウッド映画表現と言うことでは一致しているじゃないかと。言い方が悪いですが、反ハリウッドと言うのは「ジョーズ」以降、以前でもいんですが、とにかく「物語」を成立させる為に、ここまでリアルを組み立てて努力しないと成立しないのか?と言うのが現在の『ハリウッド映画』で、そこには物語を信じようではなくて、信じてもらう為にどこまで懐疑的になって説明しなくてはいけないのかと言うことに終始していると言うか・・・。
 「レディ・イン・ザ・ウオーター」を見て、いろいろ見えてきたと言うか、中々困難に我々は直面しているなあと思います。「LOFT」にしても「レディ・イン・ザ・ウオーター」にしても、僕は素直に物語を受け入れてしまうんですね。黒沢さんなんかは、もっと鳥瞰的に「LOFT」の物語を考えているのだと思うのですが、ゼメキスなんかは本当に簡単にこの懐疑性を乗り越えてしまうんですが、「物語」フィクションと言うもののりアル性に関しては、どうしてそこまでリアルということに捉われて、本当に必要な物語芸術のあり方を見失ってしまっていくのか?

 そういった意味で06年の秋においては非常に重要な映画の一本であったと、「ブラックダリア」とは違って、決して出来のいい映画とは言えないけど、映画を創っていくものにとってはいろいろ考えさせられる一本でした

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