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2007年4月16日 (月)

黒沢清映画について

こんなことを今更書いてもしょうがないが、ここ数年の黒沢さんの仕事は実に素晴らしいと思う。「ドッペルゲンガー」も「LOFT」も「叫」も。演出力を言えば日本では黒沢清の右に出る監督はいないと言っても過言ではない。ただ、WEB評なんかを読んでいると最近黒沢映画の評判をあまりいい方には感じなかったりすることがある。その殆どの論旨は自分が思い描いていた映画とは違うから認めないと言う者が殆どだ。確かに怖がる為に映画館へやってきて「LOFT」とか見せられると、これは「怖くはない」と思われる可能性は高い。ただ、それでも充分堪能できる素晴らしい映画であると僕は思う。僕は映画はあるがままに受け入れてしまえばどんな映画だって楽しめると思っているが、「わからない」ことが『悪』であるかのような評を目にすると、もう少し自分がいかに至らないかを知れと言いたくなる。いや、これは僕自身が昔、『わからない映画』に出会ったときにはいつもそうだったのだ。この映画が今の自分にわからないのは、自分の知識や教養や感覚と言ったすべてものがまだ人よりも劣っているからなのだ。と、自分に言い聞かせて必死でその映画作家の勉強をした。でも、いまは「自分がわからないこと」は否定してしまう人が多い。それじゃあ、つまらなくはないかと問いかけたい。世界と言うものは自分が知っているものより深いものがたくさんある。世界中の映画を観続けてもまだまだ学び足りないものは多い。そうしたことを探すことも娯楽と言える。
 世界の法則を見つけ出せ、と言うのは「カリスマ」の謳い文句だったが、まさに映画における「世界の法則」をもっと明確にして黒沢清の映画を認めなくてはいけない。

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