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2007年6月11日 (月)

清水宏 「簪」

恥ずかしながら清水宏を見ようと思ったきっかけは、山田宏一氏「エジソン的回帰」を読んだ頃と数年前にフィルムメックスで特集上映されたことによるものだが、この時は結婚の時期と作品が立て込んでいて「母情」という戦後のプログラムピクチュアを1本観ただけに留まったが、初めて見るその演出技法と、編集の妙に随分と興奮させられた記憶がある。だが、現在ソフト化されていたビデオは廃盤となり、AMAZON中古で高価な値がつくものしかない。その清水宏の特集が7月からシネマヴェーラで有ると言うニュースは僕を小躍りさせたが、その前哨戦とも言う上映がラピュタ阿佐ヶ谷であった。「簪」という映画の上映である。

と言うわけで撮休の今日、『簪』を見てきた。映画が始まって驚かされるのは、最初のカットから7カットまで全てトラックバックカットという躍動感あるオープニングだ。最初は引きのトラックバックで、杉木立の中を巡礼の格好をした人々が来るところを縦の構図で捉え、次いでその一団から少し前方の方を歩く田中絹代のワンショットのトラックバックとなり、以下「団体旅行の湯治」に来たことを簡単に説明させる為の会話に、ツーショット、ワンショットの交互のカットが全て移動ショットで撮られる。で、最後に宿へ入っていくという説明カットがあって、次のカットは今度は長い横移動のカットで、廊下~部屋~縁側をワンカットで捉えて最後に田中絹代たちをまた捕らえる。縦のトラックバックが続いていたので、この横移動の長さにはまた結構度肝が抜かされる。このオープニングだけでも、映画は弛まない運動によって始まるべきということを思い知らされるのだ。

だが、驚くべきことに、映画はここで田中絹代の視点は外れ、斉藤達男の視点へとばっさり移ってしまう。この時初めてカメラはフィックスとなり、浮動していた田中絹代たちは棄てられてしまったかのように映画から除外される。ここが演出的にはとても重要なのだ。映画は斉藤達男と笠智衆など、長逗留の客たちのギャグっぽい話に移っていくが、この時の人物の出し入れがまた秀逸なのだ。

そんな中で、笠智衆が露天風呂の中で1本の簪を踏みつけ怪我をしてしまう。これは「情緒的だ」と、面白がる斉藤達男たちは持ち主の絹代に連絡すると絹代は駆けつけるが、温泉宿は東京の旦那の下へ帰りたくない絹代を含めた一種のユートピア的な場所へと変わっていく。だが、絹代がやってきたことで、湯治客たちの男女の人数構成に変化が出て、部屋割が微妙に変化し、段々そこは不快な場所に変わっていく。

ここでもう一度視点が大きく変わる。なんと、それまで主演のように物語を進めて言った斉藤達男があっと言う間に映画から姿を消してしまうのだ。それも子供の日記の文章で示されるだけだ。やがて、1人、1人ユートピアを構成していた人々は子供の日記によって去っていくことがわかり、絹代と淡い恋の関係になるかもしれなかった笠智衆までもが、たった1枚のはがきで去ってしまったことがわかる。しかも、田中絹代を除いた人々は東京で再会して新しいユートピアを築いたことが分かるという残酷な構造。

人々との別れのシーンを描くことなく、日記や手紙によって説明するだけで、映像が最後に描くのは雨の中、思い出の場所を巡って歩く孤独な田中絹代だけだ。彼女が露天風呂に簪を落として言ったように、田中絹代は人々に落とされ、忘れられようとしている。こうして東京へ戻る場所もない絹代の絶望を映して映画は終わる。

現在の物語の技法から言ってもかなり大胆で、しかも観る人間の心を突き刺すその才能は清水宏ならではのものではないかと思う。

かなりの傑作を堪能したので、7月からのシネマヴェーラは楽しみだ。

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