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2007年9月 9日 (日)

銭形海準備中に 乙女ごころ三人姉妹 成瀬巳喜男

 明日からロケハンが始まるので、朝から脚本のお勉強。今回の加藤淳也の脚本も結構面白いのだが、その殆どが室内でのシーンで、前回が海辺での殺人目撃など起こっている事象それだけで映画的な撮り方を導入できたものが、今回は全てが室内。普通に撮れば常に壁をバックにした会話劇で、物語やトリックの面白さはあっても単調な演出になり兼ねない。
 そんな悩みを抱えながら、テレビをつけると成瀬巳喜男の「乙女ごころ三姉妹」を放送しているではないか。「成瀬巳喜男の世界へ」で山根貞男氏が細かに言及していた成瀬トーキー第1作の映画だ。確かにトーキー一作目らしい、音の演出が物語の進行に果たしている役割は大きかった。しかし、僕が驚かされるのはこれが75分の映画だということだ。しかも主人公は三人の姉妹でそれぞれのドラマが全て語られている。それで90分を超えないのはやはり、演出がサイレント映画を名残を残しているからなのではないか?と、思っていたら山根氏がやはりそこに言及していた。この夏に清水宏のサイレント映画を観た時に思ったことだが、サイレント映画と言うのは説明シーンと言うものが殆ど簡略化されて大胆にぽんと置かれてしまう。尚且つ時間の飛ばし方が実に大胆で、あっと言う間に人物の関係性が進んでいってしまうので、観ている方はのんびり観ているというよりより積極的に映画にのめりこんでいかないとおいてぼりを食わされてしまう。
 昨夜「天国と地獄」のドラマリメイクを観たが、これとは真逆の現象が起きていた。実に無駄な会話とカットが多いのである。いつまでも事件は進まず会話シーンがダラダラと続く。黒沢明の映画との比較はともかく、事件が起こるまでの人物説明が長くて僕なんかは途中で何度も退席してネットゲームの進行を確かめにいったくらいであった。
 それはともかくとして、「乙女ごころ三人姉妹」を観て、昔の映画はこんなに簡略に端的にそして大胆な演出がなされていたことへ驚く。そして、こう言う映画を観ると映画の神様に怒られないように我々も頑張らなくてはいけないなあと実感させられる。と同時にクランクインを控えて準備中の「銭形海」へのモチベーションが上がって行く。
 そういえばこの間の「銭形海」2話も成瀬の「女の中にいる他人」を観ながら撮ったことを思い出した。

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