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2008年2月 4日 (月)

節分とか成瀬巳喜男「秋立ちぬ」とか

昨日は大雪だったので、午前中はプロット書いたり午後はHDDに撮り貯めていた成瀬の「秋立ちぬ」を鑑賞。夜は、大家族で寿司屋へ行って微妙な空気な中で食事。「恵方巻き」と言うのはすっかり定着しましたね。初めて食べたのは99年ころではないかしら。1本を割って貰って、寿司屋の小上がりで無理やり南南東を観ながら食べる。うーん、流石に寿司屋で巻いてもらった贅沢な「太巻き」は頗る美味。しかし、家はいま微妙な問題を抱えていて、何かこう、重い空気が残る。こう言う時にはまあ、部外者の僕としては何もできないけど早くいろいろ問題解決して年寄りを安心させてやりたいと切に願う。この微妙な空気の中でせめてもの明るい話題にと「昨日、佐々木さんも出ていた銭形海観ましたよ」と話を義父に話を振られ、なるべく明るく振舞う。まあ、厳しい時にあの番組が少しでも明るくなってくれる材料になるならそれもよし。せめて春になるまでに解決してくれ!
 
 「秋立ちぬ」は見逃していたが、かなりの傑作。少年と少女の切ない心の交流を繊細に、そして絶妙な芝居と空間演出で魅せる。特に、少年と少女が2回目に出会って、少年が野菜を届けに行く家と少女の家がたまたま一緒で、2人が微妙な距離を撮りながら、道~道~へと歩く姿を「引き画」~「引き画」を繋いで進行させていくシーン、それぞれの母親に絶望して、2人で「海へ行こう」と東京湾の埋め立て地へ遠出する場面で、線路の上を左右に別れて歩きながら背後からトラックしていく場面の2人の芝居と距離。クローズアップのカットはなくても思わず涙が零れてしまうシーンだ。
 成瀬巳喜男はこのように、道を歩きながら2人の関係が微妙に離れたりくっついたりする場面を、微妙な移動撮影で描くのが絶妙に巧い。それは単なる技術的表現を超越して、とにかく絶妙なのだ。「浮雲」の冒頭で、森雅之を呼び出して戦後の街中を2人で歩く場面。「山の音」で、帰ってきた山村聡と商店街で遭遇した原節子が並んで帰宅する場面。「乱れる」で加山雄三が高峰秀子に寺の境内で告白する場面。普段は高峰秀子や森雅之の芝居に見とれてつい見逃してしまいがちだが、「秋立ちぬ」のように芝居がまだあまりつたない被写体でも、同じ感情を引き起こす場面に遭遇するとその演出がより際立って見える。
 ただ、その表現を今再現しようと思ってもなかなかできる技ではない。盗んで出来るには、相応の積み重ねと同時に道での撮影を全てコントロール出来る条件が必要であることに気がつかされる。現代の日本の街中でのオープン撮影の限界だろう。だが、かつてあった素晴らしい技術を引き継がなくては映画の歴史に中に関わっている意味があるのだろうか?昔の映画を観ると、現代の映画では中々得ることに出来ない充足感を感じるとともに、1カットでも工夫をしてこうした技術を引き継いでいかなくてはいけないと痛感する。
 それには、我我製作スタッフがより意識的に意志のあるカットをどこまで撮れるか、自分でよく出来たと思ったカットが単に物語が「わかる」と言う説明のカットやショットを撮っているだけに過ぎないのではないかと毎作品ごとに戒めていく必要がある。

 そしてこの大傑作の「秋立ちぬ」が封切時には黒沢明監督の「悪い奴ほどよく眠る」の2本立て封切の、81分の添え物であったことに驚愕せざるを得ない。

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