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2008年4月 5日 (土)

ダージリン急行をチネチッタで観ました

070927_darjeelinglimted_mai 川崎で某映画の打ち合わせ。その後チネチッタで「ダージリン急行」を観る。こう言う映画がチネチッタでやっているのが嬉しい。川崎は来週から「接吻」も始まるし映画的環境はそんなに悪くない。

映画の方は、とにかく流れる時間を、常に予想を裏切る演出と的確なカメラワークに乗せて過ごすと至福な90分を得られると言う素晴らしい内容。いや、こう言う映画に出会えるとやはり映画をもっともっと知りたくなると言うか、龍車に向かう蟷螂の斧でも頑張って映画を撮らなくてはいけないんじゃないかと奮起を促されます。と言うのは翌日になってからの感想で、映画が終わった時にはとにかく気持ちいい幸せな気分になれる映画です。

この映画を僕が好きなのは、映画的な手法だけではなく、人間の距離感と言うかそこが温かくも覚めていて、ウエス・アンダーソンの人を観るまなざしに親近感を覚えるからなのもしれません。今の自分にとても合っていた映画なのでしょうか?

ところで、この映画で何度も何度も用いられていた、人物を正面に捉えてそこから横移動と言うカメラの動かし方はどこか「立教映画的」なところがあって面白かった。テレビドラマなんかでは平面的だとなかなか置いてくれないカメラポジションですね。どういうことかと言うと、人物を四角い空間に置いて単独ショットを撮る時、カメラマンは大概プロフィール目に一見立体的に見えるように配置するんですが、この映画や黒沢清さんの多くの映画では、カメラが正面に対峙してそこから真横に移動するようなカメラワークが多く見られて、これが結構気持ちいいんですよね。ただ、平面的と言われれば確かにそうなわけなんですが、今回のような登場人物たちが常に移動することで新しい出来事に遭遇していく。それを客観でもない主観でもない曖昧な情報の中で操作していくには絶妙のカメラの置き方だったように思われます。こうした人物を正面に配置するような置き方は、業界用語で「板付き」と言われてあまり喜ばれない気がします。おそらく映画学校なんかでは「平面的で二次元的なダメな配置」とされているのかもしれませんが、そういった手法の制限がいかに意味のないものであるかを考えさせてくれます。

ところで、この映画の予告ではトッド・ヘインズ「アイム・ノット・ゼア」やポール・トーマス・アンダーソン「ゼア・ウイルビー・ブラッド」と言う現代アメリカ映画を知るには外せない監督たちの映画の予告が流れていて、これは狙ったのかなあと思いつつ、最早量だけではなく質でも日本映画はアメリカ映画にかなり遅れをとっているなあと、ロビーに出てから目に入る数々のポスターを観ながら、だからこそ何か新しく切り拓いていく活力が映画に求められるのではないかなと。ちょっと保守的になっていた自分への自戒の念を強く持ちました。

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