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2008年6月 9日 (月)

東京少女 自己分析

東京少女」自己分析

この仕事の依頼が来た時、一番最初に考えたのがショートフィルム時代の「東京少女」の魅力をなんとかこの連続ドラマ枠にも持ち込めないか?と言うものでした。ショートフィルム時代の「東京少女」は新人女優の登竜門でありながら一方で、若手監督の力の発揮の場でもありPFF受賞者のようなインディーズ映画出身の監督が撮ることが多いシリーズだったようにも思えます。プロデューサーからは少女を魅力的に撮る。と言う大命題が出ている代わりにかなり作家的なショートフィルムが多かった。別にことさら作家的なものにこだわる必要性もないけど、シリーズ全体にあった浮遊感のようなもの。新人女優が主人公なので確りとした論理的なカット割りによる構造の映像作品ではなく、16ミリや極端に言うと8ミリで撮ったかのようなナチュラルな光と影による画面作りの魅力があった。一番典型的だったのは古厩監督による「東京少女セピア編 さよなら少女」の冒頭の手持ちによる長回し映像。これは16年前にタイムスリップして古厩の「この窓は君のもの」を初めてユーロスペースで見せられた時のような魅力に満ちていた。

こうしたインディーズ感ある浮遊感を技術的にドラマに持ち込むのは、システムの違いもあって簡単ではない。そこで、ちょっと意地悪だが脚本に描かれた芝居が終わってもカットをかけずに役者の反応を見ることにした。主人公は何かを企んでいるが、どこか心に迷いが出る。その少女独特の「迷い」を彼女自身の心に一瞬浮かぶリアルな「迷い」として撮ることはできないかと考えた。だから1シーンの終りは常にななみの表情で終わる構成になっている。しかも、カットがかからないので彼女なりに必死で芝居の緊張を持続させようとする、それでもカットがかからないので少しづつ迷いが生じる。その「迷い」の表情と緊張の鬩ぎ合いこそこの年代の少女の「フォトジェニック」な部分だけではない魅力に繋がるのではないかと思ったのです。出来上がった作品を改めて観て、いくつかのシーンでは巧く行っていたかなと思いました。家庭科教室で千夏に「オッケーだってゼッケン4番」と言ったあとの長い表情のカット~教室へのななみの顔~顔へのオーバーラップは可愛いいけどどこか不安定な表情を引き出せたかなと思います。

ただ天候不良だったので、ラストの屋上の芝居などいくつかのシーンが白バックになってしまい、光による映像の魅力をいま一つ生かせなかったのが残念でした。

桜庭ななみちゃんは将来性溢れる素晴らしい素材を持った少女なので、これからどんどん精進して飛翔して行ってほしいなあと思います。

そうそう、ななみと千夏の共通の友人役で出演した小松愛梨ちゃん。彼女は芝居が巧かった。脇役でしたが、確りとした芝居で主人公たちを支えてくれたと思います。こう言う存在が何気に作品には助けになるものです。

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