トリコン!!!リターンズ&東京少女 岡本杏理編 川の匂い 同日完成
1本の映画と1本のドラマを同じ日に完成させたと言うのは監督人生初めて。昨日は午前中から午後にかけて「東京少女 岡本杏理編 川の匂い」のMAで、夕方から深夜にかけて「トリコン!!!リターンズ」のCG直し&カラコレチェック。
「東京少女」の方は、杏理ちゃんの歌をこの日に初めて聴く。編集時に歌が間に合わなかったので、エンドタイトルは川の夕景の情景にローリングで流しておいたが、かなりアップテンポな曲だったので「桜庭ななみ編」のようにPV風の名場面集にした方が良かったかなと思うが、ああ言う編集は音楽が先に出来ていないと、曲のリズム、テンポに合わせてカッティングしていくので今回のように編集の後に歌録りがあるとああ言う編集は事実上不可能になってしまう。曲の転調でカット変わりしたりするからこそ観ていて生理的に気持ちいいものになるからだ。曲を無視して画だけ繋ぐと曲と編集のテンポが合わないととても不出来なエンディングに思わせてしまうので、出来れば曲の完成は早い方が嬉しいですね。それはそれとして、今回は出来るだけ劇伴を少なくして東京の下町の効果音に凝ったのが中々うまくいったと思う。今回の「東京少女」は自分の中でも結構お気に入りの出来上がりになったと思います。こう言う日本的な情感を撮るのは結構好きです。
「トリコン!!!リターンズ」は、既にMAが終わっていたので、音のずれが出ないように音に影響する編集は行わず、ヴァージョンアップされたCG画面を入れ込みながら「引き」「寄り」のサイズ違いを選択していく作業と、カラコレの確認作業。しかし、さすがにそれぞれがそんなに長い時間はかかっていないのだが疲労がどっと溜まるのは、それぞれ違う作品の為に画面に集中しているのが思いの他脳みそに負担をかけるのだろう。
ところで、テレビドラマと映画の音響設計と言うものが技師が変わることでこんなにも違うかなと言うのをまざまざと感じた。テレビドラマの方は、確りと台詞が聞き取れるように台詞を優先して現場で音響設計しているし、映画の方は台詞にも広さと言うか、空気感を持たせる立体的な音録りをしている。テレビの音の設計の方は台詞が確り聞き取れる代わりに台詞だけが浮き上がって、それを感じさせない為に音楽の数が多くなっていくが、映画の方は臨場感ある音響設計をする代わりに、時には台詞が状況に搔き消えていくようなミックスをするので画と一緒じゃないとわけがわからないこともある。これはたぶん、時には誰かと話したりご飯を食べたりしながらでも確り視聴者が把握できるように提供するテレビと、観客を暗闇の中に置いて画面に集中力を対峙させる映画との根本的なメディアの違いで、それぞれの技師たちが長年にわたって受け継がれてきたものなのだと思う。
最近はテレビドラマの映画化も多くなり、昔は映画のスタッフが「THE MOVIE」的な映画にも参加していたが、ハイビジョン24Pシステテムのおかげでビデオクルーでも映画作りが簡単に行われるようなったが、デジタルによって音が良くなった分、平面的にクリアな音の映画も増えたように思える。僕はテレビドラマのクルーが映画創りをすることを否定するものでもなく、むしろそれによって既成概念にない映画創りが出来るのではないかと積極的に期待するが、劇場サイズの中での音の録り方、音だけではない芝居、カメラワークも映画とテレビでは方法論は変わるのだと言うことを演出レベルだけではなく技術者レベルでも研究してほしいと思う。映画的に表現すると言うことはただ単に広い画で金をかけた美術を用意すれば映画になるのではなく、映画的な表現と言う不文律は確かに存在すると思うからだ。
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