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2008年7月13日 - 2008年7月19日

2008年7月19日 (土)

歩いても歩いても

 阿部寛さんから頂いたチケットで「歩いても歩いても」を鑑賞。三浦海岸を舞台にした、どこにでもありそうな、それでいてちょっと複雑な家族の1日を描いた秀作。いや、日常を描く映画って多いんですが、この映画の俳優さんたちくらいの実力者が出てくる映画はあまりない。まあ、原田芳雄さんが年寄りにはまだ見えなかったり、YOUはやっぱり好きではないんですが、樹木希林さんの独壇場の芝居はやはり見応えがあった。現役の年齢の役者では一番うまいんじゃないかなと。それが演出によるものなのか、俳優の独自のアイディアなのかわからないが、終始主婦として常に何か動きながら芝居をしているのに感心する。それもどれもさりげなくリアルだ。芝居になっていないようで明らかに芝居で、それでいて映画全体の調律を狂わせてしまうようなおこがましさもない。全てが物語に奉仕しながら極めて禁欲的でそれでいて攻撃的な芝居。最近観た映画の芝居でも特筆すべきものだろう。僕は昔から樹木希林さんに憧れていたが、これは彼女の代表作になり得る映画ではないかと思った。映画の方はそれまで一回も移動撮影がなくラストで突如クレーンアップするが、ロッセリーニの「イタリア旅行」のようなたった一回のクレーンの動きに大きな情動を呼び起こすマジックがなかったのがちょっと残念。ここは最後まで禁欲的でも良かったんじゃないかなと。

 阿部寛さんは、生活感がなくってそれが漂泊している都会の男と言うものを説明させないキャラクターで成功していると思いました。まだこれから見る人も多いと思うので詳しくは書けませんが、成瀬巳喜男の映画の中に出てくる上原謙のような不安定な二枚目と言うか、それでいて主役しかやってはいけないキャラクターとして絶対的に映画には必要な存在だと思わせました。彼が主役だから、脇の樹木希林さんが初めて生きて来るし、また樹木希林さんがいるからこそ阿部寛さんも生きてくる。溝口流に言えば「反射している芝居」がそこにある。と言うことなのでしょう。

 いずれにしろ、どれもこれも同じような映画に見える単館系の若い監督の撮った映画の予告編に絶望させられる中、映画としての芯をしっかり持った日本映画に心を癒された気にさせられました。

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2008年7月16日 (水)

トリコン!!!リターンズ&東京少女 岡本杏理編 川の匂い 同日完成

 1本の映画と1本のドラマを同じ日に完成させたと言うのは監督人生初めて。昨日は午前中から午後にかけて「東京少女 岡本杏理編 川の匂い」のMAで、夕方から深夜にかけて「トリコン!!!リターンズ」のCG直し&カラコレチェック。

 「東京少女」の方は、杏理ちゃんの歌をこの日に初めて聴く。編集時に歌が間に合わなかったので、エンドタイトルは川の夕景の情景にローリングで流しておいたが、かなりアップテンポな曲だったので「桜庭ななみ編」のようにPV風の名場面集にした方が良かったかなと思うが、ああ言う編集は音楽が先に出来ていないと、曲のリズム、テンポに合わせてカッティングしていくので今回のように編集の後に歌録りがあるとああ言う編集は事実上不可能になってしまう。曲の転調でカット変わりしたりするからこそ観ていて生理的に気持ちいいものになるからだ。曲を無視して画だけ繋ぐと曲と編集のテンポが合わないととても不出来なエンディングに思わせてしまうので、出来れば曲の完成は早い方が嬉しいですね。それはそれとして、今回は出来るだけ劇伴を少なくして東京の下町の効果音に凝ったのが中々うまくいったと思う。今回の「東京少女」は自分の中でも結構お気に入りの出来上がりになったと思います。こう言う日本的な情感を撮るのは結構好きです。

 「トリコン!!!リターンズ」は、既にMAが終わっていたので、音のずれが出ないように音に影響する編集は行わず、ヴァージョンアップされたCG画面を入れ込みながら「引き」「寄り」のサイズ違いを選択していく作業と、カラコレの確認作業。しかし、さすがにそれぞれがそんなに長い時間はかかっていないのだが疲労がどっと溜まるのは、それぞれ違う作品の為に画面に集中しているのが思いの他脳みそに負担をかけるのだろう。

 ところで、テレビドラマと映画の音響設計と言うものが技師が変わることでこんなにも違うかなと言うのをまざまざと感じた。テレビドラマの方は、確りと台詞が聞き取れるように台詞を優先して現場で音響設計しているし、映画の方は台詞にも広さと言うか、空気感を持たせる立体的な音録りをしている。テレビの音の設計の方は台詞が確り聞き取れる代わりに台詞だけが浮き上がって、それを感じさせない為に音楽の数が多くなっていくが、映画の方は臨場感ある音響設計をする代わりに、時には台詞が状況に搔き消えていくようなミックスをするので画と一緒じゃないとわけがわからないこともある。これはたぶん、時には誰かと話したりご飯を食べたりしながらでも確り視聴者が把握できるように提供するテレビと、観客を暗闇の中に置いて画面に集中力を対峙させる映画との根本的なメディアの違いで、それぞれの技師たちが長年にわたって受け継がれてきたものなのだと思う。

 最近はテレビドラマの映画化も多くなり、昔は映画のスタッフが「THE MOVIE」的な映画にも参加していたが、ハイビジョン24Pシステテムのおかげでビデオクルーでも映画作りが簡単に行われるようなったが、デジタルによって音が良くなった分、平面的にクリアな音の映画も増えたように思える。僕はテレビドラマのクルーが映画創りをすることを否定するものでもなく、むしろそれによって既成概念にない映画創りが出来るのではないかと積極的に期待するが、劇場サイズの中での音の録り方、音だけではない芝居、カメラワークも映画とテレビでは方法論は変わるのだと言うことを演出レベルだけではなく技術者レベルでも研究してほしいと思う。映画的に表現すると言うことはただ単に広い画で金をかけた美術を用意すれば映画になるのではなく、映画的な表現と言う不文律は確かに存在すると思うからだ。

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2008年7月15日 (火)

暑い時は汗を流すのが一番 と吸血髑髏船 ネタバレあり

 昨日は公式行事がなかったので、いくつか試写に行こうかなと思うがこう言う日に限って観たい映画の試写がない。撮影が重なっていた時はあんなに試写あったのに・・・。と言うわけで、午前中はHDに録った松竹映画「吸血髑髏船」を観て、午後から携帯ショップを廻って機種変更とMNPでキャリア遂に変えるかどうか検討。その後、スポーツクラブへ行こうと思うが近所のジムが休みなので溝の口の系列ジムへ行き、1時間30分ほど汗を流し、プールでトレーニング。終了後サウナ入って、水分を確りとりながらマッサージで身体をほぐす。外へ出ると暑さがぐっと来るが、スポーツの後は体感が全然違う。今日はこれから「東京少女」のMAを夕方までやって、夕方から「トリコンリターンズ!!!」のCGカット差し替えとカラコレチェックとスタジオをハシゴするので昨日はよい休日になったかな。

 ちなみに松野宏軌の「吸血髑髏船」は小学校3年生の時に怪獣映画と勘違いして観に行った「昆虫大戦争」の併映で、およそ40年ぶりの再見となったが、小学校3年の時に観た記憶がほとんど間違っていなかったことを確認。基本的に「発狂する唇」とかと同じ世界観の怪奇ミステリ映画なんだけど、役者が素晴らしすぎる。当時も、出てくる俳優が嫌な大人ばかりだなあと思っていたら、金子信雄、小池朝雄、内田朝雄、西村晃と言った人たちが次々と殺されていく話で、そりゃ嫌な印象にもなるわなと言う絶妙な濃すぎるキャスティングだった。主演が松岡きっこと言うのもなんだか嫌な感じ。で、ただ一人映画の中で救いと思われる岡田真澄をキャスティングしておいてラストで思い切り暗黒世界に突き落とす演出は素晴らしすぎる。こう言う映画こそ本当にカルト映画なんだろうなあ。ただ、こういった役者がいてこその企画でもあるので、現代の日本映画で同じことはかなり難しいなあと言う思いにもさせられる。そう言えば、10年前に高橋洋さんと「発狂する唇」や「血を吸う宇宙」の打ち合わせ時にもこの映画に関して話題になったことがあったけど、同じようなことを話した記憶がある。昨日書いた山田風太郎の小説もそうなんだけど、昭和の時代に残る日本人独特の矮小な世俗感と揺るぎない土着的な悪を表現できる顔を持った役者がいなくなってしまったなあと思います。上記した俳優さんたちのようなえぐい顔がね。現代の俳優さんはみんなそれなりに垢ぬけていますもんね。時代が変わったと言えばそれまででしょうが、でもテレビのニュースで出てくる現実の政治家や悪徳業者たちはまだまだ垢ぬけていないえげつない顔をした人は多いのになあ。

 さて、そろそろ出かけますか。今日は長い1日になりそう

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2008年7月14日 (月)

忍法創世記

 今日は午後から某企画の打ち合わせで赤坂へ。この季節の都心は灼熱地獄。多摩川渡っただけで随分と気温が違う気がする。

 電車の中で山田風太郎の「忍法創世記」を読み終わる。これで現在出版されている風太郎忍法帖の長編は全て読んだことになる。短編は様々なアンソロジーの中に収録されているのでおよそ完全把握は難しい。

 ところでこの「忍法創世記」は山田風太郎最後の忍法帖でありながら、長い間出版化されていなかった、まあ風太郎先生自身が気に入らなかったと言うことなのだが中々楽しい一編だった。舞台を中世の南北朝対立の真っただ中に置いて、柳生VS伊賀の戦いからやがてはそれが柳生新陰流開祖の礎になっていくだの、伊賀忍法の始まりになるだろうとの壮大なスケールの嘘話に歴史上の人物が妖怪のようなキャラクターとして登場してくる設定の、明治ものに連なる虚実ないまぜ史実は大いに楽しめる。お馴染みの柳生十兵衛や服部半蔵が活躍する100年くらい前の話だが、それでも柳生七兵衛と言う「片目を糸のように閉じられた」と言う十兵衛そっくりの人物が先祖として登場したり、武蔵の元祖のような人物さえ登場する。風太郎先生は余ほどに柳生十兵衛と宮本武蔵がお気に入りだったと思える。さらにそこに、柳生を支える大塔八人衆と伊賀を支える菊水党八人衆と言った怪異な忍法を駆使する忍者たちが、いつものトーナメント戦を繰り広げる。

 が、作者自らが「駄作」として単行本化されなかった理由もわかる構成で、室町時代~南北朝の複雑なバックボーンの説明が長く、なんせ最初のバトルが始まるまで100ページを要している。新しい登場人物が出てくるたびにこれらの説明が長いので、肝心の柳生対伊賀の対決に割くページが短くトーナメント戦もいきなり3人殺されてしっまたり活劇としてのクオリティはそう高くない。それでも、晩年書いた室町ものに繋がる重要な一遍だと思うし、なにせ「忍法帖」としては最後の長編でもあるので、資料的価値は高い小説だった。

 これを読んでまた忍法帖~明治ものと風太郎小説を再読したくなってきた。僕自身のオリジナリティに非常に影響を与えた小説家であることは変わりなく、生涯に渡って愛すべき、目指すべきストーリーテラーこそ山田風太郎なのだ。

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