« 2008年1月27日 - 2008年2月2日 | トップページ | 2008年2月10日 - 2008年2月16日 »

2008年2月3日 - 2008年2月9日

2008年2月 9日 (土)

トリコン!!!初日

 今日は星占いで、「毒舌」に気をつけましょうとのこと。はい。今日は控えめにいたしますのでイケメンファンの方々はご安心ください。尚、、来週以降も続々とイベントトークが目白押しのようです。僕なんか17日からベイスターズ沖縄キャンプ帯同なんですが、その前後もイベントだらけのようです。しかし、夜から東京地方は雪マークだけど神奈川からちゃんと行けるかな?行ったとして帰れるかな?僕が利用する横須賀線は雪が降ると速攻で止まるんだよなあ。

| | コメント (1)

2008年2月 6日 (水)

ドラゴンVS7人の吸血鬼

10027206927
輸入DVD鑑賞。画質はまずまず。英語字幕がないのが残念だが、主演のピーター・カッシングが聞き取り英語の見本みたいな英語台詞なので(マカロニウエスタンや香港映画の吹き替え英語ではない)観やすかった。
 この映画実に33年ぶりの再見。中学生の時に観たときもかなり興奮して観たが30年以上を経て観てもその興奮は全く変わらず。何が素晴らしいかと言うのは怪奇映画の本家ハマ―フィルムと当時まだ勢いに乗るショウブラザースがまさにガチンコで手抜きなし、しっかりとした世界観を創ることに成功している点にある。基本はハマーなんですけどね。監督のロイ・ウオード・ベイカーは「火星人大襲来」「ドラキュラ血の味」なんかの本家本元の怪奇映画監督の大御所。音楽はジェームス・バーナードで嬉しいことに、ハマードラキュラ1作目の「吸血鬼ドラキュラ」のスコアが多数流用されている。そして、主演はピーター・カッシング。役名は勿論、ヴァン・ヘルシング教授。このハマー軍団が、ショウブラザースの絢爛たるセットに乗り込み、迎え撃つ香港側は協力監督にショウ・ブラザースの大御所張徹。アクション監督がラウ・カーリョン、トン・ガイ。俳優陣にショウブラの大スターデビット・チャン(姜大衛)一時期ショウブラザースで女剣劇アクションの主役を多数務めた施思。と、どちらも最高の布陣を整えた上で、まさに奇跡的にイギリス怪奇映画と香港カンフー映画が融合しています。おそらく、合作映画で成功した稀有な例なのではないでしょうか?これで面白くならないわけがない!

 物語は「7人の侍」の流用です。トランシルバニアから中国にやってきた吸血鬼ドラキュラ率いる黄金の仮面を被った7人の吸血鬼に恐怖のどん底に襲われた村を救うために、デビッド・チャンがヴァン・ヘルシング教授に吸血鬼退治を依頼。デビッド・チャンの7人のカンフー使いの兄弟たちと共に人里離れた村に乗り込む。と言うものです。
 で、あとは、ハマーホラーのお約束とカンフー映画のお約束をテンコ盛りしてブレンドしてあります。例えば、ヴァン・ヘルシングの教え子のエロイ白人娘とデビッド・チャンは恋仲になってしまうけど、エロ白人女は当然のごとくに吸血鬼の毒牙にかかり、急に色気づいて胸を強調したドレス着て襲ってきたりします。で、当然のごとくにヴァン・ヘルシングは髪を振り乱して「早く心臓を狙え!その女はもう、魔に魅入られてしまったんだあ!」と叫び、デビッド・チャンは目を逸らしながら金髪女の心臓を杭で一突き!とか。カンフー軍団たちは吸血鬼の心臓を「正拳」で突くのが必殺技で、このあたりはラウ・カーリョンの武術指導が光ったりします。
 クライマックスはとにかく、吸血鬼軍団とカンフー軍団の迫力ある殺陣で楽しませてくれますが、ラストはドラキュラとヴァン・ヘルシングの一騎打ちが用意されていて、これも徹底したお約束で幕を閉じます。

 僕が本当に一番撮りたい映画は「ドラゴンVS7人の吸血鬼」のような完全娯楽映画なのですが、これはハマーフィルムとショウブラザースと言う2大スタジオの歴史と積み重ねの上に初めて成立した奇跡のような娯楽活劇なので、僕たちは僕たちの時代の「ドラゴン対7人の吸血鬼」を創っていかなくてはいけないんでしょうね。

| | コメント (2)

2008年2月 4日 (月)

節分とか成瀬巳喜男「秋立ちぬ」とか

昨日は大雪だったので、午前中はプロット書いたり午後はHDDに撮り貯めていた成瀬の「秋立ちぬ」を鑑賞。夜は、大家族で寿司屋へ行って微妙な空気な中で食事。「恵方巻き」と言うのはすっかり定着しましたね。初めて食べたのは99年ころではないかしら。1本を割って貰って、寿司屋の小上がりで無理やり南南東を観ながら食べる。うーん、流石に寿司屋で巻いてもらった贅沢な「太巻き」は頗る美味。しかし、家はいま微妙な問題を抱えていて、何かこう、重い空気が残る。こう言う時にはまあ、部外者の僕としては何もできないけど早くいろいろ問題解決して年寄りを安心させてやりたいと切に願う。この微妙な空気の中でせめてもの明るい話題にと「昨日、佐々木さんも出ていた銭形海観ましたよ」と話を義父に話を振られ、なるべく明るく振舞う。まあ、厳しい時にあの番組が少しでも明るくなってくれる材料になるならそれもよし。せめて春になるまでに解決してくれ!
 
 「秋立ちぬ」は見逃していたが、かなりの傑作。少年と少女の切ない心の交流を繊細に、そして絶妙な芝居と空間演出で魅せる。特に、少年と少女が2回目に出会って、少年が野菜を届けに行く家と少女の家がたまたま一緒で、2人が微妙な距離を撮りながら、道~道~へと歩く姿を「引き画」~「引き画」を繋いで進行させていくシーン、それぞれの母親に絶望して、2人で「海へ行こう」と東京湾の埋め立て地へ遠出する場面で、線路の上を左右に別れて歩きながら背後からトラックしていく場面の2人の芝居と距離。クローズアップのカットはなくても思わず涙が零れてしまうシーンだ。
 成瀬巳喜男はこのように、道を歩きながら2人の関係が微妙に離れたりくっついたりする場面を、微妙な移動撮影で描くのが絶妙に巧い。それは単なる技術的表現を超越して、とにかく絶妙なのだ。「浮雲」の冒頭で、森雅之を呼び出して戦後の街中を2人で歩く場面。「山の音」で、帰ってきた山村聡と商店街で遭遇した原節子が並んで帰宅する場面。「乱れる」で加山雄三が高峰秀子に寺の境内で告白する場面。普段は高峰秀子や森雅之の芝居に見とれてつい見逃してしまいがちだが、「秋立ちぬ」のように芝居がまだあまりつたない被写体でも、同じ感情を引き起こす場面に遭遇するとその演出がより際立って見える。
 ただ、その表現を今再現しようと思ってもなかなかできる技ではない。盗んで出来るには、相応の積み重ねと同時に道での撮影を全てコントロール出来る条件が必要であることに気がつかされる。現代の日本の街中でのオープン撮影の限界だろう。だが、かつてあった素晴らしい技術を引き継がなくては映画の歴史に中に関わっている意味があるのだろうか?昔の映画を観ると、現代の映画では中々得ることに出来ない充足感を感じるとともに、1カットでも工夫をしてこうした技術を引き継いでいかなくてはいけないと痛感する。
 それには、我我製作スタッフがより意識的に意志のあるカットをどこまで撮れるか、自分でよく出来たと思ったカットが単に物語が「わかる」と言う説明のカットやショットを撮っているだけに過ぎないのではないかと毎作品ごとに戒めていく必要がある。

 そしてこの大傑作の「秋立ちぬ」が封切時には黒沢明監督の「悪い奴ほどよく眠る」の2本立て封切の、81分の添え物であったことに驚愕せざるを得ない。

| | コメント (0)

« 2008年1月27日 - 2008年2月2日 | トップページ | 2008年2月10日 - 2008年2月16日 »