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2009年5月

2009年5月31日 (日)

川崎から「ちょんの間」が消える

 川崎・堀の内の風俗街に最近摘発が入って、いわゆる「ちょんの間」と言うやつがターゲットにされたらしい。「ちょんの間」と言うのは表向きは居酒屋とかで営業届けを出して、その実、ガラスの扉の向こうに怪しい衣装を着た女性が座ったり立ったりして客を引くところだ。僕は、7,8年前に「ゾンビ極道」が川崎の裏街道を舞台にした極道の話だったので、隠し撮りで実景を撮りに出かけた時に初めてこのガラス窓の向こうの女性たちの存在を知った。そこには、何か戦後とか昭和とかまだそう言う時代の闇の文化と言うか、森崎東の映画や田中小実昌の小説に出てくるような猥雑な時代の名残を感じた。

 堀の内は川崎駅からちょうど川崎競馬場や競輪場へ向かう途中にある。別に堀の内を抜けていかなくても競馬場や競輪場へは行けるが、つまり、競馬であてたあぶく銭をここで使うようにうまく街が作られていたと言っても過言ではないように思える。実は横浜ベイスターズの前身大洋ホエールズの本拠地川崎球場もまあ同じ方角と言えば言えるけど、こうした野球、競輪競馬と言った大人の娯楽施設と共に堀の内は繁栄してきたに違いない。

 堀の内の風俗店自体がどうなろうと別にどうでもいいが、街から闇の部分をどんどん取り除いてただ単に綺麗にしていく都市化計画はつまらない。僕の故郷の札幌は、札幌オリンピック以降都市化が進み何の特徴もないつまらない味気のない街に変貌してしまった。街は清濁を併せ持ってこそ繁栄していく。

 日本中からこうした猥雑な場所がなくなっていくのは非常につまらないことだと思う。大阪の天王寺、横浜の黄金町、川崎の堀の内や、セメント通りの焼き肉屋、こうした場所はクリーンな都市計画など糞くらえで都市の闇の文化をいつまでも保ち続けて欲しいと願う。

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2009年5月29日 (金)

美打ち

 雨の中赤坂まで行って美術打ち合わせ。実に楽しく更に粛々と終える。野球の中止を携帯メールで受けとったので未練なく家へ帰り、冷しゃぶを作って妻と食事。その間にいくつか人に頼まなくてはいけない仕事が出てきたので連絡を取り合う。そのあと映画の脚本のノートを読んで、録り貯めてあった「座頭市物語」と「特捜最前線」を見る。かつての大映と東映の2本立てを2回見るような既視感。「特捜最前線」は、既に80年代に入ってシリーズ末期の頃のものだったが、何と言うかこのシリーズ独特の底辺の人たちを東映テレビ独特の貧乏臭いセンチメンタリズムで描いていて、当時はもう他の局では「金妻」だのトレンドラマの走りが放送されつつあった時代に平行してこういう内容のドラマが撮られていたことは凄いと思った。で、この世界観は16ミリフィルムじゃないと成立しないのかと言うことも。この頃僕は20歳になったばかりの頃で、大作主義が横行していた邦画界にあって、映画らしい映画を求めて劇場をさまよっているうちに、日活ロマンポルノを観るようになりさらに高橋伴明監督や若松孝二監督、渡辺護監督のピンク映画を知るようになって日本映画独特の泥臭いセンチメンタリズムの面白さは生き残っているじゃないか、と思った頃だが、ちょうどその頃「特捜最前線」を観て同じ世界観を感じたものだった。

 でもいま東映テレビで「特捜最前線」をハイビジョンでリメイクしても絶対に成立しないだろうなあ。やれそうなネタは転がっているとは思いますが・・・。

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2009年5月28日 (木)

昨日は

 成城で一軒打ち合わせがあって、そのあと妻と待ち合わせして二人でレッスンへ向かう。帰ってから今日の美術打ち合わせ為の勉強。帰って「ユリイカ」のイーストウッド特集を読む。黒沢さんとハスミ先生の対談は黒沢さんの弁の方が圧倒的に面白い。と言うか僕が理解できる面白がりかたをしていると言うか、やはり作り手と批評家の差があるのかなと思えたり。いずれにしろ今年の春に2本のイーストウッド映画が公開され、それで皆が思わず口を開かなくてはいけない状況になっている今年前半は映画界的には極めて刺激的な展開になっているとも言える。新作映画でこんなにお互い盛り上がれるなんて久しくなかった気がしますからね。小津もまた観たくなったな。

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2009年5月25日 (月)

多忙

 朝から脚本修正のお勉強。一昨日、いつも行っているジムのイベントで水中ランニングに挑戦したら昨日からふくらはぎがパンパンに腫れあがって痛いことこの上なし。ふくらはぎに湿布を平目貼りしてなんとか痛みを和らげながら仕事する。午後も同じ映画の脚本修正のお勉強でひたすらデスク作業。その間に来月撮影するいくつかの仕事の連絡を電話やメールでやりとりして、ひとつひとつを確認し打ち合わせ日程などを詳細に決めていく。忙しいと仕事が重なるのはいつものことだが、忙しい方が僕はモチベーションが上がる。3本共に全て違う方向の仕事なので頭の切り替えはまあし易いかな。先週はちょっとへこんでしまうような出来事もあったが、そんなことで負けていられるほど若くもないし暇もない。とにかく前進あるのみ。いま出来ることを手を抜かず力いっぱいやっていくだけだ。

 ベイスターズも田代監督に代わって明るくなってきたのでナイターを観る元気も出てきたかな。田代さんは2軍で打撃コーチをやっていた頃から直接観てきたが、その風貌や現役時代の印象とは違って結構クレバーなコーチングぶりを見せていたし、2軍監督になってからも勝ち方、負け方の巧い監督なので期待してしまう。やはり現役から引退、そして2軍コーチを経て一軍打撃コーチとなり2軍監督を経験して一軍監督と言う実に真っ当なコーチ修行をしてきた姿を僕はずーーーっと見て来たので、球団はこの人を本当に大事にしてして欲しいと思う。今年このままそこそこの結果を出したら、2軍監督に戻して名前がある無能な監督を一軍に呼んだりする様な真似だけはしないでほしい。

 と言うわけでナイターを観たあとは、若い女優が主演のドラマ形式のPVをYOUTUBEで観まくって勉強。夏帆ちゃんが主演のPVとか山下リオちゃんや山下真司さん主演のPVとか初めて見たけど、結構この手のジャンルも映画やドラマ以上に豪華なキャスティングがされているんだなと驚く。発想も自由だし画面も美しい(ようつべクオリティではありますが)ので更にモチベーションは上がる。

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2009年5月19日 (火)

大矢解任の日に

 昼間ドリマックスの小板さんから電話があって「最近どうですか?」と言う挨拶がてらの言葉に「いやあ監督クビですよ!クビ」と言ったら「えええ!?それは大変ですねえ」「まあ後任は早くも決まりましたがね」「はあ、それはそれでつらいでしょう」「まあ、大矢さんも遅かれ早かれ今年いっぱいだったと思いますよ」「え。あ、あああ、クビってそっちの、僕はまた佐々木さんが(映画のほうの)監督クビになったのかと、あーびっくりした」と言う会話になって、僕の方はクビになるもならないもまだ始まってもいないのでと言うことで6月のスケジュールを確認をしたのだけど、本当に今日は驚きっぱなしの日であった。

 しかし、まあ監督の解任だけで横浜ベイスターズが強くなるとも思えず、やはりここはオーナー会社のリーダーシップでフロント強化を中心にチームを変革させていかないと、野村監督のコメントも出ていたけど「50年前と違っていまは編成フロントが確りしないと監督の力だけでは野球は勝てない」と言う言葉どおり。

 TBSのために僕は粉骨砕身頑張る覚悟は出来ておりますので、なんとかベイスターズのためにリーダーシップを発揮してチーム再建をお願いしたいと切に切に願います。まずは、TBS主導でベイスターズのトップの改革、惜しみない補強費の供出で、的確な選手、スタッフの編成をお願いしたいと思うのです。ベイスターズのこの数年の低迷は、この7年に社長が3人代わり、監督が5人代わり、そのたびごとにチームの方針がぶれていったことが大きな原因であると思います。どういうチームを作り出していくのか?オーナー企業が率先してチーム運営に乗り出して欲しいと思います。僕はそのためなら球団名に企業名が入るのもいいと思います。横浜TBSベイスターズでもいい。とにかくチームを強くして欲しい。そう強く願う次第であります。そのためなら僕のギャラなんかいくらだって安くても我慢します。

 

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2009年5月16日 (土)

 不意打ち Lady In a Cage


日本ではDVD未発売で、海外でも既に絶版になっていたウオルター・グローマン監督の「不意打ち」のDVDをAMAZON=UKで中古予約していたものが届いた。今年の初め頃に予約していたのですっかり忘れていた。これも「悪」についての勉強です。
 それにしても、冒頭の不穏なそれでいてヒッチコックの「サイコ」や「北北西に進路をとれ」みたいなオープニングが格好いい。それでいてなんかいやあなことが起こりそうな雰囲気がありあり。
 主演は往年の名女優オリビア・デ・ハビランド。初老の足が悪い婦人が、一階と二階を上り下りするために作られた家庭用のエレベータの中に閉じ込められてしまい、その間にどんどん嫌な人間や悪漢たちが侵入してきてしまうと言う物語。この侵入者たちのキャラクター造詣が圧巻。浮浪者、浮浪者と関係ある中年娼婦、若い頃のジェームス・カーンが演じる残虐なリーダーの3人組の悪党。もう、この時代のアメリカに存在する下層のワルを登場させ、プチブルの老婆を苛めたおす。酷いのは、最後に頼りにしていた溺愛していた息子が実は別荘に自殺にしに行ってました。と言う設定で。今そこで起こっている地獄を抜け出してもこの主人公にはさらなる絶望しか待ち受けていない。と言う非情な内容。

 それでいながら悪の勉強になったのは、この凶悪な若者のリーダー、ジェームス・カーンが息子が書き残した遺書をエレベーターの中のオリビア・デ・ハビランドに語って聞かせる場面。絶望的に泣き喚く老女に対し、己のトラウマもあって憐憫の目をジェームス・カーンを向ける。馬鹿なだけの弟分と、エロエロ情婦の若い金髪女とは全く違うキャラクター造詣をジェームス・カーンは演じてみせる。とにかく殆ど密室劇で観ている間中イライラ感が募るバッドテイスト満載のサスペンス映画。
 今回はオリビア・デ・ハビランドがかつての往年の名女優ぶりから一転、醜悪に太りつつある肉感的な胸をぎりぎりまで晒したりしながら中年の腐りつつある女の魅力を表現。50年代~60年代はかつての往年の名女優を主人公にして、婆さんサスペンスリラーとでも言うべき映画がたくさん作られているがこれもそう言うジャンルの一編なのかな?オリビエ・デ・ハビランドではベティ・ディビスと競演した、ロバート・オルドリッチの「ふるえて眠れ」とかでも品があるのに嫌な婆さんキャラを演じていたが、こういう往年の名女優を主演にした残酷スリラーとか日本でもやりませんかね?
 森光子さん主演の「何がジェーンに起こったか?」みたいな映画とか。

 

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2009年5月15日 (金)

拷問

昨日は午後からの予定が変わったので、いろいろ玉突き的に予定が変わっていき、午前中は脚本読んで、昼食食べてまた読んで、自分の意見をまとめ、ジムで汗を流し歯医者へ。この歯医者が昨日は2時間近くもかかって、大変な苦痛でした。上の歯にブリッジを装着しようとしていたら、数年前に抜いて放置したままになっていた箇所の噛み合わせの歯が異常に伸びてきててこのままではブリッジを作ることができないことが判明し、その場で急遽下の歯に麻酔を打って神経を抜き、下の歯も半分ほどの短さにまで削るなんて面倒なことをやる羽目になってしまった。その間に、小板プロデューサーから電話がかかってきて、ちょうど麻酔が効くのを待っている間だったので出たら「これから真野が始球式でスタジアム来ているんですが、佐々木さんも当然来ているかと思って」と言う内容で、そりゃ僕も行きたいけど歯医者の治療台に縛り付けられるようにしているので、悔しい思いと羨ましい思いを伝えて、そう言う電話で話しをしているのをまた優しい歯科技工士の女の子に注意されたりして、散々な治療だった。いやあ2時間近く歯医者の治療台にいて、定期的にリクライニングされながら目隠しされて治療されるのって本当にきつかったあ。

 帰って真野ちゃんの始球式の試合を観たけど、これが散々な内容で防げる失点を出来ないバッテリーや守備陣に問題あり。吉村はタイガース戦で新井のフェンス際の打球を獲り損ねたからあんなに深い守備位置を取るようになったんだろうか?北川とお見合いしたフライもグライシンガーの時も、走者がいての守備位置にしては深すぎた。選手の問題もあるが、こういう守備陣系に対してしっかり指示出来ないベンチにも責任ある。折角「恋する星座」で始球式やったんだから真野ちゃんを勝利の女神にしてあげたかったのに!

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2009年5月13日 (水)

呪怨 白い老女 黒い少女

 「呪怨」のVシネ版が世に出てから10年。そのアニバーサリーとして「呪怨 白い老女」「呪怨 黒い少女」の2本が若手監督の手によって作られました。「呪怨」の最初もそうでしたが、低予算を逆手にとって面白いことをやってやろうと言うエネルギーに満ち溢れた2本となりました。まさに原点に返ったVシネ魂(ガッツ)炸裂!

 三宅君の「白い老女」は「怪談新耳袋 サードシーズン」の「姿見」から飛躍させた白い老婆が大活躍の一編ですが、テレビでは出来ない相当に残酷で(内容、表現ともに)そこがJホラーとは一線を画すものになっていました。三宅君もテレビでは押さえつけられていた抑圧を一気に跳ね返すかのようなキワドイ描写の連続で、特に後半のクライマックスは僕でも目を覆うばかりの陰惨な殺戮シーンが続くところが本当に怖かった。実話心霊テイストを飛び越えて、新たな残酷ホラーの誕生でしょう。監修は清水崇監督。しかし世界観は監督の世界観を映像に叩き付けたものでもあるようなので、ある意味清清しい作品であるのかもしれません。

 「黒い少女」も前半Jホラーテイストですが後半は「マニトウ」のようなバトルものへと特化していくのが面白かった。これも監督の安里麻里の個性でしょう。そういった意味では、霊能力者VS悪霊の対決はもっと見たかった気もしました。こちらは三宅組のような残酷描写は抑え気味ですが、そのぶんエキセントリックな登場人物と活劇性があって、これも結構楽しめました。両方の作品ともに、「呪怨」と言うジャンルの特化した姿で、プログラムピクチュアの魅力がそこにあります。

 2人の監督は、この作品を機に一気に飛躍を遂げて欲しいと思います。都内では6月27日(土)から、新宿バルト9にて2作同時公開の予定です。

 試写後は三宅監督、金谷カメラマン、大永君、柳下さんと僕と言う5人で近くの魚専門の居酒屋で映画の歓談。殆どがくだらない映画の話ばかりではあったけど楽しかった。

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2009年5月11日 (月)

とんびに油揚げならぬサンドイッチ

 脚本上がりの予定がずれ込んだので、今日は家族とともに逗子まで出かけていき、甥の運動会の応援に。甥は高校3年生で最後の運動会。夏帆ちゃんのファンでもあります。僕はショルダーベーコンとレタスとチーズで大きなサンドイッチを作り、妻と2人だけで逗子の海を見ながらサンドイッチを食べるのを楽しみにしていました。しかし、まさかあんな恐ろしいことがこの身に降りかかるなんて思ってもいなかったのです。

 お昼休みになったので、僕らは家族とはなれ、学校内から直接行ける逗子の海岸へとやってきました。海は凪いでいましたが、曇りがちなのに南風が生暖かくちょっと蒸した感じでした。僕らは、砂浜に腰を下ろし、冷えたコーラで自家製のサンドイッチを食べ始めました。自家製なので耳は切っていなくて、レタスとショルダーベーコンとチーズを何層にも重ね合わせたミルフィーユ状態の贅沢なものでした。しばらく食べていると、僕と妻の間に何かが物凄い勢いでぶつかってきました。僕はてっきり、ちょっと危ない人が何か背後から投げてきたと思ったのです、気がつくと手に痛みが走り、サンドイッチが消え去っていました。すぐに前方を見ると、鳶が一匹砂浜に叩き付けられる様にして地面に激突していました。が、確認する間もなく鳶はサンドイッチを咥えたまま再び空に飛び立っていきました。レタスの切れ端を残して・・・。そう、鳶が上空から僕の手にあったサンドイッチめがけて急降下で滑空し、僕の手のサンドイッチを嘴で咥えるとその反動で一旦砂浜に激突し、再び舞い上がって行ったのです。しかし、「鳶に油揚げをさらわれる」と言う格言と言うか諺がありますが、上空を旋回していた鳶が人間が食べていたものを狙ってしかも見事に成功していくなんてことが本当におきるとは・・・。残りのサンドイッチを食べながらも、上空では二羽の鳶が旋回を続けており、僕らはいつ第2の攻撃が来るかと怯えていました。

 しかし、世の中思ってもいないことに遭遇するもんだと思いました。まだ手は痛いんだよなあ。

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2009年5月10日 (日)

天が許し給うすべて とか ダークナイト

 いま創っている脚本における悪についての参考に「ダークナイト」をBDで観たり、頭を柔らかくするためにサークの「天が許し給うすべて」をDVDで観たり。「ダークナイト」は去年僕の周りでは一番評判が高かった映画で、BD5,1で再生させると臨場感溢れるアクションシーンに痺れもするが、ダグラス・サークと並べてみてしまうとやはりクリストファー・ノーランの演出に「どうだこれすごいだろう」感があって、映画そのものに謙虚さがないのか圧倒的に品格の差を感じる。品格と言うのは扱っているテーマではないです。「天が許し給うすべて」だって、一歩間違えば韓流ドラマにだって成り得る極めて通俗的なメロドラマのストーリーラインだし。まあ並べて観た方が悪いんですけど・・・。

 ところでダグラス・サークを観ると自分が理想として考えてきた「どんな内容のものでも傑作に仕上げて見せよう」と言う理念に揺らぎが出る。ダグラス・サークが言うような「どんな内容のものでも傑作に仕上げる」には、やはり映画を取り巻く経済的な豊かさと言うものが潤沢でないと難しいのではないかと思ってしまう。芝居を計算しつくされた素晴らしいセット、美術。時間をかけて準備されたであろう陰影の強い画面構築。軽妙な芝居も重厚な芝居もこなす俳優陣。こうしたものがそろって初めて「どんな物語でも私は映画的に表現できる」と言えるのではないだろうかと思ってしまう。まあ、だからこそ以前に黒沢清監督が言っていた「物語の経済学」と言うことが必要になってくると思うわけですが、予算に見合う企画をいかに頭を使って考えられるのか?ばかり考えていると、本当の映画の豊かさとは違う方向にどんどんいってしまう気がしてしまう。スタジオシステム華やかなハリウッド全盛の頃の映画を観てそんなことを考えてもしょうがないのかもしれないが、カイエ風に言う作家主義は今後生まれる土壌が日本映画にはあるのだろうか?

 などと考えている暇はないのだ。実は。今の企画で日本映画の底を上げて行かなくてはいけない。一度破れてしまった底をもう一度修復し、上げていくにはまだまだ僕自身の努力が足りない。頑張らなくては。いつかダグラス・サークに天国で会った時に「僕も少しは映画のためになる仕事をしました」と言えるようになりたい。と、強く思うのだった。

 

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2009年5月 8日 (金)

心のともしび で元気になる

 今朝は脚本直しにちょっと疲れてきたので、なんかとにかくいい映画を観なくては、とDVDでダグラス・サークの「心のともしび」を久々に観る。どんなにつまらない素材でも傑作に仕上げてみせると言う言葉がそのまま生きている映画。いまは自分は脚本段階なので、「どんなにつまらない素材でも」ではいかんのですがね。それにしても実に清清しくて、それでいてグロテスクな画面構成に目を奪われてしまう。演出的には完璧だ。しかし、それだけではない。「世界」と言うものをカメラが撮ってしまった。そんな映画なのだ。カメラがこれほどまでに映画らしい動き(運動)を重ねていく映画も珍しい。だから予定調和なラストシーンが待っていてもやはり涙腺が刺激されてしまう。崇高な物語であるかのような勘違いを起こしてしまう。そんな感情に刺激されて、残酷な殺しのシーンアイディアが浮かんでくる。やはり観ている題材はなんでもよかった。素晴らしい映画を観ると、脳内が活性化して映画的な発想がどんどん出来るのではないかと思う。

 

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2009年5月 7日 (木)

座頭市物語

 スカパーの「時代劇専門チャンネル」でフジテレビで放送されていた「座頭市物語」が一挙放送となり、毎日BDレコーダーに撮りだめし始めた。昨日は監督が三隅研次で、全編通してこれが1週間程度で撮ったテレビドラマだったのか?と言うほど奥行きのある素晴らしいカメラワークだった。でも一番楽しみなのは勝新太郎さん監督作品。予算度外視で凄い映像の「座頭市」を見ることが出来る。1時間のドラマにおよそ撮影期間を1ヶ月ほどもかけ、勝プロ倒産へと追いやってしまったシリーズですが、でも珠玉の作品集です。

 ところで、去年綾瀬はるかでリメイクされ、今度は香取君で阪本さんが撮るらしいけど、「そんなにみんな座頭市が好きだったのかよ!何でだ?いつから?」と、思わずにはいられない。だって、勝新太郎先生が最後に撮った「座頭市」からもはや20年が経ち、確かに北野武監督でもリメイクはされたけど、そんなに日本国民に愛されたキャラクターだったっけ?「忠臣蔵」とか「ねずみ小僧」のように歴史があるわけでもない。「水戸黄門」のようなお茶の間の人気があったわけでもない。例えば大河ドラマに何度も取り上げられているキャラならともかく、昔の「座頭市」は差別用語が山のように繰り出されるから地上波では恐らくもう再放送すら出来ないだろうし・・・。

 勝つさんのシリーズは相当な傑作が多く、大映での映画版だけではなく今回スカパーで放送されるテレビ版も映画に負けない傑作を数多く生み出している。しかし、あくまでそれはマイノリティが主人公のアウトローの物語だったし、勝新太郎の一代芸のようなものではないだろうか?阪本さんの「座頭市」はきっと面白く仕上げてくれるとは思うが、決して差別用語などに手を抜くことなく確りとした時代劇を撮って欲しいと思います。「座頭市」ってのは社会の底辺の人たちがさらにその底辺の人たちを痛めつけ、それ以上に立場的にも身体的にも劣っている「座頭市」が弱い人々を助けようとするが出来なくて、せめてもの罪滅ぼしに悪を斬るってのがテーマですからね。とにかくバイオレンス表現は手を抜かないでほしいと切に願います。

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2009年5月 5日 (火)

情けない

 昨日は朝から横浜の伊勢崎町のルノアールまで出かけていき脚本打ち合わせ。「ルノアール」と言うのは30年近く内装デザインが一新されない喫茶店だが、昔よりコーヒーのあとのお茶が出てくるタイミングが早くなった気がする。まあ、打ち合わせ以外では個人的に絶対に入らない喫茶店だが、喫煙スペースも充実しててまだ煙草を吸う人間と打ち合わせする時に場所を選ばなくていいと言うのもいい。あと椅子がゆったりしていて、ファミレスやスタバなんかより落ち着けるのがいいです。それにしても伊勢崎町と言う場所柄なのか、この間は何と言うかその筋の方たちも結構いらっしゃっていて「とにかくさ、耳をそろえて返してもらえりゃそれいいんだよ!何度も言わせんなよ!」なんて怒号が店内に響いていたりもしていましたが、そう言う方たちもなんとなく似合う喫茶店ですよね。「仁義なき戦い 代理戦争」で小林旭がアイスコーヒー呑みながらテーブル上の爪楊枝で耳掃除をしはじめる。あの雰囲気です。でもまあ、お店の人は回りに一般客もいるんだからあまり大きな怒号は注意した方がいいかなとは思いますよ。途中から会話も出来ないくらいに怒鳴りあっていても誰も注意しないから、他のお客さんが帰り始めたりもしていました。僕は「グラントリノ」のイーストウッドではないから、自らの身体を投げ打ってまで注意にはいけんですわね。

 打ち合わせ後、折角関内まで来たので横浜スタジアムまで足を伸ばして「友の会」の回数券を使って横浜対中日戦を見ましたが、情けない試合振りに本当に心から落ち込んでしまいました。若手育成期間とは言え、二日続けてのパーフェクトに近いピッチングをされて打線は沈黙。4回に2安打しただけで、あとは10回裏までノーヒット。先発の小林がいい仕事をしたので金の無駄とは言わないが、とても興行として人に見せられる試合内容ではなかった。特にクリンナップは、あと1点取れれば勝てる展開で全員が自分が決めてやろうと力が入りすぎてストライクを取りにいっても簡単に打ち上げてしまって話しにならない。

 ベイスターズの打者たちには、僕が宜野湾キャンプのバックネット裏でマスコミの人相手に元ヤクルト監督の若松さんが話していたのを聞いたのをここに記しておきます。

 「村田とか吉村とか、相手にとってはちっとも怖くないんだよ。何でかと言うと、ストライクの甘い球を打ち損じてしまうから。ピッチャーと言うのは、調子が良かろうが悪かろうが、1試合で打者一人に対して何球投げるかわからないけど失投は避けられない。打者はその失投を捉えて、ヒットやホームランにするんだけど、ベイスターズの中心打者はこの失投を打ち損じて簡単にファールにしちゃうんだ。投手もプロだからそんなに何球も失投はなげてはくれない。だからそこを改善するには落ち着いて打席に立つしかないんだけど。ホームランとか増えても、試合を決める場面ではなく試合が決まったところで打つのは投手もそれだけ油断しちゃうから、だからここぞと言うときにはベイスターズの打者は怖くない」

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2009年5月 3日 (日)

六本木で打ち合わせ

20090502115828 六本木のハイアットリージェンシーの「旬房」で一瀬さんやライターと昼食をとりながら打ち合わせ。写真はそのとき食べた三段重ねのお弁当。これが非常に美味しかった。脚本の方はここからが映画としての生きた脚本作りに入る一歩手前。まだまだ頑張らなくては。美味しい弁当をいただきましたが、映画のほうもこれくらいに潤沢なエンタテイメントになるように頑張ります。いや、これに毒がいっぱい盛られているような内容のものにしなくてはね。見た目贅沢でうまそうだが食べると憤死しそうな映画を創りたいと考えます。

 帰ってから、野球をちょっとだけ見て、夜は久しぶりにかかってきた高橋洋さんと電話で1時間くらい喋る。若いプロ志望の脚本家や監督が、締め切りだとか制約は勿論、プロデューサーから与えられるプレッシャーの中で仕事が出来る環境が少なくなって、打たれ弱くなってきているのではないかと言う話が興味深かった。高橋さんはVシネマで揉まれてきた僕らの世代はそこで強くなったのが大きいと言う。黒沢清や三池さんを筆頭に僕らの年代まではそこそこの予算でVシネマを撮る事が出来て、そこで嫌でも締め切りだとか予算を守らないととんでもないことになってしまうことを知った。が、今の若い人はそう言う修羅場をくぐっていないので、例えば脚本やプロット作成の仕事をチャンスとして与えた時に、締め切りまでに仕上げられなかった時の危機管理が出来ず、「あと一言」が足りずに自分を追い込んでしまうことが多いと言う。「あと一言」と言うのは時間や締め切りが守れないときに、それが予測される時点で「~までの約束でしたが、どうしても~が思いつかないのであと**日ください」と言う連絡だ。この一言がないまま、打ち合わせ前日まで引っ張って「実は出来ていません」となってしまう。そうなると仕事を頼んだ方としてはお手上げなのだ。連絡がないと「何が問題」になっているかもわからないので助け舟を出すことが出来ない。結果的に、さらなるプレッシャーを与えられ、退場を余儀なくされてしまう。締め切りなしにいい物を書くと言うのは、余程の大物作家になれば別だが、名前がない人たちはとにかく人よりも早く書くことが大事だと思う。早く書いて、上に立ち上げそこでのジャッジを仰ぐことが大事だ。ブレストしていけば解決できる問題もある。Vシネなどやっていた時は、ちょっとでも締め切りが滞ると実際に発売時期に影響するのでプロデューサーが家にやってきたこともあった。僕はあるやくざもののプロットを書いていた時に「すいません、印刷の紙が切れて遅れます」と適当ないいわけをしたら、家まで押しかけられて1000枚の紙を放り込んでいかれたときがあった。それでも書かないと食べられないし、書かないと生きていけないと言う危機感があった。

 自主映画からプロの仕事に手を染めていくと言うことは、他人のお金を使って他人の思いも一緒に遂げていかなくてはいけなくなるということだ。その責任を持って映画やテレビドラマを創らなくてはいけない。

 スタンリー・キューブリックの次の言葉は身にしみると思う。

「映画監督と言うものは、着想を得、スタイルを決定する一種の機械だ。映画と言うものは、創造的・技術的決断の連続であり、できるだけ頻繁に正しい決断を下すことが監督の仕事だ。映画撮影は、人間が発明した創造的な仕事としては最悪の環境でのものである。それは騒がしい物理的な機械であって、気持ちを集中させることは難しい。一週間に五日、八時半から六時半まで監督はそれをやらなくてはいけないのだ。決して芸術家が選ぶような労働環境ではない。唯一の利点は、仕事をせざるを得ないことだ。監督は延期することはできないのだ。(イメージフォーラム増刊 KUBRICKより)

 ちなみに僕はスタンリー・キューブリックはそんなに好きではない。

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2009年5月 2日 (土)

母の日

 街を歩くと「母の日」キャンペーン一色だが、昨年まで毎年妻が気を使って北海道にいる母親にいろいろ買い物してくれていて、今年はこれにしようとかあれにしようとか、チラシをよく手にしたものだったが、今年もふとそういったチラシに目が行ってしまって、「あ、もう今年は送らなくていいんだな」と思うとふっと寂莫たる思いにかられることがある。亡くなった時はバタバタしていて悲しいとか寂しいとかいう感情より、とにかく儀式を遂行することがテーマになってしまっていたが、何気ない日常の中に欠落感というものはぽっかりと穴をあけて待ち受けているものだ。しかし、いまはそんな思いに耽っている余裕はない。今日は脚本打ち合わせ。そして、僕には守らなくてはいけない家族が家にいる。後ろを向いていられる立場ではないのだ。

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2009年5月 1日 (金)

チェイサー

 午前中上がってくると思っていた脚本が午後になると言うので、ラゾーナ川崎まで自転車で出かけていって「チェイサー」を観る。かかる小屋が少ない映画を川崎の三つのシネコンは結構かけてくれる。すぐに1日1回上映とかにはなってしまうけど、それでも嬉しい。

 緩急なしに突っ走る韓国の実話シリアルキラーもの。かなり面白く観たんだけど、韓国の人特有の激しい芝居の応酬には時々辟易としてしまった。サッカーやWBCの応援見ていても、韓国の人のハイテンションにちょっと困ってしまうなあと言うのと同じ感覚かな。沖縄でSkワイバーンズ対横浜ベイスターズの練習試合を見た時も、韓国の応援の人のハイテンションは凄かった。練習試合だと言うのにまるでペナントの終盤みたいな激しい絶叫応援をだったが、あの時もちょっとついていけなかったなあ。

 と言うわけで体調が悪い時にはあまり観たくない映画だったが、それでも映画の迫力はあった。穴を探せばいくらでも出てくるプロットではあるんだけど、それでも勢いと画面の迫力で突っ走れ切れている。それと生活観に直結しているアジアの街の汚さ加減がリアルに表現されていて、韓国映画の力を見せ付けられた感じがする。

 韓国映画もそうだがインド映画でも、悪いやつは徹底的にここまでやるのか?と言うくらいに残酷描写が激しい時がある。描写そのものよりも、登場人物のキャラクターや物語の方向性と言うか・・・。そこまで善玉側を痛めつけんでもと言うくらいに痛めつけることが多い。日本映画も昔はそうだったから何か亜細亜圏独特の感情なのだろうか?理性だけではない、ほとばしる感情の嵐。日本映画は70年代後半くらいから、こうした感情が薄まった映画が多くなってきたような気がする。

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