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2009年7月

2009年7月30日 (木)

白い肌の異常な夜とか

ここ数日は、脚本が部分的に送られてきてそれに対して修正案を送ったり、また待ったりと言う日々が続いておりました。待つと1日は長く感じますが、歳月はあっという間に過ぎていく、そんな感じです。母が去年亡くなったのを聞いたのが、PFFのダグラス・サーク特集の会場でチケット切る直前だったのを思い出します。

 と言うわけで、先日は京橋のフィルムセンターでぴあフィルムフェスティバルの招待作部門「映画監督イーストウッド誕生」の中からドン・シーゲル監督による「白い肌の異常な夜」を観て来ました。

 PFFの招待作部門はかつてはフランソワ・トリフォー全作上映をやってトリフォー本人もまだご健在だったのでゲストで招かれたり、或いは日本では当時絶対に見ることが出来なかったルイス・ブニュエルのメキシコ時代の映画まで含めた全作上映をやったり、マキノ雅弘の全作上映をやったりして当時ビデオが流通する前だったので、相当に活況を呈していて、そう言うシネフィルお祭り騒ぎと8ミリで作られた自主制作映画が一緒の会場で上映されることに意義があったようにも思えるけど、日本で拓かれる他の映画祭同様、PFFも年々規模が縮小され、それでも続けていくことには意味があると思うのだけど、今回のように中途半端な作家の招待作上映と言うのはちょっと寂しい気がしました。と言うより予算がないなら企画で勝負して欲しいなあと。

 上映前にPFFディレクターの荒木さんがイーストウッドを普段見ない層に観に来て欲しかったけど、結局いつもイーストウッドを観る人たちばかりになってしまっているのが残念、みたいことを言っていたけど、DVDでも鑑賞できる作品群だとやはりスクリーンで映画を観たいと言う人たちが、映画ファンの中にも減ってきているだろうし、そこを敢えてPFFが埋めて行こうと努力していくのはわかるけど、それなら、もう少し餌をばら撒かなくてはいけないのではないだろうか?例えば僕らの世代は自主映画を創りながらも、トリフォーやブニュエルに対する興味は随分とあったし、ブニュエルのメキシコ映画なんか伝説中の伝説なので中々見られなかったから毎日のように通ったわけだが、昨日の会場や去年のダグラス・サーク特集などはやはりアテネフランセの客は来ていても、インディーズの映画作家たちが観に来ている率は低いようにも思えた。

 映画には興味を持つ人は多くって、いろいろな映画を自主映画からピンク映画、ハリウッド映画、ヨーロッパ映画、旧作の邦画、洋画、そのすべてを観ることが必要だと思う。だからシネフィルが興味を持つ映画と、自主映画好きな人を横滑りさせて行こうと言う試みは物凄く応援したいと思う。こういう映画祭は絶対になくしてはいけないと思う。ただ、これは映画だけに限ったことではないがいろいろな価値観が細分化され、映画の枠を横断して観ていく傾向は失われつつあるのも事実だ。いまは海外のDVDサイトまで執拗に追いかければ、観ることが出来ない映画と言うものは存在しないくらまでになったと思う。だから興味を持つ人間はどんどん深いほうへ行くが、自分が興味を持たない分野には全く興味も示さなくってきているのも確かだ。 なぜ、情報が少なかった昔の方が、様々な種類の映画を観ようという気になったのだろうか?

 それは「知らないことへの興味」より「知っていることをどこまでも掘り下げていける面白さ」を選べる時代になったから、自分の欲求が好きなものを追い求めるだけでも充分に満たされる時代になったと言うことなのだろうか?それでも、出来ればもっともっと自分のテリトリー以外のジャンルへの興味を持って欲しいと思うのは確かだ。

 ところで「白い肌の異常な夜」はやはりスクリーンで観ておいて良かった。あの恐怖のシーンは劇場では笑い声が起こってさえいたが、やはり痛すぎる。イーストウッドがあんなめにあってしまうなんて!でかいスクリーンで観ると余計に際立つ。しかし、凄いのは殆ど直接的な描写のカットはないという事だ。にもかかわらずあそこまで生理的に痛さを感じさせるのはこの映画か、増村保造の「赤い天使」の野戦病院の描写かどちらも双璧だろう。

 あ、ひとつぴあの荒木さんに苦言を呈するとこの映画をドン・シーゲル監督作品として一言も紹介しなかったことだ。イーストウッドを作家として語るとき、ドン・シーゲルの名を忘れては絶対にいけないはずなのに・・・。是非、来年はドン・シーゲル全作上映をお願いします。

 後一回、8月1日の朝10時から「白い肌の異常な夜」は上映されるので、是非観に行くべきだろうと思います。

 さて、僕は明日から日曜まで母の一周忌で北海道へ帰ってきます。1年は本当に早い。

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2009年7月27日 (月)

訃報 山田辰夫さん

 たったいま、青山からメールをもらって山田辰夫さんの死を知った。僕にとっては「GO CRAZY」と言う東映Vシネマで一緒に仕事をして、つい最近も、日活のスタジオセンターで山田さんがアフレコの時に若い主役2人に「おいおめーらよお、ちゃんと芝居のこと考えてやれよお、口だけ合わせてんじゃねえよお」と言っていたのを思い出して、若い役者にきちんと怒れる先輩の俳優のは少なくなったなあと思っていたところだった。

 山田辰夫さんと言えばなんと言っても石井監督の「狂い咲きサンダーロード」だろう。でも僕にとっては「GO CRAZY」のやさぐれた新聞記者の男だ。最初に日活撮影所で会ったときの山田さんは、「狂い咲きサンダーロード」の人がちょっとだけ大人になっただけの、とっぽい役者に思えた。芝居に対しても厳しく、若い主役の役者を本気で怒ってくれる先輩だった。当時のVシネは時間も予算も少ないのに、カーアクション、ガンアクション、エロ、など大人の娯楽の要素を詰め込まなくてはいけなかったので、毎日徹夜徹夜のロケだった。千葉の日活の保養所を宿泊先にしていたが、ロケから帰ってくると山田さんはビールを用意して僕を部屋へ呼んで、翌日の芝居について語り合ってくれた。僕もまだ若かったからそれに答えて、毎日少し酒臭い息で現場へ行っていたように思う。作品が仕上がって、東映加工で初号があった日に、普段着を着て現れた山田さんは「俺こういう映画好きだなあ、跳ねていて、また監督とやりたいから呼んでくれよ、な、」と言ってくれた。

 しかしその後、山田さんと仕事をする機会のないまま14年が過ぎ去り、今夜訃報を知った。山田さんは気難しい面もあって、テレビドラマの現場などではあまり呼びやすい人ではなかった。が、そのことを臆して声をかけなかった自分が情けない。正直、扱い易い俳優ではなかったと思う。でも、扱い易い人だけが生き残っていくと言うのも情けない話だ。いい作品を創るためには気難しい俳優だろうがスタッフだろうが、使いこなせてこその監督であり制作会社だと思う。

 正直とても辛い気持ちです。本当に映画を愛し、芝居を愛していた役者が一人でも減るのは日本映画界にとってとてつもない損失だと思います。去年は峰岸さん、今年は山田さん、本当に頑張って自分で映画を早く撮らないと駄目ですね。どんどん悔いだけが残っていく。

 悔しいです。今夜は。

 「GO CRAZY」の山田さんは本当に素敵でした。

 山田さん、いつか僕はあなたに誉めてもらえるような映画をまた撮りたいです。僕があの世に行ったときにまた一緒に映画をやりましょう。

  

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2009年7月26日 (日)

母の霊が僕にハマー映画のDVDを買わす

 

フランケンシュタインの逆襲 [DVD] DVD フランケンシュタインの逆襲 [DVD]

販売元:ワーナー・ホーム・ビデオ
発売日:2007/10/12
Amazon.co.jpで詳細を確認する

60年代のハマーフィルムのホラーが廉価版で出ていることを知ったり、海外版で日本では未発売のハマー映画のアンソロジーがあることを知ったり、一方でいまやっている脚本に何か参考になるものはないかと言う欲もあってとにかくこの1週間でハマーフィルムのホラーDVDを安価で買いまくった。
 ふと思い出すと、僕にハマー映画の面白さを教えてくれたのは亡くなった母だった。母は、若い時分にテレンス・フィッシャー「フランケンシュタインの逆襲」を映画館で観た記憶があって、僕が買ってきた少年マガジンなんかの巻頭特集に「世界の妖怪、モンスター」なんかがあるのを見ると、「フランケンシュタインの逆襲」の再録語りを夜中に聞かせてくれたりした、僕には「夜中に人知れず、死体を盗みに墓場へ行く」と言う場面がなぜか怖かった。
 その後小学2年生の時に、初めて「ミイラ怪人の呪い」と「フランケンシュタイン死美人の復讐」の2本立てを封切で見せに連れて行って貰ったことで、僕のハマーホラーへの憧憬の歴史は始まった。母は、ハマー映画と言うカテゴリは知らなかったが、クリストファー・リーとピーター・カッシングのファンではあった。だから、78年に「スターウオーズ」特集の映画雑誌を見ていて、そこに悪役としてピーター・カッシングが出ているのを知った母は、スペースペラなんかには全く興味のなかったのに、「スターウオーズ」を見たがって一緒に観に行ったのを覚えている。

 その母がなくなって、まもなく一周忌を迎えようとしている。母の死は去年PFFのダグラス・サーク特集「悲しみは空の彼方に」の会場で知った。ハマー映画のDVDをここに来て買い漁るのは、母の亡霊がそうさせているんじゃないかとそんな気がしてきた。

 本当は脚本の上がりが遅れていてイライラして買い物しまくっているだけなんですけど!

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2009年7月22日 (水)

野球も街も・・・

 今日は脚本打ち合わせでライターの住む伊勢崎町まで出かけていき打ち合わせ。ライターの家の近くまで行ったのは、少しでも書く時間を与えたいからに他ならない。

 ところで、打ち合わせ前後に伊勢崎町を久々に端から端まで歩いてみたが、かつては「伊勢崎町ブルース」なんて歌謡曲に歌われた街もいまは昔。すっかり寂れて、ただの商店街レベルになっている。これは通りを入ったところにあった松坂屋伊勢崎町店が閉店してしまったことが、ある意味象徴的でこの建物がまだ残りながら鉄の塀で覆われているのが無機質で残酷的だ。この松坂屋の前からあの「ゆず」も飛び立っていったと言うのにね。横浜カレーミュージアムなんてのもあったが、これは入らないうちになくなってしまったな。

 この商店街を抜けたところにかつては、黄金町の日劇もあった。それもいまはない。裏通りに「シネマジャック&ベティ」が頑張ってはいるが、それでもどこか寂れた感がある。

 昔は横浜スタジアムに野球を観に行く時はいつも外野自由席を買っていたので、昼前に列の場所取りをしなくてはならず、場所取りをすると開門まで数時間時間を潰さなくてはいけなかったので、日劇に来ることもあったし、伊勢崎町には東映も2館あったし日活もあった。日本最初の洋画封切館横浜オデヲン座もあったのでしょっちゅう映画を観ては時間を潰した。その昔のような勢いはなくなってはいたが、10年前はそれでもまだ街のいかがわしい勢いは残っていた。

 横浜も開港150周年を迎えたが、趣のある港町の雰囲気が失われつつあるのは確かだ。「トリコン」と言う映画を撮った時、いくつかそんな雰囲気を残す場所でロケできたが、残念ながら予算がないので諦めざるを得なかったロケ地もいくつもあって、いつかまた横浜を舞台にした映画を撮りたいと思います。そういえば横浜を愛した映画監督長谷部安春監督も今年お亡くなりになっていましたね。

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「ジョーズ」をハイビジョンで観る

ようやく脚本の半分ほどが上がってきて、いくつかの解決策を求めて、数日前にハイビジョン放送されていた「ジョーズ」を見る。面白いなあ。やはり面白い。特に前半部分に気合が入った撮り方をしている。いや勿論、後半の3人の男が海に行くことろから先も盛り上がるんだけど、そこまでのドラマ部分の撮り方に気合が入っている。どのカットにも思想がありすぎるというか、こういう言い方はどうかと思うがカイエっぽい撮り方をしていて、映画とはかくあるべきなんだよなあ、と考えながらスピルバーグが演出していたことが良くわかる。だからさ、この頃はスピルバーグもデ・パルマも黒沢清もカーペンターも同じ地平にいたんだなあと。そこいらあたりが露骨で若くて素晴らしい。
 と、ドラマツルギーより演出にばかり目が行ってしまうのだったが、つまり演出が映画を支配していく映画と言うのはやはり面白くて、今でもその思想の上にスピルバーグは映画を撮っているから面白いんじゃないかなあと思えるのです。

 ところでスカパーのハイビジョン放送はビスタサイズで確かオリジナルはスコープサイズだったと思うんだけどどうだったろうか?こういう原版がHDじゃない映画のハイビジョン放送はそんなに画質の高上性も見られないからよしといたほうがいいかもしれない

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2009年7月19日 (日)

甥の慰労会とか カニクラとか

 昨日は甥の高校野球卒業の慰労会で焼肉を家族で食べに行きました。しかし先日まで野球やっていた高校生と焼肉を食べるとどこまで肉を食べ続けるのか興味がありましたが、親は心得たもので我々が酒を呑みながら肉をつっつく間に甥にはライスセット大盛りを注文しちゃんと炭水化物でお腹を満足させてしまう工夫をしていました。ただそう言うことだけではく、甥たちの世代は炭水化物がまずお腹に入らないと満足しないようでしたね。

20090719232229  今日は、大崎まで宝積有香さんの芝居を妻と一緒に観に行って来ました。宝積有香さんと川田希さん女優2人のユニット「カニクラ」の芝居は、これで2回目でした。写真は宝積さんにいただいた「カニクラ」オリジナルミネラルウオーターです。宝積さんは髪を切って、大人っぽくなるかと思ったけど、益々可愛らしくなって、キュートな感じでした。弟と喋る宝積さんの芝居は良かったです。出ている役者さんたちは皆良かったことだけは確かです。ただ、エチュード的な台詞、芝居と言うのはワーククショップで結構やったこともあるのですが、中々難しいです。特に「間」が難しい。日常の会話と芝居の台詞と言うのはやはり違うので、そこの「間」を演出や身体の表現で魅せて行くのか?そんなことを考えさせられた芝居でした。

 ただ、宝積さんのような女優さんが、いまの自分に満足せずに、これからも、こういう挑戦をどんどん続けていくのはいいことだと思います。またいつか現場でお会いで出来たら嬉しいですね。いつまでも美人女優であることを誇りに思っていって僕が老人になって、宝積さんが50過ぎてもいまのままでいてほしいです。

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2009年7月17日 (金)

短い夏は終わった

 妻と妻の両親を連れて、藤沢市にある藤沢八部(はっぺ)球場へ、甥の所属する高校の応援に行ってきました。藤沢八部球場は、藤沢駅からバスで10分ほど。神奈川国体の時に出来た地方球場ですが、暑かったせいもありましたがかなり遠く感じました。妻の両親は80歳近いので、熱中症も心配でしたが甥が3年生で高校球児にとっては最後の夏でもあったので、孫の最後の夏の活躍を見に行きたかったのでしょう。

 甥の高校は進学校で、決して高校野球が強い学校ではありません。むしろ何年も予選一回戦をクリアできない、どちらかと言うと弱い高校です。中高一貫で中学生の頃からこの学校に通う甥は、中一の頃から野球部に入部していました。僕が彼と知り合ったのは、彼が小学校4年生の頃です。妻の家族の中では野球が大好きなこの甥と僕は最初に仲良くなり、ただ一人だけ僕と妻が結婚をすることを前提に付き合っていることを知っていました。小学生の頃はキャッチボールを一緒にやったり、野球ゲームを一緒にやったり、野球カードで遊んだりしていましたが、結婚してすぐに、中学生になっていた彼とキャッチボールをやって、あまりの球の速さにもう彼のレベルではキャッチボールは出来ないなと諦めたこともありました。

 そんな彼にとって、つらかったのは去年の春先に横っ飛びでボールを捕球した歳に骨折し、一ヶ月ほどの入院と数ヶ月のリハビリをしなくてはならず、野球を諦めかけたこともあったこと。去年の予選にはベンチ入りも出来ませんでした。一度は野球を辞めようかと思ったこともあったそうですが、やはり少年時代からの夢は捨て切れなかったのでしょう。僕らも、甥の高校が全国でも最も強豪がひしめき合う神奈川県大会で勝ち進んでいくことが無理なことはわかっていましたが、それでもユニフォームを着てグラウンドに立つ甥の姿はこの目で見ておきたかった。

 そして、迎えた全国高校野球選手権神奈川県予選、第一回戦。俊足で守備が巧いけどバッティングに難のある甥はスタメン起用はなかったですが、6回から代走起用され見事に盗塁を決め、次の回に着いた守備ではヒット性の当たりをジャンピングキャッチして素早く送球し打者走者を見事にアウトに取り、次の回では打席が回ってきて、俊足ゆえに相手のエラーを誘い、この日2回目の盗塁を決めました。しかし試合の方は、残念ながら、甥の高校は8回コールドで負けてしまい、甥にとっての短い夏は終わりました。

 試合終了後、普段はクールに見える甥が涙を流しているのを見ました。それは試合に負けた悔しさと言うより、長くやってきた野球とのお別れ、チームとのお別れに対する寂しさから来る涙だったのではないかと思います。

いずれにしろ彼にとっての短い夏は終わりましたが、人生の戦いはまだ始まってもいません。これから彼には、まず受験と言う大きな戦いが待っています。でも、怪我に負けずに最後まで野球をやり通し、途中出場とは言え、立派なプレーを魅せた彼の経験はきっとこれから大人になって訪れるであろう幾多の試練を乗り越えていく糧になるはずです。そういった意味で、いい経験をしたのではないかと思います。

 

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2009年7月15日 (水)

トップを変えても

 総選挙を前に、また自民党ではトップのすげ替えの動きがあるようですが、この5年間に3人の総理大臣が代わり、そのたびに国民には投票権のない自民党総裁選なるものが行われ、新しい総理大臣が2年持たずに登場する。今までと違うのは3人の方たちが無責任に総理大臣の椅子を投げ出したのに対して、今度は選挙で負けそうだから総理(自民党総裁)を変えようと言う。麻生政権の支持率が悪いのは、麻生さん個人に対する批判票ではないと言うことがわかっていない。

 これと同じようなことをやって、崩壊しているいい例が身近にあります。我が横浜ベイスターズの監督人事です。ベイスターズは権藤監督が00年オフに退団して以降、森、山下、牛島、大矢、田代代行と実に5人の監督が就任しましたが、3年以上監督をやったものはいなくて、そのうち2人は契約途中での事実上の解任となっています。勿論、成績が最下位に沈むから解雇になるのですが、チームを編成していくフロントもこの10年で3回変わっているし、社長が3人、オーナーが3人代わっています。そのたびごとに、チームの目標が変わるから、選手の出入りも激しくなる。強いチームを拵えていくための長期的な展望も思想もない。ないのではなく、トップの首を挿げ替えてファンの目を誤魔化しているだけなので、事実上チーム方針が監督が代わるたびに変わって、さらにチームは弱体化していることに気がつかない。トップを変えるのは責任の取らせ方としては正しいのかもしれないが、トップを変えるその上の組織の思想が揺らぐから10年間で監督5人が代わり、もっと弱いチームになる。

 ベイスターズが弱くなってしまうのは、自己責任と言ってしまえばそれまでで、それでも何とか強くなって欲しいですが、自分たちの国の総理大臣がコロコロ代わってしまうのもいい加減にしてほしいと思いますね。

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2009年7月12日 (日)

第91回 全国高等学校野球選手権 神奈川大会開会式

Photo 

甲子園を目指して全国で高校球児たちの暑い夏が始まりました。我が神奈川県は191校の中から代表校1校を選ぶと言う全国最難関の地方大会です。結局は横浜高校、東海大相模などが上位に勝ち上がっていくのでしょうが、そんな191校の中の1校に甥が所属する硬式野球部もあります。そう、今日はその甥が横浜スタジアムで入場行進すると言う事で妻とともに応援に行ってきました。

 高校野球が大好きな妻にとって、甥が高校野球のユニフォームを着て、神奈川大会の開会式で山田耕作作曲による『全国高校野球選手権大会行進曲』に乗せて行進するのをスタンドから観るのは夢でありました。その夢が今日叶ったのです。甥の通う高校は強豪校ではないので、甲子園まで勝ち上がっていくことは難しいと思いますが、それでも神奈川大会の開会式に出られると言うだけで妻としては感動ものでした。

  僕も高校野球の開会式を直接観たのは初めてでしたが、やはりかなり興奮します。甲子園大会をテレビで見ていると、そこが阪神タイガースの本拠地であることをつい忘れてしまうように、今日だけは、我が横浜ベイスターズの本拠地横浜スタジアムもベイスターズの存在を忘れてしまうくらいに雰囲気ががらりと変わっていました。迫力があったのは、600人あまりの吹奏楽部の生徒たちによるファンファーレから『全国高校野球選手権大会行進曲』による演奏が始まるときです。勿論600人全員が演奏するわけではありませんが、191校の選手たちの入場行進をこの演奏で盛り上げると、感動せざるを得ません。ましてや家族の一人がその輪の中にいると言うのは物凄い感動です。僕は甥が来た時に最前列まで特攻して写真をとりまくったのですが、写真を撮り終わって席に帰ってきたら妻は感動して涙を流していました。そう言う妻を見ていると僕も何か胸にこみ上げてくるものがありました。甥は、2年生の時に練習で故障し1ヶ月以上も入院し、練習は数ヶ月ストップ。一度は野球を諦めかけていた時もあったので、こうして3年生の夏に元気に晴れの舞台を行進できると言うのは我々にとっては感慨深いものがあったのです。

 甥たちの高校はきっと予選で敗退するでしょうが、10代でしか経験できない思い出を作って欲しいと思います。暑い夏に甲子園を目指して戦った記憶を大人になっても自分の誇りとして持って行って欲しいと思います。僕は高校時代何一つ思い出に残るようなことはなくって、ひたすらに映画ばかり観続けていただけしたが、こうして晴れの舞台を踏める甥が羨ましくもありました。

 Photo 写真は夢が叶って喜ぶ妻です。

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2009年7月11日 (土)

銭形命 オンエア

 今夜BSTBSで23時から僕が撮った「ケータイ刑事 銭形命」のオンエアがあります。よろしくお願いします。

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2009年7月10日 (金)

魔酒アブサン

 渋谷の鰻屋の大和田で会食。場所は円山町でちょっと怪しい雰囲気の入り口にあるが、店は老舗の一軒家の佇まい。入り口を開けると石の叩きがあって、玄関には水をうってある。昭和そのものの古い民家風の鰻屋。注文してから捌くので、ビールを頼んでその間につまみを食す。海老を麹で漬けた塩辛のようなもので、これが酒に合う。白焼きを頼んで、白焼きが来る頃にはビールを飲み干しているので、今度は酒を頼んで、冷酒で白焼きを食べる。わさび醤油で食べる鰻も美味い。日本酒にたまらなく合う。その酒が尽きて、白焼きがなくなる頃にうな重が来る。重箱に1本半ほどの蒲焼が入っているのだが、柔らかくて甘くて絶品だった。こういう食事をお座敷の個室で卓を囲んで食べていると小津の時代の中村伸郎とか北竜次のようなえらいさんになった気分になる。渋谷の喧騒が嘘のような静かな佇まいが素晴らしい。この場所代を考えても充分安いと感じる。

 食事の後は、近くの30CLUBと言うバーに行き、アブサンを飲む。フランスでは体の害になるからと、数十年にわたって禁止されていた魔酒だ。山田風太郎の「明治波濤歌」の中の一編「巴里に雪が降るごとく」の中で、ポール・ヴェルレエヌが身を持ち崩して常飲している「魔酒アブサン」と表現されている酒だ。リキュールで、僕が大好きなペルノに味が似ているなと思ったら、バーテンが「ペルノ」は「アブサン」が発売禁止になった後でその味を恋する巴里っ子のために、「アブサン」の中でも身体に害毒があるとされていた「ニガヨモギ」の成分を取り去って作られたものであると言う。ちなみにペルノは40度で、「アブサン」は55度。復刻された「アブサン」も、この「ニガヨモギ」の成分は入っていないようで、それゆえ発売が可能になったとのこと。僕らはこの「アブサン」と「ペルノ」を飲み比べてみたが、味は非常に似ているが、「アブサン」の方が口当たりがよく、アルコール度数が高い。つまり調子に乗って呑みすぎるとたちまち「魔酒アブサン」に変貌するかのごとくに、悪酔いしてしまうのだ。それでも、「アブサン」は美味かった。渋谷でもこんなに落ち着いて呑んだり食べたりするところがあるのは嬉しい。

 この「30CLUB」20年前に長崎俊一監督と「誘惑者」と言う映画が東京国際映画祭でさくらシルバー賞を受賞した日に、2人でバーボンを呑んだ思い出の場所でもある。「誘惑者」は長崎監督にとっても代表的な作品であったが、僕にとってもこれより数年前に遡って長崎組の助監督をやるきっかけになった映画でもあり、それからの4年間長崎監督に着いて「誘惑者」の実現に命をかけていた作品でもあったのでその受賞は何よりも嬉しかった。

 そして、「誘惑者」で知り合った俳優こそ、一生この人と仕事をして行こうと約束をした草刈正雄さんだった。

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2009年7月 9日 (木)

あらくれ 成瀬

今日は本当は「剣岳」とか「コネクテッド」の試写とか観に行く予定だったのだけど、もうすぐ母が亡くなって1年経つのでそのためのいろいろな段取りとかを電話やメールでしているうちに雨が激しくなってきて、映画を観に出かけて行こうと言うモチベーションが下がってしまう。梅雨は本当に苦手。この季節を毎年乗り切れない。この間の仕事が終わって、脚本上がり待ちになっているのだけど、この天候は精神的にきついです。先週までは撮影だとか編集だとかで梅雨とか言っていられない状態だから良かったのだけど、こういう天候で家にいると激しく気持ちが萎えて行く。

 と言うわけで、そう言う萎える気持ちを払拭するためにも、HDに録り貯めてあった成瀬巳喜男の「あらくれ」を観る。やはりこういうときは静かに成瀬の映画を観るに限る。それにしても主人公のキャラクターも、映画の展開も激しい映画だった。成瀬映画の中でも、ここまで次から次へと物語が展開していく映画も珍しいんじゃないだろうか?とにかく場面が変わると必ず主人公の境遇が変わっていて、それがいちいち中古智の美術が素晴らしいオープンセットから始まって、しかも単なる実景ではなく、いくつか積み重ねられた外景の最後には必ず主人公か、主人公に影響を及ぼす登場人物のロングショットになっている。例えば加東大介の登場シーン。加東大介の登場から、映画は新たな展開にうねり始めるんだけど、情報としては時代が代わり「戦争が始まった」と言うことがロングの実景でわかり、そこに新たな登場人物としての加東大介がさりげなく登場し、室内へ入ったところで初めて高峰秀子が東京へ戻ってきていることなどがわかる。しかも室内へ入って最初の寄りは、居候先の沢村貞子の寄り絵が最初だ。凡庸な脚本と演出なら、ここまでの間にもっともっと説明の為のカットを撮るだろう。しかし、加東大介は実景の点景として現れ、やがて徐々にその姿と顔、そして生業やキャラクターと言ったものがわかる仕組みになっている。これはそれまでのシーンで徹底されていて、例えば田舎の旅館の主人の森雅之の登場カットも、高峰秀子が新たに働いている旅館の点景の中にさりげなく登場させている。物語や主人公のキャラクターが激しいだけに、こういうさりげない表現方法は非常に映画を観やすくさせている。同じ物語を、例えば増村が撮っていたとしたら、かなり辟易とさせられる映画になったと思うが(それはそれで絶対に魅力だったろう)、成瀬は静かに、しかし着実に物語を進行させていく。いろいろ自分が撮ってきたものを省みると、いつも反省させられるのが成瀬巳喜男の映画だし、モチベーションが上がるのも成瀬巳喜男の映画だ。作劇と言う点でも、俳優の芝居の点でも、上記にあげたようなカット構成による端正な画面作りにおいても「あらくれ」は非常に優れた映画だった。

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2009年7月 8日 (水)

97歳始球式

 昨日PVのプロデューサーからメールを戴いて、スポンサーさんも喜んでいたとのことを伝え知ってほっとする。やってよかった。いい仕事したと思っていても、発注本が微妙な反応だとやはり成功したとは言い難く。僕は心が痛むことが多いので、今回のように初めて仕事をしたところで喜んで頂けたのは大変嬉しかった。

 ところで、昨日は東京ドームでプロ野球OB最高齢の前川八郎さんが始球式を行ったが、これは良かったですね。97歳なのでもうよろよろはしていたけど、確りとマウンドからボールを投げることが出来て、先日のAKBの始球式よりは見ていて感慨深いものがありました。MLBの始球式と言うのは、こういう球界に尽くした方へ尊敬をこめての始球式が多いのですが、NPBも野球そのものを盛り上げていくならこういう始球式はどんどんやるべきだし、ファンにとっても嬉しいところではないでしょうか。

 ただ、選手にとっては女性アイドルや有名タレントが来た方がやはり嬉しいと、或る選手から直接聞いたことがありますから、うまく織り交ぜてボールパークを盛り上げて欲しいと思います。

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2009年7月 7日 (火)

supercell 君の知らない物語 と 福永マリカ

先日まで撮っていたドラマPVですが、ソニーミュージックから発売されるsupercellの「君の知らない物語」と言うファーストシングルのビデオクリップでした。詳しくはこちら

http://www.sonymusic.co.jp/Music/Arch/SR/supercell/index.html

supercell はニコニコ動画にアップした楽曲の再生回数が2.000万回を越えるネット発のユニットで、今回はミュージシャンの出演はなく、全て俳優たちだけによるオリジナルショートフィルムのようなドラマPVでした。

Photo

20090626181528 主演は福永マリカちゃん。僕の作品ではこれで三度目となる主役です。共演は田辺修斗君と北出菜穂ちゃん。北出さんは本日放送となるBSTBSのカルピスのドラマで共演した妻からの推薦を受けてのキャスティングでした。内容は田舎の高校生たちの切ない青春恋物語です。この「君の知らない物語」と言う曲は「化物語」と言うアニメの主題歌にもなっていますが、本当にいい楽曲なんですよね。この楽曲を僕が聞いて、自由にイメージした脚本で物語を創ったのですが、本来音楽PVだから歌詞と映像を常にリンクさせていくのが常套なのでしょうが、今回はあくまでドラマ性を重視して、確りとした脚本を創って物語を構成し、曲の流れとドラマの流れを出来るだけ一致させながらも、独立したショートムービーとしても成立させていこうという中々難しい演出方法をとりました。予算も通常のビデオクリップの倍の予算をつぎ込み、二日間で5分のPVを撮ると言うちょっと贅沢な撮り方になりました。と言うことで1カット1カットのクオリティはかなり充実しています。

しかし、なんと言っても今回のMVPは福永マリカちゃんでしょう。正直、僕が想定していた以上の表現力でこの曲の世界観を見事に体現してくれたと思います。切ない時に浮かべる寂しい、物悲しい表情はいままでの福永マリカにはなかった最高の表情をしてくれましたし、その表情を「打ち上げ花火 下か見るか横から見るか」の金谷カメラマンが「こういう世界観は一番やりたいことなので絶対に頑張ってみせる」と言ったとおりのレンズワークで魅せてくれています。金谷カメラマンは、こういう繊細なセンチメンタルな少年と少女の恋物語を美しい風景の中に置いて撮らせると本当に素晴らしい力を発揮します。

このドラマPVは是非多くの人に観て欲しいと望みます。そして福永マリカの新しい才能に是非触れて欲しいと思います。編集中のクリップを見ながら妻は彼女の切ない表情を見て自然に涙が出てきたそうです。仕上げに関わった何人かのスタッフもたった5分のPVなのに、感動してくれている人たちが何人もいて、いままで自分が撮った作品の中でもこういう現象は初めてだったので、ちょっと驚いていますが凄く嬉しいです。

勿論、共演の北出菜穂ちゃんは、ピュアで無垢なライバルを好演してくれたし、田辺君もこの2人の間で揺れ動く少年の姿を繊細に演じてくれました。

812日に「君の知らない物語」はソニーミュージックからシングル発売され、このビデオクリップはその初回限定盤に同梱される予定です

Music 君の知らない物語(初回生産限定盤)(DVD付)

アーティスト:supercell
販売元:SMR
発売日:2009/08/12
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2009年7月 4日 (土)

PVカラコレとか成城レッスンとか

昼はミュージックPVのカラコレで練馬の編集室へ行き、途中まで見届けて、夕方から成城学園へ行き妻と合流して、久々の個人レッスン。僕が撮影が2本重なっていたので、一ヶ月ぶりくらい。今日は「マクベス」を題材にレッスンを行ったのですが、やはりこういうレッスンは俳優さんたちにとっては大事だとつくづくと思いました。俳優を志す人は最低限シェークスピア劇の台詞をきちんと言いこなせるようなレッスンを積み重ねて欲しいものだと思います。野球で言えば「走りこみ」ですね。シェークスピアの台詞は難しくって、かつ舌を鍛えるには何より大事です。自分が演じる映画やドラマの役のレッスンだけでは、やはり付け焼刃にしかならないので、普段の練習で古典を題材に芝居を鍛えて欲しいなと、これは俳優事務所の人たちにも是非実践してほしいと考えます。昔は映画俳優がニューフェースで映画会社にスター候補生として入社しても、必ず俳優座や文学座と言った新劇の劇団に研究生として行かされたようですし、去年亡くなった峰岸徹さんは一度東宝青春映画でデビューしながら、自らの実力のなさに気がついて、そこから新劇に入りなおして大映で再デビューしたと聞きました。昔は、撮影所システムと言うのが確りしていて、そういった育成システムが確立されていましたが、現在は俳優を抱える俳優事務所か乃至は俳優本人たちが意識を高めて、自分で頑張らなくてはならないのではないかと思われます。

基本が確りしていないと壊していく芝居も面白くなるわけがありません。野球の投手が変化球を有効に使うためにも「アウトコースの低めに真っ直ぐを投げられる」と言う基本中の基本が出来ていないとたちまち打ち込まれてしまうように、芝居もこうした基本中の基本が出来てこそ「新しい発見や実験」と言ったことが出来るようになるのではないでしょうか。

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2009年7月 2日 (木)

編集直し とか

 練馬の編集部へ出向いて、昨日のスポンサーチェックを受けての編集作業。淡々と粛々と、編集の大永氏と大映映画と溝口健二の関係などについて語り合いながら直す。一度直すとそこが気になって、短いので何度も再生しているうちに段々感覚が麻痺してくる。編集にはまると一度は必ずなる麻痺症候群だ。こうなってくると作業が段々面白くなくなってくる。映画は原初的な初動の欲望に忠実であるべきなので、5分の短編ではそろそろまとめあげる潮時かもしれない。あとは金谷氏がうまくカラコレで色調整をやってくれるだろう。

 ところで、そのまんま東が入閣するのしないの、とかマスコミは大騒ぎをしていたがどうやらそんなことはなさそうで、少しは自民党にも良心が残っていたかと安心する。もうすぐ選挙に突入するのは確実だが、もういい加減「劇場型」の政治はやめてほしい。政局は別につまらなくたっていい。エンタティメントではないのだから、確りとした政策論議で各党が切磋琢磨し、投票する方は「自分たちが本当に望む社会を実現してくれそうな人、党」を念頭において投票しなくてはいけないと思う。イメージ戦略や、ネームバリューだけで投票行為を行うのは危険なことだと思う。そういった意味でそのまんま東を担ぎ出して、小泉時代の劇場型選挙の復活を行う愚挙だけは避けられて良かったかなと思うが、今後はどうなるのかはわからない。少なくても我々は各党のマニュフェストを吟味してから投票に行かなくてはならない。が、いまは民主党も自民党もあまりに思想が違う人たちが党利党略のために烏合している集団に見えてしまうので、早く政界再編とやらで、自民と民主の志を同じくする人たちで新しい党を作るべきではないかと思う。マスコミがよく言う「ガラガラポン」と言う奴だ。ただまあ、それぞれに利権やしがらみがあるからそう簡単にはいかないんだろうなあ。ただこのままでは、比例代表で投票したい党がないのも事実なのだ。

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スポンサーチェック

 今日はドラマPVのスポンサーチェックを市谷の某社で。いくつか修正点を挙げていただいたが内容的な問題は殆どなくてルックの問題だけだったので、明日の編集直しで数箇所いじれば終わりそう。作品の流れが変わらなくて良かった。ドラマPVと言うのは、ドラマではないし、かと言ってミュージシャンを撮るミュージックビデオでもないので、いくつかの説明カットの扱いなどその匙加減が中々難しい。流れを止めて曲のリズムやテンポに合わなくなってしまうと中々集中して見ることが出来なくなるからだ。このジャンルはこれから増えていくような気がするが、いまはまだ過渡期で表現のセオリーも決まっていないからいろいろ実験できて面白いのだけど、映画やドラマでもいつも問題になる「どこまでわからせてどこまで隠すのか」は今後もいろいろ課題となってくるであろう。

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