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2009年7月 9日 (木)

あらくれ 成瀬

今日は本当は「剣岳」とか「コネクテッド」の試写とか観に行く予定だったのだけど、もうすぐ母が亡くなって1年経つのでそのためのいろいろな段取りとかを電話やメールでしているうちに雨が激しくなってきて、映画を観に出かけて行こうと言うモチベーションが下がってしまう。梅雨は本当に苦手。この季節を毎年乗り切れない。この間の仕事が終わって、脚本上がり待ちになっているのだけど、この天候は精神的にきついです。先週までは撮影だとか編集だとかで梅雨とか言っていられない状態だから良かったのだけど、こういう天候で家にいると激しく気持ちが萎えて行く。

 と言うわけで、そう言う萎える気持ちを払拭するためにも、HDに録り貯めてあった成瀬巳喜男の「あらくれ」を観る。やはりこういうときは静かに成瀬の映画を観るに限る。それにしても主人公のキャラクターも、映画の展開も激しい映画だった。成瀬映画の中でも、ここまで次から次へと物語が展開していく映画も珍しいんじゃないだろうか?とにかく場面が変わると必ず主人公の境遇が変わっていて、それがいちいち中古智の美術が素晴らしいオープンセットから始まって、しかも単なる実景ではなく、いくつか積み重ねられた外景の最後には必ず主人公か、主人公に影響を及ぼす登場人物のロングショットになっている。例えば加東大介の登場シーン。加東大介の登場から、映画は新たな展開にうねり始めるんだけど、情報としては時代が代わり「戦争が始まった」と言うことがロングの実景でわかり、そこに新たな登場人物としての加東大介がさりげなく登場し、室内へ入ったところで初めて高峰秀子が東京へ戻ってきていることなどがわかる。しかも室内へ入って最初の寄りは、居候先の沢村貞子の寄り絵が最初だ。凡庸な脚本と演出なら、ここまでの間にもっともっと説明の為のカットを撮るだろう。しかし、加東大介は実景の点景として現れ、やがて徐々にその姿と顔、そして生業やキャラクターと言ったものがわかる仕組みになっている。これはそれまでのシーンで徹底されていて、例えば田舎の旅館の主人の森雅之の登場カットも、高峰秀子が新たに働いている旅館の点景の中にさりげなく登場させている。物語や主人公のキャラクターが激しいだけに、こういうさりげない表現方法は非常に映画を観やすくさせている。同じ物語を、例えば増村が撮っていたとしたら、かなり辟易とさせられる映画になったと思うが(それはそれで絶対に魅力だったろう)、成瀬は静かに、しかし着実に物語を進行させていく。いろいろ自分が撮ってきたものを省みると、いつも反省させられるのが成瀬巳喜男の映画だし、モチベーションが上がるのも成瀬巳喜男の映画だ。作劇と言う点でも、俳優の芝居の点でも、上記にあげたようなカット構成による端正な画面作りにおいても「あらくれ」は非常に優れた映画だった。

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