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2009年9月

2009年9月30日 (水)

ファイナルデッドサーキット 3D

 イマジカの第2試写室で「ファイナルデッドサーキット 3D」を観賞。

 「ファイナルデッドサーッキト」は言わずと知れた「ファイナルディスティネーションシリーズ」の4作目。監督は2作目の「ファイナルデッドコースター」を監督し「セルラー」とか、ここでもレビュー書いたこともある「スネークフライト」などと言う傑作サスペンスリラーも撮っているデヴィッド・R・ハリス。「セルラー」はともかく、結構悪趣味で魅せる壷を抑えている職人気質の監督だが、この4作目も充分に楽しめた。基本的に「ファイナルディスティネーションシリーズ」の楽しみと言うのは、いかにして不可抗力の力が人間を残酷に死に至らしめるかと言う作り手側の原初的な欲望を、いかにダイナミックに映像的な演出で見せるのか?と言うことで、ドラマ性を廃して、殺され方見本市の羅列が楽しい。3作目とか、この不可抗力の「死神」と闘おうというドラマ性を持ち込んできたりして、それが逆に映画の魅力を半減させることにもなっていたのだが、4作目は1作目への見事な原点回帰。しかも3Dで、肉片は画面からこっちへ飛んでくるは、鋭利な刃物もどんどん目の前に来るから「先端恐怖症」とかの人は観るのをやめておいたほうがいい。みもふたもないラストの小気味よさも含めて、84分と言う実に効率的なB級映画らしい物語の経済学を考えた映画だった。それを画質、音響ともに最強の「イマジカ第2試写室のデジタル3D上映」で観られたのは楽しかった。気分転換には最高の映画でしたね。「ファイナルディスティネーションシリーズ」そのものがイベント映画の要素が高いので、そこに3Dを持ち込んだプロデューサーの勝利といえるのかも知れない。基本的に3Dで観ることを前提にしたカットが多いので3Dで観ないとしらけてしまうこともあると思うので、もし劇場公開の折に両方選ぶということなら絶対に「3D」での観賞をお薦めします。

 映画終了後は、試写室で落ち合った某人と一緒に今日も目黒のラクシュミーでネパール料理を食べながらラッシー主体のカクテルを呑みながら映画の話や政治の話など。業界人同士が話し合うと暗い話も多いが、前向きな話や新しい企画についても話すことが出来たので楽しかった。世界的に経済が苦しいのは承知なので、その中でいかに自分たちの力が発揮できるが、幸いまだ我々には長年培ってきたスキルと行動力があるから遊んでいないで頑張らねば。

 

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2009年9月28日 (月)

あたふた

 先週からあっという間に1週間ですね。この1週間も成城へレッスンへ行ったり、打ち合わせあったりといろいろあったのですが、やはり待っていた脚本が上がってその脚本を読んで修正箇所をメールで送ったり、またこのうち返しが早いのでこの間他に何かすることも出来ず、何度もやりとりしているうちにどんどん日々が過ぎていく感じです。今日も1本試写を観に行こうと思ったらすぐに直しが送られて来て、見逃してしまったし、土曜日も結局映画観に行く予定がいけませんでした。こうして毎日家に篭って仕事しているとなんだか重たい気分になってしまいます。今日も集中力欠如で料理に失敗して自信をなくしてしまいました。明日は最終的な直しが上がってくると思うので、脚本提出して、「ファイナルデッドサーキット」の試写でも観て、夜は会食だから少しは気分転換になるかな?

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2009年9月25日 (金)

千葉市長の意見

http://kumagai-chiba.seesaa.net/article/128640268.html

 千葉市長、熊谷俊人さんのHPですが、公人である地方の市長が世間で賛否両論ある問題に対して自分のブログで独自の見解を述べるという姿勢は中々勇気がいることだと思うが、これから地方分権の時代になっていくとすれば熊谷市長のような姿勢は大事でしょうね。僕自身は敢えて、中止の結論あり気で望む新政権の国土交通省のやり方に必ずしも賛成するものではありませんが、「多額の費用を投入したからもったいない」ということで建設を支持するというのもどうだろうと思ってしまう。この問題に関してはマスコミももっと群馬の治水のあり方について報道し、八つ場ダムが治水上群馬県にとって必要かどうかをまず議論すべきだろうと思う。

 それにしてもこの市長はコメント欄まで解放して、こういう意見を述べるのはたいしたものだ。僕なんかエロサイトの宣伝コメントの大量投稿でもうめんどくさくなって閉じてしまったものなあ。コメント欄はエロサイトの攻撃が大人しくなったらまた開きます。

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2009年9月22日 (火)

ラジオ出演とか スウイートホームとか

 昨日は昼からFM川崎に出演して映画談義や政治談議。でも本来の目的は「女子大生会計士の事件簿 DVD」の宣伝。あっという間に時間が過ぎてしまった。帰ったら「女子大生会計士の事件簿」の宣伝と言うより、小出早織ちゃんのことばかり誉めていたと妻に指摘される。神奈川県在住の小出早織ファンには喜んでもらえたかな?

 帰ったら、レンタル落ちの「スウイートホーム」のVHSが届いていたので、ブルーレイコーダーにダビングしながら観る。ほぼ全カット、どう撮られいたか鮮明に記憶が蘇ってきた。殆ど思い出したくないことも多かったが、やはり面白かった。クランクインの初日ファーストカットどのカットから撮ったとか覚えているもんなあ。あと、削られてしまったカットも。撮影はほぼシーンナンバーに近い順番に撮影されたので、前半ほどに初期の黒沢清監督の映画らしいカット構成になっているのがわかる。トップカットの宮本さんのカットなんか「ドレミファ娘の血は騒ぐ」の洞口さんのトップカットそのものだもんなあ。持っているのがカセットレコーダーとラジオの違いだけで。それだけじゃなくて、オープニングの役場のシーンの益岡徹と三谷昇のやりとり、これもどう見ても黒沢清映画そのもの。どこか砂漠の辺境の向こうに館があるというデタラメな設定なのだが、この役場は日活の近くの古い小学校を飾って、窓を全て黒沢さんの好きな赤い色の布で窓を覆って外を隠し、外のシーンは浜松の砂丘で撮った。この窓外の布をプロペラ送風機を持ってきて、大袈裟に揺らせて不安感を煽り立てているのだけど、その赤い布が窓外を揺れている画面構成は今でも黒沢さんは好きなのではないかなと思う。

 中盤以降、伊丹さんがビデオ版で導入した合成カットはやはりうまく行っているとは思えなかった。演出意図と違うものを無理やり合成してもなと言うクオリティになっているのが残念。NOKKOが古いスライド映写機をいじっているとスイッチが入ってしまい、画面に生前の間宮夫人が映し出せるのだけどやがてフィルムが焼けて無気味な溶けていく画面になる。映画ではそこまでだったのが、その溶けていく画面に無理やり怪物になった時の恐ろしい間宮夫人の顔が一瞬映るんだけど、これが全然怖くないのは、間宮夫人のカットを無理やり他から持ってきてオプチカル合成しているためだが、例えばCGを使ってもこれはうまく行かないだろうとは思う。なぜなら間宮夫人の顔は、本来そこに使うために撮られたものではないので、怖くないのだ。それから、一度救出したはずのNOKKOの顔が間宮夫人に変わってしまうところも、無理やりNOKKOの顔に間宮夫人の顔を合成している。このカットは、当初四谷怪談風に撮られていたと思う。つまりNOKKOの顔と宮本さんの顔をカットバックさせ、あるカットから同ポジでいきなり怪物になっている。と言うものだったが、これも何が起こったのか観客にはわからないだろうと言うことで、今の合成になったとのだと思う。

 このあたりの行き違いは黒沢さんがあくまで、ホラー演出に拘ったのに対して伊丹さんはアメリカ冒険映画的ジュブナイルに拘り「アメリカ映画に見慣れた子供たちにも楽しめる映画」を志した、そこの差だと思う。黒沢さんの演出はホラーとしては間違っていなかったと思うが、東宝の正月第2弾映画として伊丹プロの持ち枠だった全国公開の娯楽映画と言うことを考えると、お互いにいい落としどころがもっと早期に見つかっていれば、この問題は乗り越えられたのではないかと思うと、非常に悔しい思いも残った。この映画の直前に黒沢さんが撮った「危ない話」の一編の時に、黒沢さんは「日本映画でもスピルバーグをやれるはずだ。スターウオーズは出来なくても、「激突」や「ジョーズ」は演出次第で絶対に出来る」と志を抱いていた。このスピルバーグと言う作家の定義が中々難しいから、伊丹さんもそこには絶対に黒沢さんと共鳴するものがあて「スウイートホーム」を企画したはずなので、いろいろと現場の成り立ちからうまくいかないことが多くなっていったは残念だった。僕はこの原因が、伊丹さんが当初からプロデューサーには徹することが出来ず、やはり監督としての目で作品に向いていたことが大きかったのではないかと思う。準備の頃、伊丹さんはやはり黒沢さんに対して当初は遠慮がちになっていたことがあった雰囲気があったと思う。それが現場が始まり、具体的な撮影が始まっていくと、自分が考えていたものとちょっとこれは違うぞ、と言うことになり黒沢さんを結果的に追い詰めることになったのではないかと思う。もっと脚本段階でプロデューサー的視点で監督と対峙して、駄目なものは駄目。これじゃメジャーの東宝映画では通用しないよ。と言う一言があれば、最初は監督の心が多少は傷ついても、それでも向いていく方向が一緒であれば、いろいろな問題は回避できたかもしれなかった。伊丹さんが準備中に「監督と言うものは孤独なものです。カットをかけた瞬間味方は誰もいない。そんな時に、後ろで一人だけ味方になってくれるのはプロデューサーだけなんです。越さん(細越さん)はそう言う人だったねえ」と述懐していたのを聞いたことがあったが、伊丹さんも本当は細越さんのように黒沢さんの味方になりたかったのではないかと今にして思う。ただ、伊丹さんはプロデューサーには成り切れなかった。役者で参加してしまったのも良くなかったのかもしれない。

 僕は「スウイートホーム」が日本映画で成功していれば、映画の歴史が少しは変わったかもしれないと思うので、その後の裁判も含めてああいう結果になってしまったことが本当に残念だったと思う。

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2009年9月21日 (月)

再会

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 昨日は昼間はジムで汗を流し、夜は目黒で「女子大生会計士の事件簿」の原作者山田真哉先生と食事会。撮影から丁度1年経って、実は完成してから一度もお会いしていなかったので、いろいろとお話がしたかったのでいい機会でした。僕自身はあのシリーズには結構思い入れがあって、その分自分自身でも演出的に不満が残る部分も多かった仕事なので原作の山田先生の意見とか、素直に監督として聞いてみたかったのです。この業界って一度仕事をして、次に何か具体的な利益に繋がらないと人と人の交流ってなくなってしまうのが凄く勿体無いと思うんですよね。やはりものづくりの原点は人と人の関係が大事なのではないかと思うので、何か新しい仕事にすぐに繋がらなくても一度出来た関係は大事にしなくちゃいけないのではないかと思うのです。と言うわけで、反省会も踏まえつつ実はほとんど雑談でした。で、山田先生が実は野球好きだという事がこの時にわかって、同席していた妻と高校野球の話で盛り上がったりとか、意外な面がわかり、やはり仕事の中だけで話しているときには出来ないお互いの面を確認できてとても楽しかったです。

 さて、今日は川崎FM「岡村洋一のシネマストリート」で生出演です。14時から神奈川方面の方は是非エアチェックしてみてください。79,1MHZですのでよろしくお願いします。

 どうでもいいけど「再会」と打ちたくて「さいかい」と打つと「最下位」と変換されてしまうのが悲しい。来年は頑張れよベイスターズ!

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2009年9月20日 (日)

Panasonic NV-SB800W と「木洩れ日の中で」

 Panasonic NV-SB800Wと言うSVHSバブルデッキをようやく手に入れる。本当にVHSを見るのにここまで苦労するとは思わなかった。が、苦労した甲斐はあり、いくつかのVHSビデオをブルーレイレコーダーにダビングしたが、この解像度のよさが半端ではないくらいによい。リビングの大型液晶テレビで再生しても色むらも出ないし、TBCのおかげで輪郭補正が確り利いていてスカパーのアナログ放送の解像度よりよいかもしれない。こう言う名機は大事に使わないといけないな。まあ当然中古格安物件なのでいつ故障してもおかしくはないと思うが、それまでに持っているVHSの素材をどれだけHDDに貯め込めるか・・・。

 と言うわけで先月青山から推薦されたビクター・ヌネッツの「木洩れ日の中で」と言うピーター・フォンダ主演の映画をようやく観る事が出来た。映画はアメリカの田舎街を舞台にした家族を守る養蜂家の老人の話。これが実に抑制が利いた丁寧な演出で、特にピーター・フォンダが素晴らしい。この映画でアカデミー主演男優賞の候補になったり、ゴールデングローブ賞の主演男優賞を貰ったのも頷ける。ドラマチックで、たいした事件もなく淡々とした老人の日常が描かれるのは、日本のインディーズ映画にもないわけでもないが決定的に違うのは、映画の語り口が70年代の初頭のアメリカ映画の香りがするところだ。例えば同じピーター・フォンダの「怒りの山河」の主人公が若い時に悪党を蹴散らした跡に静かに暮らし始めているような、言葉を変えるとかつての「許されざる者」のガンマンが田舎で不器用に生きているようにこの主人公も、ベトナム戦争で失った半身を引きずって片田舎で暮らしている。

 70年代、ベトナム戦争帰りの主人公がアメリカの田舎に帰ってきて、そこで悪党を殲滅する。と言うちょっと歪んだ心理の主人公が活躍する映画が一つのジャンルを形成していた。代表作は「ローリングサンダー」だろうが、ベトナムを理由付けしなくても、先に挙げたジョナサン・デミの「怒りの山河」だとか、ジョン・フリンの「組織」だとか、黒沢清命名するところの「アメリカ殴りこみ映画」とでも言うべき作品群があり、。主人公はマッチョな男たちではなく、どちらかと言うと心に傷を負い、戦争や都会から逃げて帰ってきた男たちが主人公だった。そう言うキャラクターを体現する時、ピーター・フォンダと言う俳優は実にはまった。そして、アメリカの映画の中でどの時代の映画が一番好きなのか?と、問われた時に真っ先に答えるのが、僕にとってはこのアメリカの田舎を舞台にした殴り込みアクション映画だった。

 「木洩れ日の中」の主人公はもう肉体を使ったアクションをすることはない。ただ、自分の家族を守るという一点において、ピータ・フォンダ演じる初老の男の孤独な戦いぶりはかつての、ベトナム帰りの翳りのあるアクションヒーローそのものだった。

 スタローンとシュワルネッガーの登場でアメリカアクション映画のヒーローたちが再び「強さ」を取り戻したが、70年代「弱いアククションヒーロー」がいたことを記憶にとどめておきたい。共和党型ヒーローがスタローンやシュワルツネッガーだったとしたら、ピーター・フォンダは民主党(アメリカの)的ヒーローだったといえるかもしれない。

 青山に映画を推薦されると大体こういう映画が多い。「ラストショー2」とかね。そして大体外れない。

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2009年9月17日 (木)

抜歯

 いま2本歯を抜いてきました。思った以上に傷が深く身体に負担が大きかったので、絶対安静を言い渡される。しかしこれでようやく悪い歯はすべて口の中から去っていった。虫歯は早めに治さなくてはいけないですよね。と言うか虫歯予防が大事。今日は終日おとなしくしていることにします。

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ハマスタでPV出演

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 朝早くからドリマックスの企画をメールで何回かやりとり、思いはたくさんあるけど中々時間がないことを痛感。

 鈴木浩介から連絡があって、横浜スタジアムの対ヤクルト戦中にPVの撮影をやるのでただで野球を見せてやるからエキストラ出演してくれ。と言うので奥さんと一緒に駆けつける。他のエキストラさん用に自前のグッズまで持っていってあげたのだよ。撮影はいつ始まったのか終わったのかわからないまま、妻と2人ユニフォーム姿に着替えて普通に応援。しかし負けて腹が立つ。そのあと、鈴木浩介と妻と3人で石川町のビスコンティまで移動してワインを呑みながら食事。まあビスコンティでうまいピザ食べられたから良かったか。

ところで監督はハマスタ内野席上方から球場の広さとナイターらしさを強調するように照明灯を入れ込んだ俯瞰映像を撮りたかったようなのだが、球団としてはその角度で撮ると結構空席のオレンジ色が目立ってしまうので、座席を変えて欲しいみたいなお願いをしてきたけど、平日のヤクルト戦では難しいよなあ。とにかく横浜ベイスターズのような球団は昔の阪神のように弱くても動員力ある球団ではないので、強くならないと入場者数は絶対に増えない。僕は、弱くて客が少ない時代から、優勝前後相当に並ばないと入場できなかった時代、そして近年の最弱時代と知ってるけど、優勝争いに絡んでいけば絶対に観客数も伸びると言うことはこの目で見て来た。だから、なんとか強いチーム作りをしてほしいと改めて思ったのでした。

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2009年9月15日 (火)

サブウエイ123

 トニー・スコットが監督した「サブウエイパニック」のリメイクと言うのは予告段階からかなり期待感溢れるものだったんだけど、予想に違わない傑作だった。なんでオッサン2人が無線でやりとりするカットバックだけで映画がこんなにも面白くなるのか?本当はあんまり好きではないコマ飛ばし&コマ伸ばし多用の可変速編集そんなに気にならないのか?初期のトニースコットはこの技法が目に付いてやはり好きになれなかったのだけど、ある時期からこういう技法を丸呑みしても面白い映画を創ってくれるようになった。青山は「リベンジ」と言う映画で最初にトニースコットを評価していたと言っていたが、やはり「トップガン」だとか「ハンガー」の頃は評価できないと言うことで一致したが、やはり可変速の編集など映画にとってはどっちでもいい、まあ強いて言えば好みの問題にしかならず、映画の芯を貫く強い意志の方が重要なのだなと思った。映画に対する思想とでも言い換えればいいのかな? 手法とか技法は数こなせばいろいろな手は考え付くし、実験も出来れば、成熟もするのだけど、映画にとってはそれはそんなに大きなことではない。例えばテレビドラマは役者の寄りが多く、カットが細かく、映画は長回しで引き画が大事、とか学校では教えられたりして現場に来る人が多いけれど、昨日の「サブウイエイ123」は俳優のアップだらけで、カットも恐ろしく細かいけど面白かった。では「サブウエイ123」は映画的ではないのかといえば、それは違う。それは映画のカラーを決定付けるものになるかもしれないが、どっちでもいいことなのだ。「サブウエイ123」を傑作にしているのは、犯罪者としてのジョン・トラボルタのキャラクターと、その物理的な動かし方だ。一方、それを際立たせるために与えたデンゼル・ワシントンの無個性な芝居作り、それを際立たせるような座り芝居。結局映画は同時間軸の中で行われる犯罪の現在制に観客が乗っかって、ジョン・トラボルタの犯罪を味わって、怒ったり、ハラハラしたりしていくのを楽しめばいいのだから、その手法はなんでもいいことになる。

 あるドラマの編集中にある製作会社の若いディレクターが編集技法のことばかり聞いてきたことに対して、僕はあんまり愉快じゃない感情を抱き、それが何が原因なのかその時はよくわからず、それはあんまり重要な問題でもなく、これは家でノンリニア編集機でも買って編集やってれば誰でも身につくレベルの話なので大事なのは、登場人物がいかに魅力的にドラマの中で動くかと言うことなのではないかと言う話をしたことがあったが、それと同じことを「サブウエイ123」を観て感じた。映画、ドラマにとって何が一番重要なことであるのか?これをもっと恣意的に作り手は考えて行かなくてはいけないと思う。それほどに、観る人の心を映像を使って動かすと言うのは大変なことなのだ。

 黒沢清監督はある映画講義の中で映画とは「それは世界を撮る事である」と言っていたが、その世界をどう撮るのか?も重要だが、どうやってその世界を再現し構築していくかが大事なんだと思う。

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2009年9月13日 (日)

なんだこのルール 川崎無情

 川崎と鹿島の首位決戦が後半の74分を過ぎたところでノーゲーム。点数や個人成績はリセットっておいおい。野球なら5回を過ぎた段階で試合成立コールドゲームとなるがサッカーはこんなルールなのかあ。これは非常に納得できない。せめて点数そのまま、74分過ぎから再試合出来ないものなのか?審判団も配慮がなさ過ぎる。あと15分続けられなかったものなのかねえ。僕は熱心なサッカーファンではないが、フロンターレの選手はよく地元の商店街のイベントに来てくれるから思い入れはある。本当にこんなことが許されていいのか?

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2009年9月12日 (土)

映画秘宝 山城さん追悼文とかレッスンとか

 昨日は映画秘宝の山城新伍さん追悼文を書き上げて送信。「スウイートホーム」の現場秘話など、ブログでは書ききれないものを山城さんへの追悼とともに怨念を持って書いていたら思わぬ長文となってしまい、改めて依頼された字数にリライトしたが、どうしてもこの長い文を誰かに読んで欲しくてとりあえず長文のほうも併せて送信したら、こっちの方が絶対面白いのでデザインを変えても掲載したい。と言う返事をいただいた。僕も、助監督を休業して映画のパンフレット作りや、雑誌の編集を手伝っていた時期もあるので、校了直前のデザイン変更は本当に労力を費やしてしまうことになるので、大変迷惑をかけてしまったなと申し訳なく思うのだけど、担当の田野辺さんの思い切りで実現できて嬉しかった。いままで外部に出ることが少なかった「スウイートホーム」の話は、勿論山城新伍さん中心にした話題ではあるけど、初めて外に出る文章に近いと思うので是非20日発売の「映画秘宝」を買って読んでください。よろしくお願いします。

 午後は散髪に行って、夕方から成城まで妻とともにレッスン。題材はシェークスピアの「マクベス」。このレッスンは前にも書いたけど、自分たちの糧にもなるので面白い。マンツーマンで演技レッスンをこれだけ長く続けていると本当に演技がうまくなるし、こちらもやっていて大変糧になる。シェークスピアを題材に選んでいるのは、何十行もの長台詞でそれもかなり話しにくい言葉で台本が書かれているからだ。つまり「巨人の星」の大リーグボール養成ギブスをつけてキャッチボールをするみたいなもので、大リーグボール養成ギブスが外れると豪速球が投げられるように、これで普通の台詞を言っても舌が鍛えられるから、多少の難しい台詞も言えるようになるだろうという思い。このあたりは新劇の舞台で若い頃に鍛えられた妻の経験がものを言っている。成城レッスンは楽しいので帰路は妻といつも足取りが軽くなる。

 

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2009年9月11日 (金)

3時10分 決断の時 と西部劇の行方

昨日は朝から川崎で「310分決断の時」を見てから、恵比寿まで妻を迎えにいって一緒にランチをとる。恵比寿の「ロジェ」と言う30年以上ここで店を張っているぱすた屋さん。妻が若い時に通っていたダンススタジオの近くにあったので、いつもそこに通っていたところだが、内装等全く変わらず70年代によくあったログハウス風のデザインが懐かしい。パスタも種類豊富で美味しかったが、メニューが昔のスパゲティ屋さん風で、最近は本格的なトラットリア風の店が多い中で、昭和風のスパゲティは懐かしかった。ただ、僕らは丁度良い量だったが、若い人は+150円で大盛りにしたほうがいいかもしれない。帰宅してからは、映画秘宝の原稿書き。山城さんの追悼文なんですが、書きたいことが溢れてきて、指定文字数では書ききれないことになり中断。改めて構想を練り直すことに。

 さて、「310分 決断の時」ですが、西部劇なんかいまどきあっとういまに興行を終えてしまうかなと思っていたけど、川崎の109シネマズでは上映回数を増やしたりしていたので、これはやはりクリスチャン・ベールとラッセル・クロウの人気なのか、映画の出来が本当にいいから口コミで伸びたのか、いずれにしろ本当に内容がいい映画が微妙であっても上映回数増えたりするのはいいことだ。

 映画のほうは、アメリカの西部劇と言うジャンルが一つの進化を遂げつつある映画なんじゃないかと言う興奮を覚える出来だった。そもそも50年以上前に遡っても、西部劇と人くくりに出来るほど簡単なジャンルではないほどの豊かな作品群をアメリカ映画は擁していた。そしてそれは一つ一つがジャンルとして扱われてもおかしくないくらいに充実していた。ジョン・フォードの開拓魂溢れる西部劇。アンソニー・マンやニコラレス・レイたちによって作られた暗黒極まる西部劇。「ララミーから来た男」なんてのを大人になって初めて見た時は、西部劇でこんなに人の気持ちを暗くしてしまう映画があってもよいのだろうかと思うくらいに暗かったし、バッド・ベチカーの西部劇も低予算ながらいつも興奮させられる作劇法で楽しませてくれた。あのダグラス・サークが「アパッチの怒り」と言う唯一西部劇を語るときも撮影は大変だったけどジョン・フォードに出来ないことをオレはやったぜ、みたいなことを言ってるからやはり魅力あるジャンルだったのだろう。

 その西部劇の歴史が大きく変わるのは、イタリアでマカロニウエスタンが生まれてからだろう。昔の映画の評論家はマカロニウエスタンを軽んじる人は多いけれど、セルジオ・レオーネやセルジオ・コルッブッチがその後の西部劇と言うジャンルに与えた影響は計り知れなく大きかったと思う。アクション中心の映画に思われがちだが、マカロニウエスタンが大きく変えたのは西部劇出てくる登場人物のキャラクター像だろう。こう書くと、そこで黒沢明の話を持ち込む人がいるが、それは実はそんなに強くは影響していないと思う。むしろ、どこかラテンな、明るくていい加減で、それでいてどこか虚無的な人間像。イタリア映画ならではの人間像が新しいジャンルを生み出したと言える。

 そして、次に西部劇が大きな変化を迎えるのがイーストウッドが「許されざる者」を撮ってしまってからだろう。アメリカ映画とマカロニウエスタンを体現してきた男が、ジャンルとしての西部劇を終焉させるかのように撮ったあの映画。「許されざる者」が生まれて以降、西部劇と言うジャンルに挑戦すらしていけないのではないかと言う不可侵な領域になるとも思えていた。

 だが「310分 決断の時」は「許されざる者」以降に生まれた西部劇としては、類稀なる傑作として登場してきた。内容は難しいものではない。金銭的に追い詰められた元北軍兵の牧場主が己の生活と誇りを賭けて、強盗団のボスを鉄道が通る町まで護送するという物語だ。ただ、そこにはアメリカの西部劇が描いてきた「男の、父親の誇り」を大事にする人間像がきめ細かく描かれ、マカロニウエスタン風の楽曲とともにアクションも派手に描かれ、西部劇の映画的記憶を踏まえた作品造りが成されていた。この脚本、演出を見事に生かしたキャメロン・クロウ、クリスチャン・ベールの2人の俳優の演技が素晴らしい。表情のあり方が特に素晴らしかった。

このように伝統的なジャンル映画をいまだに生み出せるアメリカ映画が羨ましい。日本の時代劇でもあくまで本格的に予算をかけて、アクションもあり人間ドラマも濃いような映画は出来ないものか?そういえば「十三人の刺客」を三池さんでリメイクすると聞いたが、三池さんはテレビの「さぶ」のように確りとした演出で時代劇を撮ることが出来る実力のある監督なので、過激な方向はアクションだけにして確りと地に足の着いた時代劇を作って欲しいと願います。

 

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2009年9月 7日 (月)

96時間

 打ち合わせの参考になるかもと言う助言を聞いて「96時間」と言う映画をチネチッタに観に行く。リュック・ベンソンプロデュースによるアクション活劇。監督のピエール・モレルと言う人は、これまでもリュック・ベンソンのプロダクションで撮影監督をやっていた人で、ある意味、リュック・ベンソンが脚本を書いて、完全に映画をコントロールする上においてはカメラマンに現場は全て仕切らせて、面倒なことは全部モレルさんに任せて、と言うことなのだろう。それでも「96時間」は助言に違わぬ、面白い活劇映画だった。

 80年代の後半に「ニキータ」や「グランブルー」で話題を呼んだときから僕はリュック・ベンソンと言う監督は好きではなかった。ハリウッド映画のイミテーションを下手糞に模倣しているようにしか見えなかったし、何より映画全体を覆う感傷的なムードが好きじゃなかった。これは好き嫌いと言うレベルですけどね。たとえば「レオン」とかでも、主人公と少女が邂逅していくまでのストロークが短くて、物語的引用になった「グロリア」のジーナ・ローランズが格好よかったのはあの少年を中々受け入れない強さが良かったのに、「レオン」の殺し屋はあまりに早く少女を受け入れてしまうので、そこから先はまったく乗れなかったりした。僕らが理想とする例えばドン・シーゲルだとか、ジョン・フィリンが持っていたアクション映画のキレがないと感じたのだ。

 「96時間」もオープニングから、娘誘拐までの父親の感傷タイムはどうにも乗れなかった。それが、娘の誘拐から一気に映画のアドレナリンは爆発。とことんリーアム・ニーソンのとんでもないキャラクターに魅せられて突っ走る。「レオン」の主人公と「96時間」の主人公の違いは、リーアム・ニーソンが娘を追いかけると言う感情的なモチベーションを維持しつつも、あくまで冷徹なプロフェッショナルとして描かれている点だろう。リーアム・ニーソンと言うキャスティングが絶妙だ。大藪春彦的超人プロフェッショナルに、西村寿行のハードロマンを加えたような映画で、物語に工夫も何もあったものではなかったが、とにかく映画を動かすのは主人公のキャラクターのみと言う潔さが面白かった原因ではないだろうか?

 映画の長さが90分台と言うのも良かった。

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2009年9月 5日 (土)

ビデオデッキ入手作戦

 先日ドリマックスへ企画打ち合わせに行って結構長い時間打ち合わせして帰ってきたら、ヤフオクで落としたBR-S800DXと言う業務用のSVHS機が届いていて、アワーメーターを調べたら1500時間ほど。つまり1日換算にしたら60日~70日程度しか使っていなくて、やったああ、50万の高級機を1050円で落札したあ!と、喜んでいたのもつかの間。中山美穂の「キャッチミー」と言うライブビデオを入れてしばらく再生はしていたんだけど、やがてキュルキュルキュル~と音がしてテープがヘッドに絡みつき停止してしまった。慌てて、天板を開けて、何とかテープは無事に取り出せたものの、その後別のテープを入れて確認したがエラーコードが出て、やはり走行不能に。出品者の人は「テープを入れて走行確認はしていますが、ジャンク品扱いで」と言うことだったのでクレームを入れるわけにも行かず、いまそのでかい鉄の箱と化したデッキを前に途方にくれています。安物買いの銭失いって奴ですな。僕にこういうものを修理できるスキルがあれば、買いのものだったんでしょうがねえ。ちなみにBR-S800DXで一瞬見た画像は、他のデッキとは比べるもなく素晴らしい画質でした。惜しいなあ。ジャンク品として、これも出品するか。

 さて、明日は新たなデッキが届く予定。青山から推薦された「木漏れ日の中で」と言うピーター・フォンダ主演の映画を見る為に、ビデオデッキにこんなに翻弄されるとは思っても見なかった。

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2009年9月 1日 (火)

いまどきビデオデッキに困る

 数年使っていたSVHSの高級機が壊れて、まあもともとヤフオクで買ったものだから惜しくはないんだけど、後継機を探して非常に困ってしまった。正直、ビデオテープ再生で満足な再生画質を得られるものは新作ではもう存在しない。と、なるとオークションで中古の名機を購入するしかないのだが、これが高い高い。いや、もともと10万~30万近くしていた代物だから値は下がっているんだけど、それでも3,4万はしてしまう。取り説もリモコンもないし、ましてや故障すれば部品交換も不可能でジャンク品として再び売るしかないものに、そこまでの値はつけられない。となると、丁度いい塩梅の中級機があるのだが、これが必ず誰かに値をつけられていて、入札すると入札期限間近に突然降って沸いたかのように入札者が数人現れ、あっという間に高額になってしまい、尚且つ落札のタイミングを逃してしまうことが多い。こちらとしては24時間オークションに張り付いているわけにはいかないので、中々購入が出来なくなってしまっているのが現状だ。見たいテープが何本かあるのになんとかならんかなあ。

 VHSのビデオなんかもう見る機会はないと思っていたんだけど、時々、VHSでしか手に入らないソフトを貰ったり買ったりすることがあるので、ブルーレイやDVDに焼きなおす為の再生専用機はやはり必要なのだ。

 しかし、もうあと何年かしたらこういうことも出来なくなってしまうのだろうかか? 高画質用のVHS再生専用機はちょっとくらい高くてもいいから、新作を発表して欲しいものだ。

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