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2009年10月

2009年10月31日 (土)

病院とかドラフトとか

 水曜日は午前中、ある企画の原作本を読んで、午後から川崎のある総合病院へ妻と共に義父を迎えに行ってきました。月に一度の難聴の検診なんですよね。補聴器のテストしたり。午前中に兄嫁が送っていき、その後用事がある兄嫁に代わって僕らが迎えにいくと言う感じです。僕は声が大きくて通りのいい声をしているので、難聴の義父の通訳も兼ねています。そういえばこの補聴器の業者さんを妻は横浜スタジアムで見かけたことがあると言い、冗談で「野球なんか見に行きますか?」と聞いたら、見事に僕らが行っていた日にその人もハマスタに来ていたようでした。

 昨日は午前中歯医者で、夕方までジムで汗を流し、夕方からスカパーでプロ野球のドラフト会議を最後の育成指名まで確り見ていました。それにしても、今年はどの球団も新聞やドラフト雑誌の指名とは全く乖離する結果になりました。ドラフト1位候補として挙げられ、プロ野球志望届けまで出した若者たちがかなりの数指名漏れとなり、これはこれで面白かったです。僕もドラフト候補特集の雑誌を片手に見ていたのですが、ほとんど役に立ちませんでしたもの。

 我が横浜ベイスターズは1位で松井や清原を超える通算本塁打を打っている筒香選手を指名。以下、育成選手まで含めて4人の高校生投手と1人の即戦力社会人投手を獲りましたが、大学生社会人に即戦力がない不作のドラフトといわれる中で、素材型の大型投手を4人も指名したのは正解だったと思います。あまりベイスターズのことを詳しく知らない記者は「なぜ即戦力投手をもっと指名しなかったのか?」なんて書いていますが、中途半端な即戦力を指名して失敗してきたのがここ数年のベイスターズだったわけで、ちょっとやそっとの即戦力投手ではチームの改革はできない。それならばと言うわけで、次世代のスター選手候補の筒香と、やはり次世代を担う大型エース候補を右腕3人と左腕1人指名出来たのは、チーム改革の現われとして評価すべきなのではないかと思われます。大学生社会人投手は逸材だらけと言われる来年を楽しみにしましょう。

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2009年10月26日 (月)

幻の企画 男の女のミステリー 黒沢清脚本 長崎俊一監督

最近更新が滞ってしまうのは、ココログにログインする際にいちいちニフティIDとは別の認証が必要になってしまったからで、IEを変えればいいんですが、新しいIE導入した途端に動かなくなってしまった海外ゲームがあるので、面倒な設定なままにしているわけで、そうなるとログイン画面がいちいち出てくるとそこで書くのをやめてしまったりするわけです。

 先週はずっと週の頭から発注してきたいくつかの脚本やプロットが集中的に上がって来て、それを修正したり加筆したり、打ち合わせしたりと言う作業が毎日のように続いていて、絶対に行きたかった試写や東京国際映画祭のいくつかの番組も観る事が出来ませんでした。映画祭とかは勢いとか流れがあって、一度行くと続けてずっと通ったりするのですが、一旦仕事でタイミングを逸すると中々いけなくなってしまうものですね。

 と言うわけで、いろいろな脚本を読んでいるうちに、本棚にあった昔の脚本を参考にしようと引っ張り出して読んでいるうちに、一冊の幻の脚本を発見しました。90年か91年ごろのフジテレビ「男の女のミステリー」の脚本なのですが、これが脚本黒沢清、監督長崎俊一なのです。確か、桃井かおりさんと小林聡美さんで企画されて、KANOXと言う久世光彦さんの会社で制作される予定だった脚本です。物語は、血の繋がらない母と娘が同じ結婚詐欺師の男に騙され、尚且つこの男が政治家のスキャンダルに絡んでいたことから謎の組織とも母娘は闘ったりすると言うもので、この結婚詐欺師の役には草刈さんがキャスティングされていたようですが、これが今読むと長崎俊一監督らしい男女の不条理なまでの恋愛感と、後半は黒沢さんらしい廃墟をもとにした活劇、ラストは操車場での唐突なアクションとか、見事に入り込んでいて面白いんですね。前半の2人の母娘が一人の男に翻弄されていく場面は「誘惑者」とか撮っていた頃の長崎さんのタッチで、後半例えば草刈さんと対峙する母娘が対決する場面では「どこか水産試験場の跡地」なんていう風に黒沢さんが好んでロケ地に使っていた場所がト書きに書かれていて、追い込まれて逆襲に転じる草刈さんが、廃墟のパイプに頭をぶつけると錆びだらけの水を浴びて「まるで悪魔のような形相になって襲ってくる」なんて書かれていたり、本当に2人の作家の共同作業が結実していて是非実現させて欲しかったかなと思います。この企画は撮影準備に入る直前に、桃井さんの2時間ドラマが既に放送されたばかりなので、ちょっと延期したいと局側から申し入れがあって、その時期を逸すると桃井さんのスケジュールも合わなくなってしまい、無期延期になってしまった記憶があります。

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20091026092406_2  この企画を実現化させた背景には、もう少し面白い話があるのですが、それはまたの機会に書きます。「80年代自主映画界 仁義なき戦い 東京死闘編」とでも言うべき内容であることは予告しておきましょう。

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2009年10月20日 (火)

風間杜夫さんと東映京都の話

昨日は午前中をインフルから復帰してきたライターとメールでやりとりをしたり、別の企画のライターとメールでやりとりをする。最近は午前中のかなり早い時間にその日の重要な仕事を片付けているような気がする。
 午後一からはFM川崎で生出演1本収録と、日曜の午前11時放送分を1本収録。岡村さんの番組の日曜はアシスタントの入れ替わりが激しいなあ。昨日からのモデルの子達はあと1億時間くらい勉強して欲しいと思いました。昨日は加藤和彦さんの追悼と、山田太一の脚本の話などを中心に話しましたが面白かった。また来月も行く予定です。

 終わってから急いで渋谷へ出て、プロットの打ち合わせを1時間ほどやってから妻と合流して風間杜夫さんと呑む。風間さんから東映京都で子役時代をやっていた時の話をたくさん聞けたのが楽しかった。風間さんと妻は前の事務所でマネージャーさんが一緒だった縁で、こうしてお付き合いさせていただいていますが、何度か会ううちに打ち解けて、今回は饒舌に加藤泰監督の「真田風雲録」の現場の話だとか東映京都時代の話をたくさん聞けた。

 少年時代の佐助とお霧のラブシーンの演出に午前中かけて1カットもオーケーも出なかったと言う話、その時の東映太秦のセットは一番でかいステージの真ん中にどでかい大木を立てて撮影したが、そのセットは後々「蒲田行進曲」で階段落ちのセットを建てこんだステージと同じ場所であったことな等など。福田義之さんの舞台を大胆に東映で映画化したものの当時は失敗作と言われていたことなど。僕は「真田風雲録」がいまや加藤泰の映画中でも相当に面白い映画だと思っているので、時代が経つと評価が変わる映画もあるんだな思ったが、確か「真田風雲録」を映画として最初に評価した映画評論家は水野晴郎さんだったと記憶している。

 ほかに面白かったのは、やはり若山富三郎さんの話。『人生劇場』で初競演だったそうだが、その時、居酒屋で小林稔時さんとの芝居のあとで、外へ出ると吉良常役の若山さんと肩がぶつかってしまうと言うシーン。これをやはり若山先生(東映ではこう呼ばないといけなかったらしい)の出番からと言うことで、芝居の順序など無視して、いきなり外へ風間さんが出てくるところからの撮影となったそうだ。その時、「おい、東京のやくざはそんなぶつかりかたしねえ。ぶつかったらすぐに反射的に「なにしやがんでえ!」とガン飛ばすのが東京のヤクザだ。やり直せ!」っと監督そっちのけで演技指導していたらしいが、当時の若山先生に逆らえるスタッフは一人もいなかったらしい。その件があってから、風間さんは若山先生に気に入られ、京都の撮影所で功労者への表彰式を行う時に、市川歌右衛門には息子の北大路欣也さんが花束を贈呈したが、若山先生への花束の贈呈は若山先生から直接風間さんに電話があって「お前にやってほしいんだ」と京都まで花束の贈呈にいくことになったらしい。

 その時だったかどうか、里見浩太郎主演で「八百八町夢日記 -隠密奉行とねずみ小僧」の舞台公演に風間さんが出ると聞いたとき若山先生は「なあ、里見があれで結構派手なことやるんだろ、おれがいいこと教えてやる」と若山先生は自分が着ていた羽織を空中に放り投げ、落下する暇もなくその羽織に手を通すとあっと言う間に裏表を逆にして着て見せたそうだ。「この裏地を派手に細工しておけば客の観ている前で早変わりが出きるってことよ。これで里見を食える」と言ったそうだが、老齢になっても若山先生の羽織の早変わり捌きは実に見事で風間さんは感心したと言うことだった。

昨日は柳下さんから東京国際映画祭のマーシュイ・ウェイパン(馬徐維邦)監督の「怪奇猿男」と「麻瘋女」の上映にも誘っていただいていたのであったが、風間さんとの約束があって行けなかった。マーシュイ・ウェイパンを見逃したことは本当に残念で悔しい思いであったが、風間さんの東映京都の昔の話は何にも増して生きた財産であったと思うし、撮影所が崩壊して以降、こういうことは語り継がれていかなくてはいけないのではないかと思うので、やはり風間さんに会って良かった。

帰り際風間さんに「今日は楽しかったよ!」と言われた。ここ数年はずっと10代の女の子たちとの仕事が多かったけど、この間の草刈さんといい、辰巳琢郎さんといい、ここ最近は先輩格のベテラン俳優さんたちとのお付き合いが本当に楽しく感じます。

 風間杜夫さんは、11月から吉祥寺シアターで「演劇企画集団 THE ガジラ」公演「大人の時間」と言う舞台に出演するために稽古の毎日だそうです。

 http://www5d.biglobe.ne.jp/~cottone/otona/top.html


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2009年10月18日 (日)

新型インフルとか 加藤和彦さん訃報とか

 金曜の夜からライターとメールで脚本のラストシーンに関して侃々諤々やっていたんだけど、土曜の朝になって熱があるから病院へい行って来ますと連絡があって昼まで待ったら「新型インフルエンザ認定されてしまいました」と言う連絡が来た。結構芸能人や著名人でも新型インフル認定されている人はいたけど、自分の身の回りで感染者が出るとびっくりしてしまいますが、じゃあいったい水際作戦だのやっていた春先の騒動はなんだったんだろうって感じですね。こんなに簡単に普通に広まってしまうなら、あの時にアメリカから修学旅行で帰ってきた生徒たちへの報道とか酷すぎたんじゃないですかね?かなり興味本位もあったとは思うけど、集団心理を煽りすぎていたんじゃないかと思います。

 とりあえずプロデューサーに報告して締め切りを数日待ってもらったりしながら、いくつか連絡をとりあって、昼には区民まつりに妻と参加して帰ってきたら加藤和彦さんの死を知りました。加藤和彦さんの音楽的業績は僕がどうこう言うまでもなく素晴らしい実績を残したと思うんですが、問題なのは死に至る経緯ですね。人間年を取って来ると若い時には思いも寄らなかったような不安を抱えるようになるものなんだとお思います。経済的な不安、自分の生きていることそのものへの不安。人生を長い道則として考えると、ゴールがまだ先にある段階では、前途に対する不安はあってもそれを乗り越えていこうとする希望もあるし理想もあって後ろを振りかえる暇なんかないんですが、段々進んできた道より前に進んでいける道が短くなってくると、これからの人生で自分が出来ることはなんなんだろうって思ってしまうものなんです。で、若い時のように素早い対応が段々出来なくなってくる。そう言う時に人は「老い」と言うものに対する絶望を感じるんじゃないかなと思います。加藤さんの場合が必ずしもそうであったとは断言できませんが、報道されている内容を読む限り、鬱病から創作活動がうまくいかなくなったことへの絶望が取り上げられています。これは、創作活動がおもうようにいかなくなったことが欝の原因かもしれませんし、どちらが先かはよくわからないんですが、少なくても「自分が理想としてる自分ではなくなってきた」と言うことが大きいと思います。この間、草刈さんの家に集まった時もそんな話にちょっとなったんですが、この「理想の自分と現実の自分との乖離」に段々人は不安と絶望を感じていくんだと思います。ここまで生きていて自分は何をやり遂げたんだろう、貯金の額はいくらあるかなんて物理的なものから、自分が創り上げてきた無形の財産はどこまであるのか?何もないのではないか?朝起きて、朝食までの間に元気にならないとこの不安は一日襲ってくるようです。

 加藤さんの死とその原因を知ると、すごく考えさせられるものがあります。だからこそ、やはり、人は人と繋がって行ける幸せをもっと享受しなくてはいけないんじゃないかなと。孤高で行き続けるのは、きっと歳をとると辛くなっていくんじゃないかなとそんな風に思いました。

 

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2009年10月16日 (金)

鮮血が・・・

 半年以上通った歯医者の最後の治療に入って、本日抜髄。麻酔を打つとその半日頭が痛くなったりするようになった。以前はそんなことなかったんだけどなあ。

 で、昼に帰ってきて食後に歯を磨いてうがいをしたら洗面所に鮮血が飛び散った。びっくりして口の中を見たら真っ赤。麻酔が効いたままだったので、口の中の肉を食事中に歯で噛み切ったのに気がつかなかったのだ。麻酔薬って怖いなあと思った。ホラー映画で麻酔を打たれて自分の体が切り刻まれていくのを自分の目で見ていなくてはいけないと言うシーンをどこかで見たような気もするが、ああいうものですね。

 当然の如く麻酔が切れてきた夕方からは余計な激痛と闘うことに。神経抜いた歯も疼痛がしてくるし、今日は終日痛みに耐えた日でした。

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2009年10月11日 (日)

結婚記念日

2009 Photo

昨日は6回目の結婚記念日でした。昼は二件ほど打ち合わせを渋谷でやって、しぶちかの高野でケーキを買って帰りました。前日から7年目、7年目と言っていたので7周年と勘違いしてケーキにネームを入れてしまいましたが、正しくは6周年でした。食卓に、このケーキと前日に辰巳真理恵ちゃんから戴いた花束を添え、ピエルソン・キュバリエ・キュヴェ・トラディション・グランクリュと言うシャンパンで乾杯しました。この長い名前のシャンパンはいつもワインを購入しているお店のお薦め。年間に創られる本数が限られているシャンパンで、発砲は静かでしたが濃厚な味わいのかなり熟成されたシャンパンでした。香りに気品があって、とても素晴らしいシャンパンです。

 しかし昨日からちょっと呑みすぎなのと、昼夜逆転生活を避けるために早起きしたせいで物凄く眠たくなり早めに昨夜は寝てしまいました。今日は酒なしで午後からジムで汗を流して来ます。

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2009年10月10日 (土)

久々に草刈宅で深夜まで

 昨日は、午後から近くで脚本打ち合わせ。その後成城の辰巳琢郎さん宅へ行き、娘さんの真理恵ちゃんのレッスン。マクベスのマクベス夫人を徹底的に集中してやる。シェークスピアを題材にするのは、台詞の言い回しが難しいのと感情の起伏が激しいのでトレーニングとしては最適なのだ。ほぼ妻の指導によるところが大きいので、僕自身も非常に勉強になる。女の子の演出に関してはそのうち夫婦でやっても面白いんじゃないかなとさえ思える。演出は妻が集中してやって、煩雑な監督の仕事は僕が責任持ってやるとかね。

Photo 写真は、レッスン後に真理恵ちゃんに戴いた結婚記念日の花束。そう我々夫婦は10月10日が結婚記念日なのでした。自分たち以外の人に結婚記念日を祝ってもらったのは初めてだったので、この花束は凄く嬉しかった!

 レッスン終了後は、そのまま駆け足でやはり成城にある草刈正雄さん宅へ妻とともに移動。久々に草刈さんと再会。この日は諏訪太朗夫妻、草刈夫妻、それに僕らと三組の夫婦で呑み会。珍しく2時過ぎまで呑み続け、美味しい草刈さんの奥様の料理も堪能。今年は草刈さんと知り合って20年目となる。当時の思い出話から、これからのことなど楽しく、真面目に話をする。楽しすぎるあっという間の7時間ではあった。途中娘さんの麻有ちゃんが挨拶に来てくれたけど、前にあった時より何十倍も綺麗になっていた。モデル続けて、最近では映画のメインキャストもやって人に観られる機会が多くなってどんどん美しくなっているのだろう。お洒落なラメタイツが可愛かった。

 草刈さんとは、20年目のこの日に重要な約束をした。この約束をしたことが今日は一番嬉しかった。と、草刈さんは言ってくれた。僕はその約束を責任を持って達成しなくてはいけない。 昨日思ったのは、不景気で必ずしも満足行く仕事が中々得られない時代の中で、これから僕らが大事にしていかなくてはいけないのは、こうした人と人の繋がりではないだろうか?人を大事にするところからこそ未来は拓けるんじゃないかなと思う。少なくても僕はそう信じたい。

 帰って寝たのは3時半。でもここで昼夜逆転してはいけないので、頑張って起きました。今日もこれから二件の脚本打ち合わせ。休む暇などないのだ。

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2009年10月 8日 (木)

雨の中 打ち合わせ カフェの話

 昨日、今日は、雨の中を都内を移動して企画打ち合わせ、脚本打ち合わせの毎日。まったく違う内容のものなので頭の切り替えに15分だけファミレスでひとり休んだり。ファミレスと言うの午後と言うのは大変混みあうものだが広尾のジョナサンはいついっても空いているように思える。一方、恵比寿のウエンディーズは昔と違ってカウンタースタイルで打ち合わせに適していないことがわかった。最近はホテルのロビーに隣接するカフェで打ち合わせするのが落ち着いていていい思う。やはりファーストフードと言うのは打ち合わせには向いていないが、最近は駅近くでも「喫茶店」と言うものが少なくなったので、静かに落ち着いて話が出来る場所を探すのに結構苦労する。で、多少高くてももうそういう場所探しが面倒なので大きなホテルのカフェテリアがいいと思ってしまったり。

 「発狂する唇」を1年間打ち合わせし続けた時は永福町のファミレスにランチ食べてから高橋洋さんと8時間くらいコーヒーおかわりだけで粘った。そう言えば黒沢清監督が「ファミレスにドリンクバーが導入されたが、どうにもあれはいけないね。ちょっと前はコーヒーだけと言うのも頼みやすかったけど、ドリンクバーっだけってのは頼みにくいんだよね。ドリンクバー、って言うと他には?って顔を必ずされる」と言っていた。本来は従業員の人件費削減のためだけにあるのだから気にしなくてもいいのだが、その気持ちはなんとなく理解できる。

「血を吸う宇宙」に選挙の話が出てくるのは、高橋さんとファミレスから出てきたときに目の前を石原伸晃さんの選挙カーが通り過ぎたというそれだけでネタを広げていったのを覚えている。

 そういえば、この間新宿武蔵野館に久々に行ったときに「談話室滝沢 別館」がなくなって椿屋コーヒーに変わっていたのを見た。『談話室滝沢 別館』はやたらと業界の人の打ち合わせが多かったが、最も印象的だったのは某制作会社倒産の直前、未払いのギャラのことで社長から話しがあって「滝沢別館」に呼び出され「来月頭には必ず払う。だからあんまり未払いがあるとか他では言わないでくれ」と、テーブルにこすりつけるように頭を下げられたことがあった。僕は何年もお世話になった会社だったので、とても恐縮して別れたが、1週間後その会社が倒産したことを知って愕然とした。その時は支払う意思があったのか、助監督風情の僕をわざわざ謝罪のために呼び出したのはまだ再建の道が当時はあったのだろうか?とにかく、自分より遥かに年上の方に土下座するように頭を下げられるのは場所柄も含め、なんとなく気まずいものがあった。この社長が悪かったのではないのは僕はわかっていたからね。その時のA級戦犯の人はいまではバラエティの常連になってしまったが、本当に悪い奴は強いのだと思う。

明日は台風が来るので、家で作業。ここ数日打ち合わせしてきたことをまとめたり、メールのやりとりをすることになるだろう。明日の歯医者も中止にした。我が家のライフラインでもある湘南新宿ラインも明日は早々に運転中止を発表してしまったしなあ。

 

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2009年10月 3日 (土)

ストロングスタイルのホラー映画 サム・ライミ「スペル」

 六本木のGAGA試写室でサム・ライミの新作「スペル」を観る。これが、正真正銘のストロングスタイルのホラー、しかも演出が「死霊のはらわたシリーズ」や「XYZマーダーズ」の頃への原点回帰と言うか、ちっともあの頃の演出が錆びていないところが凄い。理不尽で凶暴な悪霊に対して、最初は怖がっているのが堂々と闘いを挑み、時には悪霊よりも下品な笑顔を浮かべていたブルース・キャンベルがまるでヒロインのアリソン・ローマンに乗り移ったかのごとく、芝居が悉くブルース・キャンベルテイストなのが笑える。ネタバレになるからかけないがラスト、墓地で不適に笑って見せるその顔は「死霊のはらわた2」のブルース・キャンベルそのものだった。

 それでいて昔と違うのは脚本が丁寧になった点であろうか?かつて主人公はとことんバカキャラだったが、今回のアリソン・ローマンは現代のアメリカに社会で必死に生き抜く等身大のヒロイン設定が与えられている。あのまま銀行で働く女の子のオフィス映画としても充分成立するディティールが描かれている。でもそこにも鼻血ブー!だからなあ、いや本当に谷岡ヤスジの鼻血ブーがオフィスの上司に向かって放たれてしまうのだからなあ。ホラー表現もギャグ表現もとことん本気度、純度の高いアメリカンホラームービーだった。これだと、続編も簡単に出来そうですね。地獄界に落とされたヒロインが向こうの世界で失った片腕で悪霊軍団と戦うとかって?あ、いやでもそのまんまいけちゃう世界観なんですよ。

 そういえば、ユニバーサルのオープニングマークが70年代の「ジョーズ」の頃のままで、ロールタイトルが終わると出てくる「ユニバーサルスタジオへおいでよ」みたいな一枚絵の広告も70年代の頃のユニバーサルの映画には必ずくっついていたけど、それが再現されていました。ユニバーサル映画にサム・ライミは余程思い入れがあるのかな?

 11月6日から東宝洋画系で公開予定のようです。怖くて笑えて、観たあとは一緒に行った人と映画のネタで相当に盛り上がると思うので、是非恋人や友人と観に行った方がいい映画ですね。とにかく大勢で観た方がより楽しめると思います。

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