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2009年10月18日 (日)

新型インフルとか 加藤和彦さん訃報とか

 金曜の夜からライターとメールで脚本のラストシーンに関して侃々諤々やっていたんだけど、土曜の朝になって熱があるから病院へい行って来ますと連絡があって昼まで待ったら「新型インフルエンザ認定されてしまいました」と言う連絡が来た。結構芸能人や著名人でも新型インフル認定されている人はいたけど、自分の身の回りで感染者が出るとびっくりしてしまいますが、じゃあいったい水際作戦だのやっていた春先の騒動はなんだったんだろうって感じですね。こんなに簡単に普通に広まってしまうなら、あの時にアメリカから修学旅行で帰ってきた生徒たちへの報道とか酷すぎたんじゃないですかね?かなり興味本位もあったとは思うけど、集団心理を煽りすぎていたんじゃないかと思います。

 とりあえずプロデューサーに報告して締め切りを数日待ってもらったりしながら、いくつか連絡をとりあって、昼には区民まつりに妻と参加して帰ってきたら加藤和彦さんの死を知りました。加藤和彦さんの音楽的業績は僕がどうこう言うまでもなく素晴らしい実績を残したと思うんですが、問題なのは死に至る経緯ですね。人間年を取って来ると若い時には思いも寄らなかったような不安を抱えるようになるものなんだとお思います。経済的な不安、自分の生きていることそのものへの不安。人生を長い道則として考えると、ゴールがまだ先にある段階では、前途に対する不安はあってもそれを乗り越えていこうとする希望もあるし理想もあって後ろを振りかえる暇なんかないんですが、段々進んできた道より前に進んでいける道が短くなってくると、これからの人生で自分が出来ることはなんなんだろうって思ってしまうものなんです。で、若い時のように素早い対応が段々出来なくなってくる。そう言う時に人は「老い」と言うものに対する絶望を感じるんじゃないかなと思います。加藤さんの場合が必ずしもそうであったとは断言できませんが、報道されている内容を読む限り、鬱病から創作活動がうまくいかなくなったことへの絶望が取り上げられています。これは、創作活動がおもうようにいかなくなったことが欝の原因かもしれませんし、どちらが先かはよくわからないんですが、少なくても「自分が理想としてる自分ではなくなってきた」と言うことが大きいと思います。この間、草刈さんの家に集まった時もそんな話にちょっとなったんですが、この「理想の自分と現実の自分との乖離」に段々人は不安と絶望を感じていくんだと思います。ここまで生きていて自分は何をやり遂げたんだろう、貯金の額はいくらあるかなんて物理的なものから、自分が創り上げてきた無形の財産はどこまであるのか?何もないのではないか?朝起きて、朝食までの間に元気にならないとこの不安は一日襲ってくるようです。

 加藤さんの死とその原因を知ると、すごく考えさせられるものがあります。だからこそ、やはり、人は人と繋がって行ける幸せをもっと享受しなくてはいけないんじゃないかなと。孤高で行き続けるのは、きっと歳をとると辛くなっていくんじゃないかなとそんな風に思いました。

 

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