« 2009年11月 | トップページ | 2010年1月 »

2009年12月

2009年12月31日 (木)

大晦日

 昨日は午前中に歯医者へ行き、前歯の治療して、これで1年かかった虫歯の治療を全て終える。今まで放置してきた親知らずも今年3本も抜いたし、とにかくこの1年間は歯の治療に費やした1年だった。思えば去年の年末、虫歯から上顎洞炎を引き起こし、歯医者の手には負えないかもしれないなんて脅されてはや1年。真面目に歯医者に通い続け、物凄く痛い治療もあったが、細かい部分まで全て治療を終え、パーフェクトな仕上がりになったようだ。担当の先生も、僕の口の中を見回して「自分でもいい仕事したな」と満足そうだった。

 帰って脚本が届くのを待ちながら、大掃除の仕上げ。玄関から階段をデッキブラシで磨き上げる。結局脚本は深夜遅くに届き、いくつかディティール部分の修正をお願いした。予定では今日昼過ぎに到着。年末はまったくのんびりできない日々が大晦日まで続いています。合間に吉田喜重の「女のみずうみ」や増村の「赤い天使」を鑑賞しようとするも、落ち着かないので両方完走出来ず。今日はこれからおせち料理を作りながら脚本を待ちます。既に「栗きんとん」は朝のうちに完成。今年はレモンリキュール入れたのでかなり美味しい。

|

2009年12月28日 (月)

忘年会

昼はDVDを何本か見たり、メールで打ち合わせ。その後髪を切りにも行き、夜から毎年恒例鈴木浩介氏主催の忘年会に妻と参加。100人以上集まるけど、だんだん高齢化してきていますね。BSTBSの丹羽さんや小板さんやBOBAや水木薫さんとかと3時間も時間を忘れ歓談。気がついたら携帯留守電にバーボン刑事からメッセージが入っていて、あまりにも素敵なボイスに感動して妻にもその声を聞かせ永久保存にする。とりあえず正月明けに、新年会の約束をする。帰ってから、録画してあったフィギアのフリーを観る。鈴木さんは、個性的な風貌なので去年から注目していたけど、今年一気にブレイク。オリンピックにも選ばれて良かった良かった。彼女の表情は本当に楽しい。1位の浅田真央ちゃんは今シーズンの曲はちょっと重苦しいので、見ていてあまり楽しい気分に慣れないのが難点で、グラプリファイナルでもあまりいい結果は出なかったが、最後は確り決めて、バンクーバーでもガンバッテ欲しいものです。

さて、今日はこれから川崎FMの生放送。そろそろ出かけなくては・・・。

|

2009年12月26日 (土)

クリスマス

 今年は年末に打ち合わせが重なるかなと予想して大掃除をイブから始めることに。実は23日から少しづつ。しかし、巷はイブだというのにもうお正月飾りが並ぶようになっている。昔はクリスマスが終わるまではクリスマス一色だったろうに。今年のイブは、シャンパンではなく「ヴィラ・デステ・スペシャル・リザーヴ・ブリュット 2005」と言うイタリアのスパーリングを買ったが、これが大成功。非常に濃い味ですが、喉越しが柔らかい。どういうスパークリングかは以下の説明通り。美味しいものは自分で探すと、値段以上の贅沢を味わうことが出来ると言うことを実感したクリスマスだった。

 http://endlessblue.jp/blog/m/e/2004_villa_deste.php

 

このスパークリングと、油で揚げないチキンのマスタードカツレツとハニーハムを使ったクロワッサンサンド、を妻と一緒に頂きました。全て手造り。チキンのマスタードカツは唐揚げくらいの大きさにぶつ切りにしたワインに漬け込んだチキンを、にんにくと共に蒸し焼きにして、マスタードとマヨネーズと白ワインのソースに浸し、そこに、フライパンでカリカリに焼いたパン粉をまぶして食べるもので、油を全く使わないのにサクサクと下食感なのに噛むとジューシーな美味さが広がります。本当は写真を上げたいんですが、写真を撮る間に少しでも冷えるとサクサク感が減ってしまうので、写真を撮れない逸品です。これに妻が緑の野菜とラディッシュを添えてくれてクリスマスらしい盛り付け。と言うのが我家の定番でした。ハニーハムのクロワッサンサンドは鎌倉ハムさんのハニーハムをくじで当てたので急遽作ることにしたけど案外美味しかった。

 イブの夜は結構酔って、年明け公開されるノルウエー製ホラー映画の宣伝用のキャッチコピーを考えるために送られてきたDVDを観る。「処刑山 デス卍スノウ」と言うナチスゾンビ映画なのですが、これに関してはまたレビューします。

 と言うわけで、25日に脚本の到着を待っていたら、夜になってライターが高熱で倒れたと言う連絡が来て拍子抜け。締め切りが迫ると徹夜が続いて、乾燥して寒いこの季節は風邪やインフルエンザになるライターが多い。ような気がする。

|

2009年12月20日 (日)

虚構を信じる力 「大忍術映画ワタリ」を観て

昨日は珍しく妻が風邪を引いて発熱し寝込んでしまったので、観に行こうと思った映画を断念しおかゆを作ったり、メールでやりとりで打ち合わせをしたり。「映画秘宝」の今年のベストテンを書いてメールで送ったり、それでも夜は家族の忘年会で、その頃には少しは元気になって近くの焼肉屋へ。昼間おかゆだった妻は気の毒だったが、酒は飲まず、そのぶん高額な柔らかい肉を注文。僕は飲みました。高校生と大学生の男の子がいるから、最近はこの近所の焼肉屋のパターンが多くなりましたね。

 さて、その間にDVDで「大忍術映画ワタリ」と「黄金バット」の2本をDVDで観る。この間、同じ原作者の時代劇を観てどうにも面白くなかったので昔の活劇をもう一度見直してみようと思ったのだ。「ワタリ」は実に43年ぶりの鑑賞。僕が生まれて初めてスクリーンで観た邦画だったことを思い出す。調べたら「サイボーグ009」の2本立て興業で、きっとこっちを観に行ったんだろうな。まだ東映まんがまつりが始まる前だった。さて「大忍術映画ワタリ」だが、これが原作の「ワタリ」とは似ても似つかない、荒唐無稽なジュブナイルに見事に換骨堕胎しての映画化で、リアリズム重視の白土三平は激怒したそうだが、改めて見ると結構面白い。忍者の造形は白土三平と言うよりは山田風太郎。敵方の忍者たちは異形で、全身真赤や真っ青に染め上げ奇怪な忍法を駆使して完全に妖怪として描かれ出す。この奇怪な忍法に当時の東映アニメの優秀な人材が駆使されていたり、ミニチュアが確りしていたりと、当時の東映が特撮映画に並々ならぬ意欲を持っていたことがわかる。同時に登場人物たちの、漫画そのものメイク。この役者を無理矢理に漫画の世界のキャラクターにメイクさせてしまうのは、その後も東映『ドカベン』の岩鬼~日活の「野球狂の詩」の小池朝雄の岩田鉄五郎、或いはテレビの加山雄三の「ブラックジャック」まで続いた伝統だったが、最近はさすがにやらなくなってしまいましたね。それは決してパロディではなく、内田朝雄、瑳川哲朗、大友柳太朗と言った重厚な役者が演じていたのが良かった。決してスターかくし芸大会のパロディ劇とは一線を画すものだった。「ワタリ」に話を戻すと、脚本が雑なので悪役たちの目的がよくわからないのが難点だが、とにかく次から次へと活劇的な見せ場を用意するTV出身の船床定男の演出がテンポ良かった。先に述べた最近の白土三平映画との差は、「虚構を信じる力」が足りないと言う点に尽きるのではないか?映画にする時のテーマも違ったんだろうが、活劇にとって必要なのはこの「信じる力」だと思う。予算規模は、撮影所が機能しなくなったいま比較は出来ないが、「ワタリ」もその映画もあまり変わらない規模ではないかと思う。しかし、「ワタリ」のような映画を今作るのは難しいのもわかる。僕も虚構に挑戦し何度も失敗した。「信じる力」を生かすためには、予算がB級では出来ないのだ。撮影所の見事なセットが駆使出来、脇役にいたるまで手抜きのない役者を揃えてこそ虚構性が強い活劇映画は成立する。そういった意味で先の映画は勿体無いことをしたと思う。

 ところで、「ワタリ」の中で汐路章が鎖の先についた輪っかを飛ばして相手の首にかけ、鎖をひくとその輪が締まって、相手の首に食い込む。と言う武器を使っていたが、「空飛ぶギロチン」そっくりの使い方で、しかも「片腕カンフー対空飛ぶギロチン」のように、この武器が飛ぶ瞬間「バキューン!」と銃声の効果音が使われていたけど、ひょっとして香港映画にも影響したかもしれない。後半、城の中にワタリが忍び込み、階を上がっていくごとに新しい忍者が待ち受けていると言う設定も「死亡遊戯」のパターンに似ていたし。

|

2009年12月19日 (土)

接吻

接吻 デラックス版 [DVD] DVD 接吻 デラックス版 [DVD]

販売元:ジェネオン エンタテインメント
発売日:2009/02/25
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 

一昨日は成城でレッスン。今回は結構厳しくなってしまった。目標が出来たから具体的なことを確り進めなくてはいけないですからね。野球で言うと、自主トレから春のキャンプに入った感じです。でも人に厳しくすると全部自分に跳ね返ってきますね。溝口じゃないが「反射」しています。このレッスンはそういった意味で非常に充実したものになっています。

 ところで先日観た万田邦敏監督の『接吻』改めて観ると本当に傑作です。小池栄子の芝居が素晴らしい。それと万田さんの映画に出てくる仲村トオルもいつもいいです。セリフが硬質なので、テレビドラマで見るとちょっと辛いなあと思うときもあるけど万田作品ではその硬質な部分が逆に活かされていて素晴らしい。カットバックと言うのは、安易に向き合っている同士が会話しているだけなものをカッティングのリズムだけで繋げると単調でつまらないものにしかならないんだけど、『接吻』の場合、ちょっとした身体の位置とか視線の動きで、感情の流れが左右されそこにサスペンスがうまれると言う、まさに「情動」「エモーショナル」な瞬間が生まれるように芝居もカメラの位置も計算してあって、だからこそカットバックでなくてはいけないのだと言う演出になっているところが凄いのです。その演出を堪能するだけでも楽しいのに、小池栄子がまた魅力的だから映画としてはパーフェクトです。

 万田さんの現場は1度だけスタッフとしてついたことがあります。「胎児教育」と言う関西のドラマダスの1本でした。このときは僕は監督デビューした後だったので、制作担当として変名でスタッフにかかわり、助監督1年目の青山真治を強引にチーフ助監督に仕立てて現場を進めた記憶があります。この頃はなんかディレカン末期でスタッフの陣容も滅茶苦茶になって、学生映画なのかプロの現場なのかようわからん状態でやっていました。制作担当だったので現場にベタで付き合ったわけではなかったのですが、黒沢さんとは違って芝居の演出に凝る監督だとその時は思いました。この頃撮った万田さんの2本「極楽ゾンビ」と「胎児教育」は、正直、才あり過ぎて観るものとの距離感、隔たりが大きくちょっと苦手でしたが、本当の意味でのプロデビュー以降の万田さんの映画は本当に素晴らしいと思います。青山の話では万田さんが一番やりたいのは「合衆国最後の日」のようなポリティカルフィクションだ、と聞いたことがありますが、「亡国のイージス」のような映画は本当は万田さんに撮って欲しかったし、これからも機会があれば是非観てみたいです。

|

2009年12月16日 (水)

銀座で辰巳さんイベントに参加

20091215161005

昨日は銀座で辰巳琢郎さん親娘のトーク&ミニコンサートに妻と一緒に行ってきました。銀座の十字屋ホールでのイベントと言うことで、セレブな奥様が殆どを占めると言う客席に座る僕はちょっと違和感があったかもしれません。でも真理恵ちゃんの歌声は素晴らしかった。クラシックの歌声を聞いていると、頭にいろいろ刺激がありますね。音楽は映画的頭脳を刺激します。歌っている時の表現力は本当に素晴らしいものがあるので、彼女には是非役者としても大成して欲しいと思いました。微力ながら我々夫婦もお手伝いしていきます。コンサート終了後は隣室のパーティスペースで、辰巳さんと三国ワイナリーが選んだスパークリングワインを飲み、クリスマスケーキを食べました。そういえばコンサートの最後にみんなで「きよしこの夜」を客席でも一緒に歌ったのですが、本当に何年ぶりかでしょう「きよしこの夜」を歌ったのは。たまにはこういうのもいいですね。

と、つかの間のセレブな時間を楽しんでいる間もなく、コンサート中に切った携帯のスイッチを入れたら、仕事関係の業務連絡が何件か重なって入っていて早々にお暇をすることに。辰巳さんにはその日の打上に誘われたのだけど、丁寧にお断りをして、帰って脚本の検討に入ることに。辰巳さんが選ぶイタリアンの店には大いに惹かれるものがあったが、もう一軒別件の連絡も他のライターと取り合うことになっていたので後ろ髪を思い切り引かれながら帰ることに。「奥さん一人でもどうですか?」と誘われたが妻も僕に付き合って帰ることになった。

携帯電話が全く鳴らない日もあるのに、なぜか映画を観ている時とかイベントに参加している時とか、そういう時に限って仕事の電話はかかってくることが多い気がしますが、本当は映画作りが一番楽しいはずですからね。人から連絡があるうちが華ですよ。

その後、川崎ラゾーナでキッシュやローストビーフを買って帰宅するとほっとしました。最近、多摩川を渡って帰ってくるとほっとするようになってきたのです。自分ももうすっかり神奈川の住民ですね。銀座の時間も楽しかったけど、川崎も好きです。

好きです川崎愛の街。

|

2009年12月14日 (月)

映画が見たかったのに・・・

 昨日も電話で昼夜に渡り3時間ほど打ち合わせ。今朝早く起きて、参考DVDを借りに多摩川を渡って東京へ。時間が合うので先日観たテレビシリーズアニメの劇場版を観てしまう。TV版は先日観て結構面白かったがこれは「劇場」で上映しているから「劇場版」であっても映画ではなかった。TV版から、第2部へと繋ぐエピソードであるが、それにしても商品として興行するならもっと一本の映画としてきちんと作らなくてはいけないと思う。3部作の「繋ぎ」にあたる映画と言うのは、これが初めてではない。「スターウオーズ帝国の逆襲」もそうだったし、「バックトウザフィーチャー2」もそうだった。それでも、それらの映画には「繋ぎ」のエピソードでありながら、確りと見せ場もあり物語の畝りもあって、エンタティメントとして観客に入場料金を払わせておかしくない作品にはなっていた。しかし、これは違う。あくまでTVシリーズを全て見て、第2部を見ることを前提に作られた「特典映像」でしかない。だから当初は連続公開される1月公開となっていたのだろうが、3月に興業が伸びた段階でプロデューサーの管理能力を疑われても仕方がないのではないかと思う。TVシリーズが11話、映画版が2部作。と当初から考えていたのであれば、この1部はもっと映画として確り作りこまなくてはいけなかったと思う。例えば、作家の側に立って考えるなら、連続ドラマ形式のTVシリーズでは、1話20分強の中に毎回見せ場を作って、ラストでは必ず次に繋がっていく展開にしなくてはいけないので、映画版はもっとゆったりとした時間軸で物語を動かしたかったのではないか?と考えるが、それなら80分と言う時間が短すぎる。これはB級アクション映画のランタイムだ。語る内容と映画の総尺が合わないから、物語の経済学が破綻してしまっている。これは興業として送り出したプロデューサーにも大きな責任があるとおもう。製作会社も配給会社もこの脚本で映画化にGOサインを出してはいけない。もっと脚本段階でつめてよりよい作品を生み出す選択肢はあったはずだ。

 TV版を楽しんだばかりだったので、非常に残念だった。それでも第2部には期待しますがね。映画秘宝のベストテンアンケートを書いていて、トホホ映画と言うのは最近投票しないことにことにしていたのだけど・・・。

 帰ってから、口直しに万田邦敏監督の「接吻」を妻と共に観る。大傑作。昼間のことは全て忘れよう。

 

|

2009年12月13日 (日)

東のエデン

今日、ある人と日暮里くんだりまで出掛けて打ち合わせ。そこで勧められた「東のエデン」と言うアニメの劇場版を見るために、川崎TUTAYADVDを全作借りてきて観る。CMとタイトル飛ばすと一本20分強だからあっという間に11本。面白かった。こういう形で現在を描ける実写作品がないのはどうしてなのか?フジテレビの枠もちょっと特殊だから出来た物語だろう。辻褄の合わないところがないわけではないし、無駄な描写も結構あると思うが、勢いで見せて行く力を持つ。最終話の60発のミサイル迎撃シーンは実写では表現できない、ちょっとした感動をさえあった。だが、このシリーズが本当に志の高い物語になるかどうかは、今後次第なのだろう。劇場版が相次いで公開される予定だったようだが、1月に公開される予定のものが延期になったのは脚本が遅れているからではないかと想像する。

劇場では記録的なヒットとなったようだが、願わくば確り完結させて欲しい。更なる鉱脈を求めて、続編を繰り返すようなことにだけはなってほしくない。

|

2009年12月12日 (土)

ミレニアム ドラゴンタトウーの女とか 高橋洋とナチの話とか

全世界で2100万部を売り上げたと言うミステリー小説の映画化。つい最近の「このミステリーがすごい」でも堂々の2位だから、小説は情報の楽しみ方も含めて面白いのだと思う。映画はヨーロッパ映画独特の背徳感漂う、サスペンスミステリーを美しい北欧の風景と共に描き出す。だが、病的なサイコを描いているのだがもう一つアメリカ犯罪映画のような怖さがないのは、同時代性と言うことなのだろうか?タイトルの「ドラゴンタトウー」の女は、魅力的なキャラクターだったが、犯罪性の本質に人間の闇がもう一つ描ききれていないのが残念だった。「セブン」や「羊たちの沈黙」以降の難しさを感じる。映画のモチーフにもなっている、ナチの残像と言うのが、きっとヨーロッパではいまだに恐怖の記憶が残っているのかもしれないので、その点で原初的な怖さが僕らとは違うのかもしれない。それは思想的と言うより遺伝的に染み付いてる感情だろうか?見終わった後で、宣伝部の女の子に「横溝正史みたいだねえ」と言っている初老の批評家らしき人がいたけど、ナチの面影と言うのは日本の土着的な怨恨と通じるものがあるのだろうか?僕にとってはナチの残党と言うと「キイハンター」で室田日出男さんが演じていた、狂った男のイメージが強い。映画自体は前半いらんエピソードがあるなあと思っていたけど、帰りに続編以降の原作の解説を読むと、どうしても描いておかなくてはいけないエピソードのようだった。

ナチと言えば高橋洋。かつて「発狂する唇」のネタ合わせをしていた時に「こんなのはいかがでしょう?」と語ってくれた話があるが、それがナチに絡む話だった。戸来(ヘライ)村と言う、キリスト教信仰の伝説がある村が舞台で、戦中、ナチ、それもゲシュタポに憧れる一人の憲兵がいた。イメージキャストは菅田俊。彼は、風呂屋の息子で、憲兵でありながら余りにもゲシュタポのスタイリッシュな服装に憧れるあまり、母親にゲシュタポのコートを縫ってもらう。やがて戦局が悪くなってくると、男は発狂し始め、ナチのユダヤ殺害に感動し、自らの風呂屋を改造して収容所と呼び、村中の女たちをユダヤ狩りと称しては監禁し陵辱の限りを尽くす。そして最後には風呂場に毒ガスを仕込んで皆殺しにしたのだ。・・・それから40年後。若い男女の大学生がこの村に研究にやってくると、この男の亡霊更には虐殺された女たちの亡霊が巨大な怨念のエネルギーと化して、若者たちを次々に襲い始める。と言うような内容だったろうか?このプロットは、「血を吸う宇宙」の企画の折に一瀬さんに口頭で聞いて貰ったことがあるような気がするけど、実現化しなかったのはきっと却下されてしまったのだと思う。

| | コメント (0)

2009年12月11日 (金)

自主映画 仁義なき戦い

 今回は敬称を略させていただきます。

今を遡ること25年前。東京には群雄割拠する自主映画グループの中で、大きな勢力図があった。まず、長崎俊一、石井聰互、矢崎仁司を中心として纏まっていた日大芸術学部系で、ここには役者を兼ねてプロデュース的なこともやっていた内藤剛志、内藤の友人の諏訪太朗もこのグループに属していた。このグループに割と近いところに、早稲田シネ研があって、山川直人、武藤起一らとの人材交流もあり、山川作品に長崎俊一が出演したり、武藤が長崎作品の8ミリ映画でカメラマンをやったり、山川映画のヒロインだった室井滋が長崎作品に出演したりしていた。系列は全く違うが、ここに山本政志、飯田譲治なども連なって、一大王国を形成していた。時を同じく、黒沢清、万田邦敏を頂点に立教SPPと言う団体が傑作を連発。敵対していたわけではないが、万田の口から「野蛮で好きではない」と言うような言葉は何度か聞いたことがある。早稲田シネ研は、その後、SPPとも連携していたし、「ドレミファ娘~」の現場には「革命前夜」の暉峻創三(法政)もいたりした。確か、園子温も法政絡みで現場の掃除とかに来ていた気がする。

 「仁義なき戦い」と銘打ったが、実際に抗争が起こったりしていたわけではない。しかし、なんとなく牽制する雰囲気はあった。事実僕が「ドレミファ娘の血は騒ぐ」の現場に入った時、「よその組のものとちゃらちゃらすない!」と「仁義なき戦い 頂上作戦」の三上真一郎のセリフを真似して矢崎のおじきに怒られたことがある。僕は、長谷川和彦監督を頼って上京してきたが、住んだのは高円寺にある寿荘と言う木造アパートだった。ここの主のように住んでいたのが矢崎仁司監督で、矢崎が地方に上映に行って矢崎の人柄に惚れて上京する若者たちの住処にもなっていた。一時期はアパートの殆どが自主映画青年か、役者を目指す怪しい男たちで、古かったせいもあるが、きちんとした手続きもなく勝手に住み着いては家賃をたまに払いに行くと言うもので、僕は北海道で自主映画の先輩だった森永憲彦と言う男を頼ってここに住み着いたのだが、まともな契約はなく、挨拶だけしにいったのを覚えている。この「寿荘」には毎夜のように、長崎組系の自主映画青年たちが来て酒盛りをしていた。そして「仁義なき戦い」に傾倒する矢崎は長崎俊一を「オヤジ」と呼ばせ、矢崎を「オジキ」と呼ばせようとした。そして、酒が入って酩酊状態になるとあろうことか、長崎組の一員になるには「杯を交わす」と言う名目で「仁義なき戦い」の菅原文太と梅宮辰夫が刑務所で「杯がないけん」と、自分の肘をカミソリで切ってお互いの傷から「血をすすり合う」と言うあの儀式をふざけ半分やらされた。僕は怖がって逃げて歩いたが、緒方明がカッターナイフで自分の肘を切り過ぎて、流血騒動となり大騒ぎになりかけたこともあった。あと、片手に8ミリカメラを持って自分へレンズを向け、もう片手にリボルバーのモデルガンを持ち、一発だけ平火薬の入を入れて、ロシアンルーレットのように、耳元で撃ってその反応を撮る。と言う肝試しもやらされた。

 僕は立教SPPの人たちとの個人的な交流はなかったが、「ドレミファ娘の血は騒ぐ」の助監督をやった関係から、黒沢清個人との付き合いは長く続いていた。万田邦敏は上記のような喧騒を忌み嫌ったが、黒沢清は好奇な目で見ていた。そして、あろうことか長崎俊一を自分の作品に「ネタ」として出演させようと画策した。「ドレミファ娘の血は騒ぐ」の1年後の再撮の折に相米慎二をモデルにした謎の男がコンテに描かれていたのを見たことがあるが、「相米がダメなら長崎さんではどうだろうか?」と、相談を持ちかけられたことがあった。また、「もだえ苦しむ活字中毒者地獄の味噌蔵」の大杉漣の演じた役を長崎俊一ではどうだろうか?と、初期段階で相談されたこともあった。これは実は長崎俊一には実に失礼な話で、長崎さんが普段マジメで格好つけているように見えたので、そういう人にカメラを向けるととても面白い反応になると言う実に人の悪い画策だった。僕が中原昌也を使って何本か自主映画を撮ったが、この黒沢清の陰謀の記憶があったからだと思う。

 さて、この対立していたわけではないが、なんとなく距離のあった二つのグループを結びつけたのがこの僕だ。長崎俊一監督で僕が脚本を書いた日活ロマンポルノ風のVシネに蓮實重彦風の大学教授として黒沢清に出演して貰ってから、僕が助監督でついた長崎作品には殆ど黒沢清は出演している。「誘惑者」で草刈正雄にマイクロフィルムを手渡す図書館の学芸員。「夜のストレンジャー」で、女にふられてホテトルを買いに行こうとイヤイヤついてくるサラリーマン。この時の同僚を諏訪太朗と僕が演じている。「最後のドライブ」で玉置浩二が自首する交番の警官。「ナースコール」で渡部篤郎のレントゲンを撮る技師。全て、主役と絡む「役者」として出演し、全て僕が出演交渉を行ったが、一度も断られたことはなかった。「ナースコール」は編集の都合上本編にはなくなったが、この報告をしたとき寂しそうな顔をして「クレジットの名前はどうしますか?」と聞いたとき「僕がここにいたと言う存在証明のためにも残しておいてくれ」と言われた。

 こうして、長崎俊一と黒沢清の間に小さな友情が生まれ始め、最初は好奇な目で長崎俊一を見ていた黒沢清も、プライベートな飲み会を楽しむようになって、何回か飲み会を設定した覚えがある。長崎組と黒沢組の手打ちとなったわけだ。その証が前にも紹介した黒沢清脚本、長崎俊一監督の幻の2時間ドラマの企画だった。あれが実現していれば、相当に面白いものが出来たと思うが、実に残念だ。

 その後僕が独立してから、こういう機会は減った。青山とか新しい存在も出てきたし、Vシネブームでみんな本当に忙しくなってしまったのだ。それでも当時の人々はしぶとく映画を作り続けている。みんな50を過ぎて初老の領域に入ろうとしているが、元気だ。

矢崎の「オジキ」が久々に新作を撮ったと言うニュースを見て、いろいろと思い出したのだった

| | コメント (2)

2009年12月 9日 (水)

古木克明に関して私が知ってる二三の事柄

 オリックスバファローズの古木克明選手が昨日、格闘技選手への転身を発表した。98年オフ。松坂大輔のハズレ1位として、横浜ベイスターズにドラフト1位指名された古木は、当時のマシンガン打線の次世代のヒーローとして大事に育成されていた。妻は豊田大谷高校時代から古木のことをよく知っていたので、余計に応援していた。僕と妻が初めてデートをしたのが99年7月の横浜対ヤクルト戦だったが、その試合で古木は1軍打席デビューを飾っている。そんな縁も有って入団以来僕らは古木選手を応援してきた。2軍の試合にも頻繁に通って、古木の活躍をこの目で直接見てきた。当時のベイスターズの2軍には、古木を筆頭に内川、小池、七野、田中一徳など華が有って将来楽しみな高校生出身選手が多かった。横浜から移籍してしまった多村選手、相川選手もこの頃はまだ20代前半で、1軍、2軍を行ったり来たりで、打線に厚みがあって、まさか将来ベイスターズがこんな事になるなんて思いもよらなかった。

 02年秋、外国人獲得の度重なる失敗で、貧打にあえいでいたベイスターズに彗星の如く古木は登場する。1ヶ月で9本塁打。10月の消化試合では4番も体験することになった。このオフ、松井秀喜がメジャーに移籍し、スポーツマスコミはこぞって古木を松井のあとを担うNPBのスターとして祭り上げた。03年初頭の正月のNHKの番組には、朝青龍や女子レスリングの浜口京子と共に日本のスポーツ界をリードしていくアスリートの代表として出演したりしていたから、映画でいう主役の華はあったのだろう。

 Furuki Furuki2

これはその頃の写真。その年の春のキャンプは直接見たが、前年度最下位に沈みなんとか人気を浮上させたいベイスターズは古木に白羽の矢を立て、必死で開幕からスタメンを張らせるためにチーム全体が古木を後押ししていた。思えば、この球団の方針がその後の古木の運命を狂わせることになったのだと思う。山下新監督にも課せられたのが古木と村田の育成と起用であった。だが、古木にはこの時まだ1軍のスタメンで活躍するには致命的な欠点があった。あまりにも守備が雑すぎたのだ。山下監督は「短所欠点を修正するより長所を伸ばす」方針であったが、開幕シリーズから古木は守備でのミスを連発。それでチームが負けても古木はスタメンで使われた。守備のミスがメンタル面にも及んだのか打撃の方もどんどん荒くなり、本塁打こそ20本以上を打てたものの打率、打点では期待を大きく裏切る結果になった。

 翌年のキャンプでもこの方針は変わらなかった。サード守備で村田に負けた古木は外野コンバートされるが、打球判断が悪くイージーフライを落球するようなプレーが目立った。それでも山下監督は我慢強く古木には期待したと思う。ところが、2年続けて最下位の責任をとらされる形で山下監督が退団し、投手出身の牛島監督が就任し、守備重視の方針から古木の出番は減った。スター扱いを受けていた古木はチームの方針転換と共に代打屋扱いに変わり、それでも何度か機会は与えられたと思うがその数少ない機会に古木はやはり守備でのミスを見せてしまい、スタメンからその姿を見る機会は大矢監督の時代にいたっても変わらなかった。

 人生は難しい。「短所を直すより長所を伸ばす」という山下監督の方針はある意味間違いではなかったが、世間の期待と古木の実力が余りにも乖離していた。古木のライバルとして入団した村田との違いは、実力でポジションを勝ち取った選手と、与えられたポジションで祭り上げられた選手の違いだ。それでも僕らは、春のキャンプに深夜近くまで打撃コーチと共にバットを振り続けていた古木の姿をみている。03年春、04年春の夜の室内練習場は古木のボールを叩くバットの音が毎夜鳴り響いていたのは確かだったのだ。彼は必要以上の期待をかけられ、そのプレッシャーにも負けずに練習をしていたのは確かだ。だが、守備への意識の低さがその後打撃にも影響しやがてポジションを失ってしまうことになるとは思いもよらなかったろう。

 その後、古木はオリックスバファローズへトレードされ殆ど1軍で活躍する姿を見せないまま、昨日プロ野球を引退し格闘家への挑戦を表明した。この古木の凋落ぶりは、この時代の横浜ベイスターズの凋落ぶりに当てはまる。チーム作りの初動段階での方針の甘さ。欠点を修正しなかったが為に欠点よって長所も呑み込まれてしまう。野球は個人プレーであると同時に生きた集合体でもあると思う。それは映画にも同じことが言えるかもしれない。古木は言わば「芝居の基本がダメでも、ルックスとアクションがいいから」といきなり主役に抜擢されてしまったアイドルみたいなものだったのかもしれない。最初はそれでもいい。しかし、厳しい競争に勝ち残っていくには、基礎を疎かにしてはいけない。余談になるが、黒川芽以や小出早織がNHKのドラマなどで頻繁に見られるようになってきたのは、彼女たちがアイドルから女優へと伸びていく過渡期を経験しつつある結果だ。彼女たちは基礎を疎かにはせず、舞い上がらず頑張っている。

 古木にとって失われた00年代を取り返すことが出来るかどうか、それはまだわからない。ただ、ひとつ言えるのは、育成段階での方針の失敗と本人の意識の低さから野球界は大型選手をひとり失ったということだけだ。トライアウトに2回挑戦し失敗し、そこで野球を捨てた古木。なぜもっと泥臭く野球にしがみつき、台湾、韓国、または独立リーグでも頑張ろうとしなかったのか?おそらく、実力を伴わないのにスター扱いされた故に生まれたプライドがそれを許さなかったのだろうか?可能性はまだ残る年齢だっただけに残念だ。

 「スマッシュ」という団体で格闘家へ転身してそこで確りやっていけるかどうか、しかし、一度逃げた人間には僕はもはやなんの興味もない。

|

2009年12月 8日 (火)

脚本打ち合わせ

 昨日はようやく上がって来た脚本に関して午後から日暮れまでライターと打ち合わせ。渋谷のホテルのティールームはコーヒーのお代わりも出来るからちょっとした打ち合わせにはいいんだけど、業界関係者が結構多いのが難点。昨日もある俳優事務所のスタッフや、某劇団の座長と最近結婚した女優の組み合わせなど。僕の声は結構大きくて通るのだが、打ち合わせに熱中してしまうと小声で話すわけにもいかず、内容も内容だけに次ぎからは打ち合わせの場所を考えなくてはいけないかもしれない。脚本家が愛煙家であるので場所を選ぶのだけど。場所だけなら、自宅の近くにある奥さんの実家に学習塾をやっているスペースがあるのだけど、川崎だし、煙草は吸えないから多分無理だな。かつて高橋洋さんとは、浜田山のジョナサンで1週間毎にランチ食べてから夕食時間まで8時間話をしながら「発狂する唇」の構想を練っていたことがあったけど、ファミレスは子供を連れた若いお母さんたちが大挙してやってくると子供たちの叫ぶ声が煩くなるんだけど、あの頃は気にならなかった。いまは、ホテルのティールームが静かで以外にコーヒーのおかわりサービスもあるのでこういう場所を使うことが多くなった。10年くらい前までは新宿の「らんざん」が圧倒的に多かったけど、あそこも低予算映画やピンク映画のスタッフのスタッフルーム化していたので、後半は足が遠のいた。

 街中にフランチャイズのコーヒー店が多くなってきて、仕事で話が出来る喫茶店が少なくなってきた気がする。

|

2009年12月 5日 (土)

フィリップ・カウフマン 「ミネソタ大強盗団」

ミネソタ大強盗団 [DVD] DVD ミネソタ大強盗団 [DVD]

販売元:紀伊國屋書店
発売日:2009/11/28
Amazon.co.jpで詳細を確認する

フィリップ・カウフマンの「ミネソタ大強盗団」をDVDで観賞。地味なキャストに渋いカメラワークと演出。70年前後の西部劇と言うのはどうしてこうもせつないのだろうか?

映画への憧れと絶望とそれを冷徹な視線で描き出している。ある意味先日観た「イングロリアルバスターズ」とは対極にある映画だ。ただ、当時のポスターを見ると、デザインと言い配色といいまるでマカロニウエスタンのようなのが面白い。

惹句も「西部に轟く皆殺しの銃弾!血しぶき染まる暁の荒野!ミネソタに散った・・・」

まあ確かに、主人公も回りの登場人物も殆どが血飛沫に染まるし、暁の荒野も出てくるし、ミネソタにも散るのですが、これをマカロニウエスタンのような活劇映画として観に行くと後半の銀行襲撃まで殆ど何も事件が起こらないで、旅をして風呂に入ったり、蒸気自動車に感激したり、創世記の野球をのんびり観戦したりしているだけだから拍子抜けはしたかもしれない。それでも、全体の色彩を落として光を絞り込んだブルースサーティースのカメラは、まるでそこに我々が存在して、ジェシー・ジェームスやコール・ヤンガーと同じ時代の同じ空気を吸っているような勘違いをさせられる。後に、この地味な映画を気に入ったイーストウッドが自分のプロダクションにカウフマンを招いて「アウトロー」を撮らせようとした理由もよくわかる。ただ、映画の後半「皆殺しの歌」のように低くメランコリックに歌う娼婦の歌が効果的に使われ始めると、叩きつける雨の中の泥まみれの強盗シーンまで爽快感皆無のアクションが僕らを感動に導き出す。襲撃する銀行前にイベントの為に置かれていた「蒸気オルガン」の音と蒸気の効果的な使い方まで含めて演出が行き届いて、この襲撃シーンはもっと演出的評価をされるべきだ。

余談になるがブックレットには、イーストウッドに雇われたカウフマンが「アウトロー」クランクイン一週間で解雇され、脚本クレジットだけ残った話が載っていて、カウフマンは衝突の理由に芸術的な乖離ではなく、「俳優としてのイーストウッドが本番テイクを一回で終わらせたく、その理由は馬が怖かったから、馬絡みでテイクを重ねることをイーストウッドは嫌がった」と語っている。イーストウッドは今でも演出する時にテイクワンオーケーを大事にしていることは有名だが、馬が怖かったからかどうかはともかく、テイクワンオーケーと言う方針はやはり俳優出身監督故の演出論なのだと言うことを思った。

|

2009年12月 4日 (金)

成城でレッスンとか 栄光なき野郎どもとか

昨日は、成城で妻と共にレッスン。相変わらず妻の求めるものは厳しい。そのおかげでかなり充実したレッスンになっている。僕は、演技の根幹はなんなんだろうと言うことをいつも考えさせられるが、やはり根本は演じる俳優が自分の理想の演技をイメージ出来ているかどうかにかかってくるのではないかと思う。脚本のキャラクター造形を深く読み込んで自分で完成させられるかどうか?僕は、現場で俳優さんがアドリブを連発しても全然面白ければ構わないが、やはり脚本に書かれたキャラクターから逸脱して、その物語に対して与えられた役柄、役割を逸脱するようなアドリブは許せない。どんなに逸脱しても、戻ってくる根幹さえ確りしていてくれればオーケーなのだが・・・。だからとにかく、自分の理想を高く持って作品に臨む事。これは監督や脚本家でもそうだと思うが、日々の仕事に流されず、理想を失わずに頑張るのは難しい。そう言う時は、理想の映画を観る。それしかない。

前日は、タランティーノの「イングロリアスバスターズ」を川崎の109シネマで妻と観賞。映画に対して実に誠実な志を感じた。それはパンフレットに書かれているような既成の映画のアイテムやオマージュが散りばめられているからでは決してなく、映画だけに流れている歴史を自作によって再現させ、それを確りと娯楽映画に仕立てる演出能力故の志なのだ。確かに物語映画として見れば不満なところを持つ人もいるだろう。ブラッド・ピットはヒーロー的活躍をするわけではないし、派手な戦争活劇でもない。どちらかと言うとヨーロッパで多く作られていたパルチザン映画的な戦争スパイ映画としての色合の方が強かった。でも2時間半たっぷりと映画の心地よさに身を任せることの出来る映画ではあった。「Kill BIll vol1」以外のタランティーノは大概いいなと思います。しかし、それでもやはりもっとまともな邦題をつけて欲しかった。

ブラッド・ピットがおかしかったので、帰って久々に「ファイトクラブ」を観たくなりアマゾンでブルーレイを注文。昨夜レッスンから帰ってきて観たけど、面白かった。デビッド・フィンチャーも、デビッド・リンチもいかれた世界を描いているようでいて、実に撮り方がオーソドックスで映画に誠実なところに好感を持つ。そして、ブルーレイのDTSHDの音響設計の再現度の素晴らしさを改めて思い知る。

|

« 2009年11月 | トップページ | 2010年1月 »