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2009年12月 9日 (水)

古木克明に関して私が知ってる二三の事柄

 オリックスバファローズの古木克明選手が昨日、格闘技選手への転身を発表した。98年オフ。松坂大輔のハズレ1位として、横浜ベイスターズにドラフト1位指名された古木は、当時のマシンガン打線の次世代のヒーローとして大事に育成されていた。妻は豊田大谷高校時代から古木のことをよく知っていたので、余計に応援していた。僕と妻が初めてデートをしたのが99年7月の横浜対ヤクルト戦だったが、その試合で古木は1軍打席デビューを飾っている。そんな縁も有って入団以来僕らは古木選手を応援してきた。2軍の試合にも頻繁に通って、古木の活躍をこの目で直接見てきた。当時のベイスターズの2軍には、古木を筆頭に内川、小池、七野、田中一徳など華が有って将来楽しみな高校生出身選手が多かった。横浜から移籍してしまった多村選手、相川選手もこの頃はまだ20代前半で、1軍、2軍を行ったり来たりで、打線に厚みがあって、まさか将来ベイスターズがこんな事になるなんて思いもよらなかった。

 02年秋、外国人獲得の度重なる失敗で、貧打にあえいでいたベイスターズに彗星の如く古木は登場する。1ヶ月で9本塁打。10月の消化試合では4番も体験することになった。このオフ、松井秀喜がメジャーに移籍し、スポーツマスコミはこぞって古木を松井のあとを担うNPBのスターとして祭り上げた。03年初頭の正月のNHKの番組には、朝青龍や女子レスリングの浜口京子と共に日本のスポーツ界をリードしていくアスリートの代表として出演したりしていたから、映画でいう主役の華はあったのだろう。

 Furuki Furuki2

これはその頃の写真。その年の春のキャンプは直接見たが、前年度最下位に沈みなんとか人気を浮上させたいベイスターズは古木に白羽の矢を立て、必死で開幕からスタメンを張らせるためにチーム全体が古木を後押ししていた。思えば、この球団の方針がその後の古木の運命を狂わせることになったのだと思う。山下新監督にも課せられたのが古木と村田の育成と起用であった。だが、古木にはこの時まだ1軍のスタメンで活躍するには致命的な欠点があった。あまりにも守備が雑すぎたのだ。山下監督は「短所欠点を修正するより長所を伸ばす」方針であったが、開幕シリーズから古木は守備でのミスを連発。それでチームが負けても古木はスタメンで使われた。守備のミスがメンタル面にも及んだのか打撃の方もどんどん荒くなり、本塁打こそ20本以上を打てたものの打率、打点では期待を大きく裏切る結果になった。

 翌年のキャンプでもこの方針は変わらなかった。サード守備で村田に負けた古木は外野コンバートされるが、打球判断が悪くイージーフライを落球するようなプレーが目立った。それでも山下監督は我慢強く古木には期待したと思う。ところが、2年続けて最下位の責任をとらされる形で山下監督が退団し、投手出身の牛島監督が就任し、守備重視の方針から古木の出番は減った。スター扱いを受けていた古木はチームの方針転換と共に代打屋扱いに変わり、それでも何度か機会は与えられたと思うがその数少ない機会に古木はやはり守備でのミスを見せてしまい、スタメンからその姿を見る機会は大矢監督の時代にいたっても変わらなかった。

 人生は難しい。「短所を直すより長所を伸ばす」という山下監督の方針はある意味間違いではなかったが、世間の期待と古木の実力が余りにも乖離していた。古木のライバルとして入団した村田との違いは、実力でポジションを勝ち取った選手と、与えられたポジションで祭り上げられた選手の違いだ。それでも僕らは、春のキャンプに深夜近くまで打撃コーチと共にバットを振り続けていた古木の姿をみている。03年春、04年春の夜の室内練習場は古木のボールを叩くバットの音が毎夜鳴り響いていたのは確かだったのだ。彼は必要以上の期待をかけられ、そのプレッシャーにも負けずに練習をしていたのは確かだ。だが、守備への意識の低さがその後打撃にも影響しやがてポジションを失ってしまうことになるとは思いもよらなかったろう。

 その後、古木はオリックスバファローズへトレードされ殆ど1軍で活躍する姿を見せないまま、昨日プロ野球を引退し格闘家への挑戦を表明した。この古木の凋落ぶりは、この時代の横浜ベイスターズの凋落ぶりに当てはまる。チーム作りの初動段階での方針の甘さ。欠点を修正しなかったが為に欠点よって長所も呑み込まれてしまう。野球は個人プレーであると同時に生きた集合体でもあると思う。それは映画にも同じことが言えるかもしれない。古木は言わば「芝居の基本がダメでも、ルックスとアクションがいいから」といきなり主役に抜擢されてしまったアイドルみたいなものだったのかもしれない。最初はそれでもいい。しかし、厳しい競争に勝ち残っていくには、基礎を疎かにしてはいけない。余談になるが、黒川芽以や小出早織がNHKのドラマなどで頻繁に見られるようになってきたのは、彼女たちがアイドルから女優へと伸びていく過渡期を経験しつつある結果だ。彼女たちは基礎を疎かにはせず、舞い上がらず頑張っている。

 古木にとって失われた00年代を取り返すことが出来るかどうか、それはまだわからない。ただ、ひとつ言えるのは、育成段階での方針の失敗と本人の意識の低さから野球界は大型選手をひとり失ったということだけだ。トライアウトに2回挑戦し失敗し、そこで野球を捨てた古木。なぜもっと泥臭く野球にしがみつき、台湾、韓国、または独立リーグでも頑張ろうとしなかったのか?おそらく、実力を伴わないのにスター扱いされた故に生まれたプライドがそれを許さなかったのだろうか?可能性はまだ残る年齢だっただけに残念だ。

 「スマッシュ」という団体で格闘家へ転身してそこで確りやっていけるかどうか、しかし、一度逃げた人間には僕はもはやなんの興味もない。

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