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2009年4月19日 - 2009年4月25日

2009年4月25日 (土)

山田センセーNHK

 そういえば、今日打ち合わせから帰ってきたら妻が「山田先生NHK出ていたよ」とNHKゆうどきネットワーク『●ニッポンを斬る 「格安宿泊プランの裏側」』と言う番組を録画していてくれたので、ちょっと見ましたが懐かしかったなあ、「教えて山田センセー」がNHKに出ていました。山田先生は「女子大生会計士の事件簿」の原作者だったわけですが、僕にとっては同番組7話のゲスト俳優でもあったわけですから、原作者であると同時に被写体として見てしまうんですね。今日の山田先生は、僕の演出会で台詞を喋っている時よりずっとリラックスしてすっかりカメラに慣れていらっしゃるように見えました。

 元気そうで何よりです。また機会があればお会いしたいな。

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2009年4月24日 (金)

打ち合わせとか鰻とか

 午前中から広尾で一瀬さんとライターと映画の脚本打ち合わせ。お昼過ぎから、ライターと共に渋谷の「大和田」に入って、鰻を食べながらさらに打ち合わせ。大和田は、渋谷の外れにある昭和初期の建物を使った老舗中の老舗だが、食事を取るのが風情ある全て日本間の個室と言うのがよい。鰻が焼けるのを待ちながらゆっくりと打ち合わせし、食事してまた小一時間畳の部屋で足を伸ばして、徹底的に打ち合わせ。なんだか昔の映画人になったみたいで良かった。外でライターと会って打ち合わせと言うとファミレスでドリンクバーのコーヒーを腹にたっぷり入れながらの打ち合わせが多くなるが、幼児を連れたお母さんたちがやってくるとけたたましい笑い声と子供のはしゃぐ声で打ち合わせになんかならなくなってしまうことが多いので、缶詰になって泊まりで旅館で脚本を仕上げると言うより、数時間の打ち合わせならこういう個室でうまい鰻なんかを食いながら話をすると、結構いいアイディアが浮かんできたりする。

 鰻は1匹半はいったうな重はさすがにきついので、1匹入ったのにしたがこれでもうお腹は充分だった。「大和田」は外に出ると、ラブホテルの看板が並ぶホテル街の一角になってしまったが、隠れ家的な要素があって中々楽しかった。うまい鰻食ったんだからいい脚本あがってくることを信じよう!

「大和田」の鰻は、関東風の蒸した柔らかい鰻であるが、厚みがあって食べ応えがあり大変満足の鰻だった。

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女子高生の下品なファッションに関して

 数日前に横浜から川崎へ帰ってくる電車に乗っていると、鶴見あたりから女子高校生たちが大挙して乗ってきたんですが、その中の数人がスカートの下にジャージを履いていたりするんですね。長いのをはいている子もいれば、短く自分でカットしてスカートのしたから半ズボン履いているような子もいる。煤煙の街鶴見だからかなとか思ったけど、そんなのダウンタウンブギウギバンドの頃の話だし、充分首都圏なわけで、彼女らもある意味「東京少女」なわけで、都会に住む10代の女の子の服装としては非常にみっともないなと感じました。

 少し前の話になりますが、「恋する日曜日」のロケ中、ロケバスに乗っていて、同じようなスカート内ジャージの女の子が外を歩くのを見つけた時、水沢エレナさんは「絶対ああいう格好は許せない。信じられない。見るのもいや」とちょっと怒った表情で言っていました。同世代のセブンティーンのトップモデルである水沢さんが言うんだから、やはり本当に格好悪いんでしょう。でもきっと本人たちもださい格好であると言うことはわかっているとは思うんですよね。その方が暖かいとか、服装を乱して着るのが楽で楽しいってこともあると思うんですが、10代のうちはそんなに化粧をしなくても充分美しい可愛い時期でもあるのと同時に、自分がいかに美しく見えるかを客観的に身に着けていって欲しいものだと思うわけです。

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2009年4月22日 (水)

黒沢清の数学的な演出術

ディレクターズカンパニー末期の頃、高橋洋さんや黒沢さんの紹介でディレカンとは縁も所縁もない若手監督がドラマダスと言う関西ローカルのドラマ枠を何本か撮ることになり、しかし、やはり撮影所的気質のディレカンのスタッフは、一応相米組、池田組、井筒組など監督系列の助監督たちが多かったので、インディーズや自主映画上がりの監督の助監督はやりたがらなかったので、自然とこういう仕事は黒沢組の出番となり、黒沢さんがラインプロデューサーをやり僕がチーフ助監督を勤めた「裸でご免なさい」と言うドラマがあった。監督は植岡喜晴さん。殆ど自主映画のような現場作りで、役者もひさうちみちおさんが主演で、かとうけんそうや僕や黒沢さんも自ら出演したりしていた。

そんな撮影が廃墟で、深夜に及んでいた時のことだった。植岡さんの演出で、円筒形の鏡の中に人の顔が覗くと言うカットがあった。サミュエルフラーの演出や黒沢さんの「ドレミファ娘の血は騒ぐ」などでもやっていたカットの流用で、違うのは鏡が均等に何枚か内側に貼り付けられていて人の顔が万華鏡のように映りたい。と言うものだった。だが、これを美術部が忘れてしまったのだ。その報告を下の助監督から受けて、僕と黒沢さんは「どうしようか?」と考えてしまった。美術部は単に倉庫に忘れてきたと言うことだけではなく、すっぽりプランから抜け落ちていたのだ。助監督を怒りつけるのは簡単だが、それでは何も解決しない。この頃の僕は現場処理の天才的な閃きが結構あって、廃墟の地下のトイレに何枚か鏡が貼り付けられたままであることを思いついた。黒沢さんと地下室まで行くと、「これは使えるね」と黒沢さんは言った。そして、一階のホールに戻ってくるとおもむろに紙にボールペンで線を引き始め、何センチの鏡が何枚あれば均等に人の顔を取り囲んで映し出せるかを、図形と数式を用いて計算し始め、美術部に地下の鏡をどれくらいの大きさに切り取ってくれば成立するかを指示出し始めた。

結局この作戦は成功し、撮影は事なきを得た。それからしばらくして僕が一度現場へ行って、もう一度ホールへ戻ってくると、黒沢さんが一人で紙に延々と何か書き込んでいた。「何してるんですか?」と声をかけると、「いや、どうせ朝まで撮影だろうから退屈してねえ」と、紙を見せてくれた。そこには何通りもの図形と数式が書かれていた。自分で任意に円と線を書き、そこに交わった部分の面積を計算する問題を自ら作ってから方程式を用いてその問題を解くということをしていたのだ。僕は知り合いで、数学の問題を自分で作って自分で解くことを暇つぶしにやっている人をその時にはじめて見た。同時に黒沢さんの演出の方法論のルーツをそこに観た気がした。

「スイートホーム」の頃まで、黒沢さんの現場ではクランクアップまでの全てのコンティニュティが事前にスタッフに配られていた。このコンテが実に息を呑む見事なコンテで、コンテを見ただけでどういう映画が出来上がるか全てが計算し尽くされ、尚且つその絵に躍動感があった。そのコンテを見て、少しは映画的知識がある人なら、どういう映画を撮りたいか完全に把握できてしまうコンテだった。例えば寄りの絵があって、次に引きがあてと言うことでだけではなく、引きの絵の中で人物がどういう方向に向かって芝居をして、どういう方向からカメラが撮るのか全てが書かれていた。それはまさに数式だった。このシーンはこう撮らなくてはいけない。映画と言うものが、いろいろな撮り方があって、今回はこの撮り方を選択しました。と言う余地を残す文学的なものではなく、唯一無二の絶対なひとつの価値観だけ、まるで数学の方程式のような演出術だった。ただし、この演出術には罠があって、ひとつでも撮りこぼすと数式が成立しなくなると言うことだった。「スイートホーム」の現場では、このコンテに伊丹十三氏が介入を始め、結局コンテが崩されていくことが多々あったのでコンテ禁止令がだされてしまったりしたこともあった。

「スイートホーム」の現場以降、黒沢さんはこのコンテ至上主義をやめて、1カットの長回しの中でどれだけ役者を動かし得るかと言うことに方針を転換し始めた。現実的な現場への順応と言うこともあったと思うが、だが、僕が現場で見た限りは、エキストラの動きまで全て計算して指示を出す姿に、やはり数学的な脳が黒沢さんの中では働いているのではないかと思われた。Vシネ以降の現場に僕はついていなくて、初号試写の時に見せていただいていただけだったので、なんとも言えないが、実際に20日間で2本撮りだった「勝手にしやがれ」シリーズなどでは、この1カットの中での人物の動かしが実に見事だった。

黒沢さんの映画の見事な演出を観ていると、深夜に独りで数学の問題を作り、解いていた姿を思い出す。この時代はとにかくアメリカ映画を我々でも撮るんだと言うことに果敢に挑戦し、そして挫折した時期でもあったので現在とは演出の考え方も違っていると思うが、文学的に映画を捉えがちな監督が日本映画には圧倒的に多い中、黒沢さんは極めて理数系的な監督であると思うのです。そういえば、あの頃のコンテは引越しの時に助監督になったばかりの青山にあげた気がする。少年のように目を輝かせて青山は持って帰ったと思うが記憶が定かではなくなってきた。

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2009年4月21日 (火)

恋する星座 MA

 朝、映画の脚本がようやく送られてきたのでお昼をはさんで14時頃まで熟読して直しの方向性、更なる修正箇所を洗い出す。流石に映画の脚本は長いので精査して読むと一本見る以上の時間かかる。本当はもう何回か読みたかったけど、夕方から「恋する星座」のMAだったので、麻布十番の遠藤のスタジオに出かけていく。

 「恋する星座」は音のつけ方が、ドラマ的な要素が残っていたので、もっと5分間のウエブムービー、それも携帯でも見ている人たちがいかに退屈しないで見ていけるかを考え、音付けの方向性を根本的にやり直したりしてもらったら結構遅い時間になってしまった。「怪談新耳袋」がかつて短編だった時代が4分50秒で、今回が5分。この5分と言う時間は結構長いんですよ。だから、少しでも間を作ると凄いたるくて長い時間を感じてしまうことになる。5分と言うのは結構語りきれる時間ではあるのです。それでいて、短い緩急は使わないといけない。かと言って、じっくりと芝居を観ていけると言う種類の内容でもない。しかし、こっちの無茶苦茶なオーダーに遠藤はよく答えてくれるなあ。今回バーナードハーマン「サイコ」だとか20年前のラテンディスコ曲(クラブではない)「ランバダ」とか「おくさまは18歳」だとか、好き勝手言ったものがちゃんとオリジナル曲として作曲されて出てくるものなあ。今回は1本だけ大幅な修正変更を頼んでも簡単に直せたのは、ここ数年で何十本も一緒にやっているので、お互いの読みはそう間違ってはいない結果だろう。

 「恋する星座」撮影の時は天災に見舞われ、雨、大風、雹などかなり大変なものがあり、雨待ちや雹待ちをしていたら日が暮れそうになって、1シーンを物凄いスピードで撮らなくちゃいけない局面を迎えたりして大変でしたが、真野恵里菜さんの頑張りとスタッフの力のおかげで中々面白いものが仕上がったと思います。BS-TBSでも放送されるので、ハイビジョン画質でも堪能できると思いますので宜しくお願いします。

 さて今日はもう一度脚本のお勉強だ。

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2009年4月19日 (日)

バラを見る会

 昨日は妻と共に成城の辰巳琢郎さん邸でバラを見ながらワインを呑むと言うパーティに行ってきました。草刈さんのおうちにも大きなパーティスペースがありますが、辰巳さんのお家にも相当セレブなさすが成城と言うようなパーティスペースがあります。普段はここでご息女のレッスンをやっていたりしています。辰巳さんの奥様がテーブルセッティングや飾り付けをやられていて、この日はさらに辰巳さん自ら照明セッティングもされて、庭に咲き誇るバラが美しくライトアップされていました。招かれているお客様たちも、芸能関係のみならず、辰巳さんの交友関係の広さを改めて驚いてしまうような財界の人々やオーストリア大使など本当に様々な人々がたくさん来ていました。僕は妻と、「陽炎の辻3」が始まったばかりの山本耕史さんや小澤征悦さんと映画の話やテレビと映画の現場の違いなど熱っぽく語り合って、中々楽しかったです。その間、音大に通う辰巳さんの娘さんが歌うクラッシク曲を聞いたり、ヴァイオリニスト松尾依里佳さんとチェロの村中俊之さんのデュオ演奏を聞いたりと言うイベントもあってついついワインも進んでしまいました。

 この2人の室内楽は本当に素晴らしくって、室内楽と言うものは本当に室内の空間で聞くと音の厚みが直に迫ってきて、コンサートホールで聞くのとは全然違う迫力を感じました。松尾さんはタレントとしても最近はネプリーグなんかにも出演なさっている素敵な若手の演奏家です。もし機会があれば聞いてあげてください。

 http://www.erika-m.jp/

 昨日はオーストリアワインがメインで中でも濃厚な赤ワインでありながらスパークリングになっているワインがあってそれが美味しかった。酔っ払っていたので銘柄の確認を出来なかったのが悔やまれます。

 そして深夜になろうとする23時頃に多聞さんがようやく来たので、僕は会場を案内してちょっとだけ歓談。もともと辰巳さんは多聞さんに紹介されたのですが、こうして皆で顔をあわせるのは初めてでした。多聞さんの登場で本当はもっと呑んでいたかったのですが、電車がなくなってしまう時間になったのとそれまで相当にワインを呑んでいしまっていたのでこれ以上呑むと間違いなく今日一日を潰してしまうことになるので失礼して返ってきました。本当に楽しい会で、こういう会に呼んでいただいた辰巳さん一家、それに辰巳さんと僕を引き合わしてくれた多聞さんには感謝です。人と人との繋がりって本当に大事ですね。

 成城の町を妻とほろ酔い加減で歩きながら、そういえば成城に住んでいた峰岸徹さんと草刈さんと3人でこの成城で呑む約束をしたのに果たせなかったなあと、そんなことを思い出しました。

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