六本木のハイアットリージェンシーの「旬房」で一瀬さんやライターと昼食をとりながら打ち合わせ。写真はそのとき食べた三段重ねのお弁当。これが非常に美味しかった。脚本の方はここからが映画としての生きた脚本作りに入る一歩手前。まだまだ頑張らなくては。美味しい弁当をいただきましたが、映画のほうもこれくらいに潤沢なエンタテイメントになるように頑張ります。いや、これに毒がいっぱい盛られているような内容のものにしなくてはね。見た目贅沢でうまそうだが食べると憤死しそうな映画を創りたいと考えます。
帰ってから、野球をちょっとだけ見て、夜は久しぶりにかかってきた高橋洋さんと電話で1時間くらい喋る。若いプロ志望の脚本家や監督が、締め切りだとか制約は勿論、プロデューサーから与えられるプレッシャーの中で仕事が出来る環境が少なくなって、打たれ弱くなってきているのではないかと言う話が興味深かった。高橋さんはVシネマで揉まれてきた僕らの世代はそこで強くなったのが大きいと言う。黒沢清や三池さんを筆頭に僕らの年代まではそこそこの予算でVシネマを撮る事が出来て、そこで嫌でも締め切りだとか予算を守らないととんでもないことになってしまうことを知った。が、今の若い人はそう言う修羅場をくぐっていないので、例えば脚本やプロット作成の仕事をチャンスとして与えた時に、締め切りまでに仕上げられなかった時の危機管理が出来ず、「あと一言」が足りずに自分を追い込んでしまうことが多いと言う。「あと一言」と言うのは時間や締め切りが守れないときに、それが予測される時点で「~までの約束でしたが、どうしても~が思いつかないのであと**日ください」と言う連絡だ。この一言がないまま、打ち合わせ前日まで引っ張って「実は出来ていません」となってしまう。そうなると仕事を頼んだ方としてはお手上げなのだ。連絡がないと「何が問題」になっているかもわからないので助け舟を出すことが出来ない。結果的に、さらなるプレッシャーを与えられ、退場を余儀なくされてしまう。締め切りなしにいい物を書くと言うのは、余程の大物作家になれば別だが、名前がない人たちはとにかく人よりも早く書くことが大事だと思う。早く書いて、上に立ち上げそこでのジャッジを仰ぐことが大事だ。ブレストしていけば解決できる問題もある。Vシネなどやっていた時は、ちょっとでも締め切りが滞ると実際に発売時期に影響するのでプロデューサーが家にやってきたこともあった。僕はあるやくざもののプロットを書いていた時に「すいません、印刷の紙が切れて遅れます」と適当ないいわけをしたら、家まで押しかけられて1000枚の紙を放り込んでいかれたときがあった。それでも書かないと食べられないし、書かないと生きていけないと言う危機感があった。
自主映画からプロの仕事に手を染めていくと言うことは、他人のお金を使って他人の思いも一緒に遂げていかなくてはいけなくなるということだ。その責任を持って映画やテレビドラマを創らなくてはいけない。
スタンリー・キューブリックの次の言葉は身にしみると思う。
「映画監督と言うものは、着想を得、スタイルを決定する一種の機械だ。映画と言うものは、創造的・技術的決断の連続であり、できるだけ頻繁に正しい決断を下すことが監督の仕事だ。映画撮影は、人間が発明した創造的な仕事としては最悪の環境でのものである。それは騒がしい物理的な機械であって、気持ちを集中させることは難しい。一週間に五日、八時半から六時半まで監督はそれをやらなくてはいけないのだ。決して芸術家が選ぶような労働環境ではない。唯一の利点は、仕事をせざるを得ないことだ。監督は延期することはできないのだ。(イメージフォーラム増刊 KUBRICKより)
ちなみに僕はスタンリー・キューブリックはそんなに好きではない。
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