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2009年5月3日 - 2009年5月9日

2009年5月 8日 (金)

心のともしび で元気になる

 今朝は脚本直しにちょっと疲れてきたので、なんかとにかくいい映画を観なくては、とDVDでダグラス・サークの「心のともしび」を久々に観る。どんなにつまらない素材でも傑作に仕上げてみせると言う言葉がそのまま生きている映画。いまは自分は脚本段階なので、「どんなにつまらない素材でも」ではいかんのですがね。それにしても実に清清しくて、それでいてグロテスクな画面構成に目を奪われてしまう。演出的には完璧だ。しかし、それだけではない。「世界」と言うものをカメラが撮ってしまった。そんな映画なのだ。カメラがこれほどまでに映画らしい動き(運動)を重ねていく映画も珍しい。だから予定調和なラストシーンが待っていてもやはり涙腺が刺激されてしまう。崇高な物語であるかのような勘違いを起こしてしまう。そんな感情に刺激されて、残酷な殺しのシーンアイディアが浮かんでくる。やはり観ている題材はなんでもよかった。素晴らしい映画を観ると、脳内が活性化して映画的な発想がどんどん出来るのではないかと思う。

 

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2009年5月 7日 (木)

座頭市物語

 スカパーの「時代劇専門チャンネル」でフジテレビで放送されていた「座頭市物語」が一挙放送となり、毎日BDレコーダーに撮りだめし始めた。昨日は監督が三隅研次で、全編通してこれが1週間程度で撮ったテレビドラマだったのか?と言うほど奥行きのある素晴らしいカメラワークだった。でも一番楽しみなのは勝新太郎さん監督作品。予算度外視で凄い映像の「座頭市」を見ることが出来る。1時間のドラマにおよそ撮影期間を1ヶ月ほどもかけ、勝プロ倒産へと追いやってしまったシリーズですが、でも珠玉の作品集です。

 ところで、去年綾瀬はるかでリメイクされ、今度は香取君で阪本さんが撮るらしいけど、「そんなにみんな座頭市が好きだったのかよ!何でだ?いつから?」と、思わずにはいられない。だって、勝新太郎先生が最後に撮った「座頭市」からもはや20年が経ち、確かに北野武監督でもリメイクはされたけど、そんなに日本国民に愛されたキャラクターだったっけ?「忠臣蔵」とか「ねずみ小僧」のように歴史があるわけでもない。「水戸黄門」のようなお茶の間の人気があったわけでもない。例えば大河ドラマに何度も取り上げられているキャラならともかく、昔の「座頭市」は差別用語が山のように繰り出されるから地上波では恐らくもう再放送すら出来ないだろうし・・・。

 勝つさんのシリーズは相当な傑作が多く、大映での映画版だけではなく今回スカパーで放送されるテレビ版も映画に負けない傑作を数多く生み出している。しかし、あくまでそれはマイノリティが主人公のアウトローの物語だったし、勝新太郎の一代芸のようなものではないだろうか?阪本さんの「座頭市」はきっと面白く仕上げてくれるとは思うが、決して差別用語などに手を抜くことなく確りとした時代劇を撮って欲しいと思います。「座頭市」ってのは社会の底辺の人たちがさらにその底辺の人たちを痛めつけ、それ以上に立場的にも身体的にも劣っている「座頭市」が弱い人々を助けようとするが出来なくて、せめてもの罪滅ぼしに悪を斬るってのがテーマですからね。とにかくバイオレンス表現は手を抜かないでほしいと切に願います。

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2009年5月 5日 (火)

情けない

 昨日は朝から横浜の伊勢崎町のルノアールまで出かけていき脚本打ち合わせ。「ルノアール」と言うのは30年近く内装デザインが一新されない喫茶店だが、昔よりコーヒーのあとのお茶が出てくるタイミングが早くなった気がする。まあ、打ち合わせ以外では個人的に絶対に入らない喫茶店だが、喫煙スペースも充実しててまだ煙草を吸う人間と打ち合わせする時に場所を選ばなくていいと言うのもいい。あと椅子がゆったりしていて、ファミレスやスタバなんかより落ち着けるのがいいです。それにしても伊勢崎町と言う場所柄なのか、この間は何と言うかその筋の方たちも結構いらっしゃっていて「とにかくさ、耳をそろえて返してもらえりゃそれいいんだよ!何度も言わせんなよ!」なんて怒号が店内に響いていたりもしていましたが、そう言う方たちもなんとなく似合う喫茶店ですよね。「仁義なき戦い 代理戦争」で小林旭がアイスコーヒー呑みながらテーブル上の爪楊枝で耳掃除をしはじめる。あの雰囲気です。でもまあ、お店の人は回りに一般客もいるんだからあまり大きな怒号は注意した方がいいかなとは思いますよ。途中から会話も出来ないくらいに怒鳴りあっていても誰も注意しないから、他のお客さんが帰り始めたりもしていました。僕は「グラントリノ」のイーストウッドではないから、自らの身体を投げ打ってまで注意にはいけんですわね。

 打ち合わせ後、折角関内まで来たので横浜スタジアムまで足を伸ばして「友の会」の回数券を使って横浜対中日戦を見ましたが、情けない試合振りに本当に心から落ち込んでしまいました。若手育成期間とは言え、二日続けてのパーフェクトに近いピッチングをされて打線は沈黙。4回に2安打しただけで、あとは10回裏までノーヒット。先発の小林がいい仕事をしたので金の無駄とは言わないが、とても興行として人に見せられる試合内容ではなかった。特にクリンナップは、あと1点取れれば勝てる展開で全員が自分が決めてやろうと力が入りすぎてストライクを取りにいっても簡単に打ち上げてしまって話しにならない。

 ベイスターズの打者たちには、僕が宜野湾キャンプのバックネット裏でマスコミの人相手に元ヤクルト監督の若松さんが話していたのを聞いたのをここに記しておきます。

 「村田とか吉村とか、相手にとってはちっとも怖くないんだよ。何でかと言うと、ストライクの甘い球を打ち損じてしまうから。ピッチャーと言うのは、調子が良かろうが悪かろうが、1試合で打者一人に対して何球投げるかわからないけど失投は避けられない。打者はその失投を捉えて、ヒットやホームランにするんだけど、ベイスターズの中心打者はこの失投を打ち損じて簡単にファールにしちゃうんだ。投手もプロだからそんなに何球も失投はなげてはくれない。だからそこを改善するには落ち着いて打席に立つしかないんだけど。ホームランとか増えても、試合を決める場面ではなく試合が決まったところで打つのは投手もそれだけ油断しちゃうから、だからここぞと言うときにはベイスターズの打者は怖くない」

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2009年5月 3日 (日)

六本木で打ち合わせ

20090502115828 六本木のハイアットリージェンシーの「旬房」で一瀬さんやライターと昼食をとりながら打ち合わせ。写真はそのとき食べた三段重ねのお弁当。これが非常に美味しかった。脚本の方はここからが映画としての生きた脚本作りに入る一歩手前。まだまだ頑張らなくては。美味しい弁当をいただきましたが、映画のほうもこれくらいに潤沢なエンタテイメントになるように頑張ります。いや、これに毒がいっぱい盛られているような内容のものにしなくてはね。見た目贅沢でうまそうだが食べると憤死しそうな映画を創りたいと考えます。

 帰ってから、野球をちょっとだけ見て、夜は久しぶりにかかってきた高橋洋さんと電話で1時間くらい喋る。若いプロ志望の脚本家や監督が、締め切りだとか制約は勿論、プロデューサーから与えられるプレッシャーの中で仕事が出来る環境が少なくなって、打たれ弱くなってきているのではないかと言う話が興味深かった。高橋さんはVシネマで揉まれてきた僕らの世代はそこで強くなったのが大きいと言う。黒沢清や三池さんを筆頭に僕らの年代まではそこそこの予算でVシネマを撮る事が出来て、そこで嫌でも締め切りだとか予算を守らないととんでもないことになってしまうことを知った。が、今の若い人はそう言う修羅場をくぐっていないので、例えば脚本やプロット作成の仕事をチャンスとして与えた時に、締め切りまでに仕上げられなかった時の危機管理が出来ず、「あと一言」が足りずに自分を追い込んでしまうことが多いと言う。「あと一言」と言うのは時間や締め切りが守れないときに、それが予測される時点で「~までの約束でしたが、どうしても~が思いつかないのであと**日ください」と言う連絡だ。この一言がないまま、打ち合わせ前日まで引っ張って「実は出来ていません」となってしまう。そうなると仕事を頼んだ方としてはお手上げなのだ。連絡がないと「何が問題」になっているかもわからないので助け舟を出すことが出来ない。結果的に、さらなるプレッシャーを与えられ、退場を余儀なくされてしまう。締め切りなしにいい物を書くと言うのは、余程の大物作家になれば別だが、名前がない人たちはとにかく人よりも早く書くことが大事だと思う。早く書いて、上に立ち上げそこでのジャッジを仰ぐことが大事だ。ブレストしていけば解決できる問題もある。Vシネなどやっていた時は、ちょっとでも締め切りが滞ると実際に発売時期に影響するのでプロデューサーが家にやってきたこともあった。僕はあるやくざもののプロットを書いていた時に「すいません、印刷の紙が切れて遅れます」と適当ないいわけをしたら、家まで押しかけられて1000枚の紙を放り込んでいかれたときがあった。それでも書かないと食べられないし、書かないと生きていけないと言う危機感があった。

 自主映画からプロの仕事に手を染めていくと言うことは、他人のお金を使って他人の思いも一緒に遂げていかなくてはいけなくなるということだ。その責任を持って映画やテレビドラマを創らなくてはいけない。

 スタンリー・キューブリックの次の言葉は身にしみると思う。

「映画監督と言うものは、着想を得、スタイルを決定する一種の機械だ。映画と言うものは、創造的・技術的決断の連続であり、できるだけ頻繁に正しい決断を下すことが監督の仕事だ。映画撮影は、人間が発明した創造的な仕事としては最悪の環境でのものである。それは騒がしい物理的な機械であって、気持ちを集中させることは難しい。一週間に五日、八時半から六時半まで監督はそれをやらなくてはいけないのだ。決して芸術家が選ぶような労働環境ではない。唯一の利点は、仕事をせざるを得ないことだ。監督は延期することはできないのだ。(イメージフォーラム増刊 KUBRICKより)

 ちなみに僕はスタンリー・キューブリックはそんなに好きではない。

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