« 2009年5月3日 - 2009年5月9日 | トップページ | 2009年5月17日 - 2009年5月23日 »

2009年5月10日 - 2009年5月16日

2009年5月16日 (土)

 不意打ち Lady In a Cage


日本ではDVD未発売で、海外でも既に絶版になっていたウオルター・グローマン監督の「不意打ち」のDVDをAMAZON=UKで中古予約していたものが届いた。今年の初め頃に予約していたのですっかり忘れていた。これも「悪」についての勉強です。
 それにしても、冒頭の不穏なそれでいてヒッチコックの「サイコ」や「北北西に進路をとれ」みたいなオープニングが格好いい。それでいてなんかいやあなことが起こりそうな雰囲気がありあり。
 主演は往年の名女優オリビア・デ・ハビランド。初老の足が悪い婦人が、一階と二階を上り下りするために作られた家庭用のエレベータの中に閉じ込められてしまい、その間にどんどん嫌な人間や悪漢たちが侵入してきてしまうと言う物語。この侵入者たちのキャラクター造詣が圧巻。浮浪者、浮浪者と関係ある中年娼婦、若い頃のジェームス・カーンが演じる残虐なリーダーの3人組の悪党。もう、この時代のアメリカに存在する下層のワルを登場させ、プチブルの老婆を苛めたおす。酷いのは、最後に頼りにしていた溺愛していた息子が実は別荘に自殺にしに行ってました。と言う設定で。今そこで起こっている地獄を抜け出してもこの主人公にはさらなる絶望しか待ち受けていない。と言う非情な内容。

 それでいながら悪の勉強になったのは、この凶悪な若者のリーダー、ジェームス・カーンが息子が書き残した遺書をエレベーターの中のオリビア・デ・ハビランドに語って聞かせる場面。絶望的に泣き喚く老女に対し、己のトラウマもあって憐憫の目をジェームス・カーンを向ける。馬鹿なだけの弟分と、エロエロ情婦の若い金髪女とは全く違うキャラクター造詣をジェームス・カーンは演じてみせる。とにかく殆ど密室劇で観ている間中イライラ感が募るバッドテイスト満載のサスペンス映画。
 今回はオリビア・デ・ハビランドがかつての往年の名女優ぶりから一転、醜悪に太りつつある肉感的な胸をぎりぎりまで晒したりしながら中年の腐りつつある女の魅力を表現。50年代~60年代はかつての往年の名女優を主人公にして、婆さんサスペンスリラーとでも言うべき映画がたくさん作られているがこれもそう言うジャンルの一編なのかな?オリビエ・デ・ハビランドではベティ・ディビスと競演した、ロバート・オルドリッチの「ふるえて眠れ」とかでも品があるのに嫌な婆さんキャラを演じていたが、こういう往年の名女優を主演にした残酷スリラーとか日本でもやりませんかね?
 森光子さん主演の「何がジェーンに起こったか?」みたいな映画とか。

 

|

2009年5月15日 (金)

拷問

昨日は午後からの予定が変わったので、いろいろ玉突き的に予定が変わっていき、午前中は脚本読んで、昼食食べてまた読んで、自分の意見をまとめ、ジムで汗を流し歯医者へ。この歯医者が昨日は2時間近くもかかって、大変な苦痛でした。上の歯にブリッジを装着しようとしていたら、数年前に抜いて放置したままになっていた箇所の噛み合わせの歯が異常に伸びてきててこのままではブリッジを作ることができないことが判明し、その場で急遽下の歯に麻酔を打って神経を抜き、下の歯も半分ほどの短さにまで削るなんて面倒なことをやる羽目になってしまった。その間に、小板プロデューサーから電話がかかってきて、ちょうど麻酔が効くのを待っている間だったので出たら「これから真野が始球式でスタジアム来ているんですが、佐々木さんも当然来ているかと思って」と言う内容で、そりゃ僕も行きたいけど歯医者の治療台に縛り付けられるようにしているので、悔しい思いと羨ましい思いを伝えて、そう言う電話で話しをしているのをまた優しい歯科技工士の女の子に注意されたりして、散々な治療だった。いやあ2時間近く歯医者の治療台にいて、定期的にリクライニングされながら目隠しされて治療されるのって本当にきつかったあ。

 帰って真野ちゃんの始球式の試合を観たけど、これが散々な内容で防げる失点を出来ないバッテリーや守備陣に問題あり。吉村はタイガース戦で新井のフェンス際の打球を獲り損ねたからあんなに深い守備位置を取るようになったんだろうか?北川とお見合いしたフライもグライシンガーの時も、走者がいての守備位置にしては深すぎた。選手の問題もあるが、こういう守備陣系に対してしっかり指示出来ないベンチにも責任ある。折角「恋する星座」で始球式やったんだから真野ちゃんを勝利の女神にしてあげたかったのに!

|

2009年5月13日 (水)

呪怨 白い老女 黒い少女

 「呪怨」のVシネ版が世に出てから10年。そのアニバーサリーとして「呪怨 白い老女」「呪怨 黒い少女」の2本が若手監督の手によって作られました。「呪怨」の最初もそうでしたが、低予算を逆手にとって面白いことをやってやろうと言うエネルギーに満ち溢れた2本となりました。まさに原点に返ったVシネ魂(ガッツ)炸裂!

 三宅君の「白い老女」は「怪談新耳袋 サードシーズン」の「姿見」から飛躍させた白い老婆が大活躍の一編ですが、テレビでは出来ない相当に残酷で(内容、表現ともに)そこがJホラーとは一線を画すものになっていました。三宅君もテレビでは押さえつけられていた抑圧を一気に跳ね返すかのようなキワドイ描写の連続で、特に後半のクライマックスは僕でも目を覆うばかりの陰惨な殺戮シーンが続くところが本当に怖かった。実話心霊テイストを飛び越えて、新たな残酷ホラーの誕生でしょう。監修は清水崇監督。しかし世界観は監督の世界観を映像に叩き付けたものでもあるようなので、ある意味清清しい作品であるのかもしれません。

 「黒い少女」も前半Jホラーテイストですが後半は「マニトウ」のようなバトルものへと特化していくのが面白かった。これも監督の安里麻里の個性でしょう。そういった意味では、霊能力者VS悪霊の対決はもっと見たかった気もしました。こちらは三宅組のような残酷描写は抑え気味ですが、そのぶんエキセントリックな登場人物と活劇性があって、これも結構楽しめました。両方の作品ともに、「呪怨」と言うジャンルの特化した姿で、プログラムピクチュアの魅力がそこにあります。

 2人の監督は、この作品を機に一気に飛躍を遂げて欲しいと思います。都内では6月27日(土)から、新宿バルト9にて2作同時公開の予定です。

 試写後は三宅監督、金谷カメラマン、大永君、柳下さんと僕と言う5人で近くの魚専門の居酒屋で映画の歓談。殆どがくだらない映画の話ばかりではあったけど楽しかった。

|

2009年5月11日 (月)

とんびに油揚げならぬサンドイッチ

 脚本上がりの予定がずれ込んだので、今日は家族とともに逗子まで出かけていき、甥の運動会の応援に。甥は高校3年生で最後の運動会。夏帆ちゃんのファンでもあります。僕はショルダーベーコンとレタスとチーズで大きなサンドイッチを作り、妻と2人だけで逗子の海を見ながらサンドイッチを食べるのを楽しみにしていました。しかし、まさかあんな恐ろしいことがこの身に降りかかるなんて思ってもいなかったのです。

 お昼休みになったので、僕らは家族とはなれ、学校内から直接行ける逗子の海岸へとやってきました。海は凪いでいましたが、曇りがちなのに南風が生暖かくちょっと蒸した感じでした。僕らは、砂浜に腰を下ろし、冷えたコーラで自家製のサンドイッチを食べ始めました。自家製なので耳は切っていなくて、レタスとショルダーベーコンとチーズを何層にも重ね合わせたミルフィーユ状態の贅沢なものでした。しばらく食べていると、僕と妻の間に何かが物凄い勢いでぶつかってきました。僕はてっきり、ちょっと危ない人が何か背後から投げてきたと思ったのです、気がつくと手に痛みが走り、サンドイッチが消え去っていました。すぐに前方を見ると、鳶が一匹砂浜に叩き付けられる様にして地面に激突していました。が、確認する間もなく鳶はサンドイッチを咥えたまま再び空に飛び立っていきました。レタスの切れ端を残して・・・。そう、鳶が上空から僕の手にあったサンドイッチめがけて急降下で滑空し、僕の手のサンドイッチを嘴で咥えるとその反動で一旦砂浜に激突し、再び舞い上がって行ったのです。しかし、「鳶に油揚げをさらわれる」と言う格言と言うか諺がありますが、上空を旋回していた鳶が人間が食べていたものを狙ってしかも見事に成功していくなんてことが本当におきるとは・・・。残りのサンドイッチを食べながらも、上空では二羽の鳶が旋回を続けており、僕らはいつ第2の攻撃が来るかと怯えていました。

 しかし、世の中思ってもいないことに遭遇するもんだと思いました。まだ手は痛いんだよなあ。

|

2009年5月10日 (日)

天が許し給うすべて とか ダークナイト

 いま創っている脚本における悪についての参考に「ダークナイト」をBDで観たり、頭を柔らかくするためにサークの「天が許し給うすべて」をDVDで観たり。「ダークナイト」は去年僕の周りでは一番評判が高かった映画で、BD5,1で再生させると臨場感溢れるアクションシーンに痺れもするが、ダグラス・サークと並べてみてしまうとやはりクリストファー・ノーランの演出に「どうだこれすごいだろう」感があって、映画そのものに謙虚さがないのか圧倒的に品格の差を感じる。品格と言うのは扱っているテーマではないです。「天が許し給うすべて」だって、一歩間違えば韓流ドラマにだって成り得る極めて通俗的なメロドラマのストーリーラインだし。まあ並べて観た方が悪いんですけど・・・。

 ところでダグラス・サークを観ると自分が理想として考えてきた「どんな内容のものでも傑作に仕上げて見せよう」と言う理念に揺らぎが出る。ダグラス・サークが言うような「どんな内容のものでも傑作に仕上げる」には、やはり映画を取り巻く経済的な豊かさと言うものが潤沢でないと難しいのではないかと思ってしまう。芝居を計算しつくされた素晴らしいセット、美術。時間をかけて準備されたであろう陰影の強い画面構築。軽妙な芝居も重厚な芝居もこなす俳優陣。こうしたものがそろって初めて「どんな物語でも私は映画的に表現できる」と言えるのではないだろうかと思ってしまう。まあ、だからこそ以前に黒沢清監督が言っていた「物語の経済学」と言うことが必要になってくると思うわけですが、予算に見合う企画をいかに頭を使って考えられるのか?ばかり考えていると、本当の映画の豊かさとは違う方向にどんどんいってしまう気がしてしまう。スタジオシステム華やかなハリウッド全盛の頃の映画を観てそんなことを考えてもしょうがないのかもしれないが、カイエ風に言う作家主義は今後生まれる土壌が日本映画にはあるのだろうか?

 などと考えている暇はないのだ。実は。今の企画で日本映画の底を上げて行かなくてはいけない。一度破れてしまった底をもう一度修復し、上げていくにはまだまだ僕自身の努力が足りない。頑張らなくては。いつかダグラス・サークに天国で会った時に「僕も少しは映画のためになる仕事をしました」と言えるようになりたい。と、強く思うのだった。

 

|

« 2009年5月3日 - 2009年5月9日 | トップページ | 2009年5月17日 - 2009年5月23日 »