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2009年8月9日 - 2009年8月15日

2009年8月15日 (土)

815に松林宗恵監督亡くなる

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 昨日、山城新伍さんの想い出を書いたと思ったら今日は松林宗恵監督が亡くなられてしまった。その日が8月15日だったと言うことが妙に感慨深い。

 かつて東宝では夏になると8・15シリーズと銘打って円谷英二特撮監督による戦記映画が毎年封切られていた。いろいろ事情があって幼少の頃から3本立ての邦画の名画座に置き去りにされることが多かった僕にとって、怪獣映画の特撮シーンを思い起こされる東宝の戦記ものは大のお気に入りだった。特にゼロ戦(紫電改)による空中戦の特撮が素晴らしい「太平洋の翼」と言う映画はいまでも記憶に残っている。ゼロ戦だけではなく、アメリカの戦闘機や爆撃機B29、P38、F6Fがリアルに作りこめられていて、そういった特撮シーンと東宝のオールスター、加山雄三、佐藤允、夏木陽介、三船敏郎らの芝居が確りしていて浮ついたところがひとつもない最上級のエンタテイメント映画に仕上がっている。

 他にも安定した東宝の娯楽映画のシリーズものを支えた監督だった。それこそ山城新伍さんで思い出したが、10年ほど前に高橋洋さんと「不良番町シリーズ」のリメイクを東映Vシネマでやろうかと東映の坂上さんとか黒沢満さんに企画を持っていこうと、2回くらい打ち合わせしたことがあったが、ある日高橋さんが「実は不良番長を見直した後に、たまたま東宝の松林宗恵監督の社長シリーズを見たんですが、あまりに娯楽映画のクオリティの差にやる気が失せてしまいました」とか言い出して、「いやでもあの70年代東映大泉のどうしようもない感覚も不可思議で、俺たちは人生の大事な時間をどぶに捨ててしまったなあと思わせる映画を敢えて作ろうとするなら別ですが・・・」とまで言われて頓挫してしまったことがあったが、同じプログラムピクチュアでも上級の映画を作っていたのが松林監督だったのだろうと思う。どっちが今でも好きかと言われるとこれは別問題ですが・・・。

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 もう1本、いつかここでも紹介した「世界大戦争」と言う近未来特撮映画がある。こちらは成瀬巳喜男映画で同じみの東宝のベテランの俳優たちが、某国から飛んでくる核ミサイル攻撃に怯え、最終的には日本が全滅してしまうという子供頃に観たらトラウマになってしまった映画がある。これなんかは、最近見返したんだけど日常の描写が丁寧に作りこまれているので、その日常の視点で空からミサイルが降ってくるのがリアルで本当に恐怖を感じる。ミサイルが東京に飛んでくるというその日に、フランキー堺と乙羽信子の家族が、ご馳走を作って子供が「お正月みたい!」と無邪気に喜ぶ姿が物悲しさを呼び、壊滅した後の東京を前に太平洋に浮かんだ船の船長の東野英治郎が亡くなった祖国に思いを寄せていると、給仕の笠智衆がコーヒーを運んできて「まあこれでも呑んで落ち着きましょう」と言うラストシーンが泣ける。小津の『秋刀魚の味』の師弟コンビだから余計に泣ける。

 これもまた松林監督の演出の力と当時の俳優の力をまざまざと見せ付けてくれる映画だったと思う。

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2009年8月14日 (金)

山城さんの話とか

 今日はちょっと苦い打ち合わせ。人に苦渋の選択を伝えるのは辛いが、こういう処理を速やかに行ってくれるプロデューサーには感謝しなくてはいけないかもしれない。ちょっと重い足取りで帰宅しつつ、帰ってからいろいろと連絡事項。立ち止まっている暇はなく、次の段階へどんどん進まないといけないのだ。

 世間はお盆休みと言うことで、実は僕としては平日のつもりで打ち合わせに出かけたりしているんだけど、昨日はいつも日曜にやっている家族全員の食事会もあったりしてどうも平日ではない感覚になる。だから夕方のテレビのニュースで山城さん死亡のニュースを見たりして改めて今日が金曜日だったことが思い出される。

 山城さんとは88年の夏に、黒沢清監督の「スイートホーム」で3ヶ月ほどご一緒した。僕はサード助監督で、特殊メイク担当だったので、山城さんの関わる特殊メイクにも多少携わった。この時の山城さんの印象は、完全に東映のスターと言う印象だった。印象だけではなく、伊丹プロだろうがなんだろうが俺は山城新伍だ。と言うちょっとやんちゃなおじさんだった。東映京都時代、若山富三郎さんの一派だった影響もあるのだろう。数人のお付をつけて、服は靴下まで脱いだり履かせたりしていた。こういう俳優さんは、中々いなくなったと思う。それでいて、脚本内容に関係なくアドリブで東映70年代風ギャグをやってみたり、撮影合間には東映大泉の低予算映画の撮影がいかにバカバカしいものかを笑顔で語っていたりしていた。ただ、芝居は一回でオーケーが出ないと少し不機嫌になった。特に、自分の芝居がオーケーなのに主演の宮本信子さんが「監督、いまの芝居、私はちょっと納得いかないのでもう一回やりたいです」とか監督に言ったりすると、影で猛烈に怒り出して宮本さんにも聞こえる声で自分のお付に向かって「役者は監督がええ言うたらええんじゃ!そうやないか?ええ?」と怒鳴り散らしたりしていた。ただし、演技プランに関しては監督任せ。で、時々「ハヒー」をやってみせて、「あ、山城さん、いまのひいい」と言うのはいらないです。と、黒沢さんが注意すると「あっそう」と簡単に引き下がるのだが、また忘れた頃にとんでもないシーンで「はひいいいい」とやったりするのを繰り返していた。それでも黒沢さんが注意すると「あっそう」やめてはくれるのだ。

 山城さんの中では、自分をスター扱いして欲しい。自分のイメージも脚本によって壊すのも嫌なので、衣裳メイクは自分が決める。と言うスタイルを貫いたが、現場に入ってカメラの前に立つとそこから先は監督にすべてを委ねるという感じだった。だから、現場で役者が演技論みたいな事を言い出すと「素人じゃねえんだ」と怒り出したりしたこともあったのだと思う。

 僕は、黒沢さんに連れられて伊丹プロにディレクターズカンパニーから出向したが、思っていた以上に周りのスタッフが伊丹十三さんに気を使いすぎて、ちょっといかがなものかと思われることもあった中で、「伊丹プロがなんぼのもんじゃい。わしは東映の山城新伍や!」と言う暴れん坊の姿が僕には逆に清清しかった。

 こういう映画の黄金期の役者が亡くなったのは凄く寂しい。それでも、一度だけだけとは言え数ヶ月現場でご一緒させてもらって、昔の撮影所の映画のあり方を身をもって見ることが出来たのは楽しかった。

 それにしても、亡くなった方で言えば山田辰夫さんもそうだったが、僕は現場で暴れん坊の役者さんの方が結構好きだったのかもしれない。優しくってやり易い人ばかりでも映画の現場は面白くないですよ。山城さんも山田さんも一般的に言ういわゆる「いい人」たちではなかったが、そう言う連中が集まってわいわい創る現場もまた楽しいものなのだ。

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訃報 山城新伍

 はひーー山城さんが死んだはひーーー 

 これから打ち合わせで出かけなくてはいけないので、いまは詳しくは書けませんが、「スイートホーム」の現場で生はひーを見ることが出来て、直接その由来ややり方を聞いて伝授していただいたのは、絶対に引き継がなくてはいけないと思っています。

 ああ、若山富三郎さんとあの世で再会しているのだろうなあ

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祝! 山崎憲晴プロ入り初ホームラン

Photo 今日ヤクルト戦に快勝したベイスターズですが、プロ入り1年目のルーキー山崎憲晴内野手がプロ入り初ホームランを打ちました。山崎選手は選手の間では「やまちゃん」の愛称で呼ばれる練習熱心で、それでいて都会的で爽やかな垢抜けたところのある選手です。キャンプからずっと見てきた新入団のルーキー選手がペナントレースで本塁打を打つ。なんか凄く嬉しいですね。僕が撮ったドラマでデビューした子達が地上波でも活躍しているのを見るのと同じような気分です。神宮でやっているなら直接見たかったなあ。山ちゃんのホームラン。

 いやホームランと言うのは球場で直接見ると、これは本当に感動しますからねえ。ホームからバックスクリーンへ美しい放物線を描いても、ライナーでスタンドへ飛び込んでも、その空間的なスペクタクル感は鳥肌が立ちます。こういうプロアスリートの超人的な技は僕らには絶対に出来ないことですからね。

 ベイスターズは最下位で、村田選手まで欠いてしまいましたが、逆にこう言う時こそ山ちゃんのような新人たちの出番。とりあえず今日のホームランの感触を忘れずに明日から更に頑張って欲しいものです。

 Photo

これは沖縄で貰った山ちゃんのサイン入りボールです。

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2009年8月13日 (木)

カラン・ジョーハル 「家族の四季」

 

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カラン・ジョーハルの映画は輸入版DVDの「『Kuch Kuch Hota Hai(クチュ・クチュ・ホーター・ハェイ)』と言う映画を観たのが最初だった。それはインド映画の新しい完成形とも言うべき素晴らしい作品だった。物語や芝居、恋愛映画としてのクオリティも高いが、映画そのものに観客を喜ばせる仕掛けがしてあって、単に娯楽映画と言うだけではないエンタティメントになっていた。この映画で一番驚くのは、クレジットに超一流のメインキャストが一人ポスターにすら名前が入っていないことだ。それが、映画が始まって1時間ほどしたところで、いきなり歌声と共に一人の男が現れる。サルマン・カーンと言う男優なのだが、これがまた単なるカメオ出演ではなく、物語に重要な役割を担い、尚且つラストで非常ににくい役回りを演じてみせる。日本映画でこれをやるのは相当に難しいことだが、インドではサルマンの登場シーンで皆が立ち上がり劇場内でスタンディングオーベーションまで起こったそうだ。当然、この『Kuch Kuch Hota Hai(クチュ・クチュ・ホーター・ハェイ)』は、インド映画の最高興行収入をマークした。

 そのカラン・ジョーハルの「家族の四季」が遂にDVD化となった。これまた、細部に至るまでオールスターキャストによる豪華な大河家族ドラマ。「家族の四季」のような、大家族をオールスターで魅せるファミリー映画は実はインド映画のジャンルとしては脈々とあって、必ず父親の誕生日のパーティシーンだとか、嫁の紹介パーティだとか、そう言うシーンが絢爛豪華なミュージカルシーンとなって現れる。「Hum Saath Saath Hain」だとか、「Hum Aapke Hain Koun!」とかもそれに近かったけど、どちらかと言うとこの手のファミリードラマは日本人のドラマツルギーにはない、エピソードの串刺し状態だけの映画で、楽しいけど退屈もしたりするのが常なのだけど「家族の四季」は違う。オールスターがそれぞれの持ち味を発揮し、最後は見事に泣かせてくれる。

 インド映画はこの「家族の四季」と『Kuch Kuch Hota Hai(クチュ・クチュ・ホーター・ハェイ)』の2本によって、ほぼ完成系の領域に入ったのではないかと思っている。インド映画の評価の大きな部分を占めるミュージカルナンバーの完成度も含めて、この2本以降は、よりハリウッド映画を意識した映画が増えたと思う。かつてのようにハリウッド映画のストーリーをパクるようなものではなく、はっきりと海外市場を意識した映画が増えていく。ただ、それだけにインド映画独特の歌謡映画的な部分が随分と垢抜けしてしまった印象を持ち、ちょっと寂しい気もする。

 それはさておき3時間20分と言う超大作ではあるが、家族のことを思って泣いてみたい時には「家族の四季」はお薦めの一本なので、お盆休みにどうぞ。

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下女DVD 階段の恐怖

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 キム・ギヨンの「下女」DVDが海外サイトから届く。DVDへのオーサリングの状態が良くて驚く。去年の東京国際映画祭で上映されたのと同じバージョンでスコセッシの修復プリントの為のコメントとかもついている。

 去年も見たので詳しいレビューは控えますが、ドメスティックな韓国の人間の描き方はいまの「チェイサー」などにも共通するものがある。テーマや形も違うが、今の日本映画には忘れ去られた人間描写力だと思う。それが役者の力なのか、脚本の力なのか、演出の力なのか、恐らくそのすべてだと思うが、まず人間ありきでドラマが構成されている点は見習わなくてはならないだろう。それにしてもキム・ギヨンはちょっと極端かもしれないが・・・。

 ところで「下女」と同じキム・ギヨンのリメイク作「火女」にも出てくる「階段」の使い方が素晴らしいのだが、映画における階段の持つ役割と言うのはいつも人間を恐怖に陥れる存在として登場してくる。階段からの落下と言う具体的な現象がドラマを動かしていく重要なアクションになり易いのはわかる。小津の「風の中の牝鶏」から黒沢さんの「トウキョウソナタ」まで、階段からの落下は家族に決定的な何か忌まわしいことが訪れる時のアクションだ。ただ、それだけではない。具体的な落下がなくても例えばヒッチコックの「断崖」でケイリーグラントが「電球が仕込んだミルク」を持って昇ってくる場面などに代表されるように、恐怖の高まりが訪れる表現にも使われる。一方、テレンス・フィッシャーの「吸血鬼ドラキュラ」のドラキュラ城のホールのように存在するだけで恐怖が表現されてしまうような階段も存在する。

 二階と一階。物理的な高さとしては決して怪我などが怖いわけではないのに、人間の心理に「階段」と言うものが恐怖に認知されてしまう。こういう感情こそ「映画的」な感情を呼び起こす装置による喚起となっているのだと思う。ただ、この階段の表現が難しいのは、「ロケセット」においてはかなりの効力を失ってしまうことだ。例えば、僕は韓国の家の実際の内装をあまり知らないのだが、「下女」や「火女」に出てくるように、一般家庭の家の中心にあれだけ大きな階段と言うものが存在するのだろうか?日本の家屋では大体階段と言うのは狭く作られている。まあビルなどの階段もそうかな・・・。僕は「学校の階段」と言うアイドル映画を撮った時、「階段」の表現に苦心したのを思い出した。思っていたアクションのアングルを考えると、絶対にロケセットでは不可能だったからだ。こうして考えると「階段」の恐怖を捉えるにはやはりセット撮影と言うものが必要になってくるが、階段そのものをあらゆるアングルから撮ることが出来るセットには相当の予算がかかってしまうことになるだろう。

 それでも「階段」の恐怖への憧憬は捨てられない。キム・ギヨンの映画を観て久しぶりに思った。

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2009年8月11日 (火)

自戒を込めて次回作

 北海道から帰ってきてからいろいろ水面下で動きがあって、とにかく頑張って夏を越さなくちゃいけないなあと言う毎日です。

 いま一緒にやっている映画のプロデューサーから「あなたはこれでいいんだろうか?」と言う演出の内面にまで突っ込まれるような話になって、そのことは実は僕にとってはここ数年ずっと心のどこかでひっかかっていた部分でもあったのでありがたく言葉を拝聴しながら、いまの自分のあり方と言うものを見つめなおせざるを得ないいい機会になった。思えばここ5年間はとにかく撮ることに懸命になっていつのまにか「物語が成立する」ことだけを考えた演出になりがちになっていたかもしれない。「どうしてもこれを撮りたい!」と言う作家的な根源的な欲望よりも、一定の時間の中で卒なくまとめていくことに重点が置かれていたかもしれないのだ。自分としては、限られた空間の中に俳優を置いた時にどう言う位置関係と芝居ならよりダイナミックに物語を伝えられるのか?と言うことを考えていたつもりであったが、それがいつの日からか「これなら伝わるだろう」と言う消極的なまとめ方になってしまっていることもあったかもしれない。それが結果的には作品に反映されてしまうのだ。

 僕はもともと、あまりカットを割るよりも、芝居を通して見て、俳優の力量を考慮に入れつついけるところまではいってもらって、カメラマンにはそこについてきてもらう。と言うことを心がけて現場に入っていた。最近で言えば、「銭形泪」の頃まではそういった演出だったと思う。でも、最近は時間もなくなってきたからでもあるのだが、撮影に入る前に最低限物語が伝わるであろうコンテを決めて、無理やりそこに俳優の芝居を押し込めて行くような演出方法をとっていた。そこのモチベーションは今回は「成瀬のようなカット割り」だとか、シネフィル的な興味だけで撮っていたこともあったのは事実だ。しかし、それでは駄目だ。やはり観客に感動を伝えるためには、生きている人間の感情をカメラに写し取らなくてはいけない。形から入って、無理やりそこに役者を押し込んでも、よほど脚本が面白くて俳優に力量がないと成立しない。以前に黒川芽以と現場をやったときに「監督はカットをかけないでどこまでも撮るところが好きだ、もっともっと芝居をやりたくなる」と言われたことがあったが、役者の芝居がよければどこまでもカットを割らずに芝居を見ていたくなるので、その生理を壊さない演出が巧く生きていたと思う。

 つまり人間「そこそこ」を目指すような人生なら映画監督なんて仕事を選んじゃいかんと言うことだ。

 次はこうした自分のいままでを全て壊していくくらいに人間の心の闇と救済を撮りたいと考える。そう言うテーマの時は生の役者の生理とどこまで寄り添えるかに自分の演出がかかっているかのと思う。いずれにしろ、自分の人生の岐路に立たされる映画を創ることになるだろう。その為にも現在は妥協のない脚本造りが進められている。いろいろな人たちに迷惑をかけていく場面もあるかもしれないが、ここは頑張らなくてはいけないのだ!

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