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2009年10月18日 - 2009年10月24日

2009年10月20日 (火)

風間杜夫さんと東映京都の話

昨日は午前中をインフルから復帰してきたライターとメールでやりとりをしたり、別の企画のライターとメールでやりとりをする。最近は午前中のかなり早い時間にその日の重要な仕事を片付けているような気がする。
 午後一からはFM川崎で生出演1本収録と、日曜の午前11時放送分を1本収録。岡村さんの番組の日曜はアシスタントの入れ替わりが激しいなあ。昨日からのモデルの子達はあと1億時間くらい勉強して欲しいと思いました。昨日は加藤和彦さんの追悼と、山田太一の脚本の話などを中心に話しましたが面白かった。また来月も行く予定です。

 終わってから急いで渋谷へ出て、プロットの打ち合わせを1時間ほどやってから妻と合流して風間杜夫さんと呑む。風間さんから東映京都で子役時代をやっていた時の話をたくさん聞けたのが楽しかった。風間さんと妻は前の事務所でマネージャーさんが一緒だった縁で、こうしてお付き合いさせていただいていますが、何度か会ううちに打ち解けて、今回は饒舌に加藤泰監督の「真田風雲録」の現場の話だとか東映京都時代の話をたくさん聞けた。

 少年時代の佐助とお霧のラブシーンの演出に午前中かけて1カットもオーケーも出なかったと言う話、その時の東映太秦のセットは一番でかいステージの真ん中にどでかい大木を立てて撮影したが、そのセットは後々「蒲田行進曲」で階段落ちのセットを建てこんだステージと同じ場所であったことな等など。福田義之さんの舞台を大胆に東映で映画化したものの当時は失敗作と言われていたことなど。僕は「真田風雲録」がいまや加藤泰の映画中でも相当に面白い映画だと思っているので、時代が経つと評価が変わる映画もあるんだな思ったが、確か「真田風雲録」を映画として最初に評価した映画評論家は水野晴郎さんだったと記憶している。

 ほかに面白かったのは、やはり若山富三郎さんの話。『人生劇場』で初競演だったそうだが、その時、居酒屋で小林稔時さんとの芝居のあとで、外へ出ると吉良常役の若山さんと肩がぶつかってしまうと言うシーン。これをやはり若山先生(東映ではこう呼ばないといけなかったらしい)の出番からと言うことで、芝居の順序など無視して、いきなり外へ風間さんが出てくるところからの撮影となったそうだ。その時、「おい、東京のやくざはそんなぶつかりかたしねえ。ぶつかったらすぐに反射的に「なにしやがんでえ!」とガン飛ばすのが東京のヤクザだ。やり直せ!」っと監督そっちのけで演技指導していたらしいが、当時の若山先生に逆らえるスタッフは一人もいなかったらしい。その件があってから、風間さんは若山先生に気に入られ、京都の撮影所で功労者への表彰式を行う時に、市川歌右衛門には息子の北大路欣也さんが花束を贈呈したが、若山先生への花束の贈呈は若山先生から直接風間さんに電話があって「お前にやってほしいんだ」と京都まで花束の贈呈にいくことになったらしい。

 その時だったかどうか、里見浩太郎主演で「八百八町夢日記 -隠密奉行とねずみ小僧」の舞台公演に風間さんが出ると聞いたとき若山先生は「なあ、里見があれで結構派手なことやるんだろ、おれがいいこと教えてやる」と若山先生は自分が着ていた羽織を空中に放り投げ、落下する暇もなくその羽織に手を通すとあっと言う間に裏表を逆にして着て見せたそうだ。「この裏地を派手に細工しておけば客の観ている前で早変わりが出きるってことよ。これで里見を食える」と言ったそうだが、老齢になっても若山先生の羽織の早変わり捌きは実に見事で風間さんは感心したと言うことだった。

昨日は柳下さんから東京国際映画祭のマーシュイ・ウェイパン(馬徐維邦)監督の「怪奇猿男」と「麻瘋女」の上映にも誘っていただいていたのであったが、風間さんとの約束があって行けなかった。マーシュイ・ウェイパンを見逃したことは本当に残念で悔しい思いであったが、風間さんの東映京都の昔の話は何にも増して生きた財産であったと思うし、撮影所が崩壊して以降、こういうことは語り継がれていかなくてはいけないのではないかと思うので、やはり風間さんに会って良かった。

帰り際風間さんに「今日は楽しかったよ!」と言われた。ここ数年はずっと10代の女の子たちとの仕事が多かったけど、この間の草刈さんといい、辰巳琢郎さんといい、ここ最近は先輩格のベテラン俳優さんたちとのお付き合いが本当に楽しく感じます。

 風間杜夫さんは、11月から吉祥寺シアターで「演劇企画集団 THE ガジラ」公演「大人の時間」と言う舞台に出演するために稽古の毎日だそうです。

 http://www5d.biglobe.ne.jp/~cottone/otona/top.html


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2009年10月18日 (日)

新型インフルとか 加藤和彦さん訃報とか

 金曜の夜からライターとメールで脚本のラストシーンに関して侃々諤々やっていたんだけど、土曜の朝になって熱があるから病院へい行って来ますと連絡があって昼まで待ったら「新型インフルエンザ認定されてしまいました」と言う連絡が来た。結構芸能人や著名人でも新型インフル認定されている人はいたけど、自分の身の回りで感染者が出るとびっくりしてしまいますが、じゃあいったい水際作戦だのやっていた春先の騒動はなんだったんだろうって感じですね。こんなに簡単に普通に広まってしまうなら、あの時にアメリカから修学旅行で帰ってきた生徒たちへの報道とか酷すぎたんじゃないですかね?かなり興味本位もあったとは思うけど、集団心理を煽りすぎていたんじゃないかと思います。

 とりあえずプロデューサーに報告して締め切りを数日待ってもらったりしながら、いくつか連絡をとりあって、昼には区民まつりに妻と参加して帰ってきたら加藤和彦さんの死を知りました。加藤和彦さんの音楽的業績は僕がどうこう言うまでもなく素晴らしい実績を残したと思うんですが、問題なのは死に至る経緯ですね。人間年を取って来ると若い時には思いも寄らなかったような不安を抱えるようになるものなんだとお思います。経済的な不安、自分の生きていることそのものへの不安。人生を長い道則として考えると、ゴールがまだ先にある段階では、前途に対する不安はあってもそれを乗り越えていこうとする希望もあるし理想もあって後ろを振りかえる暇なんかないんですが、段々進んできた道より前に進んでいける道が短くなってくると、これからの人生で自分が出来ることはなんなんだろうって思ってしまうものなんです。で、若い時のように素早い対応が段々出来なくなってくる。そう言う時に人は「老い」と言うものに対する絶望を感じるんじゃないかなと思います。加藤さんの場合が必ずしもそうであったとは断言できませんが、報道されている内容を読む限り、鬱病から創作活動がうまくいかなくなったことへの絶望が取り上げられています。これは、創作活動がおもうようにいかなくなったことが欝の原因かもしれませんし、どちらが先かはよくわからないんですが、少なくても「自分が理想としてる自分ではなくなってきた」と言うことが大きいと思います。この間、草刈さんの家に集まった時もそんな話にちょっとなったんですが、この「理想の自分と現実の自分との乖離」に段々人は不安と絶望を感じていくんだと思います。ここまで生きていて自分は何をやり遂げたんだろう、貯金の額はいくらあるかなんて物理的なものから、自分が創り上げてきた無形の財産はどこまであるのか?何もないのではないか?朝起きて、朝食までの間に元気にならないとこの不安は一日襲ってくるようです。

 加藤さんの死とその原因を知ると、すごく考えさせられるものがあります。だからこそ、やはり、人は人と繋がって行ける幸せをもっと享受しなくてはいけないんじゃないかなと。孤高で行き続けるのは、きっと歳をとると辛くなっていくんじゃないかなとそんな風に思いました。

 

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