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2009年2月15日 - 2009年2月21日

2009年2月21日 (土)

春の兆し

 一昨日は一瀬さんの招待で「GOEMON」の試写を見たり、昨日はBsでi丹羽さんや青柳さんと脚本打ち合わせに行ったり、KJの映画の脚本が上がってきたのを何度も何度も読んだり、明後日からの沖縄滞在のための荷造り発送したり、そうこうしているうちに義父が急性難聴で入院して家族全員でばたばたしてしまったりして、ようやく今日はKJの脚本打ち合わせを広尾のオズで一瀬さんを交えて行ったり、とめまぐるしい日々だったのでどこからブログを綴っていいか良くわからなくなってしまいました。えーと。「GOEMON」は日本のファンタジー活劇ではかなり面白いものに仕上がっていて、Bsiの仕事はこんなにも早くまた彼女を撮れる嬉しさがあって丹羽さんに感謝し、KJの脚本は順調に傑作に仕上がっていきつつあって、義父の入院後の経過は頗る順調で、まずは明後日から安心して1週間沖縄にベイスターズキャンプを観にいけるかなあって感じです。

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2009年2月17日 (火)

今夜再放送!ケータイ刑事 銭形泪第7話

 今日の深夜と言うか明日の早朝、TBSの3時12分から5年前にBSiで放送されたケータイ刑事銭形泪7話のオンエアがあります。僕が撮った最初のケータイ刑事であり、黒川芽以ちゃんと初めて仕事をした作品でもあります。その後多くのケータイ刑事を撮らせていただきましたが、この回は最初に撮ったこともあって大変思い出深く、思い入れもある回です。お時間あれば録画して是非ご覧になってください。ゲストは石野真子さん。うちの奥さんも尼さん役で出演しています。

 ちなみに明後日の同じ時間には「女子大生会計士の事件簿」の6話がオンエアされますので宜しくお願いします。こちらは昨年の11月にBSiで放送されたものですが、地上波では初のオンエアとなります。

 関東ローカルなのかもしれませんが一応告知まで。

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2009年2月15日 (日)

傲慢な映画屋の時代は終わった

仕事はどんな仕事でも手を抜きたくない。テレビでも映画でも、企業用VPでも全身全霊をかけてやってきたつもりだ。だが、25歳の時初めて企業用PRビデオを撮ったとき、大失敗したことがあった。ある外資系のファーストフードチェーンのVPだったが、未熟な演出力しかないのに企業の意向とは関係なく独りよがりな表現に拘って、担当者を怒らせてしまったのだ。その問題で悩んでいた時、黒沢清監督は僕にこう言った。「それは相手が悪いのではなくて、全部自分が悪いんだ。監督の責任なんだよ。僕もカラオケビデオを撮って同じ経験したから言えるが、例えばカラオケビデオは映画とは違う。でもカラオケビデオにはカラオケビデオの論理がある。それを無視して無理やり自分のものにしてしまおうとか、映画的にしようとかして出資者の意向を無視するのは傲慢な考えでしかない。佐々木は今回大失敗したと思うが、それを謙虚に受け止めその経験を生かして今後の糧にするしかない」

当時はまだデジタルカメラで映画を撮ることが容易な時代ではなかったので、自主映画を撮って次に本編と言う映画を撮ったり、2時間ドラマを撮ったり出来ない時は、ピンク映画を撮るか、企業用ビデオを撮るか、カラオケビデオを撮るかしかなかった。音楽PVは音楽会社のものであって、映画、テレビドラマの会社に発注されて来る本数は少なかった。僕がいた「ディレクターズカンパニー」と言う会社は、社長が博報堂にいた人だったせいか、企業用PR映画を結構造っていた。実は80年代以降一本も撮っていないとされる長谷川和彦監督も篠田昇カメラマンで資生堂のPR映画を撮っていたし、大森一樹さんも何本か撮っていた。そして、ディレカンの中でも若手世代の黒沢さんや石井さんはカラオケビデオを撮っていたりしていた(石井さんだけは音楽PV当時から撮っていた)でも、やはり映画監督としてのプライドが働いていたのか、PR映画を撮っても赤字になったりあまり会社の利益には貢献していなかったように思うが、黒沢組は常に黒字だった。

黒沢さんはよくこう言った「なんでみんなあんなに偉そうなのかね」。それは主に、関西弁でまくし立てる今もワイドショーのコメンテーターとしてテレビにしょっちゅう出演している人をさしてのものだったと思うが、80年代の映画監督たちはかなり傲慢だったと言うのは確かだ。映画が一番偉くて、それ以外の仕事は下に見て仕事する。そう言う雰囲気がありありとあった。そんな考えを持って、ろくな仕事をしなかったから、90年代のVシネバブルの時に駄作を大量生産させられたり、今世紀に入ってテレビ局映画が席巻する時代に身動きがとれなくなってしまったのではないかと思う。それは撮影所末期のスタッフも同じだった。やたらに撮影所の映画スタッフはビデオのスタッフを見下していた。でも、そうではない人も何人もいた。前述した篠田昇さんや、僕が組んだ渡部真さんなどはそうではなかった。だが、80年代の過渡期、僕が助監督の下っ端で苦しんでいた時期の映画のスタッフはテレビドラマを見下していたのは事実だ。

だが、映画のスタッフはいまや絶滅しようとしている。因果応報としか言いようがない。明確なビジョンもなく、映画界と言う狭い概念の中だけで生きてきた人たちは散っていった。悔しいのは、それ以前の本当の映画の黄金時代のスタッフからのDNAがそこで途切れてしまったことだ。だから僕らは独学で勉強しなくてはいけなくなってしまったのだ。いま、僕がBsiで多くのドラマを創っているのも少しでも伝統的な表現と新しい表現の拮抗できる何かを見つけ出したいと考えるからだ。

どうせテレビだからと言う考えを持つ人間にはやがて経済的な制裁が待っているだろう。

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バレンタインとかベンジャミンバトンとか

バレンタインチョコを買いに妻とラゾーナ川崎へ行き、「ベンジャミンバトン 数奇な人生」を観る。チョコは最近二人で食べたいチョコレート味のスイーツを買うと言うイベントになってしまっている。

「ベンジャミンバトン 数奇な人生」の方は、読後感と言うか観終わったすぐの感想としては「スローターハウス5」とか「ガープの世界」みたいな、現代アメリカ文学みたいな感じなんだけど、それはフィッツジェラルドが原作だからと言うことだけではなく、脚本のエリック・ロスのほぼオリジナルに近い脚色がそうさせているんじゃないかと思った。エリック・ロスはもう60代で年齢としては長谷川和彦とかと一緒か。「フォレストガンプ」「アポロ13」「インサイダー」「ミュンヘン」とか傑作を数多く残してきている脚本家なんだけど、時間と老いってのを小津を見ているときと同じくらいに残酷に感じさせられたのはこっちが歳を重ねてしまったせいかも知れない。その脚本をデビッド・フィンチャーが中々力強い映像で映画化している。戦争シーンとか結構激しくっていいよ。この映画デビッド・フィンチャーらしくないって評を時折見かけるけど、「ゾディアック」だって監督の名前伏せて試写したらデビッド・フィンチャーだって当てられる人がどれだけいることか・・・。こういうのは間違った映画の見方をしているというか、「ベンジャミンバトン 数奇な運命」は、あくまでフランク・マーシャルとキャサリーン・ケネディプロデュースによるスコット・フィッツジェラルドの短編をエリック・ロスと言うライターが書いた脚本をデビッド・フィンチャーと言う監督が完成させた作品であって、それまでのフィンチャーがやってきた仕事とはまた違うテーマを持って臨まなくてはいけないので、作品の表面上のルックスなど違って当然なのに「らしくない」と言うのは、間違った作家主義の映画の見方なんじゃないかと思ってしまう。ともあれ、「チェンジリング」といいこの映画といいアメリカ映画の凄さを改めて見せつけられた。興行的には邦高洋低なんて言って日本映画が盛り上がっているかのような記事をマスコミは書き連ねるが、映画の出来を観れば完敗だと思う。しかし、そんなことで憂う立場でもないので、次回作へ向けて頑張らなくては!

夜は妻の実家で急遽会食となり皆で寿司を食べる。耳の遠かった義父が新しい補聴器で聴力が若干復活し、偉く元気になったので楽しい。

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