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2010年1月

2010年1月31日 (日)

冬の鰻

 昨日は某所で鰻を食べました。鰻といえば、土用の丑の日に食べることもあって夏の食べ物って感じなんですが、昨日食べた鰻屋の店主によれば、国内産のものは夏より冬のほうが油が乗って身も厚くなり、断然美味しいんだそうです。この店は高田馬場の早稲田通りからちょっと入ったところにある小さな店で、夫婦2人でやってて、店の雰囲気は、近所の蕎麦屋的な感じですが味は本当に素晴らしい。東京の鰻では僕はこの店が一番美味いと思います。ふっくらとした焼き加減は関東風のものですが、本当に素晴らしい。で、あんまり宣伝はして欲しくない感じなので店の名前は伏せておきます。

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2010年1月30日 (土)

レッスン

 昨日は成城でレッスン。このレッスンもいよいよ佳境に入ってきた。ぼくが相手役を務め奥さんが芝居を観る。と言うのを何回か積み重ねてきているんだけど、相手役を演じると普段カメラの脇やモニターで見ているだけではわからなかった芝居のことがたくさん見えてくるのが面白い。相手の「心」が伝わらないと、こっちの台詞もぎくしゃくしてしまう。芝居の大きい小さいとか方法論ではなく、相手が脚本を理解し自分で考えたキャラクターを自分のものにして自分の言葉で台詞を言ってくれないと、演じる相手にも何も伝わらないのだ。これが溝口が口癖のように言っていた「相手の芝居を反射しろ」と言うことなのか?まず自分で考える。ヒントは脚本の中にしかない。しかしお客さんは脚本の字面に感動するわけではなく、それを語る俳優の芝居に心を動かされる。現場はプロの集まりだから、俳優さんは相手の芝居がうまくいかなくても処理してくれると思うが、その実伝わっていないことも結構あるのではないかと思う。これは一緒の目線の高さで芝居をすると凄くわかるものだった。カメラのそばで何か違うなあ。と思っても、何が違うのかわからないこともあったが、芝居の中に入って初めてわかることがたくさんある。映画を観ているだけでは、この呼吸はわからない。音楽もたぶんそうじゃないかな?ジャズのようなセッションは特にそうだろう。音楽をやっていた人が案外早く芝居に慣れるのは、ある人間の感情を芝居や音楽と言った表現を通じて伝える難しさを知っているからではないかと思う。

 伝えると言うこと。これは本当に難しいことだ。

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2010年1月29日 (金)

チョコレートファイター 東南アジアの映画

 去年阿部さんの事務所から試写状いただきながら見逃していた一本。「マッハ!!!」のチームによる女ドラゴン映画。主人公が知的障害を持つ凄腕の少女。と言う設定が面白い。経験が乏しくて演技力がまた拙い子を主人公に据えるとき自閉症の設定にして台詞を減らしアクション演技に集中させるってのは間違ってない。アクションが素晴らしいのに棒読みの台詞でも強引に面白く見せるってのは昔の東映映画だけに与えられていた特権ですからね。実は「マッハ!!!」と立て続けに見たんだけど、映画としての洗練度はこっちの方が断然いい。

 特典映像の阿部さんのインタビュー見てて知ったけど、タイ映画もやはりかつての香港映画のように脚本と言うものがなくって、アバウトなプロットだけがあって、1シーン1シーンその日毎に現場で考えて作っていくらしい。製作期間1年以上かけてアクションの準備も4年間やって完成まで漕ぎ着けたようだが、これは入念に準備すると言うのもあるだろうが、それより効率度外視で撮っているためではないかと思われる。恐らく日本での撮影に慣れているとアバウト過ぎて面食らったのではないかと思う。

 かつてフィリピンで僕はカメラマンと通訳、それにアシスタントプロデューサー、それに日本人俳優3人と言う6人編成で、あとは助監督からメイク、美術、照明まで含めてオールフィリピン人スタッフと言う16ミリ撮影によるVシネを撮ったことがあったが、最初はフィリピン的なのんきすぎる対応に閉口したことがあった。日本では映画でもテレビでもそうだが、「美打ち」と呼ばれる事前に監督の意図を聞いて準備するための打ち合わせがある。僕は、何も知らなかったのでフィリピンでのロケハン終了後にメインスタッフを呼んでこの美術打ち合わせにあたる会議を設定したが、なんにも意味が無いことがわかった。例えば、マニラ郊外の湖畔に立つボート倉庫の中での銃撃シーンがあった。歴史的な建造物を改造したもので、ロケセットとしては申し分のない素晴らしいものだったが、倉庫の中は身動きがとれないくらいにボートが積んであってアクションどころか、人が歩く隙間もなかった。そこで美術担当の人間に、撮影時にはこのボートを片付けてくれれば撮影は出来ると通訳を通して伝えたが、スタッフはニコニコ笑って「オーケーオーケー」と言う。アクションシーンだったので、既に100以上のカットを割っていたので、1日では撮りきれない可能性があったから、事前に倉庫は空にしておくようににも伝えた。その時もニコニコ笑って「オーケオーケー」と言っていた。だが、撮影当日、現場に到着すると全く手付かずだった。「どうなってるんだ!これは!」と声を荒げると担当者が出てきて「大丈夫。これから片付けるから大丈夫」と言う。「どれくらいの時間で片付けられるか?」と聞くと、まあ午前中いっぱいあればなんとかなるから監督は朝飯でも食べて待っていてくれと言う。見ると湖畔に立派なテーブルがあって食事が並んでいる。二日間そこで撮影する余裕はなかったので、僕は慌てて徹夜で考えてきたカット割りを半分以下にするしかなかった。この国では事前の準備なんか関係なく、始まって終わるまでやるしかなかったのだ。テーブルに付いて食事を始めると、テーブルのスープを沸かすコンロやパン皿が爆撃でもあったかのようにはじけ飛び出した。「なんだこりゃ!」って思ってコックに聞くと、「ああ、椰子の実が落ちてきただけだよ。このあたりは椰子の実が落ちてきて時々死ぬことがあるからディレクトール(ディレクターが訛っている)も気を付けてくれ」と何気なく言う。その瞬間、僕はもう怒るのをやめた。ここはフィリピンなのだ。我々は異邦人だ。我々の感覚を押し付けるのは間違いで、我々が南方気質に変えるしかない。そう思った瞬間楽になった。映画は別に効率良く撮らなくてもいいじゃないか。撮りきれなかったら、その時はまた考えればいい。なるほど、これでは脚本なんてものもあんまり意味がなくなってしまうのかも知れないと思った。

 それでも怖かったのは銃撃戦のシーンだ。銃撃戦のある日は、ガンエフェクト担当のスタッフが「今日は何発くらい打つかねえ」と聞いてくる。フィリピンでの撮影の利点はとにかく、本物の銃を使い、空砲で撮るので銃口からの火が生々しくしかも激しい点にあった。こっちも適当に「まあ100発は打つかなあ」とかいっているとそのスタッフは「オーケー」と言って、おもむろに紙を広げ地面に座って、実弾の弾頭をナイフで削り始めるのだ。だが、実弾を扱うにしてはえらくいい加減だった。右に削る前の弾、左に削ったあとの弾とぽんぽん並べて行くのだが、コロコロ転がって混じってしまいそうに見えるのだ。撮影中僕はカメラの脇にいて、役者がカメラ方向に撃つカットを撮る度に心の底で恐れおののいていた。

 まあ、そこまでアバウトかどうかはわからないが、効率無視で1年くらいのんびり撮影することが、東南アジア系の映画の傑作に結びつくのかなと思った。ただ阿部さんも言っていたが、脚本がないから考えて芝居をするような俳優にはきつい現場かも知れないと思った。阿部さんは人間的にいい人だからタイの現場も乗り切れたんじゃないかと思う。

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2010年1月28日 (木)

嘘のような本当の話

いまから10数年前、僕がチーフ助監督だった頃の話だ。

ある映画の制作会社の制作進行尾上(仮名)には、可愛いタイ人の恋人がいた。名前はラムちゃん(仮名)。ラムちゃんは尾上のことが大好きだった。撮影の仕事で尾上の帰宅が遅くなると、ラムちゃんは自分の二の腕をカッターナイフで切り刻んで彼の帰りを待った。それはタイに伝わる呪いの一種で、そうして腕を切ると恋人が帰ってくると言い伝えがあるらしい。だが、尾上はそれを寂しさゆえのリストカットだと勘違いし、ラムちゃんを連れて現場へ来るようになった。僕がラムちゃんに会ったのはそんな時だった。

ある日、僕は冗談がてら「どうせ現場へ来るならタイ料理でも作ってくれよ」言うと、純粋なラムちゃんは上野まで買出しに行き、制作部の炊き出しの道具で、立派なタイ料理を作ってくれたが、それは水生昆虫タガメの塩漬けやナマズのスープなどとても日本人には耐えられない代物だった。ボクは美味しかったけどね。

そんなある日こと、ラムちゃんは「みんなのお父さんやお母さんは何人いるの?」とおかしなことを聞いてきたが、どうやら、ラムちゃんのお父さんには3人以上の奥さんがいて、十数人の腹違いの兄弟がいるとのこと。僕が「ラムちゃんのお父さんはどんな仕事をやっているの?」と聞いたところ、「○ロイン作っているよ!」と明るく言い出した。「ラムちゃんも○ロイン大好き、白いのと黒いのあって、白い方が好き」とか言い出して、僕だけじゃなく、みんなビビってしまった。尾上はその日以来、ラムちゃんを連れてくることはなかった。

それから数年後、げっそりとやつれた尾上と遭遇した。もう制作現場は離れているらしかった。そこで尾上はこの数年間に起こった数奇な運命を語ってくれた。

あれから尾上は、ラムちゃんとどうしても結婚がしたくなり、タイのラムちゃんの実家へ挨拶に行くことになったと言う。

そして、それなりの金を親から借りて、タイへと向かった。尾上の実家はある大手銀行の頭取で金だけはあったらしい。

ラムちゃんに連れて行かれたのはチェンマイの豪邸だった。なんと、ラムちゃんの父親はタイの麻薬王だったのだ。タイの麻薬王の父親は、ラムちゃんが日本留学の末に日本人の彼氏を連れて帰ってきたことに激怒した。そして、尾上の父親が日本の大手銀行の頭取であることを知ると、なんと尾上をその豪邸に軟禁してしまったのだ。

それから数週間、尾上はその豪邸でラムちゃんと会うことも叶わず、パスポートも取り上げられ軟禁されていた。ラムちゃんはこの間、タイ警察に勤める長兄に相談したりしていたようだが、この腹違いの長男も警察の情報を父親に流すだけの為に警察にいたような男だったのでまったく役に立たず、遂に痺れを切らしたラムちゃんは、尾上を脱走させ自分も日本へ帰ろうとしたが、彼女自身のビザの期限が切れてどうすることも出来なかった。

そんな時、救世主のように現れたのがラムちゃんの双子のお姉さんだ。ラムちゃんのお姉さんは、自分のパスポートとビザを使い、尾上を連れて日本へ行くように言った。父親は、このままでは尾上の実家に連絡させ身代金でもとりそうな気配だったので、ラムちゃんも家をでることを決意した。

双子の二人は衣服を替え、完全に入れ替わり、まんまと家族の目も欺ことに成功。そして尾上と共にその豪邸からの脱出に成功し、ラムちゃんは双子の姉に成り済まして日本へ再び渡り、尾上と結婚したと言う。

その後2人がどうなったのか?それはボクもわからない。嘘のような本当の話だ。

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2010年1月26日 (火)

また横浜で

 昨日は午前中~昼にかけては妻の母の誕生会で会席料理を食べに行き、一旦家へ帰ってすぐに広尾に打ち合わせに出かけ、また一旦帰って、夜から妻と共に横浜まで出向いて、「ケータイ刑事」や「東京少女」の美術を何年も担当していた人たちと呑む。一昨日、突然ですが横浜で2時間ドラマのロケをやっているので、終わったら呑みませんか?と言うお誘いだった。普段はあんまり呑み会には出かけない僕らが出向いたのはこの二人のことが僕も奥さんも大好きだったからでもあります。BSーTBSのあの枠で二人は本当に頑張っていてくれたものなあ。個人的には「ケータイ刑事 THE MOVIE」で舞の事件の時の漫画家のロケセットの飾り付けが素晴らしかった。漫画の原稿のディティールとか「あんこ」と言う表紙と裏だけ本物で中身は白紙を用いず、アドリブで役者の芝居が原稿を手にすることになっても対応出来るようになっていた。これが仕事の出来ないスタッフだと、美術打ち合わせで話にでないと「あんこ」ですませてしまうことが多く、「役者がそんな芝居するなんて聞いてません」の一点張りになるのだが、リハーサルと違ってやはり生きたセットに入って動いてみると役者の生理からどんどん芝居が変わっていくなんてことはざらにある。亡くなった古尾谷雅人さんと飲んだ時。「オレはドラマのリハーサルって奴が大嫌いだ。実際にないそこにはない水道をひねるふりをしてもオレには芝居は出来ない。かと言って、いざセットインしてから芝居を変えると『芝居』ではなくカメラの都合で、芝居を変えるなと言う。ドラマのリハは役者の芝居のためにあるんじゃなくて、スタッフの段取りの為だけにあるんだからな」と言っていた事があった。

  一度事前に決めた決め事を現場でいろいろなことが思いついても対応出来ない。逆に全て計算したとおりに合理的にやれるのがプロの仕事とするのがテレビの特徴であり、それはそれで時間がない撮影においてはしょうがない部分もある。だから最近の助監督は「これは映りますか?」とロケハンもしてないうちから聞いてくることがある。僕は助監督の時にこんなことを聞いたことは一度もなかった。いつどこで監督が「映す」と言い出すかわかないから、どんな時にも対応出来るように万端整えておくのが助監督の仕事だと思っていた。特に長崎俊一監督なんか事前に質問しても「そんなもの役者が動いてみないとわからん」としか答えてくれなかったし。

 それはともかく、予算がない代わりに現場での自由さが約束されていたのが「ケータイ刑事」であり「東京少女」であり「恋する日曜日」であった。そして、そういった俳優や監督の我侭を文句を言わずにとは決して言わないが、きちんとした対応で接するとどこまでも頑張ってくれたのが、昨日会った美術の竹安さんだった。一緒に現場でものづくりしていく独特の自由なムードが素晴らしかったあの現場。いまは中断していますが、またいつか復活することを心から祈っています。

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2010年1月24日 (日)

横浜

 昨日は横浜でライターと打ち合わせ。その後、石川町へ移動し中華街へ繰り出す。関帝廟でお参りをしたら最高の御籤を引いた。今年はよいことがある予感。お参り後は「大新園」で焼きワンタンとつけワンタンを食べなが紹興酒を呑み、「東林」へ移動して淡雪フカヒレスープをいただく。途中で手相占いの人が10人ほど集まり995円で占いをするテントのようなものを発見し、見て貰ったが当たっていたり当たっていなかったり、いままでの人生はこうでしたね?と言うのが尽く外れていたけど、年上の女性との縁が深いと言うのは当たっていた。出来れば50代で大病はするけどその後元気になって長生きする。と言うのは当たって欲しくない。でも基本的になんだか説明が曖昧で995円ならしょうがないかなと言う感じだった。同行した一人は、曖昧でいい加減な受け答えにちょっと切れそうになっていた。でも美味しいもの食べたからいいか。今日からの活力になりました。

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2010年1月23日 (土)

ユービック 

一日で読み終わる!
良かった、再読だったせいかもしれないが、まだまだ頭は老化していなかった。
それにしても面白すぎだなあ。「ユービック」。四半世紀経って読んでも全然古くないわ。
「古くならないものが新しいもの」と言うのは、小津の「宗方姉妹」での田中絹代の台詞だがまさにそのとおりだ。

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2010年1月22日 (金)

スキャナー・ダークリー

 昨日は、午前中に未見だったリチャード・リンクレイターの「スキャナー・ダークリー」をブルーレイで観て、午後からライターと脚本打ち合わせ。打ち合わせ後ジムに立ち寄って汗を流して夜に帰宅。サウナの時計がその時間壊れていて、時計がないサウナに一抹の恐怖を覚える。

 「暗闇のスキャナー」を読んだのはもう20年以上昔で、昔住んでいたアパートの誰かの部屋にディックの本があちことに散らばっていたので、かたっぱしから毎日読んだ記憶があって、昨日も思い出して「ユービック」や「パーマー・エルドリッチの三つの聖痕」とか引っ張り出して来てパラパラめくったが当時これを一日一冊読んでいたのが信じられない。脳は明らかに退化して行くもんだと言うことを思い知る。いまでも覚えているのは「パーマーエルドリッチ~」を読んでいて、うとうとして、はっと目が覚めると怖い顔した若いお兄さんがこちらを見下ろしていた。「実は、近くに〇〇組の事務所を開くことになって、うちの組の挨拶がてら新聞の勧誘を手伝うことになったので、読売新聞をとってくれ」と言うものだった。以前も書いたが、共同玄関、共同トイレのそのアパートは鍵と言うものが存在していなくて、自主映画の監督や役者同士が勝手に部屋を行き来していたものだが、その日も鍵をかけずに本を読んでうとうとしていたらヤクザものが勝手に入り込んできたのだ。僕は喉から心臓が出るほどその時は怖かったので、半ば脅されるように読売新聞の契約書にサインをした。ヤクザのお兄さんは、お礼にと東京ドームのチケット2枚と相当数の枚数のビール券を置いていってくれたが、その後新聞は一度も投函されず、集金に来ることもなく、僕は野球のチケット2枚とビール券を戴いただけだったのだが、あれはなんだったんだろう?貧乏な助監督の家に天使がやくざ者の姿を借りてやってきてくれたのかなと思ったが、きっと新聞の契約数だけでも集めると何かヤクザさんたちに利益があったんだろうなと思う。

 「スキャナーダークリー」はもうすっかり小説の内容を忘れていたにも関わらず面白かった。ロトスコープと言う実際に俳優の芝居を撮って、その動きをキャプチュアしながらアニメ化されたものだが、ディックの世界を映像で表現するには最適な方法だったのではないだろうか?アニメ化された尚且つ芝居の上手さをロバート・ダウニーjrには感じたが、ディックの世界観は数十年経ても古くなっていないどころか、こうして実験的な方法で映画化されるだけの価値はあると思った。人間の心の寂しさは疎外感はあの頃よりもっと増しているので、余計にひしひしと感じるのかも知れない。

 ところで「スキャナー・ダークリー」の評をネットで検索していると、この映画を「自分が理解できない」と言う理由で30点とか点数評価をしている、映画批評家を名乗る人がいたけど、そういう自分の能力のなさを露呈するようなことはしない方が懸命だと思った。「理解できない映画」があるのは当然だろう。ただ「理解できないもの」に対して、それを拒絶してしまうのは評論家のすることではない。僕らは若い頃「理解出来ない映画」が存在してしまうことは自分の恥だと思った。だから「理解できない映画」があったら、理解出来るまで勉強をした。誰のためでもない、自分のためだからだ。それを自分に理解できない映画を30点とかつけてしまうのは、自分の知識教養のなさが30点とひけらかしているようなものだと思う。映画評論家を名乗るなら、映画に対してもっと畏敬の念をもって接しなければいけないのではないだろうか?これは映画に限ったことではない。自分の理解の範疇外にあるものを否定してしまっては、そこから科学も文化も生まれないと思うのだがどうだろうか。

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2010年1月21日 (木)

映画秘宝 最新号とか

 昨日は朝早くから義父を連れて妻と共に病院へ行く。老人性難聴の定期診断と、先週足腰が痛くて歩行困難になった日があったのでその検査も含めて。腰の方はもう痛みもなく、問題なく日常をおくれているけどかかりつけのお医者さんが一応総合病院でも診て貰った方がいいと言う判断。義父は他は全然元気なんだけど、老人性難聴の為に医者や看護師の声が聞き取りにくいので、声に芯のある僕が通訳のような役目を果たすことになっている。幸い耳の状態も腰の状態も悪くはなっていなかったので、2週間後までまた様子を診てみることになる。昨日は病院も混んでいて、午前中いっぱいかかり、3人でラゾーナで遅い昼食を食べて帰宅。病院へ行く日が暖かい日で良かった。

 帰ったら、映画秘宝最新号が届いていた。今回は僕もベストテンと久々にワースト1も書いていますので是非お買い求めください。宜しくお願いします。ところで、ページをペラペラめくっていたら、柳下さんたちが選定する「はくさい賞」の最低監督賞にあの監督の名前があって、背筋が寒くなる。僕らは助監督の時に、あまりのバイオレンスさで絶対避けておきたい監督として先輩助監督に教えられた人だったからだ。知ってる人が見るとこれは勇気ある選択だったような気もします。まあ洒落もわかる監督だとは思いますが、自分の作品に関してはどんな映画でも監督は思い入れがあったりするから、ゴールデン街とかで会ったときは速やかに逃げることをお薦めします。じゃないと、あの世代の人達は議論の余地なく寺山修司言うところの「超然とした肉体の言語」でもって迫ってきますからねえ。まあ、そんだけの映画撮ってしまったと言うことなんだろうけど。

 それとは別に、江戸木純さんの最後の締めの言葉「状況は悪化するどころか、外国映画の公開DVD化の状況を含めて映画界全体が大変なことになっています」と言う言葉は、この雑誌の中の小さな一行だが、現在僕らが置かれている映画状況を端的に現していると思う。今年のラインナップの中に意欲的な作品を感じつつも、それが興行的にリクープ出来なかった場合その後の映画の道筋がまったく見えてこないからだ。

 時間はかかるかも知れないが、我々自身が「当たる」作品を撮って、良貨が悪貨を駆逐する状況を本気で考えなくてはいけない。秘宝本誌にも書いたけど。もう低予算映画は市場の流通システムも含めて限界突破している。若者は才能の浪費をしないように自己防衛して欲しいと思う。みんな「仁義なき戦い 代理戦争」の渡瀬恒彦にならんように頑張りましょう。世の中は山盛だらけですよ。

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2010年1月19日 (火)

カールじいさんの空飛ぶ家

20100119185020 川崎ラゾーナで妻と共に「カールじいさんの空飛ぶ家 3D」を鑑賞。今日は、この間のアバターの時のIMAX デジタル3Dと違って液晶シャッターのXpanDと言うシステムだったが、断然IMAX デジタル3Dの方がいい。XpanDは、メガネが重たくて裸眼で観るより遥かに映像の発色も悪くなる。劇場としてはスクリーンも通常のもので補えるし、上映方式の設置が簡単なXpanDがこれからも主力になるんだろうけど、メガネの視野も広いIMAX デジタル3Dを体感してしまうとXpanDは、ちょっとつらいものがあった。

 この映画の日本での宣伝に当時楽天の野村監督を起用してイベントをやったせいか、僕の中ではカールじいさん=ノムさんと言うイメージが出来上がってしまっていたのだが、少年時代から映画が始まったので、本編中はもうノムさん補完はなかったし、エリーも沙知代夫人とは大違いであったけどね。映画の方は、散々最初の10分で大泣きと聞かされていたので、それほど泣きはしなかったけど冒険活劇映画として充分楽しめた。ただもう少し、前半は老人が子供に優しくなかった方が良かったかなと、最終的には優しくてもいいんだけど、前半は「グラントリノ」のイーストウッドではないけど、最初は拒絶しつつも冒険の中で邂逅して行く方が、過去の思い出を捨てても少年を助けに行こうと言うところに感動できたのになあとかは思いました。僕の中でのベストキャスティングはジョージ・C・スコットだといいのになあとか思ってみていたけど、それだとディズニー映画ではなくなってしまうか・・・。でも年寄りが活躍するアメリカ映画は僕は大好きですね。日本語吹き替えも、俳優ではなく飯塚昭三さんや大木民夫さんと言うベテランを起用しているのも良かった。ディズニーランドはちょっとした日本人のキャスティングも相当に厳しいらしいけど、こう言う日本語版も確りとしていていいですね。

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2010年1月17日 (日)

「bump. y」 青山円形劇場

 昨日は妻と青山円形劇場へ出かけ、丹羽さんに招待戴いた「bump. y」の舞台を観に行く。妻は舞台に多く出ていた時代に青山劇場へは通いなれていたと言うことで、渋谷駅からの近道を通って歩く。僕は、ここ数日はちょっと心労もあったので、このイベントは丁度いい具合の清涼剤だった。前半がネットドラマの舞台版の劇で、後半が歌謡ショー。と言う構成はなんとなく新宿コマの座長公演を思わせるが、歌も歌うアイドル系の舞台=イベントではオーソドックスなものなのかな?正直、自分たちだけが面白いと思っているシリアスな演劇より全然楽しかった。最近は風間杜夫さんの客演した「THE ガジラ」の舞台とか本当に面白いものを観たりしているからそうでもないけど、若い役者が案内を出してくれる小劇場の舞台とか昔は時々観に行っていたけど、本当につまらなくてつまらなくても途中退席も出来ず、それで時には2時間半とか拷問のような舞台劇があって、それに比べれば昨日の青山円形劇上の舞台は可愛い女の子がたくさん出てきて可愛かったし、後半の歌謡ショーは80年代歌謡曲好きにとってはたまらない選曲で楽しめた(石川秀美の「ゆ・れ・て 湘南」とかマニアックだった)。でも、僕より隣の妻はもっと楽しんでいたのではないだろうか?昨日出演していた何人かの女の子がまだ中学生や小学生の時代に事務所から呼ばれて、レッスンに行っていたことがあるから、直接教えた子たちにはかなり愛着があるようだ。特に、中学生の時に土日だけ鹿児島から時々上京して、レッスンを受けていたデビュー前の桜庭ななみちゃんとは長いお付き合いでもあるので、愛情ひとしおと言う感じだ。なので、ちょっと恥ずかしかったけど僕らもお見送りのハイタッチまで参加して帰ってきました。楽屋口で何人か教え子たちにも会えたようだし。

 帰ってから、辰巳さんに戴いたイタリアのレモンリキュールをクラブソーダで割ったものを妻と共に飲みながら、出かける前に作っていったミネストレーネ食べ、ブルーチーズをパンに挟んでワインを呑んでいたら、珍しく酔が回って食後2時間ほど眠ってしまった。まあここ数日は疲れていたせいもあるだろうが、やはり違う酒を食卓に並べると酒量が増えてしまう。俗に「ちゃんぽん」と言うのは、例えば酒の種類が違ったものを呑むことで何か化学的に身体が反応して体調に影響をおよぼすのではなく、酒の種類を変えて味が変わることでどんどん舌が受け入れて酒量が気づかないうちに多くなることを言うのだそうだが昨夜はまさにそんな感じだった。

 

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2010年1月14日 (木)

レッスンとか

 昨日は今年初めてのレッスンを成城で、辰巳さんと新年の挨拶。レッスンは順調。芝居の質を上げて行く。或プロジェクトが動き出したので、その側方支援を僕らなりにうまくできればと思う。いずれにしろその為にも鍛錬鍛錬ですね。

 レッスン後妻とイタリアンを食べて帰宅するも、その間に義父が腰の痛みで歩けなくなったと言う連絡が来たりして心配で帰りに自宅に寄ってみるが、痛みはおさまり歩けるようになっていて良かった。一応、今日病院へ連れて行く段取りをつけるが今朝連絡が来て痛みはないので病院へはいかずに様子をみるとのこと。高齢なので、一旦歩行困難になると中々もとに戻れないこともあるので、すぐに治って良かった。

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2010年1月13日 (水)

訃報 エリック・ロメール

 六本木で打ち合わせに出かける直前にこの訃報を知る。

 いまはなき六本木のシネヴィヴァンで「緑の光線」を観て感銘を受けてなんだかんだで30年近くたってしまったわけですが、良くも悪くもその後の日本のインディーズ映画はロメールの影響下にあった作品を多く生み出しました。 予算がない青春映画はみんなロメールで克服しようぜみたいな。

 この時代の総括と言うか反省を、あの時代に若者でもう中年から初老になりつつある映画人はちゃんとやらなくちゃいけないんじゃないだろうか?

 たまたま今日食事しながら打ち合わせをした場所はあの劇場の立っていた場所であった。

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2010年1月12日 (火)

紅の流れ星

 スカパーで「紅の流れ星」を観る。昔、16ミリプリントを借りてきて札幌でj自主上映したときに観て以来だけど、何十本とある舛田利雄監督映画の中でも異彩を放つ自由度満載の映画。渡哲也のふらふらと浮遊感るキャラクターが秀逸。日活アクション映画って清順以外のものはあんまり再評価されていないし、実際に今見ると淡白でつまらない映画も多いんだけど、「紅の流れ星」はいいなあ。日活映画の何とも言えない、アンニュイな感じは、例えば長谷部安春の「流血の抗争」で、宍戸錠さんと藤竜也さんが殴り込みに行ったのに親分が不在で待っている間に思わず居眠りしてしまうジャンプカット多用の編集とか、やくざアクション映画なのにそこになんとなく青春映画っぽいニュアンスが入り込んできて、それは泥臭い東映映画には絶対にない部分で、まさにそれを自主映画で長崎俊一監督がやっていたんですが、大人になったらみんな真似しなくなりましたね。これも時代の気分だったんだろうか・・・。「紅の流れ星」では、キャバレーでの乱闘のあとで「ジェンカ」みたいな曲が流れてそのままふらふら渡哲也が踊りだし、そのままキャバレー全体でジェンカを躍ると言う、不思議なシーンがあるんですが、なぜかあのシーン、いま観ても、何か胸がキュンとする瞬間があるのですね。でもこう言う演出はこの後舛田利雄はあんまりやっていないんですよね。これ1本だけ。舛田利雄はこれと「艶歌」と言う五木寛之原作の映画が傑作だったと思います。それ以外だと「ノストラダムスの大予言」だとか、「人間革命」とかいまやソフト化困難な奇天烈な大作を経て東映で「二百三高地」のような戦争大作を撮ることになりますが・・・。

 「ケータイ刑事 THE MOVIE」で宍戸錠さんとお仕事させていただいた時に、いろいろ映画の話を聞いたが、映画のタイトルと共演した人の芝居はなんとなく覚えているけど、何百本もやったから1本1本もう覚えていない。と言うことでした。でも「殺しの烙印」については覚えていたのは、やはり主役で出たのとそうじゃない映画は違うんでしょうねえ。

 僕は長崎さんにもう一度、「ハッピーストリート裏」みたいな、ニューアクション映画を撮って欲しくて、ただ単にその情熱から「ヨコスカ魂」と言う脚本を書きつづけたことがあったけど、実現化しませんでした。Vシネ時代にそれこそ黒沢満さんが竹内力で何本かリメイクしていましたが、昔あったあの自由な情感は削ぎ落とされていました。予算がないから、こう言う部分はどんどん削ぎ落とされて行ったんだと思います。

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2010年1月10日 (日)

映画の引きサイズ

 むかし、東映Vシネマを1本だけ撮らせていただいたことがあって、当時助監督序列に厳しい会社だったので、セントラルアーツでも助監督やっていたぼくが監督をするのは上に何人も先輩がいてゴボウ抜きになってしまうので、なんとなく密かに企画が進んだ。その時初めてライターとして組んだのが高橋洋さんだった。当時、東映だけはフィルム撮りに拘って、スタンダードサイズの16ミリフィリムで撮り、東映加工でちゃんと初号プリントまで焼いていた。これは劇場公開を前提としていない場合でも必ず初号は焼かなくてはいけなかった。同じ東映グループ企業の仕事を増やすと言うこともあったのかも知れないが、その実はエグゼクティブの黒沢満さんの指令だった。黒沢さんは映画はフィルムであることに拘り、尚且つ東映Vシネマがあくまでも映画の一形態であることを誇りにしていた。まだ24Pカメラがない時代だったせいもあるが、黒沢さんは撮影所最後の勇士でもあったのだ。その黒沢満さんが、多忙で調布の東映加工や大泉の試写室に来られない時の為に東映ビデオ本社には会議室でもプリントが観られるようにスクリーンと16ミリ映写機が常備されていた。僕の「GO CRAZY 銃弾を駆け抜けろ」もそこで黒沢さん試写が行われた。その時に見終わったあと、開口一番言われたのが「映画なんだからおまえ、もう少し引き絵を撮ってこい」だった。「GO CRAZY」は16ミリカメラで撮影され、低予算を逆に生かすために敢えて機材を最低限まで減らし、全編手持ちカメラで撮影された。なので三脚も現場にはなく、演出的にも情感を出すための実景や引きは一切撮らなかったので「引き絵」が少ない印象だったのは確かだろう。ただ、映画なんだから「引き絵」が必要だと言う現場の論理は、絶対的なものなのか未だに僕は懐疑的だ。黒沢満さんは、僕がこの業界に入って一番映画の話を確り出来るシネフィルなプロデューサーだったので、この時はなぜ自分が引き絵を撮らなかったのかきちんと意図を説明したら納得してくれたが、テレビは寄り、映画は引きと言う原則がかつての映画界では制度的なものとして捉えられていた。

 なんでこんなことを思い出したのかと言うと、昨日テレビで「夜汽車」と言う山下耕作の映画を観ていて、木村大作の作る画面があまりに引きすぎていてダイナミズムに欠けると感じたからだ。シーンは、萩原健一がやくざの父の丹波哲郎に金を借りに来る場面で、山下耕作はこのシーンを1シーン1カットで処理しているのだが、あまりにサイズが引きすぎていて芝居が遠いのだ。確かに丹波哲郎の大袈裟な芝居はそのサイズでも十分面白いし、丹波が去った跡にぶち切れる萩原健一を芝居を全てきっちりと捉えるとこう言うサイズになってしまうのだが、ここまで芝居を全てきっちりと収めてしまうところまで引くことが映画にとっていいことなのかどうか、ただ80年代以降日本映画はどうにも引き絵が多すぎる気がするのだ。

 僕は芝居を長回しで撮るにしてもベストなサイズは、小林節雄が増村の映画の中で切り取っていたようなサイズ、ある意味テレビ的とか言われてしまうような中途半端なサイズがベストだと思う。昨日の「夜汽車」は一枚の絵としてみると構図とか綺麗だが、例えばショーケンが芝居の後半で暴れる場面で画面の隅々までショーケンが暴れるであろうことを前提として引かなくてはいけないものなのだろうか?人物が顔半分画面から切れていても感情を確りと客に伝えることの方が重要なのではないかと思う。80年代以降、日本映画は引きのサイズが1サイズ広くなったように思う。監督が引き絵を生かした、芝居とセットの空間演出ができなくなったきたせいもあるかも知れない。むかしの山下耕作の映画を観ていると時々耐え難い長回しをすることがある。監督の意図は恐らく芝居を切りたくないと言うことなのだろうと思うが、その芝居を撮るカメラと役者の距離感はほんの数センチ単位で傑作にもなるし駄作にもなってしまうのだろう。その意味では東映京都の昔のカメラマンたちの一見凡庸に見えるサイズの方が映画的ではないかと最近思ったりもするが、これは映画館で見た記憶が強いから何とも言えない。

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2010年1月 8日 (金)

歯医者終了とアバター

歯医者の最終チェックが終わり、これですべて治療は終了。1年間かけて、完璧な噛合せになった。歯磨の状態チェックもされるがこちらも完璧。自分に本当にお疲れ様と言ってやろうと思う。

と言うわけで、いくつかの業務連絡をメールでやりとりして、今日は午後から川崎109シネマのIMAXシアターでジェームズ・キャメロンの「アバター」を観る。ディズニーランドのどのアトラクションよりもライド感ある体感するエンタティメントは素晴らしかった。特に、前半~中盤の見た事がない映像の嵐と、見た事がない生命体に感じる言葉には出来ない感動は実写では絶対に成立しない凄さをまざまざと見せつけられた。この映画を観て、昔読んだクリストファー・プリーストの「ドリームマシン」とか、このクオリティで映像化したら凄いのになあと思いながら観ていた。むかし、サンリオや創元SFで読んだ絶対に映像不可能とも思える世界はいまそこに映像として成立させるところまで映画は進化したかも知れない。

ただ、そのあまりに凄い映像とは別に、いくつかステロタイプな人物像にちょっと底が浅い感じがしてしまうのは、80年代に「ターミネーター」や「エイリアン2」を観た時からジェームズ・キャメロンに感じていた物足りなさそのままでもあった。例えば軍隊を裏切る女兵士とか、最終的に悪役になる大佐の人物像とかもう少し掘り下げると、主人公が地球人と軍隊を裏切ってまでパンドラを救うために立ち上がる姿により感動出来るのではないかと思った。これは脚本の問題ではなく、役者の芝居と言うかキャラクター設定をどう掘り下げて行くかと言うことではないかと思う。一方のナヴィ側の描き方も確かにステロタイプなんだけど、こちらは型にはめてもそれが様式的に成立しているからなのと、インディアン俳優ウエス・ステュデイを族長にキャスティングしたりして芝居の奥行きがちゃんと出ているのに、スティーブン・ラングには軍人としての、歴戦を戦ってきた強者としての深みが足りなかったように思う。その出自から言うわけではないが、恩師ロジャー・コーマン的な「まあ、こう言う映画では人はこうさ、これでいいんだよ」みたいなB級映画的な人物処理がまだ残っていて、そこも嫌いではないが、後半の肉弾戦にもっと大佐の怖さが必要だった。「こいつ敵に回すと絶対にヤバイ」感がスティーブン・ラングにはなく、マッチョな暴力的な浅さ故にバトルの後半飽きてしまったのだ。もっとリー・マーヴィン魂が欲しかった。せめて、ロナルド・レーガンでもいい。そういう役者ももうアメリカにもいないのかも知れないけど。

ちなみに川崎109シネマのIMAXの画面は小さくて、僕が知っているIMAXシアターの画面ではなかった。デジタルによる音と高画質映像は良かったと思うけど、かつてIMAXが謳っていた巨大スクリーンではなく普通のシネコンのスクリーンサイズだったのはちょっとがっかりだった。

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2010年1月 6日 (水)

正月は韓国映画三昧だった

ウォン・シニョン監督、キム・ユンジン主演「セブンデイズ」が誘拐ミステリとしてよく出来ているような記事を読んだので、正月に慌てて借りてきて見たが、全然駄目だった。犯人の意図は途中で読めてしまうし、それに当てはまる人物が出てきたところで僕の中では物語終了だった。でもそれは物語、脚本の批判でしかなく、特別に物語に真新しさや展開がなくても映画は楽しめるものなのだが、それが楽しめないのは演出が酷いからだと思う。ぶれぶれカメラでやたらにカットをパチパチと切り替え、さらに編集で可変速とオーバーラップを過剰に操るPV演出はトニスコでも最近やらなくなっているのにと、ああいう一過性の流行りものの演出を見せられると本当に腹が立つ。何年か前にも「インファナルアフェア」や「24」の編集を、そのまま真似したテレビドラマがあったが、あの程度の下品さだった。

 と、口直しにホン・サンスの「気まぐれな唇」と「女の未来は男だ」と「浜辺の女」を連続DVD鑑賞するが、口直しどころか感動してしばらく席をたてなかった。いくつかの評を読む限り韓国のエリック・ロメールとか書かれていたけど、扱うテーマが「性」であることと生々しい会話での長回しは、いくつかの神代辰巳を思わせた。殆ど1シーン1カットなんだけど、日本の若い監督の長回しにありがちな傲慢な長回しではなく、カメラと役者の距離感に温かみがあって、映画を観ている間中心地よい時間が過ぎて行くのを共有させてくれるような時間を作り出しているのが素晴らしい。あと、韓国映画にありがちな興奮した激昂芝居が殆どないのもいい。こう言う思い切り創り上げて、それでいてまったく自然な芝居は時間をかけないと生み出せないのであろうが、映画における芝居のある理想系の形だろう。ホン・サンスはプロットだけ決めて、あとは役者とディスカッションしながら台詞を作り上げていったらしいが、時間の余裕さえあればそういった芝居作りはやはり興味深い。でも、本当に上手い人とではなくては出来ないのかとも思う。ワークショップで、こう言う芝居作りは何度か取り組んだことがあるが、経験値が低かったり演技対する考えに計算が建たない人がやるとかなり悲惨なことになる。やはり自然で演技していないような芝居を演技で作り上げると言う再構成が出来ないとこのクオリティにはいかないと思う。要するに「思いつき」だけでは駄目だと言うことだ。「思いつき」をオリジナルな表現に持っていくには経験値が高い胆力が必要ではないかと思う。日本でこの手のインディーズ作品が辛いなあと思うときは大概この芝居の追い込みが足りないからじゃないかと思う。まあ、真面目にやれば相米組のように1ヶ月の撮影スケジュールが3ヶ月にまで伸びて、2億も3億も赤字出したりすることもあるから、気をつけなくてはいけないけど。

こう言う弛たう映画は、80年代~90年代初頭の日本の自主映画系の監督にも多く見られたし、むしろ日本のインディーズ映画得意のジャンルだったはずなのに、軽く韓国映画に超えられてしまったのは悔しい。僕はこう言う映画は撮らないと思うけど、例えば松岡錠司監督とかPFF入選作の「三月」とか「田舎の法則」とか見る限り、限りなくホン・サンスのようになって欲しかったのに・・・。

と言うわけで2月にやるワークショップのテーマがはっきりしました。

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2010年1月 4日 (月)

自主映画「仁義なき戦い 外伝 女子大 恥ずかしゼミナール編」

その日、にっかつ撮影所は異様な空気に包まれていた。黒沢清組「女子大 恥ずかしゼミナール」のオールラッシュだったのだ。僕にとっては初めての35ミリ製作の映画のオールラッシュ。「女子大 恥ずかしゼミナール」はにっかつ製作の映画だったが、当時1000万ほどの制作費で水谷俊之監督や磯村一路監督も挑んでいた低予算による外部発注の意欲的な企画を映画化するロマンポルノ枠だった。なので撮影所のシステムではなく、ピンク映画にほぼ近いシステムで作られていた。と、言っても水谷さんや廣木さんたちのようなピンク映画として確立されたシステムであったわけでもない。むしろこの間書いた、立教SPPを中心とした大学映研連合の色合いが強かった。万田邦敏、塩田明彦、暉峻創三、園子温、小中和哉、篠崎誠、ら監督たちの他に、今関あきよしの「フルーツバスケット」で女優をやりその後渡辺文樹の「家庭教師」にも出ていた庄司真由美が制作進行だったし、当時PFFで賞を撮りその後廣木隆一や中村幻児のピンクやホモ映画で主役も演じていた首藤啓が役者として参加していたり、まあとにかく10日間ハードな学園祭のノリだった。ただ僕だけは、長谷川和彦から預かった助監督として、カチンコの叩き方から、現場での声の出し方まで、黒沢清監督には助監督の仕事を厳しく教えられた。これは意外と思う人が多いかも知れないが、その後ああいう黒沢さんの態度は僕だけに向けられたもので、実に以外であったと言う話をしたら、「佐々木はゴジさんから預かったから助監督としての躾もちゃんとしなくちゃいけないと思ったんだよ。でも、あとでゴジさんにそんな話したら「ああそんな奴もいたな。あれは黒沢の好きにしていいよ」と言われてさ、いや、本気で怒ったわけじゃないからね」と言われたことがある。

さて、そのオールラッシュの日、にっかつ撮影所には初めて大画面で自分たちが関わった映画がオールアフレコの台詞がついたバージョンを観るために、この学生連合たちが集結していた。ラッシュ前の試写室は学校の講義前の部屋のように賑わっていた。だが、ラッシュが終わり黒沢さんが会議室に呼び出され戻ってきた時、黒沢さんの顔は青ざめていた。にっかつ上層部からもっとセックスシーンを撮り足さないと納品拒否と言われたのだ。その後、「恥ずかしゼミナール」はディレカンがにっかつから権利を買い取り、1年後にポルノシーンではないシーンを撮り足しされて完成されたが、この日はまさに地獄の一丁目的な雰囲気が監督やプロデューサーから漂っていた。その状況は僕らにも伝わってきた。さて、これからどうするのか、黒沢さんを囲んでやけ酒でも呑むのかなとか思っていたら、おもむろに塩田明彦が「あ、あのこれからイタリア文化会館で「暗殺の森」やるんだけどさ、みんな一緒に行く?」と言い出した。さすがに万田さんは同調しなかったが、暉峻君は「それは大事だね」と、言い出し、難しい顔で打ち合わせするプロデューサーや監督を尻目に僕らは撮影所を後にすることになった。

結局、僕らは「恥ずかしゼミナール」のオールラッシュから数時間後、日本語字幕のない「暗殺の森」を観ていた。途中で映写ロールの架替ミスがあって、或シーンから突然森の中での暗殺シーンになってしまって混乱したが、後年「暗殺の森」を観たとき、この字幕なしでよくわからない架替ミスバージョンのほうが映画として印象に強く面白かったのではないかと思った。

しかし、これはいかにも学生が集まっていた映画の現場らしい結末だったとも思う。僕はまだ東京に出てきて右も左もよくわからないうちの経験だったので、みんなと行動を共にしたが普通は自分が関わった映画が心配で中々他の映画を観に行く気にはならないのではないかと思うが、そこが映画に対してはどこまでも貪欲であり続けた映画青年たちだったのだ。でも、そういう時に為す術も無くやけ酒を飲みに行くより、ベルトリッチを観に行く行為の方が映画に対しては誠実な行動だったと思う。まあ、スタッフの心構えとしてはだめかも知れませんがね。

1年後再開した、「ドレミファ娘の血は騒ぐ」の現場には長崎俊一監督の企業PR映画の助監督の仕事ともろ被りだったので参加出来なかったが、これは大いに心残りだった。

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2010年1月 3日 (日)

映画秘宝 09年度ベストテン

 先月の20日頃には編集部に提出してしまったので、それ以降見た映画はカウントされていません。ベストテンについての詳細は1月20日発売の映画秘宝誌上にてよろしくお願いします。

○09年に観たベスト映画10選
1 グラントリノ (クリント・イーストウッド)
2 チェンジリング (クリント・イーストウッド)
3 呪怨 白い老女 (三宅隆太)
4 サブウエイ123 (トニー・スコット)
5 チェイサー (ナ・ホンジン)
6 アンナと過ごした四日間 (イエジー・スコリモフスキ)
7 アンダーカヴァー (ジェームズ・グレイ)
8 スペル(サム・ライミ)
9 木漏れ日の中で (ヴィクター・ヌネッツ)VHS鑑賞
10ミネソタ大強盗団(初ソフト化)(フィリップ・カウフマン)

見ていない映画、特に邦画は見ていないので偏見に満ちたベストテンではあります。

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初夢

 初夢は、堀北真希ちゃんがシンガーデビューすることになってそのPVを真希ちゃん主演で撮っていると、三谷幸喜さんが現れて強引に真希ちゃんを連れて行こうとするので「なにするんだ」と、三谷さんの腕をつかんだら、三谷さんの腕がずるりっと取れて、肩口から緑色のいくらのような粒状の血が流れ出て「けけけけけけ」と笑って去っていき、三谷さんは宇宙人だったことがわかる。と言うようなものでした。

 年末年始の食べ過ぎで体重が1.6キロも増加。昨日は、箱根駅伝の往路を見てからジムに行き2時間ほど汗を流しましたが、一度増えると中々落ちないんだろうなあ。今日もジムへ行く予定です。ところで今年も箱根駅伝は熱いですね。去年に引き続いての東洋大柏原の激走はちょっと凄すぎる。さて復路はどういうドラマが待っているのだろうか?昨日はその後出していなかったのに、来てしまった人への年賀状を書いて出しました。

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2010年1月 2日 (土)

明けましておめでとうございます

今日は朝から雑煮を造り、そのまま妻と共に川崎七福神巡りをしてきました。天気予報で脅されていたけど、案外陽射しが暖かく、3時間ほどで川崎の七つのお寺を巡って、一軒一軒参拝の証拠のスタンプを押してもらい、我が家の神棚に飾りました。

 世間は不況不況のニュースで業界的にもあっという間に信じられないハザードが起こってしまいましたが、僕自身はこれを契機にもう一度映画について、確りとした思想を持ち、この時代の中で何を自分がするべきなのかを考え行動する、大きな変革の時期にきたのではないかと思われます。そういった意味で去年は過渡期だったのではないかと思います。事業繁栄の大黒様のお寺で引いたおみくじは「大吉」。よし、運は向いてきそうだ。頑張るぞ!

 帰ってから親類一同に会して新年会。僕はボッテガ・ヴィーノ・デイ・ポエティ・ゴールド と言うイタリアのスパークリングワインを持参して参加。ボトルが金色でお正月らしいデザインなので購入したのですが、一流のレストランで買い占められるためこの時期は品薄になってしまうものですが、値段は3000円程度と安い。ゴージャスなボトルデザインとは打って変わって飲み口は繊細。「Il Vino dei Poeti」(詩人のワイン)と言う名前通りの味でした。

生産者の一言を付け加えると

 『詩人や芸術家、そしてそれらを愛する全ての方が生きていることを喜びグラスを掲げ、このプロセッコ・ブリュットを飲むことで喜びを喚起するワインなのだ。ボッテガのプロセッコは、『笑顔』『ロマンス』と同義なのです。愛に満ちた光なのです。』と言うことだそうです。

 今年も皆様よろしくお願いします。

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