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2010年1月 8日 (金)

歯医者終了とアバター

歯医者の最終チェックが終わり、これですべて治療は終了。1年間かけて、完璧な噛合せになった。歯磨の状態チェックもされるがこちらも完璧。自分に本当にお疲れ様と言ってやろうと思う。

と言うわけで、いくつかの業務連絡をメールでやりとりして、今日は午後から川崎109シネマのIMAXシアターでジェームズ・キャメロンの「アバター」を観る。ディズニーランドのどのアトラクションよりもライド感ある体感するエンタティメントは素晴らしかった。特に、前半~中盤の見た事がない映像の嵐と、見た事がない生命体に感じる言葉には出来ない感動は実写では絶対に成立しない凄さをまざまざと見せつけられた。この映画を観て、昔読んだクリストファー・プリーストの「ドリームマシン」とか、このクオリティで映像化したら凄いのになあと思いながら観ていた。むかし、サンリオや創元SFで読んだ絶対に映像不可能とも思える世界はいまそこに映像として成立させるところまで映画は進化したかも知れない。

ただ、そのあまりに凄い映像とは別に、いくつかステロタイプな人物像にちょっと底が浅い感じがしてしまうのは、80年代に「ターミネーター」や「エイリアン2」を観た時からジェームズ・キャメロンに感じていた物足りなさそのままでもあった。例えば軍隊を裏切る女兵士とか、最終的に悪役になる大佐の人物像とかもう少し掘り下げると、主人公が地球人と軍隊を裏切ってまでパンドラを救うために立ち上がる姿により感動出来るのではないかと思った。これは脚本の問題ではなく、役者の芝居と言うかキャラクター設定をどう掘り下げて行くかと言うことではないかと思う。一方のナヴィ側の描き方も確かにステロタイプなんだけど、こちらは型にはめてもそれが様式的に成立しているからなのと、インディアン俳優ウエス・ステュデイを族長にキャスティングしたりして芝居の奥行きがちゃんと出ているのに、スティーブン・ラングには軍人としての、歴戦を戦ってきた強者としての深みが足りなかったように思う。その出自から言うわけではないが、恩師ロジャー・コーマン的な「まあ、こう言う映画では人はこうさ、これでいいんだよ」みたいなB級映画的な人物処理がまだ残っていて、そこも嫌いではないが、後半の肉弾戦にもっと大佐の怖さが必要だった。「こいつ敵に回すと絶対にヤバイ」感がスティーブン・ラングにはなく、マッチョな暴力的な浅さ故にバトルの後半飽きてしまったのだ。もっとリー・マーヴィン魂が欲しかった。せめて、ロナルド・レーガンでもいい。そういう役者ももうアメリカにもいないのかも知れないけど。

ちなみに川崎109シネマのIMAXの画面は小さくて、僕が知っているIMAXシアターの画面ではなかった。デジタルによる音と高画質映像は良かったと思うけど、かつてIMAXが謳っていた巨大スクリーンではなく普通のシネコンのスクリーンサイズだったのはちょっとがっかりだった。

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