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2010年1月 4日 (月)

自主映画「仁義なき戦い 外伝 女子大 恥ずかしゼミナール編」

その日、にっかつ撮影所は異様な空気に包まれていた。黒沢清組「女子大 恥ずかしゼミナール」のオールラッシュだったのだ。僕にとっては初めての35ミリ製作の映画のオールラッシュ。「女子大 恥ずかしゼミナール」はにっかつ製作の映画だったが、当時1000万ほどの制作費で水谷俊之監督や磯村一路監督も挑んでいた低予算による外部発注の意欲的な企画を映画化するロマンポルノ枠だった。なので撮影所のシステムではなく、ピンク映画にほぼ近いシステムで作られていた。と、言っても水谷さんや廣木さんたちのようなピンク映画として確立されたシステムであったわけでもない。むしろこの間書いた、立教SPPを中心とした大学映研連合の色合いが強かった。万田邦敏、塩田明彦、暉峻創三、園子温、小中和哉、篠崎誠、ら監督たちの他に、今関あきよしの「フルーツバスケット」で女優をやりその後渡辺文樹の「家庭教師」にも出ていた庄司真由美が制作進行だったし、当時PFFで賞を撮りその後廣木隆一や中村幻児のピンクやホモ映画で主役も演じていた首藤啓が役者として参加していたり、まあとにかく10日間ハードな学園祭のノリだった。ただ僕だけは、長谷川和彦から預かった助監督として、カチンコの叩き方から、現場での声の出し方まで、黒沢清監督には助監督の仕事を厳しく教えられた。これは意外と思う人が多いかも知れないが、その後ああいう黒沢さんの態度は僕だけに向けられたもので、実に以外であったと言う話をしたら、「佐々木はゴジさんから預かったから助監督としての躾もちゃんとしなくちゃいけないと思ったんだよ。でも、あとでゴジさんにそんな話したら「ああそんな奴もいたな。あれは黒沢の好きにしていいよ」と言われてさ、いや、本気で怒ったわけじゃないからね」と言われたことがある。

さて、そのオールラッシュの日、にっかつ撮影所には初めて大画面で自分たちが関わった映画がオールアフレコの台詞がついたバージョンを観るために、この学生連合たちが集結していた。ラッシュ前の試写室は学校の講義前の部屋のように賑わっていた。だが、ラッシュが終わり黒沢さんが会議室に呼び出され戻ってきた時、黒沢さんの顔は青ざめていた。にっかつ上層部からもっとセックスシーンを撮り足さないと納品拒否と言われたのだ。その後、「恥ずかしゼミナール」はディレカンがにっかつから権利を買い取り、1年後にポルノシーンではないシーンを撮り足しされて完成されたが、この日はまさに地獄の一丁目的な雰囲気が監督やプロデューサーから漂っていた。その状況は僕らにも伝わってきた。さて、これからどうするのか、黒沢さんを囲んでやけ酒でも呑むのかなとか思っていたら、おもむろに塩田明彦が「あ、あのこれからイタリア文化会館で「暗殺の森」やるんだけどさ、みんな一緒に行く?」と言い出した。さすがに万田さんは同調しなかったが、暉峻君は「それは大事だね」と、言い出し、難しい顔で打ち合わせするプロデューサーや監督を尻目に僕らは撮影所を後にすることになった。

結局、僕らは「恥ずかしゼミナール」のオールラッシュから数時間後、日本語字幕のない「暗殺の森」を観ていた。途中で映写ロールの架替ミスがあって、或シーンから突然森の中での暗殺シーンになってしまって混乱したが、後年「暗殺の森」を観たとき、この字幕なしでよくわからない架替ミスバージョンのほうが映画として印象に強く面白かったのではないかと思った。

しかし、これはいかにも学生が集まっていた映画の現場らしい結末だったとも思う。僕はまだ東京に出てきて右も左もよくわからないうちの経験だったので、みんなと行動を共にしたが普通は自分が関わった映画が心配で中々他の映画を観に行く気にはならないのではないかと思うが、そこが映画に対してはどこまでも貪欲であり続けた映画青年たちだったのだ。でも、そういう時に為す術も無くやけ酒を飲みに行くより、ベルトリッチを観に行く行為の方が映画に対しては誠実な行動だったと思う。まあ、スタッフの心構えとしてはだめかも知れませんがね。

1年後再開した、「ドレミファ娘の血は騒ぐ」の現場には長崎俊一監督の企業PR映画の助監督の仕事ともろ被りだったので参加出来なかったが、これは大いに心残りだった。

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コメント

佐々木さん、あけましておめでとうございます。
昨年末はバタバタしていてお会いできずに残念でした。

『暗殺の森』がイタリア会館で間違った巻がけがされた日に僕もその場にいました(笑)
あの日の午後にそんなことがあったんですね…。

たしかにやけ酒飲むよりは…と思いつつも、やっぱり黒沢さんを置いて映画に行くのは微妙な気も(笑)、いや、でも僕はその場にいなかったので何とも言えませんが。

僕は1年後の撮影にエキストラで再び駆り出されました。日本初(?)の自家製ステディカムの長回しで、360度カメラが動きまわるために、僕らは土手の向こう側に隠れていました。じっと息をこらしながら、風に乗って、洞口さんの歌が微かに聞こえてくるのを、耳を澄ませていました…。ああ、今映画作りに参加しているんだ。映画っていいなあ、こんな風に一生関わっていけたらいいなあ、と思ったことを昨日のことのように覚えています。

その後完成した『ドレミファ娘』の初公式上映は、あろうことか、『台風クラブ』の初公式上映と重なり(こちらにもエキストラ出演していました)、黒沢さんの映画を観ることに決めました。

東京国際でのマキノの『幽霊暁に死す』と『ラヴ・ストリームス』が同時上映されて、どちらを観るか悩んだ時と双璧の究極の選択でした(笑)
この時はマキノの選び(観て泣きました)、カサヴェテスを見なかったことが悔やまれましたが、後に、当時僕が働いていたシネセゾン渋谷の支配人を中心にして親会社の配給会社を動かして、劇場公開につなげることになったのですから、ある映画を観ることと同じくらい、ある映画を観ないことも重要なのだという気がしています。

もうどんな会話を具体的にしたのかあまり思い出せませんが、『ドレミファ~』が終わったあとのパルコ劇場のロビーの熱気だけは覚えています。土手の向こうで洞口さんの子守唄と聞いた時と同じように、ロビーの片隅で、日本映画はここから変わるのかも知れないと、口にこそできませんでしたが、胸中秘かに思いました…。

あれから30年近い年月が流れました。でも日本映画をめぐる状況は明るくありません。

最近ふっと思うのは、あの頃の僕が、今僕自身が作っている映画を観てどう感じるかということです。
長々と失礼しました。近いうちにお会いしたいですね。

投稿: 篠崎 | 2010年1月 6日 (水) 10時52分

 篠崎さん、あけましておめでとうございます。新作期待しております。
 「ドレミファ娘」の西武でのお披露目の時は僕もいました。僕もあの洞口さんの歌声に感動してしまった口です。
 ところで、僕はあの「女子大 恥ずかしゼミナール」があのままセックスシーンを撮り足して成立してしていたら、どうなったんだろう?と、思うときがあります。結構日本映画の歴史は良くも悪くも変わったかなと思います。
 直々に影響力は「女子大 恥ずかしゼミナール」が一旦お蔵入りなった数カ月後にありました。これは、当時長崎俊一監督に「黒沢くんには内緒にしてほしい」と口止めされていたのですが、もう30年近く経ったのでお話しますが、「女子大 恥ずかしゼミナール」の撮影から半年後の84年9月、同じにっかつロマンポルノの1000万枠で「レズビアン 蜜の味」と言う作品が、長崎俊一監督でニューセンチュリープロデューサズで企画されました。実際に起こったみちのくレズ心中を題材にして長崎さんがオリジナルで脚本を起こし、渡辺良子さんと言う女優さんの企画として進んでいました。男の主役は内藤剛志。いまでも脚本を見ると渡辺良子さんの名前だけは脚本に刷り込んであります。この企画が、にっかつの撮影所の最終企画会議で中止になってしまいました。その理由の一つが「恥ずかしゼミナール」の影響があったようなのです。NCPのプロデューサーは海野さんと言う方で、この方は「面白いからやれやれ」と言う感じで、にっかつの若いプロデュサー女性のプロデューサーもやる気満々だったのですが、当時撮影所所長だった方が「自主映画出身監督への不安」を口にして、中止になってしまいました。その後、この企画はフジテレビの出資で「誘惑者」として実を結ぶことになるのですが、もし「女子大 恥ずかしゼミナール」がにっかつで公開され、「レズビアン蜜の味」にも影響を及ばさず、そのままにっかつロマンポルノのプログラムピクチュアとして公開されていたら、80年代後半に生まれた2本の傑作「ドレミファ娘の血は騒ぐ」と「誘惑者」は生まれなかったわけで、「誘惑者」が生まれなければ草刈さんと僕らの出会いもなかったわけで・・・。
 皮肉なことですが、「恥ずかしゼミナール」にダメ出しをし、「レズビアン蜜の味」を中止にした当時の撮影所所長の方は、『誘惑者』製作の時ににっかつを辞め、シネマハウトにプロデューサーとして来ていました。その「シネマハウト」も一昨年倒産してしまいました。
 
 あとこれは今でも断言しますが、僕が今でも映画をやっていられるのは最初に助監督としてついた現場が黒沢清組の「女子大 恥ずかしゼミナール」だったからだと言うことだけは確かです。あの現場でシネフィルでいながら映画の現場で生きていてもいけるんだと思いました。黒沢さんには「これは本来の映画の現場じゃないからね」何度も言われていましたが、僕にとっては今でも最高の現場だったと言えると思います。

投稿: 佐々木 | 2010年1月 6日 (水) 11時50分

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