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2010年9月26日 - 2010年10月2日

2010年9月28日 (火)

十三人の刺客

 工藤栄一の傑作集団時代劇を三池崇史監督が巨額をかけてリメイク。
 脚本は、天願大介とあるが、一部改変があるものの細かい台詞まで含めて池上金男(池宮彰一郎)とほぼ一緒。前回オフにした場面がオンで描かれていたり、バカ殿稲垣吾郎の暴君ぶりが更に残酷になっていたり、そこはオリジナルにうまく三池風味が消化不良にならない塩梅にふりかかけてある。
シナリオ的に一番の改変は幹部を覗いてオリジナルが無名性の刺客だったのに対して、今回は下っ端の刺客たちもそれなりのキャストを揃えて、もっと掘り下げたキャラクター設定を与えている部分。ただその弊害はラストの大アクションで一人ひとりに見せ場を与えすぎてちょっと冗長になってしまったこと。
 アクションは前回を上回り過激で破壊力抜群。いわゆる活劇リアリティも拘っているのだが、いかんせん長すぎて冗長。理由は多分上記したとおり。

 ただ、不満なのはオリジナルから削除した「大人の余裕」の部分を役所広司の芝居に一任してしまった点。
 例えば、
里見浩太朗の放蕩な甥を片岡千恵蔵が口説き落としに行く場面。今回は里見浩太朗の役は電車男の山田孝之なんだけど、この里見浩太朗の甥がおじの知恵蔵に対して、「侍は虚しい。郭で女と遊んでいるほうがどれだけ人間的なことか知った」と達観ぶりを宣って大殺陣への誘いを断ると、知恵蔵御大は「まあそれもいいさ」と徐に部屋にあった三味線を「これでも若い時にな」と弾いてみせる。すると、その三味線があまりに巧く迫力を持ち、「遊びにおいてさえ自分はこの人を超えられない!」と、遊ぶ自分に対して甥が挫折してしまう場面。最後は、三味線の音を引っ張って、道を去っていく知恵蔵の背中の大きさを印象づけて終わる。
 主人公のキャラクターに深みと凄みを見せるためには絶対に必要なシーンだと思うのだが、こういうのはバッサリと落とされていた。

 中々いまの観客にこうした粋な人間像というのを判らせるのが難しかったのかというのと、何よりもジェレミー・トーマスがプロデューサーの海外向けの為に作られた映画だというので、切られてしまったのだろうが、「十三人の刺客」のいい部分というのはアクションシーン以外は意外とみんな余裕を持って対峙しているところに「大人の男と大人の男」の対決の良さがあったがそこに改変が加えられている。
 それと、月形龍之介演じていた牧野采女を今回は松本幸四郎が演じているが、月形が無表情で押し殺した芝居で理不尽な暴力に踏みにじられた老人の悲しみを「静」で演じさせていたのに対して、松本幸四郎は登場した瞬間から悲しみを体全体で分り易く演じていたり、或いは、知恵蔵も副将のアラカンも相手方の内田良平も前回は、結構笑顔で一瞬呑気とも取れる芝居で対峙しあったのに、今回は最初からみんな殺気立っている。表向きの表情と裏腹の感情を持って芝居するからこそ生まれる緊張感。前回の「十三人の刺客」には、これが全編漲っていた。此処が
一番違うところだなあ。
 

 この『大人の余裕』がやがてラストにぶつかりあうところにドラマはあったのだけど、そこがないから普通のクオリティのアクション時代劇になってしまった。
 まあこの普通のアクション時代劇が殆どできない現代においては貴重な一品であることには変わりないのだけど・・・。

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