« 2010年1月17日 - 2010年1月23日 | トップページ | 2010年1月31日 - 2010年2月6日 »

2010年1月24日 - 2010年1月30日

2010年1月30日 (土)

レッスン

 昨日は成城でレッスン。このレッスンもいよいよ佳境に入ってきた。ぼくが相手役を務め奥さんが芝居を観る。と言うのを何回か積み重ねてきているんだけど、相手役を演じると普段カメラの脇やモニターで見ているだけではわからなかった芝居のことがたくさん見えてくるのが面白い。相手の「心」が伝わらないと、こっちの台詞もぎくしゃくしてしまう。芝居の大きい小さいとか方法論ではなく、相手が脚本を理解し自分で考えたキャラクターを自分のものにして自分の言葉で台詞を言ってくれないと、演じる相手にも何も伝わらないのだ。これが溝口が口癖のように言っていた「相手の芝居を反射しろ」と言うことなのか?まず自分で考える。ヒントは脚本の中にしかない。しかしお客さんは脚本の字面に感動するわけではなく、それを語る俳優の芝居に心を動かされる。現場はプロの集まりだから、俳優さんは相手の芝居がうまくいかなくても処理してくれると思うが、その実伝わっていないことも結構あるのではないかと思う。これは一緒の目線の高さで芝居をすると凄くわかるものだった。カメラのそばで何か違うなあ。と思っても、何が違うのかわからないこともあったが、芝居の中に入って初めてわかることがたくさんある。映画を観ているだけでは、この呼吸はわからない。音楽もたぶんそうじゃないかな?ジャズのようなセッションは特にそうだろう。音楽をやっていた人が案外早く芝居に慣れるのは、ある人間の感情を芝居や音楽と言った表現を通じて伝える難しさを知っているからではないかと思う。

 伝えると言うこと。これは本当に難しいことだ。

|

2010年1月29日 (金)

チョコレートファイター 東南アジアの映画

 去年阿部さんの事務所から試写状いただきながら見逃していた一本。「マッハ!!!」のチームによる女ドラゴン映画。主人公が知的障害を持つ凄腕の少女。と言う設定が面白い。経験が乏しくて演技力がまた拙い子を主人公に据えるとき自閉症の設定にして台詞を減らしアクション演技に集中させるってのは間違ってない。アクションが素晴らしいのに棒読みの台詞でも強引に面白く見せるってのは昔の東映映画だけに与えられていた特権ですからね。実は「マッハ!!!」と立て続けに見たんだけど、映画としての洗練度はこっちの方が断然いい。

 特典映像の阿部さんのインタビュー見てて知ったけど、タイ映画もやはりかつての香港映画のように脚本と言うものがなくって、アバウトなプロットだけがあって、1シーン1シーンその日毎に現場で考えて作っていくらしい。製作期間1年以上かけてアクションの準備も4年間やって完成まで漕ぎ着けたようだが、これは入念に準備すると言うのもあるだろうが、それより効率度外視で撮っているためではないかと思われる。恐らく日本での撮影に慣れているとアバウト過ぎて面食らったのではないかと思う。

 かつてフィリピンで僕はカメラマンと通訳、それにアシスタントプロデューサー、それに日本人俳優3人と言う6人編成で、あとは助監督からメイク、美術、照明まで含めてオールフィリピン人スタッフと言う16ミリ撮影によるVシネを撮ったことがあったが、最初はフィリピン的なのんきすぎる対応に閉口したことがあった。日本では映画でもテレビでもそうだが、「美打ち」と呼ばれる事前に監督の意図を聞いて準備するための打ち合わせがある。僕は、何も知らなかったのでフィリピンでのロケハン終了後にメインスタッフを呼んでこの美術打ち合わせにあたる会議を設定したが、なんにも意味が無いことがわかった。例えば、マニラ郊外の湖畔に立つボート倉庫の中での銃撃シーンがあった。歴史的な建造物を改造したもので、ロケセットとしては申し分のない素晴らしいものだったが、倉庫の中は身動きがとれないくらいにボートが積んであってアクションどころか、人が歩く隙間もなかった。そこで美術担当の人間に、撮影時にはこのボートを片付けてくれれば撮影は出来ると通訳を通して伝えたが、スタッフはニコニコ笑って「オーケーオーケー」と言う。アクションシーンだったので、既に100以上のカットを割っていたので、1日では撮りきれない可能性があったから、事前に倉庫は空にしておくようににも伝えた。その時もニコニコ笑って「オーケオーケー」と言っていた。だが、撮影当日、現場に到着すると全く手付かずだった。「どうなってるんだ!これは!」と声を荒げると担当者が出てきて「大丈夫。これから片付けるから大丈夫」と言う。「どれくらいの時間で片付けられるか?」と聞くと、まあ午前中いっぱいあればなんとかなるから監督は朝飯でも食べて待っていてくれと言う。見ると湖畔に立派なテーブルがあって食事が並んでいる。二日間そこで撮影する余裕はなかったので、僕は慌てて徹夜で考えてきたカット割りを半分以下にするしかなかった。この国では事前の準備なんか関係なく、始まって終わるまでやるしかなかったのだ。テーブルに付いて食事を始めると、テーブルのスープを沸かすコンロやパン皿が爆撃でもあったかのようにはじけ飛び出した。「なんだこりゃ!」って思ってコックに聞くと、「ああ、椰子の実が落ちてきただけだよ。このあたりは椰子の実が落ちてきて時々死ぬことがあるからディレクトール(ディレクターが訛っている)も気を付けてくれ」と何気なく言う。その瞬間、僕はもう怒るのをやめた。ここはフィリピンなのだ。我々は異邦人だ。我々の感覚を押し付けるのは間違いで、我々が南方気質に変えるしかない。そう思った瞬間楽になった。映画は別に効率良く撮らなくてもいいじゃないか。撮りきれなかったら、その時はまた考えればいい。なるほど、これでは脚本なんてものもあんまり意味がなくなってしまうのかも知れないと思った。

 それでも怖かったのは銃撃戦のシーンだ。銃撃戦のある日は、ガンエフェクト担当のスタッフが「今日は何発くらい打つかねえ」と聞いてくる。フィリピンでの撮影の利点はとにかく、本物の銃を使い、空砲で撮るので銃口からの火が生々しくしかも激しい点にあった。こっちも適当に「まあ100発は打つかなあ」とかいっているとそのスタッフは「オーケー」と言って、おもむろに紙を広げ地面に座って、実弾の弾頭をナイフで削り始めるのだ。だが、実弾を扱うにしてはえらくいい加減だった。右に削る前の弾、左に削ったあとの弾とぽんぽん並べて行くのだが、コロコロ転がって混じってしまいそうに見えるのだ。撮影中僕はカメラの脇にいて、役者がカメラ方向に撃つカットを撮る度に心の底で恐れおののいていた。

 まあ、そこまでアバウトかどうかはわからないが、効率無視で1年くらいのんびり撮影することが、東南アジア系の映画の傑作に結びつくのかなと思った。ただ阿部さんも言っていたが、脚本がないから考えて芝居をするような俳優にはきつい現場かも知れないと思った。阿部さんは人間的にいい人だからタイの現場も乗り切れたんじゃないかと思う。

|

2010年1月28日 (木)

嘘のような本当の話

いまから10数年前、僕がチーフ助監督だった頃の話だ。

ある映画の制作会社の制作進行尾上(仮名)には、可愛いタイ人の恋人がいた。名前はラムちゃん(仮名)。ラムちゃんは尾上のことが大好きだった。撮影の仕事で尾上の帰宅が遅くなると、ラムちゃんは自分の二の腕をカッターナイフで切り刻んで彼の帰りを待った。それはタイに伝わる呪いの一種で、そうして腕を切ると恋人が帰ってくると言い伝えがあるらしい。だが、尾上はそれを寂しさゆえのリストカットだと勘違いし、ラムちゃんを連れて現場へ来るようになった。僕がラムちゃんに会ったのはそんな時だった。

ある日、僕は冗談がてら「どうせ現場へ来るならタイ料理でも作ってくれよ」言うと、純粋なラムちゃんは上野まで買出しに行き、制作部の炊き出しの道具で、立派なタイ料理を作ってくれたが、それは水生昆虫タガメの塩漬けやナマズのスープなどとても日本人には耐えられない代物だった。ボクは美味しかったけどね。

そんなある日こと、ラムちゃんは「みんなのお父さんやお母さんは何人いるの?」とおかしなことを聞いてきたが、どうやら、ラムちゃんのお父さんには3人以上の奥さんがいて、十数人の腹違いの兄弟がいるとのこと。僕が「ラムちゃんのお父さんはどんな仕事をやっているの?」と聞いたところ、「○ロイン作っているよ!」と明るく言い出した。「ラムちゃんも○ロイン大好き、白いのと黒いのあって、白い方が好き」とか言い出して、僕だけじゃなく、みんなビビってしまった。尾上はその日以来、ラムちゃんを連れてくることはなかった。

それから数年後、げっそりとやつれた尾上と遭遇した。もう制作現場は離れているらしかった。そこで尾上はこの数年間に起こった数奇な運命を語ってくれた。

あれから尾上は、ラムちゃんとどうしても結婚がしたくなり、タイのラムちゃんの実家へ挨拶に行くことになったと言う。

そして、それなりの金を親から借りて、タイへと向かった。尾上の実家はある大手銀行の頭取で金だけはあったらしい。

ラムちゃんに連れて行かれたのはチェンマイの豪邸だった。なんと、ラムちゃんの父親はタイの麻薬王だったのだ。タイの麻薬王の父親は、ラムちゃんが日本留学の末に日本人の彼氏を連れて帰ってきたことに激怒した。そして、尾上の父親が日本の大手銀行の頭取であることを知ると、なんと尾上をその豪邸に軟禁してしまったのだ。

それから数週間、尾上はその豪邸でラムちゃんと会うことも叶わず、パスポートも取り上げられ軟禁されていた。ラムちゃんはこの間、タイ警察に勤める長兄に相談したりしていたようだが、この腹違いの長男も警察の情報を父親に流すだけの為に警察にいたような男だったのでまったく役に立たず、遂に痺れを切らしたラムちゃんは、尾上を脱走させ自分も日本へ帰ろうとしたが、彼女自身のビザの期限が切れてどうすることも出来なかった。

そんな時、救世主のように現れたのがラムちゃんの双子のお姉さんだ。ラムちゃんのお姉さんは、自分のパスポートとビザを使い、尾上を連れて日本へ行くように言った。父親は、このままでは尾上の実家に連絡させ身代金でもとりそうな気配だったので、ラムちゃんも家をでることを決意した。

双子の二人は衣服を替え、完全に入れ替わり、まんまと家族の目も欺ことに成功。そして尾上と共にその豪邸からの脱出に成功し、ラムちゃんは双子の姉に成り済まして日本へ再び渡り、尾上と結婚したと言う。

その後2人がどうなったのか?それはボクもわからない。嘘のような本当の話だ。

|

2010年1月26日 (火)

また横浜で

 昨日は午前中~昼にかけては妻の母の誕生会で会席料理を食べに行き、一旦家へ帰ってすぐに広尾に打ち合わせに出かけ、また一旦帰って、夜から妻と共に横浜まで出向いて、「ケータイ刑事」や「東京少女」の美術を何年も担当していた人たちと呑む。一昨日、突然ですが横浜で2時間ドラマのロケをやっているので、終わったら呑みませんか?と言うお誘いだった。普段はあんまり呑み会には出かけない僕らが出向いたのはこの二人のことが僕も奥さんも大好きだったからでもあります。BSーTBSのあの枠で二人は本当に頑張っていてくれたものなあ。個人的には「ケータイ刑事 THE MOVIE」で舞の事件の時の漫画家のロケセットの飾り付けが素晴らしかった。漫画の原稿のディティールとか「あんこ」と言う表紙と裏だけ本物で中身は白紙を用いず、アドリブで役者の芝居が原稿を手にすることになっても対応出来るようになっていた。これが仕事の出来ないスタッフだと、美術打ち合わせで話にでないと「あんこ」ですませてしまうことが多く、「役者がそんな芝居するなんて聞いてません」の一点張りになるのだが、リハーサルと違ってやはり生きたセットに入って動いてみると役者の生理からどんどん芝居が変わっていくなんてことはざらにある。亡くなった古尾谷雅人さんと飲んだ時。「オレはドラマのリハーサルって奴が大嫌いだ。実際にないそこにはない水道をひねるふりをしてもオレには芝居は出来ない。かと言って、いざセットインしてから芝居を変えると『芝居』ではなくカメラの都合で、芝居を変えるなと言う。ドラマのリハは役者の芝居のためにあるんじゃなくて、スタッフの段取りの為だけにあるんだからな」と言っていた事があった。

  一度事前に決めた決め事を現場でいろいろなことが思いついても対応出来ない。逆に全て計算したとおりに合理的にやれるのがプロの仕事とするのがテレビの特徴であり、それはそれで時間がない撮影においてはしょうがない部分もある。だから最近の助監督は「これは映りますか?」とロケハンもしてないうちから聞いてくることがある。僕は助監督の時にこんなことを聞いたことは一度もなかった。いつどこで監督が「映す」と言い出すかわかないから、どんな時にも対応出来るように万端整えておくのが助監督の仕事だと思っていた。特に長崎俊一監督なんか事前に質問しても「そんなもの役者が動いてみないとわからん」としか答えてくれなかったし。

 それはともかく、予算がない代わりに現場での自由さが約束されていたのが「ケータイ刑事」であり「東京少女」であり「恋する日曜日」であった。そして、そういった俳優や監督の我侭を文句を言わずにとは決して言わないが、きちんとした対応で接するとどこまでも頑張ってくれたのが、昨日会った美術の竹安さんだった。一緒に現場でものづくりしていく独特の自由なムードが素晴らしかったあの現場。いまは中断していますが、またいつか復活することを心から祈っています。

| | コメント (2)

2010年1月24日 (日)

横浜

 昨日は横浜でライターと打ち合わせ。その後、石川町へ移動し中華街へ繰り出す。関帝廟でお参りをしたら最高の御籤を引いた。今年はよいことがある予感。お参り後は「大新園」で焼きワンタンとつけワンタンを食べなが紹興酒を呑み、「東林」へ移動して淡雪フカヒレスープをいただく。途中で手相占いの人が10人ほど集まり995円で占いをするテントのようなものを発見し、見て貰ったが当たっていたり当たっていなかったり、いままでの人生はこうでしたね?と言うのが尽く外れていたけど、年上の女性との縁が深いと言うのは当たっていた。出来れば50代で大病はするけどその後元気になって長生きする。と言うのは当たって欲しくない。でも基本的になんだか説明が曖昧で995円ならしょうがないかなと言う感じだった。同行した一人は、曖昧でいい加減な受け答えにちょっと切れそうになっていた。でも美味しいもの食べたからいいか。今日からの活力になりました。

| | コメント (0)

« 2010年1月17日 - 2010年1月23日 | トップページ | 2010年1月31日 - 2010年2月6日 »