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2010年1月31日 - 2010年2月6日

2010年2月 6日 (土)

なみだ川

 

フィルムセンターで三隅研次の「なみだ川」を観る。山本周五郎の人情話を80分と言う短時間に纏めた小品だが、大映末期の低予算化しつつあるプログラムピクチャーの中で必死に大映京都のクオリティを保っている危うさがいい。三隅研次は近年タランティーノの影響もあって晩年の「子連れ狼」のギミックな演出が再評価されてきたりしているけど、これとかもう少し前の時代の「婦系図」など脚本家の依田義賢と組んだ文芸映画の方が映画そのものの出来上がりはいいんじゃないかと思う。それと宮川一夫と組んだ時の演出と構図がかっちりと組み合わさった全カット緊張感漲る作品もいいが、宮川一夫のカメラマンの作家性が強すぎるきらいがあるので牧浦地志と組んだこの映画のような時の方が三隅本来が持っていたカッティング、編集の冴えを堪能出来ると思う。豪勢なセットでの迫力は足りないが、狭い室内(それでもいまはこれすら出来ないだろう)でのいくつかの会話シーン~アクションが動き出す場面、例えば安部徹に迫られて藤村志保が拒絶するところ、細川俊之と藤村志保の濡れ場に到るまでのカットバック~役者が動き出したときに感情も一緒に動き出す瞬間をアクションで確り観客に伝える演出が素晴らしかった。ところで、フィルムセンターで観ることが出来たこのプリント中々綺麗だったんだけど、後半のロールが一巻まるまるGに転んだ(緑色が強い)焼きになっていて、そこだけ違和感があるのが残念だった。

 ちなみに僕は、細川俊之さんの大ファンで、黒沢清組のある映画のキャスティングでマネージャーの方と出演合意に至ったが、毎週収録されていた「ワールドオブエレガンス」のレギュラーを外すことが出来ず断念した記憶があるが、元気なうちに仕事がしたかった。この映画でも二枚目、ワル、両方を兼ね備えた色気のある男を好演していた。

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2010年2月 3日 (水)

節分 「大殘拳  Ninja Supremo」

 今日も朝から妻の運転で、義父を連れて川崎の鋼管病院へ。難聴の義父の通訳係をつとめる。皮膚科~整形外科~内科~泌尿器科~耳鼻科と、シネコンのハシゴのように昼過ぎまで病院中を渡り歩く。いろいろな検査の結果、80才ながらかなり良好な数値であることがわかる。正直、僕の血液検査の結果より優等生であります。これでしばらくは安心、病院通いも一段落で、毎年恒例の沖縄キャンプツアーも心置きなく行けそうだ。

 帰ってから、12日から始まるワークショップのテキスト、つまり脚本作り。この1年は成城でのレッスンで、演技と言うものを根本から考え直す機会も多かったので今回のワークショップはちょっと楽しみ。

 夕方、豆まきを妻とやって、その後、妻の実家に家族三世帯が集まって恵方巻きを食べる。甥っ子2人は受験生と医者の国家試験準備中。受験の成功を祈りつつ吉方を向いて海苔巻きを食べる。

 帰って、アメリカアマゾンから届いていた「大殘拳  Ninja Supremo」と言う80年代初頭のB級香港カンフー映画をDVDで観る。「酔拳」や「蛇拳」の頃のジャッキーコメディカンフーの系譜のものだった。正直、カンフーアクション以外は映画としては全然駄目なんだけど、たまにまずい台湾の屋台料理を食べたくなるようなそんな感覚になることもある。洗練されていない時代の香港映画や90年代前半のインド映画はなにか郷愁とともに何ヶ月かに一辺は観たくなります。金童と言うショウブラザースで脇役やっていた役者が動きが素晴らしかったのは確かです。特にラストのせむし男&脳障害カンフー男(主人公の師匠に若い頃にカンフー対決で敗れて2人共に身体障害者の復讐鬼になっている)と言う、ハンディキャップカンフーとの決戦は見ごたえあります。

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2010年2月 1日 (月)

シネカノン

シネカノンが民事再生法の適用を東京地裁に申請したと言うニュースが出たのはつい先週のことでした。ぼくが最後の助監督をやったWOWOWの「JMOVIEWARS」の最初のシリーズに「月はどっちに出ている」の短篇版があり、これは、その後長編化されて、単館邦画初期の大ヒット映画にもなりました。その後、その仙頭さんと共にプロデューサーの李鳳宇さんは90年代のミニシアター系邦画の牽引役になったとも言えるわけですが、その李さんも仙頭さんも、いま現在の時点で日本映画の表舞台から姿を消してしまう事態になったことは、現在の日本映画の状況を端的に物語っているとも言えます。

僕が監督デビューをした90年代、日本映画の主な収入源はビデオ市場にありました。多少劇場で振るわなくてもビデオで回収出来る。逆にソフト市場はコンテンツ不足なので枯渇することはないとかも噂レベルではよく聞きました。だから劇場上映をしないビデオスルーの「Vシネマ」と言うものまで生まれました。正しくは「Vシネマ」と言うのは「東映Vシネマ」の名称でしたが、業界では「Vシネ」が通称になっていました。90年代、単館映画と行っても半分くらいは、こういった「Vシネ」のアリバイ上映で、俳優事務所が「Vシネ」と言うものに対して拒否反応があったので、劇場保証の必要のないレイトショーでひっそり公開させある意味映画を偽る映画が量産されました。

その後、レンタルビデオの市場が大きく変わり、ツタヤのような大型店舗がPPTと呼ばれるソフトの買取ではなくレンタルの回転率での歩合制に移行して、小規模のレンタルビデオ屋がなくなりVシネは事実上姿を消しました。「Vシネ」は数多くの駄作と一握りの名作を生み出したと思いますが、スタッフや俳優の経済を支えていたのは確かでしょう。この頃よく言われたのが、「ビデオの問屋の親爺が喜ぶ企画」と言う奴でした。ヤクザ、ヤンキー、エロ、こんなものばかりがVシネのタイトルに並んでいたのはこういった事情があったようです。

しかし、そもそも劇場ではヒットしなくても、ビデオが売れるからいい。と言うのは健全な考えだっただろうか?と言う気もします。こうした単館Vシネとは違い、作家性を押し出した企画で成功を収めていたのが、李さんたちの「シネカノン」だったように見えていました。仙頭さんの「サンセントシネマワークス」もそうでしたが、芸術性の高い作品を作って海外の映画祭で賞をとることでマスコミの話題となり、劇場でも収入を上げビデオ、DVD市場でもヒットさせる。Vシネ映画が崩壊しても、やはりこう言う方法論の方が成功を納めるかと思われたのですが、どうもそれもやはりソフトありきだった気がします。

先週、あるプロデューサーと話をしていて、もう数年前と違って単館拡大系の作品をDVD市場で売るのは不可能に近い状態になってきたと聞きました。09年、邦画の単館拡大で製作費をリクープ出来た映画は「ディアドクター」1本のみ。他は軒並み劇場での興業は失敗、さらにDVDソフトが売れなくなってきているので、回収の見込みはないそうです。つまり、1億円前後で撮るような邦画は市場を失ったと言うことになり、テレビ局主導の大型映画か、乃至は回収のみを考えると1000万に満たない製作費で作る単館映画ばかりが残ったと言うことになります。1000万以下の映画と言うのは、正直昔の「Vシネ」の三分の一に満たない製作費の映画と言うことです。出来ればこういうものは映画を名乗って欲しくない。もう「Vシネ」でいいと思います。

いろいろ書きたいことはあるのですが、だからこそですね。我々は内向的になるのではなく、またテレビ局映画のヒットに嫉妬しつつ愚痴をこね回すのではなく、我々の力でヒットもしつつ映画としてのクオリティも高い映画を撮らなくてはいけないんだと思います。映画には本当は大きな幅があるべきだと思いますが、90年代~00年代の歴史を顧みて思うのは、やはりどこかで傲慢な姿勢が映画業界にあったのではないかと思うのです。ビデオ市場に胡座をかき、市場原理を無視して、テレビ局より努力をしてこなかった結果が現在の映画界にあるのでないかと思います。

娯楽映画を生み出す作家性。こう言う価値を大事にしてこなかったのが、僕が助監督をやっていた80年代~90年代前半の日本映画界でした。昔はエンタティメントを志す作家を映画界、特に団塊世代の人たちは小馬鹿にしていましたからね。

シネカノンの問題はそれだけではなく、飲食業や劇場などに手を広げすぎ、それとこの大不況が相まってと言うこともあるのでしょうが、ただ、ある意味単館邦画の終を告げる象徴的な出来事だったのではないかと思います。

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2010年1月31日 (日)

冬の鰻

 昨日は某所で鰻を食べました。鰻といえば、土用の丑の日に食べることもあって夏の食べ物って感じなんですが、昨日食べた鰻屋の店主によれば、国内産のものは夏より冬のほうが油が乗って身も厚くなり、断然美味しいんだそうです。この店は高田馬場の早稲田通りからちょっと入ったところにある小さな店で、夫婦2人でやってて、店の雰囲気は、近所の蕎麦屋的な感じですが味は本当に素晴らしい。東京の鰻では僕はこの店が一番美味いと思います。ふっくらとした焼き加減は関東風のものですが、本当に素晴らしい。で、あんまり宣伝はして欲しくない感じなので店の名前は伏せておきます。

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