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2011年1月

2011年1月27日 (木)

訃報 池田敏春監督

 池田さんの訃報の第一報を聞いたのは新聞ソースに出る前、月曜の夕方だった。最後の映画を一緒にやっていたスタッフの方からの連絡だった。この一報の中で何が悲しかったというと自殺の場所が「人魚伝説」のロケ地であったと言うことだ。

 僕が上京してディレクターズカンパニーで働き始めた頃、丁度「人魚伝説」が仕上げだったのではないだろうか。この作品はディレクターズカンパニーの事実上の1作目であった。白都真理さんが見事な脱ぎっぷりだったが、これは池田さんがカラオケビデオの仕事で一緒になってそこで惚れ込んでということだったと思う。プロデューサーは根岸吉太郎監督と山本勉さん。事実上は勉さんがラインプロデューサーで、根岸さんは日活同期入社の池田さんをサポートする形で、実際に責任分担が何かあったプロデューサーというより自主制作で友人が撮るから現場を手伝いに行く感覚ではなかったろうか?現場からは移動車を敷いたり、助監督や制作部の手伝いを自らやって中々根岸さんは優秀だったという声が聞こえてきた。この映画は5000万くらいの予算だったのかなあ。ゴジさんからは二度と帰って来ない4千万をいきなり作ってしまったと嘆きの声を聞いた気がする。改めて制作ノートを読むと、その後伊丹プロで活躍したスタッフがメインで。ATGの映画でありながら実質は日活撮影所制作の映画に近かった。内容もアート系のATG映画というよりは日活ニューアクションの香りがまだ残るプログラムピクチュア的なアクション映画で、単館のしかも歌舞伎町シネマ1なんて映画でひっそり公開はされたが本来はもっと娯楽映画の路線として企画に載せるべき映画ではなかったかと思う。こうした映画と売り方の齟齬はその後もディレクターズカンパニーに常に付き纏うことになる。

 「人魚伝説」の公開の頃池田さんは既に「湯殿山麓呪い村」の撮影に入っていて、この時期が池田さんにとっては一番輝いていた時期だったのかもしれない。ただ「湯殿山麓呪い村」に関してはいつまでも撮影が終わらず、公開までの納品が危ぶまれていた。池田さんにとっては、「人魚伝説」の失敗があっても「湯殿山麓呪い村」が成功していればその後の映画人生も変わったのではないかと思われる。しかし「湯殿山麓呪い村」は内容的に微妙なものとなった。しかし、その評判をものともせず日活の正月映画「魔性の香り」を再び石井隆の脚本と天地真理の主演で撮った。「魔性の香り」はヒッチコックの「めまい」をベースにしたエロティックサスペンスのいわゆる日活エロス大作だった。多分製作費は3000万くらいだったんじゃないかな。とにかくディレカン発足時は一番映画を撮っている監督だった。池田さんのフィルモグラフィを一本一本追っていても仕方が無いので、ここで割愛するが、池田さんの嗜好はこの時点で大きくサスペンススリラーに傾いていた。90年代に入って乱発したエロVシネも殆どこの「魔性の香り」のリメイク的な路線だったと思う。大森一樹が脚本を書き、長崎俊一監督が撮った関西テレビ製作の「妖女の時代」も当初は池田さんの企画だったはずだ。

 ただ、「死霊の罠」「MISTY」を撮った頃から池田さんの現場での評判は頗る悪くなっていた。僕がディレカンで助監督や制作の仕事で電話すると各業者やスタッフは「池田組はお断り」の言葉が帰ってきた。特に美術装飾関係からは嫌われた。「寝ない汚い怒られる」が池田組の代名詞だった。どんなに赤字になっても嫌われない相米慎二とは対称的だった気がする。これは池田さんの撮った映画を観れば容易に想像がつく。夜のシーンが多くて、血糊の量が半端ない。仕掛けが多い。雨降らしが多くて現場はそれだけできつい。尚且つ監督は簡単にはオーケーを出さない。池田さんは撮影所で育った監督最後の世代の人だったから、撮影所が機能しなくなって全てのスタッフがフリーで構成される現場になるとこうした監督の甘えを許容する現場は少なくなっていたのだろうと思う。「MISTY」は40日間撮休一日もなしだっと聞く。が、残念ながら興行的にはどれもうまくいかず、批評家の評判の方もあまり高くなかった。

  「人魚伝説」がそうだったように池田さんの資質はあくまでプログラムピクチュアだった。ただ職人監督の我侭を許容できる時代ではなくなっていた。黒沢満さんや升水さんのような人が守ってくれても、現場対応は中々難しったと思う。石井輝男が東映東京撮影所で嫌われたのと同じようなものだったのかなとは思うが、撮影所があった時代とそうではなかった時代の狭間の中で処し方が難しかったのではないだろうか?思えば、ディレクターズカンパニーの作品そのものがそうであった。

 此頃娯楽映画の企画をディレカンのプロデューサーに持って行ってもいつも一蹴されていた。「文学の香りのする映画をやりたい」という言葉が帰ってきた。しかし、「私をスキーに連れてって」と「永遠の1/2」の2本立てが象徴していたように興行を考えないこの姿勢はやがて崩壊へ向かった。池田さんはそんな時代の真っ只中にいた監督だ。

 池田さんはVシネ時代に入ると量産しはじめた。これは日活撮影所時代の黒沢満さんやジャパンホームビデオの升水さんと言った人たちがビデオ会社の重役になって池田さんを積極起用していったからだ。だから90年代も池田さんは恵まれていた監督だと思う。

 「湯殿山麓呪い村」で成功して「妖女の時代」を降りなかったら池田さんの監督人生は少しは変わっていたのかと思うし、「人魚伝説」の力を娯楽映画で発揮すればディレカンの映画も変わっていたのではないかと思う。変わりゆく時代の中で80年代という映画にとっては大きな転換期に為す術もなかった。

 とかいろいろまだ書きたいことはあるが、個人的には池田さんの自殺は仕事が少なくなった監督の末路というよりは迎えるべきして迎えられてしまった結果であるような感情だ。鬱病は薬で治すか誤魔化すしかない。母親が鬱病での闘病期間が長かったのでよくわかるけど、この生きていてもきっと入院するか自殺するかしかなかったと思う。実の子供の僕ですら鬱病の人と一緒にいるのは辛いから、離婚とかそれもやむをえなかったとも思うし。

 ただ自殺にえらん場所が「人魚伝説」のロケ先であったというのが何よりも痛ましい。池田さんにとって一番光を感じていた時代が83年の夏で、そこにしか光がなかったのかと思うと、その頃のディレクターズカンパニーとその後のディレクターズカンパニーを知るものとしては涙を流さすにはいられない。悲しい思いと悔しい思いの両方だ。

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2011年1月17日 (月)

ゾロ ザ・ミュージカル ゲネプロ

 先週の話になりますが、日生劇場で「ゾロ ザ・ミュージカル」の初日に、直前のゲネプロを観させていただきました。東宝ミュージカルのゲネプロを観るのは初めてだったので入る前にちょっと緊張しましたが、始まる前のスタッフたちの緊張感も含めて中々興味深くて楽しかった。

 舞台は、ロンドン・ウエストミンストで上演され2009年ローレンスオリビエ賞にノミネートされた大ヒットミュージカルをスタッフはそのままに日本人の俳優陣で上演されたものですが、これが素晴らしかった。とにかく、ダンスシーンがカッコイイ。本場から数多くのフラメンコダンサーを呼んで群舞が出てくるが凄かった。予算をかけた一流のエンタティメントを生で観るのはたまにはいいものです。人を楽しませる極意をたくさん学べた気がしました。今回は妻の友人の園山晴子さんがこの舞台に出演なさっていてその方の御厚意でゲネプロを観させていただきました。主演のV6坂本昌行さん始め、東宝ミュージカル常連俳優である島田歌穂さん、石井一孝さん、それに今回あ僕は初めて観たのですが、東宝シンデレラで長澤まさみの次点だった大塚ちひろさんが本当に素晴らしかった。皆、スパニッシュダンスを確り自分のものにして踊っていて休憩挟んでの3時間はあっという間でした。

 

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2011年1月14日 (金)

犬とあなたの物語

 久々に試写室で声を上げて笑ってしまった。僕は昔から映画館で笑えるシーンがあると本気で声を上げて笑ってしまう。「男はつらいよ」で寅次郎が柴又に帰ってきて虎屋の人々やタコ社長とケンカするくだり、「トラック野郎シリーズ」で定番の由利徹や南利明、山城新伍といった人達がしもネタギャグを連発するくだり、そういうシーンで笑ったのと同じくらい、「犬とあなたの物語」の前半のショートフィルム部分は笑える。今回はCMの監督たちが腕を競い合うかのようにショートギャグを連発する前半部分と、長崎俊一監督による犬と人生について深く考えさせられる中編、そしてエンディングにやはりCM監督による犬への愛情を表現した短編がつく構成となっている。この前半の新劇系の俳優さんに大真面目にくだらない芝居をさせる部分がかなり笑えるのだ。

 そして散々笑ったところへ、長崎さんのちょっと深刻なヒューマンドラマが来る。このヒューマンドラマが長崎さんらしいストイックで抑制のきいた演出で実によく出来ている。僕は長崎監督とは10年くらい組んでいたので、わかるがこうしたプログラムピクチュア的な作品に対してとても真摯に取り組む監督なのだ。人間が真面目なのだ。多分僕の1億倍くらい真面目で努力家なのだ。「犬の名前」は、過度な感動、笑いなどは抑えるが静かに物語を語っていく。的確なカット割り、抑制のきいた芝居久々に上質なエンタティメントを観ている気分にさせてくれた。さんざん前半の短編部分で笑ったあとのなので、「若年性アルツハイマー」で静かに家庭が崩壊していくさまと、少年時代の犬との別れと今いる犬への愛情を重ねながら人生について深く考えさせてくれる。まあ、これは僕がもうすぐ50才でこうした内容に真剣に危機感を覚えたりするってのもあったかもしれないが、主人公達に付かず離れず愛情のある眼差しで描き出す長崎さんの演出に目からウロコが落ちた気分だった。

 これは余談だが、むかし、室井滋や諏訪太朗など仲間内でボーリングをやった時のことだった。長崎さんが決して運動神経がいい方ではなく、ましてや事故の後遺症でもあったので、ボーリングはビリ予想されていた。それがボーリング場について、順番待ちをしている間、僕らがゲームとかしている間に長崎さんはそこに貼ってあったボーリングの球の投げ方、足の運び方を科学的に解析してあるポスターを真剣に眺め、それを短時間で習得し結果的に優勝した。長崎さんとはそういう人なのだ。

 長崎俊一、矢崎仁司といった先輩格の監督たちがそれぞれ予算や規模は違うがプログラムピクチュア的な中で傑作を生み出したのは嬉しい。僕は商業映画は適当にやって、インディーズで自分の映画を撮るときに禊をするような監督は認めたくない。長崎さんが自主映画から商業映画に行く間に実に4年くらい撮れない時期があった。その間、決して遊んでいたわけではなく、僕は長崎さんのために何本も脚本やプロットを書いて企画してプロデューサー周りをした。成人映画やAV的の企画までやったが長崎監督は決して手を抜いたりはしなかった。どんな企画でも、常に全力投球。ちょっとでも気をぬこうとすると「お前本当に其れでいいのか」と射るような目で睨まれた。僕は数年前にテレビドラマを撮っているとき、同じシリーズを撮っているある先輩監督に「おまえこんなものやって何が面白いの?」と言われたことがある。その方は、海外の映画祭でも有名な方だ。しかし、どんな時でも自分の力で傑作を撮る努力をしないと腕が鈍ってしまうと思う。それは僕自身も大いに反省したことがある。だから長崎さんの「犬の名前」の真摯に映画に向かう姿勢にはやはり胸を締め付けられる思いがしたのだ。

 「犬とあなたの物語」1月22日から全国公開される。シネコンでもやっている映画なので、何を観ようか迷った時は是非オススメします。

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2011年1月12日 (水)

不倫純愛

 某Pからのお薦めもあり、というかその人から聞かなければこの映画の存在すら知らなかったわけですが、イマジカの第2試写室に「不倫純愛」を見に行ってきました。マスコミ試写は2回のみで、公式HPもないので、先に告知しておきますが、この井土紀州脚本で矢崎仁司監督による「不倫純愛」は1月22日より新宿のシネマート新宿でレイトショー公開。雑誌「FRYDAY」に記事が出ていましたが、主演の嘉門洋子さんが初脱ぎとなることで話題になっている、新堂冬樹原作のエロティックサスペンスです。

 矢崎さんが低予算の請負仕事をやるってのがまず驚きました。矢崎さんは日芸時代に僕の師である長崎俊一監督と知り合い、「風たちの午後」という16ミリ映画で80年代初頭に話題となった人です。僕はその頃札幌で自主上映をやっていて、「風たちの午後」も上映し矢崎さんともそこで知り合いました。この矢崎さん、普段は消え入るような声でしゃべって静かなのですが酔うと雄弁となり物凄いオルガナイザーになるんですね。日本中を「風たちの午後」を持って行脚して回り、各地方から矢崎さんの言葉にほだされて東京へ出てきた自主映画青年たちは何人もいた。そして、地方から出てきた自主映画青年たちは高円寺にある矢崎さんが住んでいた「寿荘」というアパートに住み始めた。僕もその一人ですね。僕は自主映画をやるためではなく長谷川和彦を頼って助監督をやるために「寿荘」に住みはじめ、矢崎さんの三畳間で暮らしました。僕が出てきた当時は矢崎さんを敬う自主映画青年や役者の卵、ミュージシャン、なんかがゴロゴロ家賃もまともに払わず住んでいましたが、矢崎さんはその後夫人となった女性の部屋に行っていてもう「寿荘」にはいませんでした。この三畳間に畳が落ちそうなくらいに矢崎さんが残してった雑誌「シナリオ」や映画雑誌があって、古い映画の脚本をやたらにそこで読んで勉強になったのが今も役に立っていると思います。

 その後僕は矢崎さんが「三月のライオン」という映画を自主制作で撮り始めたときにチーフ助監督として参加しました。しかし、10日間撮影して1カットもオーケーが出なかったんですよね。当時僕は助監督として生活していたので、「三月のライオン」の為に二ヶ月間は空けられるけど、黒沢清監督に誘われて三ヶ月目からは「スウイートホーム」の準備に入るので困ってしまったのです。このままでは撮影はいつ終わるかわからない。そうこうしているうちに主役の交代劇なども含めて、撮影は中断となり僕は現場を離れてしまったわけです。「スイートホーム」のロケが終わるとすぐに長崎俊一監督の「誘惑者」の準備入るので、再開する「三月のライオン」はキャスティングと演技事務、それにスケジュールだけ組んで新しい若い助監督に渡した記憶があります。

 まあそういう経験もあったので、1日1カットも回せなかった矢崎さんが低予算の請負仕事を撮ると聞いたので、正直不安もありつつスクリーンに向かったのですが、これが堂々としたフィルム・ノワールの傑作で、いつもの静謐な演出を活かしつつ、確りとしたプログラムピクチュアに仕上げていたので驚きました。撮影はデジタル一眼レフのカメラを使ったようですが「三月のライオン」でも組んだ石井勲カメラマンがかなりクオリティ高い画面作りをしていた。主役の嘉門洋子の脱ぎっぷりも堂々としていて、プロデューサーが望むエロティックな濡れ場もかなり濃厚に撮り上げていて低予算商業映画としてはかなり出来がいい。タイトルからすると、ロマンポルノ的なメロドラマのニュアンスがありますが、内容は50年代アメリカ映画に定番だった「悪女」に翻弄されるノワール映画、例えばビリー・ワイルダーの「深夜の告白」とかフリッツ・ラングの「飾り窓の女」ジャン・ルノワールの「浜辺の女」などのファムファタール映画というべきか。とにかく、普通におもしろい映画になっています。

 試写後、撮影の石井勲からいろいろ苦労談も聞いたけど、低予算でもここまで魅せてくれる矢崎さんの演出力の技を堪能しました。

 なかなかマスコミには乗らないし、このタイトルで敬遠する人もいるかもしれないですがエンタティメント映画として楽しめるので是非1月22日からのシネマート新宿へ観に行ってあげてください。ところで「シネマート新宿」って「新宿文化シネマ」のことだったんですね。川崎に越して新宿で映画を観なくなったので知らなかった。

 

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2011年1月 9日 (日)

最後の忠臣蔵

 川崎チネチッタにあるチネグランドが10日に閉館という話を聞いて、「最後の忠臣蔵」を観てきた。チネグランドはかつては川崎グランド劇場と呼ばれた700人以上入る所謂戦艦級の劇場で、全盛時はミラノやパンテオン系のチェーンに組み込まれた神奈川では大劇場の方だったと思う。川崎の映画街がチネチッタとしてシネコンに再編されてからも、チネグランドの名前で残っていたが、さすがに老朽化でその長い歴史を閉じることになった。シネコンは見やすいけどこうした大劇場独特の雰囲気は味わえない。切符を買ってから劇場の扉を開けるまでのワクワク感。場内の緞帳(チネグランドは既に撤去されていた)、単に映画を観るだけではないイベント感がかつての劇場にはあった。シネコンというのは何か大きな試写室にいるような印象なんですよね。

 そうしたこともあって「最後の忠臣蔵」をここで観たわけだが、正直、僕らはヒロインの桜庭ななみ目当て以外のモチベーションがあまりなかった。最近の時代劇にかなり失望感があったし、監督も時代劇を撮り慣れていないテレビドラマ界の大御所だし、とか偏見を持っていたのだが、これが実に静謐な最後の撮影所映画とも言えるべきクオリティを持っていた。脚本は田中陽造らしく、忠臣蔵の後日談に人形浄瑠璃の「曽根崎心中」を絡ませながら、どこか背徳的な純愛を描いていて、しっとりとじっとりと年の離れた男女の恋愛を描き出し、松竹大船の若手エースカメラマンだった長沼六郎さんが勝新太郎監督「座頭市」での陰影が強く大映映画の時代劇のDNAを持ち込めば、美術の西岡善信も最後の力を振り絞るかのようなリアリティある大映映画のセット、ロケーションコーディネートをしている。時代劇の職人が実にいい仕事をしているのだ。そしてなにより、役所広司、佐藤浩市といった俳優陣が実に過不足なく地に足がついた芝居を披露、出番は少ないが大石内蔵助を演じた片岡仁左衛門の重たいが確りとした口舌の良さは最近の時代劇では絶対に観られなかった「芸」の素晴らしさを感じた。それ以外も去年なくなった京都映画のスタッフが最期の撮影所の力を振り絞るかのように監督の杉田さんをを支えていた。杉田さんはフジテレビの役員でもあり、日本映画専門チャンネルの社長でもあるから出資会社に名前を連ねる日本映画専門チャンネルのプロデューサーでもあるわけで、出資者であればこそここまでのスタッフコントロールを出来たのかと類推したりする。あと、監督補に小笠原佳文さんという松竹京都のベテラン監督を配しているのもチームワークがうまく進んだ原因かとも思う。小笠原さんは、Vシネ全盛期は京都で「卍舞」とか撮っていた監督で「御家人斬九郎」とか渡辺謙版の「仕掛け人梅安」とか良質な映像京都の時代劇の監督もやっていらした方です。

 この映画、僕は勝手に松竹とフジテレビの提携作品なのかと思っていたけど、出資の大本はワーナー。製作は角川映画、下請けに松竹京都に作られていた。実質的には京都映画最後の映画になったと思うけど、これだけの傑作を生みながらおそらく次はもうないんだろうなあという寂寞感も持つ。継承すべきスタッフはこの映画を支えている老人スタッフがいなくなればもうその場所さえないだろうからだ。

 ところでチネグランドで久々に観たけど、やはり映画を観る環境としてはシネコンの方が圧倒的に良かった。広すぎて音が反響しまくって聞こえない台詞があるし、場内灯が消えないのに加えて劇場が広すぎて光源が弱くなり大スクリーンが少し薄らボケていたのだ。これもちょっと悲しかった。

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2011年1月 4日 (火)

ノルウェイの森

 正月最初の映画はトラン・アン・ユンの「ノルウェイの森」。村上春樹の著名な原作で、僕も出版当時の20数年前に読んだことがある。当時、母が鬱病にかかり精神科の病院に入院し始めた頃で、それが治るどころかどんどん悪くなっていく一方で、北海道へ帰るか東京に残って助監督の仕事を続けるのか悩んでいる頃に読んだので、精神的に追い詰められていく登場人物の物語はずっしりと重たいものを呑み込まされて行ったような印象があった。

 それから20数年、母は既に鬼籍に入り僕も結婚し時代は変わった。小説「ノルウェイの森」の記憶もかなり薄れているところで、今回の映画を観たので原作との比較論は僕には出来ない。ただ多くの人が指摘しているように、小説の台詞を役者がそのまま言う事への違和感は最期までつきまとった。村上春樹の小説の台詞は独特で、これを人が喋る言葉に置き換えるのは不可能であろうから、村上春樹を原作にした時点でこの方法論になるのは間違ってはいないと思う。例えば山中直人監督による「パン屋襲撃」や「100パーセントの女の子」も原作小説をそのまま映画にしたものだったが、ナレーションを効果的に使い、それまで山川直人が撮ってきた「アナザサイド」や「ブリンギングイットオールバックホーム」とほぼ同じ方法論と村上春樹の文体がそれほどかけ離れていなかったせいもあってそれほど違和感はなかった。しかし、今回の「ノルウェイの森」の台詞がどうしても気になってしまうのは、語られなければならない深刻なテーマをあの台詞回し、更にそれを音楽的に編集してしまった点にあるのではないか?編集のリズムが音楽的であることは悪いことではない。ゴダールの映画も市川崑の映画でもその方法論は使われている。しかし、今回の日本語のテキストが違和感あるのは伝えなければならない感情が削がれていく故ではないか? 映像は美しい。恐らく最近の日本映画では最も美しい映像をリー・ピンピンや別班の福本淳は撮ったと思う。この難しい台詞回しを松山ケンイチや菊地凛子はじめとする俳優陣は見事に演じきったと思う。小説の印象は重たいテーマを軽妙に語りきって尚且つ重たい印象が残った。が、映画は美しい画面と確りとした演技と演出(芝居のディティール)、音楽的な編集(これは殆ど映画を褒めるために使う言葉だが)なのに、作品そのものは何か伝えなくてはいけないものを伝えきっていない。そんな印象を受けた。しかし、例えば今回の映画を「パン屋襲撃」の山川直人のポストモダン的な演出で軽妙に撮ったとして、小説のような軽妙さと重さのバランスがとれていたかどうかわからない。

 小説、文学の映画化は難しい。自分はデビュー作が「ナチュラル・ウーマン」だった。これは最終決定稿を松浦理英子さんがお書きになられた。上がった原稿は文字として読むと素晴らしい物だったが、それを役者が喋ると違和感が残ったりシーンの入りや終わり方が編集でうまくいかなくて苦労した。1シーン1シーンがきちんと構成されすぎていて、繋がると違和感があるのだ。そこが映画と文学の物語の語りの難しさを身を持って思い知らされた。その時と同じような違和感が「ノルウェイの森」にはつきまとった。

 純文学映画についていろいろと考えさせるという意味で、年頭に観る映画としては相応しい一本だったと言える。

 

 

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2011年1月 2日 (日)

あけましておめでとうございます

しばらく放置してしまいましたが、今年も宜しくお願いします。

春にクランクイン予定の映画の準備中ですがまだいろいろ発表出来ない段階なのでなかなか書きにくいんですよね。僕はどちらかと言えば「お喋り」な方なのでついいろいろ書きたくなってしまう。

今年はもうちょっと更新頻度を増やさないと。とは思っていますが、ツイッターの方が気楽に書けるのでついそっちが増えているかな。今後はこちらは、長文の映画レビュー専用にでもしようかなと思っています。

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