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2011年3月

2011年3月21日 (月)

震災に

 3月11日に日本列島を直撃した東北関東大震災から10日が経ちました。直接の被害を受け亡くなられた方たちには謹んでお悔やみを申し上げます。同時に家族や家を失い、未だに避難所で不安な日々を過ごさせている方たちにはお見舞いを申し上げます。

 僕はその日夕方から仕事へ出かける予定であったが、その前に寄ったスポーツクラブで地震にあって交通網が遮断されていることを知り、そのまま帰宅した。妻は東映テレビのドラマで埼玉までロケに行き、帰宅途中で地震に遭遇しその日は帰宅が出来ず、越谷の市民会館で一夜を過ごすことになった。被災地の方たちに比べれば、それくらいはたいしたことのない被害であったが、途中携帯電話がまったく繋がりなくなり交通網がすべて遮断。一部停電もあり、地震が起こることで我々の生活が瞬時に変わってしまうことを知った。その後も福島の原発事故は我々を不安に陥れたまま、計画停電が始まった。

 関東に置いても、この10日間で11日以前と以降では大きな何かが変わった。同時に悩まされたのが多くの風説だった。何人もの信頼に足る友人達からチェーンメールが来た。彼らは純粋に何かを信じてこのメールを送っている。僕は震災から数日はネットで様々な情報を得ていたので、メールの内容が既に虚偽であったことを知っていたが、知らない人は信じてしまっても責めるわけにはいかない。だから最初にこうしたメールを送った張本人が憎いと思う。チェーンメール以外でもツイッターなどを通じて随分と多くの風評を聞いた。ツイッターにはリツイートという機能もあって、誰かが流している間違ってる情報をねずみ算的に増やしてしまう場合もあることも知った。実際の報道の中でも不安を煽り立てる内容のものも多かった。海外メディアの無責任な原発報道もそれに拍車をかけ、関東から避難する人達も出始めた。 その気持はわかるし、それはしょうがないことだと思う。

 僕は北海道の父のところへ行こうかとも考えたが妻とその家族を置き去りにしては行けないのでここへ残ることにしたが、こうした震災のあとで困るのは溢れる情報の中から何を取り捨て選択していくのかということだ。不安、怒り、そういった感情が間違った情報の散布に拍車をかけていく中で、信じることより疑う気持ちの方が強くなっていくのが人間というものだが、もう一度情報に対し冷静になって考えないといけないと思う。

 そして、何かを攻撃することで安心を得たいというのもこうした非常時にありがちなことなので、これも気をつけたいと思う。いまは誰かを攻撃すると一斉に右へ習えになって叩き潰す傾向があるが、自分にとって何が大事なことなのかをまず考えるべきでないのだろうか?ACのCMに抗議したり、AERAの表紙に怒るのは構わないがそれを自分の心のはけ口にしているだけではないかどうか考え直すべきだと思う。

 我々が今できるのは、静かに事態を見守り、情報の取り捨て選択を冷静に行って、自分たちの生活を取り戻していくことだ。それは11日以前の生活に戻れるかどうかはわからない。しかし、被災地の復興に向けても日本人が日本人として誇りを持った態度で一人一人が立ち向かわないといけない時ではないのかと思う。慌てずじっくりと考え、速やかに行動し生きていこうと思う。

 重ねて直接被害に遭われた方たちにはお見舞いを申し上げます。

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2011年3月 5日 (土)

伊丹万作 「故郷」

 京橋のフィルムセンターで伊丹万作の「故郷」を観た。今フィルムセンターでは、平成21年度特別補正予算の中から割り当てられたお金で昔の映画のネガ修復作業が行われており、その中から修復された映画を数十本単位で上映されている。これが名作というだけではなく、横溝正史の「本陣殺人事件」の初の映画化である「三本指の男」だとか娯楽映画も数多く混じっているのでお時間のある方は足を運ばれてみてはと思います。

 そんな中時間が最初に合ったのが伊丹万作の「故郷」だった。伊丹万作の映画は、故伊丹十三氏が「マルサの女」シリーズで得た莫大な資本を使って父親の映画の権利を何本か買い取り、ネガを修復し英字幕を打ち込んで保存したりし、海外へセールスしようとしていたのを知っている。その時、伊丹さんと一緒に試写室へ行って字幕打ち込みの為の試写の画面を8ミリビデオカメラで撮る仕事をやった記憶がある。その時に観たのは「赤西蠣太」。結局その計画はこの一本で頓挫したようだったが、伊丹氏の想いはこうして20数年後国の補正予算で達成されたことになる。

 で、その「故郷」ですが、これがなんとも面白い映画だった。物語的には都会に出て上流階級の人達と触れ合って近代的自我に目覚めた田舎娘が帰郷するとその価値観の違いに絶望するが、やがて邂逅するという簡単に書くとそういうものだが、その描き方がなんとも妙なのだ。冒頭はこの娘の実家の酒屋(田舎の萬屋みたいなもので、なんでも売っている)の店番をする弟に向かって、じっくりとトラックアップしていくという確りした構図の画から始まり、この弟が注文を受けて美しい山河を背景に自転車を走らせる場面を長い移動と、これは田舎道で撮るのは結構難しそうなのだが、走る車輪のアップや少年の顔などをモンタージュしながらハリウッド映画風の(当時の)軽快なストリングスの曲で実にこの村の素晴らしさを強調して始まる。そこで少年は姉が東京から帰ってくることを配達先の老婆から聞かされる。というオープニングなのだが、いざ実際物語が始まるとこの田舎の村が実は横暴な権力者によって支配されていて、少年や姉の家族はこの権力者にいかに苦しめられているかが語られ、更にこの権力者の息子を贔屓しなかったという理由で少年が慕う教師が学校をやめてしまう羽目になる。とにかく酷い村なのだ。ここへ帰ってきた娘はこの権力者のおかげで仕事もなく、ニート暮らしとなり、さりとて女学校へ通ったプライドから店を手伝うことを拒否。家族と対立して再び東京へ戻っていくことになる。

そして、普通ならここで東京で娘が都会で自分の身の程知らずを知らされて新しい自我に目覚めるというシーンを作ったり、或いは、田舎の権力者と戦うシーンを作って何かを乗り越えていく様が描かれるはずなのだが(アメリカ映画的な文法なら)それらはモンタージュであっさり省略され、雪の田舎の村へ娘が絶望して帰ってくる場面へ繋がれる。そして驚くことに、ここでは雪道のセットだけを作り、背景はスクリーンプロセスで姉と弟が二人で並んで姉が躊躇しながら帰宅する場面になる。二人は歩いているふりをして背景が流れていく極めて不安定な画面作りになる。オープニングの美しく確りとした構図とは真逆の不安定で重苦しい演出で、同じ映画とはとても思えない。田舎は変わらず彼女を迎えてはくれるが彼女が妥協しなくては生きては行けなくなるこの映画の先を考えてもハッピーエンドとは程遠い。筋立て自体は姉は家族と邂逅するが、問題は何も解決していない。脚本上はこのあと実は姉は帰ってきていないでのはないか?と、観客を煙に巻く演出が施されていて、この映画自体が実に大胆な方法で撮られていたことがわかる。「赤西蠣太」でも伊丹万作は通常の映画のセオリーを打ち壊して、映画の一番の見せ場を歌舞伎の場面にしつらえて大胆に省略してみせたが、映画が生誕して30年くらいの時代に既に構築と破壊は実験されていたわけで(ただの破壊ではなく映画の語りの冒険として)、これをみると今の時代に映画を破壊してみる行為など60年以上前に行われていたわけで、いくら映画で新しい表現など追い求めても、みんなやってしまっていることのように思えてならない。だからそれを踏まえて表面上の新しいことだけではなく、人の心をいかに動かすかという娯楽映画の基本に立ち返った地道な努力こそもう一度しなくちゃいけないと思うのでありました。

 というわけで新作の準備も始まりそうなので、いまのうちに映画をみまくろうと思っています。

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