ブラックスワン ブルーバレンタイン 悪人
先週から観た映画をまとめて感想。
「ブラックスワン」は、繊細なバレエダンサーの感情を一人称で、サスペンスホラー風に味付けして映画化したものだった。一つのことに打ち込むと他のものが一切見えなくなり、挫折した狂信的な親に育てられたというシチュエーションは狂人星一徹に育てられ、繊細な野球怪物となった星飛雄馬に似ていた。妄想がそのまま具現化していく様も似ている。「巨人の星」で自分の腕が石化してヒビが入って崩れてしまったりとか。「ブラックスワン」の場合はそれがどんどん被害妄想のように襲ってくる。僕は途中まで、これは「ジェイコブズラダー」くらいの大妄想映画なんじゃないかと穿った見方をしたが、ラストは案外スポ根映画の定石を行って燃え尽きてくれた。映画は16ミリで撮影され、「レスラー」の時のように手持ちカメラでドキュメンタリー的演出がなされているが、これが中々落ち着かない。主人公の感情のブレにこちらも付き合っていくという意味では効果的な演出でもあったが、この物語的にはもっと確りとした画作りで臨んでもいいんじゃないかと思った。ナタリー・ポートマンは素晴らしかった。
「ブルーバレンタイン」は、夫婦間のどうしようもない亀裂をやはりドキュメンタリータッチで、幸せだった時代と破綻のドキュメントが並行して描かれる。この夫婦間のそれぞれの考え方で賛否分かれているが、それはどうでもいい。観る方の立場や考え方でいろいろ変わるのは仕方ないし、映画の本質ではない。ただ、この映画には高度に演出的な手加減がされていて、そこが気に入った。それは主人公の男の行動の全てに「扉」というキーワードをあてて芝居に取り込んで映像化している面だ、主人公が木製の扉の隙間から女を見つけるおtころから二人の出会いは始まり、木製の扉を開けることで女と幸せな結婚に至る。ところが、並行して描かれる現在、どうしようもなくなった男が女を場末のラブホテルに連れて行く断絶を表現するセックスシーンに登場する扉は、二人の間に重く冷たい金属の扉となって現れ、二人の間を断絶する。また、女が働く病院に男が押しかけるシーンでは透明でありながらもどこまでも冷たい扉が二人の間を裂く。そしてラスト、扉を開けて入っていき、女に求婚した同じ扉を開けて男は出てくる。入るのではなく出てくることで二人の仲は完全に断絶した。漠然と歩いて行く男の先にあるのは昼でもなく夜でもない時間に遊んでいる花火の煙と僅かな光だ。開ける扉も明確にない中で主人公の先に救いが残されているかどうかわからないまま映画は終わる。このように、扉という装置を巧く使って脚本の人間関係を端的に表現させられた作家の勝利の映画だったと言える。じゃあ、好きな映画かと言われると「ブルーバレンタイン」はそんなに好きじゃない。これは好みの問題だけだが・・・。
「悪人」 日本アカデミー賞を総ナメにしたこの映画は、脚本という点で大きな問題があると思った。一番は主人公の二人の存在があまりに矮小でどうでもいい理由で人殺しが行われてて、それはまあともかく、その後の逃亡以降の彼らに魅力が全然ないからだ。脇役の人たちの芝居は素晴らしい。笠松さんのカメラも凄いと思う。撮影現場的な達成度は高い映画だとは思うが、脇役の存在をもう少し削ってでも主人公ふたりの心理をもっと繊細に描くべきではなかったかなと思う。だから樹木希林さんや満島ひかりさんや光石研さんが良くて楽しむことは出来ても、肝心の男女の逃避行の場面になると風景、撮影の美しさのみが強調されて主人公達の行動が単調に描かれるので映画を観てて退屈してしまう。僕は原作を読んでいないからわからないけど、主人公の殺人の動機はこれでもいいから(これも「特捜最前線」みたいですが)、逃げてから先の物語をもっと描いて欲しかった。セックスシーンも含めてそこがあまりに単調で、「ブルーバレンタイン」のような矮小な出来事でもこれだけ繊細に描くと娯楽になり得るということを比べると残念な出来になっていたと思った。
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