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2014年7月

2014年7月28日 (月)

山田辰夫さんのこと

 山田辰夫さんの命日が7月26日であったことを石井岳龍さんのツイートで思い出した。 山田さんとは96年「GO CRAZY」という東映Vシネマでご一緒させて頂いた。製作費は1500万程度で当時の東映Vシネマの中でも破格の安値だった。しかも、16ミリフィルムで撮影だった。低予算である代わりに主役は新人で、内容的にも自由でいい。但し、東映作品なので銃撃戦、カースタント、エロは必ず入れること、段取は責任持ってセントラルアーツが行うから全て短時間で撮るようにというものだった。 高橋洋さんと一緒に組んだ最初の一本でもあった。
 かなり厳しい現場であったが、無名ばかりのキャストの中、山田辰夫さんが主人公たちの無実を信じるちょっとやさぐれた新聞記者の役で参加してくれた。初めて会ったのは日活撮影所の第一衣装だった。
「なあ、監督、これどうやりゃいいのかな?」最初にそう言われた。
「サンダーロードの男があのまんま年をとってしまったら?若い時に弾けていた奴が自分と同じ弾けた奴を最初は食い物にしようとする。そういう最低な奴が、もう一度暴力に触れて段々マジになっていってもう一度自分も走ってみたいと思い出す。我慢して生きてきたことを後悔し始める。そんな男でやって欲しいんです」
「わかった。じゃ、好きにやらせてもらうけどいいね」
それから山田さんは、一人で第一衣装中を歩きまわって「相変わらずだなここも」とか言いながら、自分で衣装を見つけてきた。長いコートに細いパンツによれよれのジャケット、そして細いネクタイにサングラス。カッコ良かった。その頃はタックの入ったパンツが主流だったがそのパンツはノータックだった。
「このダサさがいいと思うんだけど、どうかな?」

撮影は千葉にある日活の保養所に泊まりこんで行われた。神代辰巳監督の「女地獄 森は濡れた」を撮影した場所でもあった。
 撮影日数8日間で、ナイトオープンのカースタントやら銃撃戦、初めて脱ぐ女優さんのセックスシーンなどが毎日のようにあって、睡眠時間は1、2時間が普通だったが、山田さんはいつも起きて僕を待っていて、自分の部屋に呼んだ。そしてビールを買ってきて翌日の芝居の話をしたがった。とにかく真面目で本気だった。
 そして若い役者たちには現場で容赦がなかった。テストの時に気を抜いたアクションをやってると「いいから本気で来いよ!」と怒鳴りまくっていた。若い役者たちだったので、加減がわからず本番で本当に山田さんの口を斬るほど殴ってしまって流血で本番が続けられなくなったことがあった。若い俳優は蒼白になったが、昼休み、山田さんはその俳優に弁当を持って行って一緒に食べながらフォローする優しい面もあった。

  ラストシーン、鹿島の小さな砂丘で撮影した。砂丘の稜線の砂紋を踏みながら主人公たちの遺体に山田さんが駆け寄っていく芝居を引きで撮った。
 「砂紋活かしたいので、一発オーケーで行かせてください!」
 もう日が暮れそうだったので現場は火の車の中そう怒鳴った覚えがある。 山田さんは静かに手を上げて応えた。そして本番、最高に心が篭った芝居を山田さんは披露してくれた。まさに心から絞り出した哀しみと怒りを表現してくれた。その表情があまりに素敵だったので、時間がない中山田さんのアップも撮った。

 Vシネマの初号は東映加工の小さな試写室で行われ、殆ど人が来ない中、山田さんはジャージ姿で現れ一緒に作品を見てくれた。
 「オレこういうやんちゃな映画好きだよ。また呼んでくれ。役者らしい役者の仕事出来て嬉しかったです」と言い残して去っていった。

  いつかまた一緒に仕事がしたい。そう思いながら実現することはなかった。 「GO CRAZY」はVHSレンタルのみで中々見る機会のない作品ですが、山田辰夫さんの芝居は本当に素晴らしかった。あの芝居を演出できたことは自分の誇りでもあります。どこかで見る機会があればよろしくお願いします。

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