2009年9月11日 (金)

3時10分 決断の時 と西部劇の行方

昨日は朝から川崎で「310分決断の時」を見てから、恵比寿まで妻を迎えにいって一緒にランチをとる。恵比寿の「ロジェ」と言う30年以上ここで店を張っているぱすた屋さん。妻が若い時に通っていたダンススタジオの近くにあったので、いつもそこに通っていたところだが、内装等全く変わらず70年代によくあったログハウス風のデザインが懐かしい。パスタも種類豊富で美味しかったが、メニューが昔のスパゲティ屋さん風で、最近は本格的なトラットリア風の店が多い中で、昭和風のスパゲティは懐かしかった。ただ、僕らは丁度良い量だったが、若い人は+150円で大盛りにしたほうがいいかもしれない。帰宅してからは、映画秘宝の原稿書き。山城さんの追悼文なんですが、書きたいことが溢れてきて、指定文字数では書ききれないことになり中断。改めて構想を練り直すことに。

 さて、「310分 決断の時」ですが、西部劇なんかいまどきあっとういまに興行を終えてしまうかなと思っていたけど、川崎の109シネマズでは上映回数を増やしたりしていたので、これはやはりクリスチャン・ベールとラッセル・クロウの人気なのか、映画の出来が本当にいいから口コミで伸びたのか、いずれにしろ本当に内容がいい映画が微妙であっても上映回数増えたりするのはいいことだ。

 映画のほうは、アメリカの西部劇と言うジャンルが一つの進化を遂げつつある映画なんじゃないかと言う興奮を覚える出来だった。そもそも50年以上前に遡っても、西部劇と人くくりに出来るほど簡単なジャンルではないほどの豊かな作品群をアメリカ映画は擁していた。そしてそれは一つ一つがジャンルとして扱われてもおかしくないくらいに充実していた。ジョン・フォードの開拓魂溢れる西部劇。アンソニー・マンやニコラレス・レイたちによって作られた暗黒極まる西部劇。「ララミーから来た男」なんてのを大人になって初めて見た時は、西部劇でこんなに人の気持ちを暗くしてしまう映画があってもよいのだろうかと思うくらいに暗かったし、バッド・ベチカーの西部劇も低予算ながらいつも興奮させられる作劇法で楽しませてくれた。あのダグラス・サークが「アパッチの怒り」と言う唯一西部劇を語るときも撮影は大変だったけどジョン・フォードに出来ないことをオレはやったぜ、みたいなことを言ってるからやはり魅力あるジャンルだったのだろう。

 その西部劇の歴史が大きく変わるのは、イタリアでマカロニウエスタンが生まれてからだろう。昔の映画の評論家はマカロニウエスタンを軽んじる人は多いけれど、セルジオ・レオーネやセルジオ・コルッブッチがその後の西部劇と言うジャンルに与えた影響は計り知れなく大きかったと思う。アクション中心の映画に思われがちだが、マカロニウエスタンが大きく変えたのは西部劇出てくる登場人物のキャラクター像だろう。こう書くと、そこで黒沢明の話を持ち込む人がいるが、それは実はそんなに強くは影響していないと思う。むしろ、どこかラテンな、明るくていい加減で、それでいてどこか虚無的な人間像。イタリア映画ならではの人間像が新しいジャンルを生み出したと言える。

 そして、次に西部劇が大きな変化を迎えるのがイーストウッドが「許されざる者」を撮ってしまってからだろう。アメリカ映画とマカロニウエスタンを体現してきた男が、ジャンルとしての西部劇を終焉させるかのように撮ったあの映画。「許されざる者」が生まれて以降、西部劇と言うジャンルに挑戦すらしていけないのではないかと言う不可侵な領域になるとも思えていた。

 だが「310分 決断の時」は「許されざる者」以降に生まれた西部劇としては、類稀なる傑作として登場してきた。内容は難しいものではない。金銭的に追い詰められた元北軍兵の牧場主が己の生活と誇りを賭けて、強盗団のボスを鉄道が通る町まで護送するという物語だ。ただ、そこにはアメリカの西部劇が描いてきた「男の、父親の誇り」を大事にする人間像がきめ細かく描かれ、マカロニウエスタン風の楽曲とともにアクションも派手に描かれ、西部劇の映画的記憶を踏まえた作品造りが成されていた。この脚本、演出を見事に生かしたキャメロン・クロウ、クリスチャン・ベールの2人の俳優の演技が素晴らしい。表情のあり方が特に素晴らしかった。

このように伝統的なジャンル映画をいまだに生み出せるアメリカ映画が羨ましい。日本の時代劇でもあくまで本格的に予算をかけて、アクションもあり人間ドラマも濃いような映画は出来ないものか?そういえば「十三人の刺客」を三池さんでリメイクすると聞いたが、三池さんはテレビの「さぶ」のように確りとした演出で時代劇を撮ることが出来る実力のある監督なので、過激な方向はアクションだけにして確りと地に足の着いた時代劇を作って欲しいと願います。

 

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2009年8月20日 (木)

久々に新宿で映画を観る

今やっている企画の参考にと「コネクテッド」を観に新宿まで出向く。新宿武蔵野館と名乗っているが、ここは数年前まで「シネマカリテ」だったところだな。7階にあった新宿武蔵野館は6年前に閉館して、ミニシアターの「シネマカリテ」だった場所が、「武蔵野館」を名乗っている。昔は新宿武蔵野館は東口では一番見やすくて大きな東宝洋画系の劇場で、高円寺に住んでいた頃は、武蔵野チェーンの小野さんから戴く招待券でしょっちゅう映画を観に行っていた。想い出に残る映画はフィリップ・カウフマンの「ライトスタッフ」かな。丸の内線の駅を降りて一番近い映画館だったので、ここと新宿ローヤルはかなり通った記憶がある。現在の新宿武蔵野館は、川崎のシネコンに慣れてしまったいま、あまりに劇場も画面も小さくてびっくりしたけど、「カリテ」だった時代は、ミニシアターブームのど真ん中だったからこれで良かったんだろうな。

  そういえば、ミニシアターブームの直前の80年代には随分と評判の悪いただ単に小さな映画館が多く出来た。一番酷かったのは、「新宿東映パラス3」だ。これはもう、畳一枚くらいの大きさのスクリーンで、しかも入ってすぐに柱かなんかがあって非常に観づらい映画館だった。むかし、新宿東映に勤めている友人がいて、かつて「ラストエンペラー」をムーブオーバーで上映した際に「こんな画面では嫌だ、金を貸してくれ」といわれて閉口したことがあったそうだ。僕はここでインド映画の「DDLJ」を観た記憶がある。

 さて「コネクテッド」であるが、「セルラー」と言うハリウッド映画を香港でリメイクされたものだが、ハリウッド版に比べてすべての表現が濃くなっているところがとてもアジア的で良かった。ベニー・チャンの演出は「香港国際警察」の時にも思ったけど、人間の焦りとか怒りとかそう言う原初的な感情を激しいアクションと結びつけてうまく表出させることころが、香港映画界の中でも異彩を放っていると思う。ただ単に見世物としてのアクションではなく、観ている感情にキリキリ迫る緊張感を終始伴ったアクションと言うべきか・・・。ハリウッドスリラーを単なるホンコン的パクリではなく、確りとアジア風味で味付けした一級の娯楽作品に仕上がっていた。ただ、気になるのは香港の俳優が時々アメリカ人風の仕草をするのは、「男たちの挽歌」の頃から変わらないが、そうするとそこだけB級風味になってしまうのは勿体無い。その意味でも悪役を演じた中国人俳優のリウ・イエの本気度の芝居は良かった。

 ところで、映画が始まる前の広告で久しぶりに「焼肉の長春館」のCMを観たけど、25年前と全く同じCMをニュープリントで上映しているのに感動してしまった。その昔は新宿の映画館ではどこでも流れていたCMだったが、いまだに存在しているとは思わなかった。あそこに映っている老人の客とかもう確実に死んでいるだろうな。歌舞伎町では「スーパーエニイ」、「オスローバッティングセンター」と言ったローカルCMが流れていたが、劇場で段々CMが増えてもういい加減にしろよ、と思うことが多くなっていく中で、不思議とああいったちょっとダサイローカルCMは何度見ても許せたのを思い出す。

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2008年10月20日 (月)

キム・ギヨン3連発

 朝から夜まで東京国際映画祭で上映されるキム・ギヨン監督特集を観に六本木へ。映画は「下女」と「水女」と「火女82」の3本。「下女」は今から12年ほど前に高橋洋さんに誘われて観て以来。「発狂する唇」を撮るきっかけにもなった映画です。「下女」は12年前からさらに修復されていると言うことだったが、さすがに長い年月観ていなかったのでどこが修復されているのかはわからなかったが、再見して、もう鳥肌立つ迫力ある演出に脳内ノックアウト。続く「水女」は児童国際なんたら用の映画のようだが、途中までの醜悪なメロドラマと突如始まる児童憲章の大合唱でなぜか映画的感動を誘う奇跡の演出。この「水女」の何とも言えない貧乏臭いセンチメンタリズムこそアジアンドメスティック映画の醍醐味。ローカル映画でないと味わえない、アジアの田舎の食堂で味の濃い料理を食べさせられている感じ。「火女82」は「下女」の2回目のリメイク。「下女」がどこかアメリカ映画50年代の格調ある演出を感じさせるのに対して「火女」の方は、ほぼ同じ脚本ながらどこか70年代日本映画の青春映画の趣があって、つまり何と言うかロマンポルノのような緩い雰囲気があるのが面白かった。どれここれも傑作揃いで、キム・ギヨン特集は今週いっぱい続くので興味ある方は是非参加すべし。

 実は3本の上映のそれぞれの間が2時間づつあって、持て余す時間をどう過ごそうかと考えていたら、会場に柳下毅一郎さんと篠崎誠君がいて、3人で食事をしたりコーヒーを飲んだりしながら上映時間ぎりぎりまで延々と映画談議に花を咲かせたので、映画も含めて実に有意義な1日となった。帰り際には青山真治にも会ったけど、彼に残した言葉は、今日1日キム・ギヨンを見ての僕の心の底からの真実の言葉だった。

http://www.tiff-jp.net/ja/lineup/works.php?id=127

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2008年9月30日 (火)

女子大生会計士の事件簿 7話 本編集

女子大生会計士の事件簿  DX.5 とびっきり推理なバースデー (角川文庫 や 37-5) Book 女子大生会計士の事件簿 DX.5 とびっきり推理なバースデー (角川文庫 や 37-5)

著者:山田 真哉
販売元:角川グループパブリッシング
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午後から新井薬師のトムスエンタティメントで「女子大生会計士の事件簿」第7話の本編集。既に、5,6話は完成しているのでフォーマットは出来上がっておりこの間よりもスムーズに繋げた。まあ7話目は、「ケータイ刑事」で言う企画ものと言うか銭形舞「チーフ脚本家殺人事件」や銭形零「連続監督殺人事件」のようなものなのですが、さらにそれを超えて現実とドラマが一緒になってしまうと言うまさに「テレビは冒険だ!」を実践する回になっております。僕の中ではウルトラセブン「第4惑星の悪夢」とかロバート・バリッシュの『決死圏SOS宇宙船』を、角川書店本社内だけで撮ってしまったと言うようなものにしたかったのですが、どうなっているでしょう。まあ、そこまで崇高なものは無理かもしれませんが、この回は角川アニメに馴染みある声優さんも出演していたり、突然萌ちゃんが雷になってしまったりいろいろ遊んでいます。

 「女子大生会計士の事件簿」では、5話は宝積さんを起用してクイーンとはまた違った、強くて悪い女を演じて貰いました。以前にも書きましたが、クライマックスの2人の対決を長回しで撮ったシーンが印象的ですが、実はこの回はカッキーこと竹財君がメインのストーリーで、カッキーが単に萌美の相棒ではなく、彼の心情とか過去にも突っ込んでみた回で三宅君の脚本が冴えています。6話は、本来僕がこのシリーズで一番やりたかった経済サスペンスを、森本亮治君をゲストに迎えて描きました。萌美には「マルサの女」の宮本信子さんのように、経済専門用語を軽やかに駆使して事件を解決させていく。と言うことをやらせたかったので、撮影初日の最初のシーンには随分とテイクを重ねて小出早織ちゃんに経済用語をかつ舌よく語りきるまで頑張ってもらいました。おかげで、そのあとのクライマックスシーンでは最初のテストから素晴らしい知的な小出=萌美を演じてもらうことができ、理想の萌美を撮ることができました。この回はうちの奥さんも森本君の上司の役で出演しています。

 とにかく新しい一皮剥けた小出早織ちゃんをたっぷり堪能していただきたいなと思うし、原作を読んで山田さんの小説のファンになった方にも絶対に落胆させない仕上がりのドラマが出来上がったと思います。いつか映画版とかできたら是非撮りたいなと欲望が湧いてきてしまうくらい面白かった仕事です。と言うわけで、母の死と言うのが間に挟まってしまったせいもあって、「女子大生会計士の事件簿」は僕にとって忘れられないシリーズとなったと思います。実は順調に進めば今日クランクアップとなっているはずなんですが、雨も降ったし大丈夫だったでしょうか?

 明日は朝から「東京少女」のロケハンで、夜から「女子大生会計士の事件簿」の打ち上げです。

 

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2008年8月11日 (月)

レイダース4

亡くなった母の葬儀からもう1週間。なんだかんだとめまぐるしく動いてようやくひと休み。「インディジョーンズ クリスタルスカルの王国」をチネチッタに観にいく。思えば、母はこのシリーズのファンだった。1作目、2作目は元気な時に見たし3作目はもう病気になっていたが、それでも観たいということで、帰省した折に札幌の東宝日劇というこれまた今は亡き札幌の戦艦級の劇場で観た。そういった意味で映画の出来とは関係なく、ラストでインディのテーマ曲が流れて来ると一つの時代が終わっていくのだなと言うことを実感する。Times They Are A-Changin'

 で、映画のほうですが、前作からおよそ20年ぶりの新作ということなのだが、ここまでかつてのこのシリーズを反芻する意味がどこにあるのかと?いや、「ケータイ刑事 THE MOVIE」のようにこれまでシリーズを育ててくださったファンへの感謝の意も込めて創られる映画ならともかく、今更1作目のカレン・アレンがヒロインとして復帰したりだの、シリーズの小ネタ拾いには辟易とさせられる。あんなオバチャンがヒロインで冒険活劇に胸は躍らんし、大体27年前の「レイダース 失われた聖櫃」においてもカレン・アレンの存在は決して歓迎されていたわけではなかったのに・・・。

それだけではない、スピルバーグの演出にも大いに不満が残る。アクションは確り撮れているのに何か決定的なカットがない。たとえば、冒頭でソビエト軍がアメリカ兵に扮装して乗り込んで来る時のカット。襲撃の瞬間、人があっという間に倒れていくあの瞬殺のカットがない。冒頭のアクション~ジョーンズの教授エピソード~ジュニアの登場のくだりも、余計なシリーズの後付け説明を蒐集していくので映画が停滞することこの上ない。どうしてこうなってしまったのか?ルーカスは悪いのだ。と決めつけるのは簡単だが、演出が下手糞に見えるのはスピルバーグの責任以外の何物でもない。ジョン・ハートとかケイト・ブランシェット(最近出まくりだな)とかキャスティングセンスは絶妙なのに勿体ない。この活劇映画の代表のようなタイトルを冠した映画がなぜ失敗するのか?アクションシーンがうまく撮れていても活劇はなぜうまくいかないのか?深く考えながら映画館を出た。

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2008年8月 8日 (金)

暑い

 午前中から家を出て赤坂のBsiまで出向いてライターの三宅君と脚本打合せ。もう、テレビ局だろうがどこだろうが短パンTシャツ姿ですね。8月7日と言うのは昔の暦で立秋らしいけど、7日~お盆当たりが暑さのピークだろう。打ち合わせ後新宿のビックカメラ~ヨドバシと廻って買い物をするがお目当てのものは見つからず、これも母の葬儀の後始末の品です。その新宿での暴力的な暑さは、ハンマーで後頭部を何度も殴打されるようなくらいにガツンとくる暑さだった。それでも湿気が少ないのがまだ救いか・・・。去年は8月いっぱい風邪をひいていたので、結構寝込んでる時期が長かったけど今年はクランクインを控えているので「これから」が忙しくなる本番ですわ。

 三宅君との打ち合わせでようやく自分の中でのこのドラマの演出の肝を見つけたかと思う。とは言え明日からチーフDの回はもうクランクインだもんなあ。まだ詳細は書けませんが、スタッフ・キャストの皆さんは猛暑の中での撮影となるので、熱中症にならないようにくれぐれも気をつけてほしいなと思います。

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2008年8月 1日 (金)

悲しみは空の彼方に

 ダグラス・サーク特集の「いつも明日がある」再見と「悲しみは空の彼方に」を観に行っていたら、北海道から訃報が届いた。母親が亡くなったのだ。丁度「いつも明日がある」の入場直前で、角川の伊橋さんに出くわしてチケットソールドアウトで獲れない人がいたので速攻で譲って、家へ帰り詳細を聞く。今朝心筋梗塞で亡くなったのだと言う。明日カメラテストや脚本打ち合わせを予定していたので、助監督や担当プロデューサーに連絡、なんとか5日のオールスタッフ顔合わせには間に合わせて戻ってこられるように北海道とも連絡を取って段取り。とりあえず、明日早朝出発で北海道へ。いきなり喪主ですね。

 「悲しみは空の彼方に」はスクリーンで観ることは出来なかったが、母の訃報と共に今週観た数々のダグラス・サーク映画は僕にとって忘れられない映画的体験となるだろう。

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2008年7月30日 (水)

翼に賭ける命とボリショイサーカス

 早朝に来月撮るドラマの脚本が送られて来たので出かけるまで2本読んで、簡単な感想をライターの三宅君に送りながらダグラス・サークいくべしと言うメッセージを書く。

 と言うわけで、11時からまた渋谷でダグラス・サーク特集の「翼に賭ける命」を観て、また体中を完璧なる映画の技に身も心も震わせてしまう。文武両道と言うか、これほどまでにアクションシーンがダイナミックに描けながらロック・ハドソンとドロシー・マローンのシーン始め芝居場の撮り方がここまで完璧なのはもうお手上げだ。人物の配置からカメラ、人物が動いた時の影の具合、芝居の仕草ひとつひとつが全て言うことなしなのだ。さらにあれだけの激しいアクションシーンの後に飛行機事故で死んだ死体が無造作に投げ出されると言う死の瞬間まで捉えている。それが、ダミー人形のようには見えないとか操演技術の賜物であるとかいうことを超えて死を感じさせてしまう。CGでは絶対出せないスペクタクルとその結果の死をフィルムに焼きつかせてしまったと言う凄さなのだ。最近のハリウッド映画のアクション監督はこのシーンを絶対に見るべきだ。個人的にはプロペラ飛行機の回転するプロペラに異常な執念を燃やす、現代の文武両道監督スピルバーグに「翼に賭ける命」をリメイクしてほしいなと思いました。

 でも、この凄さはDVDだけで確認できるものなのだろうか、やはり劇場のしかもシネスコサイズで体感できるものではないだろうか、家の40インチモニターでもダメだ。だからDVDボックスを買っても劇場に通わなくてはいけない使命感に燃えてしまうのだ。

 今日は1本だけ観て、速攻で東横線に飛び乗り関内で妻と待ち合わせて横浜文化体育館で「ボリショイサーカス」を一緒に観に行く。生まれて初めてのサーカス体験だったが、「翼に賭ける命」が飛行機サーカスが失敗してしまうと言う話だったので、終始緊張感を持って観る。でも、これは楽しかったなあ。空中ブランコと言うのは、テレビの映像とかで観るとそんなに怖くないんだけど、間近で見上げて、例えばブランコからブランコに飛び乗る瞬間の筋肉の瞬発的な伸縮を直接見ると、それが人間の力だけで為されている業であるかをまざまざと感じさせられて、それだけに落下の恐怖感はまさに今そこに迫っていたのだと感じて鳥肌が立ってしまった。なんにせよ、2時間のエンターティメントは心を潤沢にしてくれた。

 ところで、ダグラス・サーク特集で会った中原昌也君に「これからボリショイ行くんだ」と言ったら「僕はもう先週見ましたよ」とすぐに切り返され、その隣にいた青山真治が「え、なんで?みんなサーカスに」と言いたげに思わず中原君を見たのはおかしかった。

 明日は脚本のお勉強の為、サーク特集は一休み。明後日の最終日、もう一度駆けつけることにします。「いつも明日がある」はもう一度観ないとなあ。

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2008年7月29日 (火)

アパッチの怒り 南の誘惑

 朝からぴあフィルムフェスティバルでダグラス・サークの「アパッチの怒り」と「南の誘惑」を連続鑑賞。「アパッチの怒り」はダグラス・サークが撮った唯一の西部劇で、馬と斜面を使ったアクションはとても初めて西部劇を撮った監督とは思えないほどのダイナミックさがあった。ただ、時折微妙な間合いでカメラ目線の単独カットが入るのはこの映画が3D立体映画として創られていたからだろう。ロック・ハドソンがインディアンの主人公をコスプレしながら、それでいて途中で騎兵隊姿にならなくてはいけないと言うかなり捻った異形の姿が面白い。それだけで映画の主人公に常に爆弾を抱え出す演出になっており、主人公がこの騎兵隊衣装をかなぐり捨て半裸になって戦闘に駆け付ける姿に映画的な感動を覚えた。

 「南の誘惑」はドイツ製のミュージカルだが、後半は陰謀サスペンスメロドラマになっているのが面白かった。この映画もヒロインがクライマックスで「10年間で嫌いになった」ハバネロを無理に歌い上げていくシーンと同時にサスペンスが盛り上がる演出が素晴らしい。これこそが活劇の語り口と言うことではないかと思った。非常に面白い映画だった。

 この2本の映画を観た後は武蔵小杉に移動してFM川崎のラジオ出演。「トリコン!!!リターンズ」の話とか、ダグラス・サーク、それに8月に川崎の市民ミュージアムで上映される成瀬の「流れる」や「女が階段を上がる時」などについて語る。

 もうすぐまた疾風怒涛の準備が始まるので今は束の間の時間を使って映画を観まくらなくてはと思っています。

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2008年7月19日 (土)

歩いても歩いても

 阿部寛さんから頂いたチケットで「歩いても歩いても」を鑑賞。三浦海岸を舞台にした、どこにでもありそうな、それでいてちょっと複雑な家族の1日を描いた秀作。いや、日常を描く映画って多いんですが、この映画の俳優さんたちくらいの実力者が出てくる映画はあまりない。まあ、原田芳雄さんが年寄りにはまだ見えなかったり、YOUはやっぱり好きではないんですが、樹木希林さんの独壇場の芝居はやはり見応えがあった。現役の年齢の役者では一番うまいんじゃないかなと。それが演出によるものなのか、俳優の独自のアイディアなのかわからないが、終始主婦として常に何か動きながら芝居をしているのに感心する。それもどれもさりげなくリアルだ。芝居になっていないようで明らかに芝居で、それでいて映画全体の調律を狂わせてしまうようなおこがましさもない。全てが物語に奉仕しながら極めて禁欲的でそれでいて攻撃的な芝居。最近観た映画の芝居でも特筆すべきものだろう。僕は昔から樹木希林さんに憧れていたが、これは彼女の代表作になり得る映画ではないかと思った。映画の方はそれまで一回も移動撮影がなくラストで突如クレーンアップするが、ロッセリーニの「イタリア旅行」のようなたった一回のクレーンの動きに大きな情動を呼び起こすマジックがなかったのがちょっと残念。ここは最後まで禁欲的でも良かったんじゃないかなと。

 阿部寛さんは、生活感がなくってそれが漂泊している都会の男と言うものを説明させないキャラクターで成功していると思いました。まだこれから見る人も多いと思うので詳しくは書けませんが、成瀬巳喜男の映画の中に出てくる上原謙のような不安定な二枚目と言うか、それでいて主役しかやってはいけないキャラクターとして絶対的に映画には必要な存在だと思わせました。彼が主役だから、脇の樹木希林さんが初めて生きて来るし、また樹木希林さんがいるからこそ阿部寛さんも生きてくる。溝口流に言えば「反射している芝居」がそこにある。と言うことなのでしょう。

 いずれにしろ、どれもこれも同じような映画に見える単館系の若い監督の撮った映画の予告編に絶望させられる中、映画としての芯をしっかり持った日本映画に心を癒された気にさせられました。

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